僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十七章

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 狩猟民族だったアイヌ人にとって、優れた罠を仕掛ける技術は、生死に直結する極めて重要な技術だったと言う。よってアイヌの男達は狩に出られない冬、罠の練習も兼ねて工芸品造りに精を出したらしい。優れた罠を仕掛けるには手先の器用さと根気が必須であり、そしてそれは優れた工芸品を拵えるのにも、そのまま当てはまるからなのだそうだ。
「アイヌの女性は、男性が身に付けている工芸品を検分して、男性の狩猟技術を計っていた。つまり素晴らしい工芸品を造れる男は、食料調達の巧い男として、非常にモテたってことだね」
 ほぼ全ての研究学校生は、技術の習得に熱心と言える。それに加え、異性が気になって仕方ない思春期真っ盛りの少年少女が聴衆だったこともあり、久保田の話は共感と興味の両方で皆の心を掴んだ。僕らは身を乗り出し、そして香取さんはキーボードに十指を走らせながら、久保田の語るアイヌ人の風習に耳を傾けていた。
「社会が変わり、狩猟と採集だけでは生活が難しくなってからも、優れた工芸品を造る技術はアイヌ人を支えた。北海道旅行の定番のお土産として、購入されたんだね」
 香取さんが気を利かせて、代表的なものを幾つか映し出してくれた。鮭を口にくわえたヒグマの置物は特に、「ウチにもある!」「田舎の祖父母の家で見た!」の声を上げさせていた。
「父方の先祖もその仕事に携わっていたそうだけど、末っ子だった祖父は和弓になぜか惹かれて、奈良の和弓職人になった。その流れで父は弓道をするようになり、次男だったこともあって川越に引っ越して来て違う職に就いた。ただ木工は今でも趣味として続けていて、そんな父を見て育った僕も、木彫り好きの弓道部員になったのでした」
 大きな拍手が起こった。そしてそれが静まるや、
「木製台座案を発表しなかったことを悔やむ必要なんてないって思ってたけど、とっても楽しい話をしてくれてありがとう、久保田君」
 秋吉さんがそう語り掛けたので、二倍の音量の拍手が再び鳴り響いた。その音量に驚いている演技をすることで、秋吉さんへの好意を隠せていると勘違いしている久保田が、僕はいじらしくて堪らなかった。むむう久保田、パワーランチが終わったら、プロレス技で締め上げてやるからな~~!!
 とまあそれはさて置き、時間も差し迫っているので決めるべきことを決めねばならない。僕は議長権限を行使させてもらった。
「議長権限により、久保田を木製台座案の責任者に任命します。久保田はクラスHPに掲載する同案の記事を作成し、パワーランチで発表してください。期限は、木曜までとします」
 それはいきなり過ぎだろ、三日しかないのは少し厳しいんじゃない、との反対意見が噴出した。だが久保田は、
「消極的な過去を清算するには、積極的な今を過ごせばいいんだよな、猫将軍」
 弓使い特有の射抜くような眼差しで、きっぱりそう言い切ったのである。そんな久保田の心意気に、人情に篤い姐御肌のあの人が黙っているワケがない。
「あっ、なら私、木製台座案の副責任者になる。みんな、いいかな?」
 会議室を見渡しながらそう問いかけた秋吉さんに、皆は賛成と称賛の集中砲火を浴びせた。那須さんと香取さんと水谷さんは特に称賛が顕著で、それにより三人の女の子は、人情家でも自分に向けられた恋心には疎い姐御の鈍感さから、演技を完全に失敗している久保田を守ったのだった。

 その日の、夜八時。
「話す時間はあるかな」
 とのメールを久保田が送ってきた。添えられた電話番号へ折り返すと、恋する少年は潔く吐露した。
「無口で引っ込み思案の僕は、何でもハキハキ話す秋吉さんが、好きなんだ」
「久保田を無口で引っ込み思案だとは思わないけど、本人がそう言うのだから、そんな面もあるのかもしれないな」
 そう告げた僕に、久保田は少なからず驚いたのだろう。「猫将軍は、なぜそう思うの?」と尋ねるまで、呼吸二回分ほどの無言の時間を久保田は費やさねばならなかった。
 けどそれは、こちらも同じだった。深呼吸を一回して僕はやっと、久保田の問いに答えることができたのである。
「僕は小学生のころ、自分がとても嫌いだった。そして去年の五月、それがとうとう限界を超えちゃってさ。自分を嫌う気持ちが強すぎて、自己嫌悪の底なし沼に嵌ったんだよ。するとある人が、僕をそこから救いだしてくれた。その人は僕に、こう言ったんだ」
 居住まいを正す久保田の気配が電話越しに伝わってきて、つくづく思った。ああやはりコイツは、僕の友達なんだなあ、と。
 その友へ、去年の五月に輝夜さんからもらった言葉を、同じ気持ちで伝えた。
「人は、自分のことは自分が一番よく知っていると思いたがるけど、本当は自分こそが、自分を一番誤解してしまっている。その気づけなかった自分の一面を、周囲の人達が代わりに気づいてくれることがある。だから自分の悪い面ばかりを見て、自分を嫌いにならないでね」
 それから僕は、二十組で久保田と過ごした日々について話した。最初こそ僕が一方的にしゃべっていたけど途中から久保田も加わり、二人で思い出話に花を咲かせた。久保田は口数が少ないだけで間の取り方や抑揚は巧いから、それに慣れれば意思疎通に不足を感じる事はないのである。男子特有のバカ話に興じたのち、僕は持論を口にした。
「僕の家には、先祖代々受け継いできた武術があってね。それを習う過程で身に染みたことの一つに、日頃からしてない事を人はいきなりできない、というのがある。僕はそれを、今日の久保田に見た気がしたよ。木製台座案を発表しなかった贖罪として、あんなに興味深い話をスラスラして皆と楽しい時間を共有できたのは、それをしている久保田が久保田の中にいるからなんじゃないかって、僕は思ったんだ」
 この持論をもって話し合いは大詰めを迎えたと僕は考えていたのだけど、久保田はそれをヒラリと躱し、抜き差しならない攻撃を放ってきた。
「あ~あのさ、今更だけど、去年の五月に猫将軍を自己嫌悪の底なし沼から救い出してくれた人って、白銀さんだよね」
「どわっ、いやっ、あのっ、はい、輝夜さんです・・・」
 尻すぼみでそう答えた僕に、やっと一矢報いたよと満足げに呟いてから、「ずっと言おうと思ってたんだ」と久保田は付け加えた。
「猫将軍と白銀さんはお似合いだって、去年の四月から僕は思っていたよ」
 戦いの主導権を完全に握られた僕は、ありがとう、と小さく返した。
「けど猫将軍と白銀さんはお似合いじゃないって意見の人も、去年はいたよね。ねえ猫将軍、秋吉さんと僕は、周囲からどう見られているのかな」
 ――相手と直接戦うことは無くても、弓道はまごう事なき武道なんだ――
 という確信を胸に、僕は真情を述べた。
「可愛い印象の女の子がカワイイ系の服を着ていたら、大抵の場合、似合うって感じるよね。けどそれ以外の『お似合い』も無数にあるのが、この宇宙の面白いところだと僕は思う。例えば、カレーライス。ほかほかご飯とカレーのルーは味も食感もまったく異なるのに、信じられないほどの美味しさを味覚にもたらしてくれる。これと同系統の『お似合い』は他にも沢山あって、寒い日に食べる熱々のラーメンとか、南国の青い海を彩る真っ赤なサンゴとか、男性が低音を担当し女性が高音を担当するデュエット曲のような、真逆がセットになっているからこそ調和を醸し出すものはこの宇宙に数限りなくあるんだ。久保田と秋吉さんはピッタリ同じという意味でのお似合いではないかもしれないけど、それだけを基準にして似合わないと判断するのは絶対間違っていると、僕は思うよ」
「豪華で豪快な印象の秋吉さんをカレーライスに譬えるなら、間違いなくルーだと思う。そして地味に生まれついた僕は、どう足掻いてもルーになれない。だから迷惑をかけないよう諦めなきゃって、自分に言い聞かせてきたんだけど・・・」
 弓を引き絞る無言の時を経て、久保田はそれを放った。
「ご飯になら、僕はなれる。ルーに覆われ、姿がまったく見えなかったとしても、ルーの美味しさを引き立てるご飯に、僕はなるよ」
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