僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

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 なんて随分、いやハチャメチャ話が逸れてしまった。久保田の話題に戻ろう。
 湖校に入学してすぐ遅気になり、夢と希望を砕かれた久保田は七月になると、夏休み中にこの症状が治らなかったら弓道部を辞めよう、とまで考えるようになった。ただその想いは胸の中に秘し、当人は隠せているつもりだったが、一年生の技術指導をしていた四年長の目は誤魔化せなかった。四年長は久保田を呼び止め、「夏休みになったら俺のトコに来い」と、眼光鋭く命じたと言う。部活の真っ最中に四年長から直接命じられ、同級生部員の注目を一身に集めていた久保田は、よく考えもせず承諾の返事をした。そして部活終了後、皆から心配顔で訊かれたそうだ。「四年長の志垣先輩は熊本出身の寮生だよ、忘れてない?」と。
 そのとおりだった。色々テンパっていた事もあり、寮生にとっての「夏休みに俺のトコに来い」の意味を、完全に失念していたのである。翌日の部活で恐る恐る尋ねた久保田は、前回を数倍する眼光で予定の有無を訊かれた個所までしか記憶になく、ふと我に返ると、志垣先輩の熊本の実家に滞在する日程について話し合っていたらしい。「研修生の寮を使えるようにした、好きなだけいろ」との言葉だけは明瞭な意識のもとに返答せねばならぬと己を鼓舞したものの、口を突いたのは、
「お盆休みに自由日を加えた二週間、可能な限りお世話になります」
 だったそうだ。本来ならここで、催眠術関係の疑念が芽生えるものなのかもしれないが、久保田は自分でも驚くほど冷静でいた。そんな後輩に、強面こわもてで知られる四年長はほんの僅か頬を緩め、「だからお前は遅気になったのだ」と、謎の言葉を残し去って行ったと言う。
 インハイ出場を大接戦のすえ逃した去年の弓道部には、夏休みを挑戦の時期とする機運が高まっていた。それを追い風とし、未知の領域へ挑まんとする一人とみなされた久保田は、同級生のみならず多くの上級生に励まされて熊本の地に降り立った。そしてかの地にて、久保田は弓道の概念を、一新させたのである。
 久保田が熊本で学んだのは、流鏑馬やぶさめだった。と言っても、弓はまだしも馬術は完全素人だったため騎射きしゃは叶わなかったが、それでも豪快にひた走る馬にまたがり矢を的へ正確に放ってゆく志垣先輩の勇姿は、久保田を変えた。遅気に関する一切合切を忘れ、騎射の初心者訓練に明け暮れたそうなのである。回転する不安定な木馬に乗り、制限時間内に矢筒から矢を抜き取り、つがえ、的を射る。その最中、木馬は時計回りに回転し続けており、かつ「何回転目にソレをして、続く何回転目にアレをして」と、時間に追われながら弓を構え射してゆく。これは弓道場での弓道とは真逆であるにもかかわらず、実際にしてみるとまごう事なき弓術であり、そして何より少年の心に、生命力の火花を生じさせた。広大な阿蘇のカルデラ、真夏の空に立ち昇る火山の噴煙、関東では聞いたことのないクマゼミの大合唱、疲れを芯から抜き取ってくれる天然温泉の大風呂、そして同年齢の研修生達との交流。それらは古い久保田を打ちのめし、吹き飛ばし、そして新しい久保田を形作って行った。熊本で過ごす最後の日、何気なく弓道の行射ぎょうしゃをしたところ、遅気になった原因を「かい」が教えてくれたと、久保田は頬を紅潮させて話した。
「弓道用語のかいに『会う』の字を使う理由が、小学一年生の僕には分からなくてね。開くの方のかいを充てて、それを暗記したよ。開くを選んだのは、こんなふうに両腕が一番開く工程を、会と呼んでいるからだね」
 久保田は石段から立ち上がり、弓を引き絞る真似をした。右手で矢を引っ張り、左手で弓を押すため、久保田の言うとおり両腕は最も開いた状態にあった。確かにこれは覚えやすい、僕もきっとそうしたはずと首肯すると、久保田は満足して石段に腰を下ろした。そう僕らはかれこれ五分ほど、神社の大石段で過ごしていた。夢中になって話すうち神社に着いてしまい、「夕飯を食っていけよ」と誘ったのだけど、「秋吉さんがここを通るかもしれないからここで待っていいかな」と、久保田は石段を指さしたのである。それが叶うことは無いと知りつつも、少なくとも今日は絶対ないと確信しつつも、僕は真っ先に腰を下ろして話の続きを久保田にせがんだ。志垣先輩の勇壮な流鏑馬を描写している最中だったからその言葉に嘘はなく、久保田にもそれが通じたので、僕らは石段に腰かけて流鏑馬話に花を咲かせていたのだ。
「会は、弓道独自の精神性の核心として語られることが多くてね。外国人は、宗教の一種と感じる事もあるらしい。弓道連盟のこの方針に以前は懐疑的だったけど、今はまったく疑ってない。会の最中、僕はもう一人の自分と、会っているようなんだ」
 本当になんとなくだけど、来世の久保田が弓翔人として魔想と戦っている様子が、ふと脳裏をかすめた気がした。
 久保田はその後、「神職として既に働いている猫将軍には気楽に話せるよ」とちょっぴり恥ずかしげに言い、もう一人の自分について説明した。それによるともう一人の自分には、人間社会のゴチャゴチャが微塵も付着していないらしい。したがってこちらの自分も、
 ――心のゴチャゴチャ
 を捨てないと、会うのは難しいと言う。けど会う価値は無限にあり、例えばゴチャゴチャに目隠しされていない向こうの自分は様々な事柄を知っていて、そしてその中に、矢が的に当たる瞬間も含まれている。それ以外にも多種多様なことを教えてくれる向こうの自分と、人間社会の垢にまみれたこっちの自分の違いを目を輝かせて話しているうち、再び恥ずかしくなったのか、久保田は急にオロオロし始めた。その必要はまったくないよという気持ちを込め、志垣先輩の謎の言葉について僕は私見を述べた。
「志垣先輩の言った『だからお前は遅気になったのだ』も、もう一人の自分が関与しているんだろうね。遅気の理由は置くとしても、向こうの久保田は熊本行きを断固支持していて、それをこっちの久保田も感じ取った結果、久保田は熊本行きを即決した。久保田の内面で行われたそのやり取りを、同じやり取りの先輩でもある志垣さんは明瞭に感じ取り、それが遅気に関するあの言葉に繋がった。僕は、こんなふうに感じたよ」
 久保田はそれからしばらく、秋吉さんが絡む一切の憂いを忘れた久保田になり、向こうの自分と志垣先輩についてまくし立てた。僕はほんの小一時間前に教室で行った、誰かさんの恋愛成就率の下方修正を、再びしなければならなかったのだった。

 結局久保田はその日、猫将軍家で夕ご飯を食べることとなった。食事の用意が整った旨を知らせに来た美鈴が久保田の話を耳にし、私にもぜひ聴かせてくださいと懇願したのである。その食いつき振りに若干の違和感を覚えたようだったから、猫将軍家に生まれた者は神事が忙しくて旅行を諦めねばならないことを伝えると、こんな僕の話で良ければ喜んでと久保田は快諾してくれた。お兄ちゃんのお友達は良い方ばかりねと愛らしく微笑む美鈴に、「姉だけじゃなく妹も欲しかったなあ」と、久保田は演技抜きの溜息をついていた。
 久保田の流鏑馬体験記は夕食を大いに盛り上げた。それは僕をまこと喜ばせたが、牛若丸の木彫りについては頭を抱えた。僕をモデルにした牛若丸を作り始めた経緯を久保田が説明するや、
「完成したら儂に購入させてもらえないだろうか」
 と祖父が申し出たのである。
 久保田によると流鏑馬体験は、新たな感覚を生じさせたらしい。格闘系部活に所属する生徒の放つ鋭さを、感じられるようになったのだ。そして去年の僕の牛若丸に湖校随一の鋭さを覚え、それを木に彫りこみたいと情熱を燃やしたのが、牛若丸木彫りを始めたきっかけだったと言う。未完成であっても祖父は先日木彫りの写真を見ており、その際いたく感心し、お金を払ってでも手元に置きたいと願った。背景と動機を知った今はそれが更に強まったので、ぜひ購入させて欲しい。祖父はそう、頼んだのである。
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