僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十一章

二年二十組、1

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 まるっと一年さかのぼった、去年の四月七日。湖校入学を翌日に控えた日の正午に、一年時のクラス分け表が教育AIから送られてきた。それには一年生校舎の3Dマップが添付されていて、自分の下駄箱の位置やクラスでの座席表等々が丁寧に記されており、また北斗と昴の名前も同じ組に載っていたため、僕は時間を忘れてクラス分け表を眺めていた。
 あの日からまるっと一年経った、今日。
 二年時の初登校日となる、四月七日の午前七時四十分。
 場所は、二年生校舎の昇降口前。
「むむう・・・」
 八百四十人分の名前が書かれた巨大なクラス分け表を、僕は一年前とは真逆の気持ちで、もうかれこれ三分近く眺めていた。そんな生徒など知らぬとばかりに、たおやかな春の日差しをあびる湖校の校章が、クラス分け表の上を暢気のんきにクルクル回っている。僕は校章を睨みつつ、大きな溜息とともに呟いた。
「みんなとこうも引き離すなんて、酷いよ咲耶さん」と。

 湖校の校舎は学年の区別なく、真南を臨むよう建てられている。よって一階の東端が一組で三階の西端が二十組なのも、学年の区別なく共通していた。一階中央の昇降口も学年共通になっており、ザックリ言うと東が一組、西が二十組になるよう下駄箱は並べられていた。その昇降口の西端へ、僕は足を向ける。二年時のクラスは、二十組だったのだ。
 昇降口に足を踏み入れ西のきわまで進み、壁に張り付いた下駄箱で靴を履き替える。そのすぐ隣が西階段になっていて、二十組は三階西端にあるからこの西階段を使うのが効率良いのだけど、僕は正反対の東階段の方角へ歩いて行った。北斗の一組と猛の二組を、どうしても目に収めておきたかったのである。
 一階中央に昇降口を持つ湖校の校舎は、一階東側に一組と二組を、一階西側に三組と四組をそれぞれ配置している。東階段の入り口で足を止め、僕はそこから、北斗の一組と猛の二組をしばし見つめた。他のクラスから隔絶した場所にある一組と二組は、連帯感をすぐ持つようになると湖校では語り継がれている。幾度目か定かでない溜息をつき、視線を切って東階段を上った。
 二階に着き廊下に出て、今度は京馬の五組と真山の六組を見つめる。二人は北斗や猛と異なる階にいるが使う階段は同じだし、また真上と真下の位置関係にあるから、行き来は容易いだろう。肩を落として回れ右をし、僕はトボトボ足を動かした。
 左手に、七組と八組と九組を眺めつつ歩を進めてゆく。芹沢さんと青木さんは、同じ七組で羨ましいな。八組になった輝夜さんは料理教室のよしみで、同じ組の白鳥さんと友達になるんだろうな。九組の昴も一条さんと友達になって、そしてあの二人と同じ組になった男子達は今日から一年間、女子にとことん頭の上がらない日々を過ごすんだろうな。そうだとしてもそこに加われたら、楽しかっただろうなあ・・・
 などと、未練がましく考えながら西階段まで歩いて来た僕の背中は、東階段にいた時より数段丸まっていた。よって、
「さすがにこれじゃ、新しいクラスの人達に失礼だ」
 そう独りごち、背筋を伸ばし深呼吸する。僕は胸を張り顔を上げて、西階段を一歩ずつ上って行った。
 三階に着き、廊下を左折して二十組へ向かう。HR前の早朝研究をすべく右折して実技棟を目指しても良かったのだけど、新しいクラスを一目見ておきたかった僕は、迷わず二十組を目指したのだ。それを見越していつもより早く家を出たから、エイミィを待たせる事にもならないしね。
 二十組の後ろ出入り口の前で立ち止まり、顔に両手を当ててみる。暗く沈んだ表情には、なっていないみたいだ。景気づけに頬を軽く叩き引き戸を開け、新しいクラスへ足を踏み入れる。
 そのとたん、姿勢と表情を改めて良かったと僕はつくづく思った。なぜなら、
「おはよう、猫将軍君」
 夏の高原の気配漂う笑みを浮かべた那須さんが、僕の席の隣に立っていたからだ。そう僕らは二年時の、同級生だったのである。
「おはよう那須さん、ずいぶん早いね」
 弾む声が自然と出てきた。それを受け那須さんも、
「二年時のクラス表を、見たくて仕方なかったの」
 張りのある声を自然と返してくれた。不思議と気が合い労さずとも仲良くなれた、人生で二番目にできた異性の友達へ僕は語り掛ける。
「新クラスの発表を昇降口前でするのは、日本の伝統らしいからね」
「猫将軍君に紹介してもらった学園漫画にも、その場面がたびたび出てきた。ロマンチックだなって、私は感じた」
「それ、わかる。温暖化がなかったころは入学式と桜の満開日がほぼ重なっていて、そのシーンは桜をバックに描くのがこの国の伝統だった。ロマンチックだなって、僕も思うよ」
 それから僕らは椅子に腰かけ、往年の名作学園漫画について夢中で語り合った。去年の夏休み明け、那須さんが学校内で難しい立場に立たされた時、僕は幾つかの漫画を彼女に貸した。時代の風雪に耐えた名作は何らかのヒントを教えてくれるかもしれないし、少なくとも気休めになるだろうと考えたのだ。しかしそれは、良い意味で外れた。漫画やアニメにほとんど触れてこなかった那須さんは僕の紹介した作品を一読するなり、大ファンになってしまったのである。「心に秘めた想いを絵と文字の両方で表現しているから凄く伝わって来るし、とても共感できる。私はハラハラどきどきしながら、人付き合いの成功例と失敗例を、この作品から教えてもらっているの」 那須さんはそう言って、本を胸に当てそっと目を閉じた。あと数日で那須さんが誕生日を迎えると知っていた僕はいつもの癖で、「そんなに気に入ってくれたなら、それは誕生日プレゼントってことで」と考えなしに口走ってしまった。一拍置き我に返り、こんな中古をゴメンと慌てて謝る僕へ、今までにもらったプレゼントの中で一番うれしいと那須さんは微笑んでくれた。その後も彼女は漫画やアニメへの造形を深めてゆき、特に学園物が好みに合うらしく、今では僕はおろか北斗すら認める「昭平アニコミ好き」になっている。それが彼女の情緒を豊かにする一助となれたのなら、これほど嬉しいことはそうありはしない。よって僕らは今日も、その話題に大輪の花を咲かせていた。のだけど、
「いけない、猫将軍君の研究を邪魔しちゃった!」
 話の途中でハッとした那須さんが、そう叫び立ち上がる。そして僕の手を取り、実技棟に向かってズンズン歩いて行った。十分以上遅刻してしまい焦ったがそれ以上に、初めて触れた那須さんの手の柔らかさと心地よさに、僕の心臓は早鐘の如く鳴り響いたのだった。

 それから、約ニ十分後。 
 さすがに時間が足らず翔刀術の研究はお休みにして、エイミィと雑談だけして二十組に戻って来た僕に、
「おはよう猫将軍君、また一年間よろしくね!」
 元気溌剌の明るい声が掛けられた。顔を向ける間もなく、香取さんが両手を振りながらこちらに走って来る。そう香取さんと僕は、またクラスメイトになれたのだ。
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