僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十四章

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 翔狼と共に魔想と戦う狼嵐ろうらん家には卓越した翔人が数世代に一人生まれてきて、男子の場合は紫隆守、女子の場合は紫柳子と命名されてきた。その紫柳子さんと偶然出会い親交を結んだことが認められたのか、おおとり家にも同種の習わしがあることを僕は教わっていた。鳳家にも卓越した翔人が数世代に一人必ず現れ、男子の場合は空路守、女子の場合は藍理子あいりすの名が与えられるのだそうだ。本家と分家、男女長幼の区別無く生まれてくるのも同じだが、紫柳子さんが本家の第一子であったように、当代の空路守さんも本家の第一子であったと言う。その他にも両家には興味深い類似点があるのだけど、それら全てを新忍道部の皆に話せるワケがない。幸い僕の神社が古流刀術の本家であることをHPに記載しているように、鳳家の神社も古流弓術の本家であることをHPに記載していたので、それを皆に伝えたのである。
「眠留の家の古流刀術は、移動しながら刀を振るのが特色だったな」
「はいそうです。鳳家の古流弓術も、移動しながら矢を放つ特色があると僕は聞いています」
「移動しつつ矢を放つ技は、新忍道の射撃技術に転用可能って事か。確かに、一理も二理もある話だな」
「新メンバーが歩く様子に、眠留とよく似た、猫の足取りを俺も感じました。気配を極限まで殺せる歩行技術と高精度射撃を併せ持つ、四年生部員。つまり彼は来年と再来年の、湖校の強力なライバルということですね」
 空路守さんは四年生という黛さんの指摘に、竹中さんと菊池さんの体から闘気が噴出した。再来年の大会に五年生として出場する加藤さんと緑川さんと森口さんは闘気のみならず、真剣勝負の気配もその身に纏った。上級生に倣い二年生と一年生も気構えを新たにしたところで、観戦は再開した。
 それから僕らは、驚愕と考察の二十分を過ごした。空路守さんの示した新しい射撃スタイルに驚愕し、そしてその模倣が可能か否かを考察したのである。
 空路守さんの射撃スタイルは、高機動拳銃狙撃とでも呼ぶべきものだった。狙撃はライフルを固定して行うのが一般的だが、空路守さんは絶えず動きつつ、手にした拳銃で狙撃を行っていた。静止した標的を静止状態で撃っても命中が困難な25メートルという距離をものともせず、高速移動するコモドドラゴンの急所を正確無比に撃ち抜いてゆくその技量は、真田さんや荒海さんを凌駕していた。僕らは驚愕に目を見開き、空路守さんの狙撃技術を心に焼き付けて行った。
 と同時に、それを模倣する自分を脳内でシミュレーションした。空路守さんが用いる銃身254ミリのオートマチック拳銃は射撃時の反動が極めて強く、本来なら専門的な訓練を積み全身を鍛えないと、連射など到底不可能な代物だ。新忍道で実弾を撃つことはもちろん無いが、その代わり肉体の強靭さと身体能力を精査し、それを基に命中か否かを決めるという方法が採られていた。僕は日本刀を振ってきたからか筋肉と関節と靭帯のどれもに高評価を受け、そのお陰で射撃が得意という事になっているけど、それでも空路守さんの真似をする自信はなかった。なぜなら、彼が銃を振り回している時の軸は、体軸ではなかったからである。
 例えば、5メートル前方に空き缶が三つ並べられているとしよう。1メートル間隔で横に並べられた三つの空き缶を撃つ際の基本は、中央の空き缶の正面に立ち、不動の姿勢を作り、まずは中央の空き缶を撃ち抜く。次に上体と腕は少しも動かさず、脚と腰だけで向きを変え、右隣の缶を撃ち抜く。同じく脚腰だけで再度向きを変え、左隣の缶を撃ち抜く。これが、射撃の基本だ。腕や手首という、いわゆる小手先だけで銃の向きを変えるのではなく、体の中心を縦に貫く体軸によって体ごと向きを変えるのが、正当かつ最も命中精度の高い方法なのである。
 だが、この方法にも短所はある。それは、横へ素早く振った銃はピタリと止まってくれないという事だ。銃身の長い大型拳銃はそれが特に顕著で、銃の重さと長さに引っ張られ、ピタリとはそうそう止まってくれない。ではなぜ空路守さんは、長く重い銃による精密射撃をあれほど素早くできるのか。その理由の一つが、体軸で銃を振らない、だったのである。
「空路守さんの軸は、体軸ではありません。ただ、体軸以外の場所に回転軸を設けることなら、複数のモンスターに包囲された際の射撃技術として、湖校新忍道部でも練習しています。京馬、お願いできるかな」
 空路守さんの射撃技術の説明を真田さんから一任されていた僕は、京馬に協力を要請した。任せろやと快諾した京馬は皆から見えやすい場所に移動し、左前方へ足を踏み出しつつ、銃に見立てたハイ子を右へ向けた。銃と体の中間を軸にし、その円周上を歩くことで、銃の向きを変えたのである。京馬は同じことを再度したのち、今度は右後方へ後退しつつ銃口を左へ定めた。縦横無尽に円運動を行い、その移動エネルギーを利用して右へ左へ銃を振る京馬の運動神経の良さに、やんやの喝采が上がった。
「ありがとう京馬。この様に接近戦でなら、僕らも体外軸を普段から使っています。そしてこれに精通すれば、遠隔射撃に応用することも可能です。全力突撃する上黒猿の脇腹を黛さんが遠間から撃ち抜いたのが、まさにそれですね」
 この流れを予期していた竹中さんが、その時の映像を空中に映してくれた。高難度の高精度射撃を皆に絶賛された黛さんはクールさを取っ払って照れまくり、さっき以上の喝采が沸き起こった。僕もノリノリでそれに乗っかってから、話を再開した。
「そして空路守さんは、体外軸にもう一つの技術を加えることで、重く長いあの銃をピタリと止めています。それを、実演してみますね」
 僕は立ち上がり、右腕を持ち上げ、それを鳩尾みぞおちの高さまで勢いよく振り下ろした。そのさい腕をしならせ、力点を肩、肘、手首へ移動させてゆき、そして最後に指先から放出したので、腕は静止画のようにピタリと止まった。これを皆に見せるのは初めてで凄く恥ずかしかったけど、強力なライバルが出現したのだから、そんなことは言っていられない。少しでも助けになればと思い、恥ずかしさを蹴飛ばして僕はそれをしたのである。が、
「なっ」「おっ、お前」「そんな技を隠し持ってたのか!」「「「眠留、覚悟しろ!!」」」
 僕は皆から羽交い絞めにされ寝技を掛けられ、そして窒息寸前までくすぐられてしまった。まあ楽しいから、全然いいんだけどね。
 それから旅館裏の私道へ再び移動し、皆でその練習をした。銃を持たずこれができるようになるまで最短半年、銃を手に全身をしならせるのはそこから最短半年と部屋で言ったら、
「一年なら来年のインハイに間に合うじゃないか、ぜひ教えてくれ」
 と黛さんに真顔でグイグイ迫られ、思わず「はい」と応えてしまったのである。いや教えるのが嫌なのではなくただただ恥ずかしかったのだけど、こうなったら腹をくくるしかない。僕はまず、ゆっくり動作が神経の形成速度を速める仕組みを説明し、そしてその後、体術における「横払い」をゆっくりゆっくりやった。腕をただ横へ払うのではなく、開く関節を肩、肘、手首へと順次変えてゆき、五指の先端へ意識をつないでゆく。これは言うなれば「静」の動きゆえ、静の気質の人は習得が速いと祖父に聞いていたとおり、黛さんは豊かな素質を持っているようだった。菊池さん、森口さん、そして一年の竹にも素質を感じたが、北斗には驚かされた。ひょっとすると北斗は今この瞬間、己が天命を知ったのかもしれない。自ずと目を閉じ、全身隅なく意識を張り巡らせ、ゆっくりゆっくり体を動かしてゆく北斗に、翔刀術を習い始めた頃の昴を、僕は重ねずにいられなかった。
 
 その日の夕飯は、午後六時半に始まった。明日は旅館を発つのが十五分早いため、昨日より三十分前倒しのスケジュールになっていたのである。食事時間が早まったことへ不平を言う体育会系腹ペコ男子はいずとも、就寝時間も早まるとなると文句の一つも出てくるものなのだが、なぜか皆さん午後九時の時点で眠たげな面持ちになっていたから、九時半就寝のスケジュールは概ね守られるのだろう。いつも九時に寝させてもらっている僕には、その後のことはわからないんだけどね。
 僕はこのインハイ中も、いつもと変わらず午後九時に就寝していた。両親の時代に同じことをするなら別室をあてがわれない限り不可能だったろうが、相殺音壁の普及した現代は目隠しするだけで良いのだからありがたい。昨日も一昨日も皆に気兼ねなくお休みの挨拶ができたし、皆も「俺らはまだ楽しむぜヒャッハ~」的なノリで挨拶を返してくれて、実際そのとおりになっていたようだった。しかし今日は、インハイ本選で疲れたのか先程のゆっくり運動でゆったり気分になったのか、午後九時の時点で誰も彼もがボンヤリした眠気顔になっていた。けどまあ、早寝早起きが悪い方へ転ぶことはまずない。目隠しをした僕はなんの憂いもなく、暗く静寂な世界に身をゆだねていた。
 ほどなく僕はうつつを離れ、夢の世界へ穏やかに降下していった。
 すると不意に、見知らぬ誰かの射撃風景が脳裏に浮かんできた。
 現から離れることで雑念の少なくなっていた僕は、その訓練の主旨を瞬時に理解した。
 それは、射撃の反動で銃に制動をかけ、固定したのと同じ状態を作る訓練だった。
 例えば銃を振り下ろした先に標的がある場合、通常なら振り下ろす銃に筋力で制動をかけ、銃を筋力で固定し、銃口を標的に向けてから引き金を引くだろう。
 だが見知らぬその人は、振り下ろす銃に筋力で制動をかけなかった。銃口が標的に向く寸前に引き金を引き、射撃の反動で銃に制動をかけ、銃口が標的に向いている状態を作っていたのだ。
 当初は上から下へ振り下ろす動作だけだったが、斜め上や斜め下からの動作も加えられていった。
 僕はそれに、強烈な既視感を覚えた。
 理由はすぐ解った。
 それは刀の刃筋を通すさいの身体操作に、酷似していたのである。
 沈みゆく意識のなか、それについて思考を巡らせようとした。
 しかしその半ばで、僕は夢の境界を越えてしまったのだった。
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