僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

インハイ予選、1

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 翌週の六月四日、土曜日。
 午前六時十分の、三年生校舎校門前。
「各自、バスに搭乗!」
「「「ハイッッ!!」」」
 湖校新忍道部総勢十五名は、インターハイ埼玉予選会場へ向かうべく、真田さんの号令の下、バスに次々乗り込んで行った。
 天候は、雨。
 風はなく、一時間に3ミリ未満の弱い雨がしとしと降っている。屋外競技に臨む者としては、「あいにくの」や「残念ながら」という修飾語を付けたくなる、天候なのだろう。
 だが僕らは違った。
 僕らは雨に、悪感情をいささかも抱いていなかった。
 競技人口の少ない新忍道が会場使用権を得られるのは梅雨しかないため、雨対策をきっちり行ってきたという理由もあった。
 新忍道の基本戦術である奇襲攻撃は悪天候時こそ成功しやすいから、新忍道の競技者が雨を厭うのは本末転倒という理由ももちろんあった。
 だが今この瞬間、湖校新忍道部の十五名が降雨に悪感情を一切感じていない主理由は、それらではなかった。
 僕らは、楽しみで仕方なかったのだ。
 手に汗握る接近戦を大胆に取り入れた湖校独自の戦闘を、今日やっと、世に知らしめられることが。

 去年の夏休み、僕と北斗と京馬は、日本最大の規模を誇る新忍道専門店を訪れた。
 そのさい僕は、新忍道本部が開発した高周波刀「出雲」を手に、鬼王と戦った。
 それ以降僕ら三人は、銃による遠隔射撃とは真逆の接近戦を、試みるようになって行った。
 それに、先輩方が着目した。近接戦闘にスタイルを変えた理由を北斗が説明すると、真田さんは暫し瞑目したのち、太く頼もしい声で私見を述べたのである。「近接戦への移行を、本部は長期戦略として描いているのかも知れない」と。
 新忍道は3DGから派生し、そして3DGはアメリカで生まれたゲームだ。よってそこにはアメリカ人の銃信仰が色濃く反映していて、3DGはもっぱら、重火器の圧倒的火力でモンスターを一掃するゲームとしてプレーされていた。それはそれで爽快感を味わえたが、戦闘の単純化をどうしても避けられず、アメリカを除けば競技人口が減る一方のゲームになっていた。そこに、日本の若者が新風をもたらした。誰も見向きもしなかった高さ6メートルの壁を音もなく越え、チームプレーを駆使してモンスターを各個撃破してゆくという、新たな戦法を披露したのである。後ろに目の付いた超人と謳われたその若者は帰国後、自らの技術をもとに新忍道を創設し、新忍同本部の初代最高責任者となった。その若者こそは神崎隼人さんであり、そして僕と北斗と京馬が訪れた日本最大の新忍道専門店のオーナーは神崎さんの恋人、狼嵐紫柳子さんだった。紫柳子さんの口添えにより湖校新忍道サークルは本部開発AIのモニターチームに選ばれ、その縁で紫柳子さんの人となりを知った真田さんは、こう推測したのだ。「近接戦闘の醍醐味を広めていくのは、本部の描いた長期戦略なのかもしれない」と。
 その翌日から先輩方は意欲的に、モンスターとの接近戦を戦闘に組み込んでいった。するとそれが、三つの副産物を生んだ。一つ目は、嵐丸目当てで集まった女子生徒達が、観客として新忍道を楽しみ始めた事。二つ目は、観客を楽しませたことにボーナスポイントが付与され、得点が上昇した事。そして三つ目は、先輩方自身も、モンスターとの接近戦を楽しんだことだ。複雑な工程を理知的に積み上げていく従来の戦法も面白かったが、安全な場所からモンスターを遠隔射撃するだけでは得られない高揚を、接近戦はもたらしくれたのである。先輩方は試行錯誤を重ね、理知と大胆の両方を楽しめる新しい戦闘スタイルを確立した。真田さん、荒海さん、黛さんの三巨頭チームはそれが最も顕著で、荒海さんの大胆不敵さと、黛さんの冷静沈着さと、双方を兼ね備える真田さんの臨機応変ぶりをいっぺんに楽しめるその戦闘に、観客席は毎回興奮のるつぼと化していた。全国大会出場の切り札とすべく湖校生以外には秘していたその戦闘スタイルを、真田さん達は今日、公の場でようやく披露することができるのだ。予選会場を覆う雨を自分たちが吹き飛ばしてやるとばかりに闘志を燃え上がらせる三巨頭の姿に、今日はむしろ雨で良かったのだという思いすら、僕ら後輩は抱いたものだった。
 予選会場の上尾あげお運動公園には五十分足らずで着いた。この運動公園には正と補助の二つの競技場があり、正競技場には日差しと雨を遮る屋根が付いていた。温暖化による気候変動で日本の夏はとても暑くなったため、県立競技場クラスでも屋根を設けるのが主流となっていたのだ。もっともそれは弧を描いた屋根が柱の上に乗っているだけの代物だったが、殺人光線と揶揄される夏の日差しを遮ってくれるこの屋根を、屋外競技者達は大層ありがたがっていた。
 とはいえ繰り返しになるが、インターハイの予選が県大会から始まるようなマイナースポーツに、屋根付き競技場の使用権が回ってくるなど奇蹟に等しいと言える。現に今も正競技場では陸上のインターハイ予選の開会式が行われていて、というか今まさにそれが終わったところらしく、それは補助競技場を割り振られた新忍道のマイナーさを露骨に物語っていた。なぜなら陸上は午前七時に開会式を終えないとスケジュールを消化できないにもかかわらず、新忍道にとってのこの時刻は、開会式の三十分前にすぎなかったからである。その事実と、雨の中でプレーせねばならない事の相乗効果により、暗い影が補助競技場全体を覆っているのを、バスを降りた僕らははっきり感じた。が、
「うお~、やっと来たぞ~!」
「やっと来ましたね、加藤さん!」
「コラッ、この二大お調子者、到着するなり騒がないの!」
「まあまあマネージャー、ここは大目に見てあげてくれ」
「俺らが泰然としていられるのは、コイツらが代わりに浮かれてくれてるのが大きいからな」
「部長、副部長、私の浅慮でした。失礼しました」
「どわっ待て待て、三枝木は悪くないって!」
「そうっすよ、俺らは確かに度を越して、はしゃいでしまいました!」
「よし京馬、スローモードの発声無しで、はしゃぐぞ!」
「無声のスローモードっすね、了解です加藤さん!」
 なんてやり取りの末、ゆっくりゆっくり体を動かしながら声を出さず浮かれ騒ぐということを、加藤さんと京馬は始めた。そう、打ち沈む補助競技場の中にあって湖校だけが、陽気で活気あふれるいつもの気配に包まれていたのである。しかも二人の無声スロー騒ぎは、部の誇る二大パフォーマーの名にふさわしい完成されたエンターテイメントだったため、
「練習は本番のように、本番は練習のように」
「それを思い出させてくれたお前らに、感謝するぜ」
「部長や副部長と違い俺は気を高ぶらせ過ぎていたから、加藤、京馬、助かったよ」
 二人は試合に臨む三巨頭から、お褒めの言葉を賜ることができたのだった。
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