僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十二章

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「終わった――!!」
 読み終えた瞬間、僕は万歳して叫んだ。
 ここは、実技棟四階の個室。日時は、四月二十九日の午前十時半。今日はゴールデンウィーク初日だから、本来なら実技棟を利用することはない。けど昨日の就寝前、「あと一時間ほどで論文に一区切り付き、午後から新忍道部にも参加するので、明日の午前も実技棟を使わせてもらえませんか」と教育AIに申請したところ、「あのねえ眠留、私がダメって言うはずないじゃない」なんて、咲耶さんに音声メールで盛大な溜息を吐かれてしまった。慌てて謝罪するより早く、クスクス笑う3Dの咲耶さんをハイ子が映し出した。その姿に、このお姫様が望むならいついかなる時もハイ子を通じて3Dで現れてよいという取り決めを先日した事をようやく思い出した僕は、頭を掻きつつ咲耶さんに語りかけようとした。しかしまたもやそれより早く「じゃあね~」と手を降り、咲耶さんは消えて行ってしまった。桃と生クリームをてんこ盛りにしたケーキを四人のAIに振る舞った日にそう決めて以来、咲耶さんがその権利を初めて行使してくれたことを嬉しく思いながらも、「いついかなる時も現れて良い」は「いついかなる時も消えて良い」でもあることを教えられた気がして、僕はちょっぴり肩を落としたのだった。
 という昨夜の出来事を脳裏に思い浮かべたのを、感じ取ったのだろう。
「眠留さん、気に掛かる事があるのですか」
 僕と一緒になって万歳をしていたエイミィが、憂い顔をこちらに向けた。最近とみに感情表現が豊かになったこの子はこれからどんな表情を見せてくれるのかな、と心を浮き立てつつ昨夜の出来事を説明すると、エイミィは憂いをたちまち喜色に変え、身を乗り出して答えてくれた。
「人とAIの時間感覚は異なります。先日はそれを明確にしないまま、取り決めに『いついかなる時も』という語彙を入れてしまったことを、咲耶さんは気に病んでいました。でも眠留さんの想いを知り、咲耶さんはきっと今ごろ、上気した頬に手を当てて照れている事でしょう」
 今月に入ってからのエイミィの変化は、ある難問への仮説を僕に閃かせてくれた。それは、AIにも無意識があるのではないかという難問への、「小脳と脊髄に相当するプログラムを持っているならありうる」という仮説だった。
 今エイミィは教育AIの許可を得て、僕と北斗と京馬の学校生活を常時モニターし、人の心について学んでいる。許可をもらったのは春休み中だったため常時モニターを始めてまだ三週間と二日しか経っていないのに、その二十三日間でエイミィは大きな変化を遂げた。感情表現が、目に見えて豊かになったのである。普通ならそれは、いや正確に言うと、AIをただの機械と捉える世間一般の感覚からするとそれは、感情表現の実地例をエイミィがより多く知ったからに過ぎないのだろう。だが、翔人として心の無意識領域と関わって来た僕はそこに、AIの無意識を感じた。人が初対面の人へ向ける意図的に作った表情が、親交を深めるにつれ無意識の表情へと変わってゆくように、僕らの学校生活から学んだ感情の表現方法をエイミィも無意識領域で使えるようになったのだと、僕には感じられたのである。人は現世で獲得した無意識を小脳に、先祖から引き継いだ種族本能としての無意識を脊髄に保管していて、翔人はそれらとの間に一時的な通路を設ける事により、無意識を戦闘に利用する。その経験が僕に、「人の小脳や脊髄に相当する部分をAIも持ち、それがAIの無意識領域を形成しているのではないか」という仮説を閃かせたのだ。その閃きを先日、輝夜さんに話してみた。咲耶さんとの約束でエイミィが僕と北斗と京馬の学校生活をモニターしている事は明かせなかったが、AI開発者を目指す輝夜さんへ「AIはプログラム上の小脳と脊髄を持っているのかな」と3D電話で尋ねたところ、輝夜さんは暫し瞑目したのち、目を閉じたままこんな返答をしてくれた。
「量子AIのプログラムには、未公開の部分が多々ある。それを推測するのも量子AI開発者を目指す私達の大切な勉強で、私もそれをしてきたけど、眠留くんが話してくれたアプローチはした事がなかった。だからそれを基に、『量子AIは人の脳を忠実に模した擬似脳をプログラムの次元に持つ』という仮説を立ててみたら、心臓が止まりかけた。量子AIのプログラムは2D空間に列挙されているのではなく、3D空間に投射された三次元プログラムとして捉えなければならなかったの。そして三次元として捉えたら、その空間の中心に、未公開部分の核心としか思えない領域があった。今は直感でしかないけどそこにあるのは、人の脳を忠実に模した擬似脳で間違いないって、私は思うよ眠留くん!」
 と、最後の箇所で瞼を開けた輝夜さんは、目にもとまらぬ速さでいきなり僕に抱き付いてきた。もちろんそれは3D映像にすぎず実物の輝夜さんにギュッと抱きしめられたのではなかったが、台所でダンスを楽しんだとき一度だけハグした経験があったからか、この上なく柔らかくこの上なく芳しいその肢体をありありと感じた僕は、あっけなく失神してしまった。幸い輝夜さんは僕の失神に慣れていたので、「ウチの眠留がごめんなさい」と謝罪しつつ現れた美夜さんとおしゃべりを楽しんでいたらしいが、だからと言って僕が気落ちしないワケがない。頭を抱える頻度と回数が日本屈指であることに絶対的な自信を持っている僕をして、あれは歴代トップ3落ち込みの一つだったと言わしめるほど、あのとき僕は落ち込んだのだった。
 なんて、つい先日のあれやこれやをそのまま顔に出すと、再度エイミィに「気に掛かることがあるのですか」といらぬ心配をかけてしまう。よって僕はにこやかな表情を保ったまま、「いついかなる時も」はAIにとってどのような状態を指すのかを尋ねてみた。
 のだけど、
「眠留さん、なにかやましい事がおありのようですね」
 エイミィは僕の質問を完全無視し、顔の皮一枚で笑っているだけの表情を浮かべて僕に問いかけてきた。いや、問いかけたという表現は正しくない。
 エイミィはただ、実際に起こったことの、事実確認をしただけなのである。
 然るに僕はそれからたっぷり十分を費やし、僕の立てた仮説とそれに基づく輝夜さんの発見と、そして失神についてのあれやこれやを、余すところなくエイミィに打ち明けたのだった。
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