僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十八章

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 という記事に、肯定的な感想を抱かない研究学校生はいないだろう。しかし、世間にはいた。否定的な主張をする年配者たちが、多数と言って良いほどいた。人は一人一人が異なる心を持つため反対意見が出るのは当然であり、それだけなら物議を醸すことは無かったが、反対の内容が悪すぎた。その年配者たちはまったく悪びれず、こう主張したのである。大人が導いてあげないと子供だけでは悪い結果を招くに決まっている、と。
 これはいわゆる、ツッコミどころがあり過ぎてどれを最初に取り上げるべきか悩む、系の困惑を世にもたらした。だがその困惑を、本音と建前の葛藤として捉えたその人達は、自分達こそは世論の本音の代弁者であると位置づけ、正義の味方のように振舞い始めた。人は調子づくと、本音をどんどん漏らす生き物。「子供達を手足の如く動かすのが名監督」という時代錯誤も甚だしい主張から、「生意気なガキ共が道具に成り下がるのは快感」を暴露するまで、たった二日しか掛からなかったのだ。その後の大層な物議を経て、その人達は因果応報の見本となった。この出来事をきっかけとし、
 ――精神年齢の低い大人はそうでない人達が導いてあげないと社会悪になる
 との共通見解が、ネット上に生まれたのである。それをもって、この騒動は一応収束したのだった。
 その騒動について、
「同じ世代の儂に、あれはこたえた」
 おじいさんは肩を落として語った。僕が新忍道部に所属していることを孫娘から聞いていたおじいさんは、新忍道の埼玉予選をネット観戦した。自分が青春を捧げた野球とは異なっていても、仲間と力を合わせてモンスターと戦うスポーツに強く惹かれたおじいさんは長野の本選も観戦し、湖校チームがサタンに勝利した時は飛び上がって喜んだと言う。特に好きなのは戦闘後に設けられる選手と公式AIの会話らしく、自分の青春時代が怒涛のように思い出され、涙なくしてあの場面を見るのは不可能だそうだ。おじいさんはインハイ後も新忍道のニュースをこまめにチェックし、よってあの騒動も最初から注目していた。その注目は、痛みと恐怖を心にもたらした。やり玉に挙げられ辞任した監督と同世代だったおじいさんは、あの感覚が当然だった数十年前をはっきり覚えていた。数十年前は自分もそれを信じ切っていたのを、昨日のことのように覚えていた。大学在学中に父親が病を患い家業を継ぎ、仕事が忙しくて地域の少年野球にすら関わってこなかったが、あのまま野球界に身を置いていたら自分もああなっていたのではないか。その恐怖に震えながら、おじいさんは騒動に注目していたそうなのである。
「眠留が最初にここを訪れたのは、騒動の真っ最中だった。儂は痛みと恐怖に震え、この話題を眠留に切り出せなかった。先月の第一日曜も似たようなものだったから、一カ月半を挟んだ今回の来訪は、丁度良かったのだろう」
 おじいさんはここでやっと、朗らかな気配に戻った。たまらず輝夜さんが「おじいちゃんはそんな人じゃない!」と声を絞り出すも、おじいさんを隣で支えていたおばあさんが、首を横へゆっくり振った。
「卒業二十周年の同窓会で、初めて知りました。私達の学校には、野球部をよく思っていない生徒が、大勢いたのです」
 やっと戻った朗らかな気配を手放すも、おじいさんは肩を落とさなかった。でもそれが精一杯の抵抗である事は、火を見るより明らかだった。おばあさんは「私に任せて」と語りかけ、話を先へ進めた。

 お二人が通っていた私立高校は、全国的に名の知れた野球強豪校だったと言う。権力を振りかざすことを憚らない理事長によって野球部は多数の特権を与えられ、増長した監督は「野球部は独立王国である」と部員達の前でしばしば発言していた。少なくない野球部員が監督に同調し、おじいさんの代は甲子園に出場したため、それが特に顕著だったらしい。だが悲しい事にかつて日本には「野球部は特権階級」的な意識が広まっており、そのせいで自分達が調子づいている事に彼らは気づけなかったそうだ。野球部以外の生徒は、そういう時代にそういう学校に来たのだから仕方ないと波風立てないことを第一にしていたが、卒業して二十年も経つと本音が漏れ出るのは世の常。野球人気低迷も手伝い、いや人気低迷が嬉しくて仕方ないとばかりに、卒業二十周年の同窓会は、野球部絡みの嫌な思い出を声高に話す場になったと言う。
「私は野球部の花形選手の一人と付き合っていた事もあり、皆から本音を明かされていませんでした。ショックを受けていると、あなたの旦那さんは例外的にそういう人じゃなかったから安心してと言われましたが、本音を嬉々として話す時の顔を一度見たら、本音かそうでないかを判別できるものなのですね。帰宅し、小学生の葉月を目に留めるなり、私は言っていました。お母さんは明日から畑仕事をする、身綺麗ではなくなるかもしれないけど、心は綺麗になるから許してねと」
 畑仕事で日焼けしていても、若い頃のおばあさんがかなりの美女だったことは今でも容易に見て取れた。言葉遣いや所作もとても美しく、良家のお嬢様だったとして間違いないだろう。そういう奥さんに畑仕事をさせぬよう滅茶苦茶張り切る夫の心境は、同性として手に取るように分かる。よっておばあさんが畑仕事をしなかったとしても、心の美しさは無関係に思われたが、胸の内は本人にしか分からぬもの。都内にこれだけの土地を所有しているおじいさんは資産家のはずで、よって三十台終盤のおばあさんは人が羨むほど若々しく、それを同級生達がやっかんだだけな気もするけど、僕はそれらを歯を食いしばって呑み込むしかなかった。しかしそこは、さすが輝夜さんの祖母なのだろう。「眠留君は輝夜から聞いていたとおりの人なのね」「もちろんよおばあちゃん」 二人で朗らかに笑い合ったのち、おばあさんは場を一気に明るくする話を始めた。
「畑仕事のお陰で食材の声を聴けるようになったのですから、たとえ人生を何度やり直そうと、私は喜んで畑仕事をするわ」と。

 約一か月前の八月下旬、その瞬間は突然訪れた。お昼ご飯の食材として畑から収穫してきたばかりのトマトと胡瓜と茄子を水洗いしている最中、この三つの食材をどう調理すれば最も美味しく、かつ最も栄養価が高いかを、おばあさんはテレパシーに似た声として感じ取ったのだ。突然のことでも、驚きはまったく無かった。理由は二つあり、一つは昴の調理技術を孫娘に聴いていたから。そしてもう一つは、その声に馴染みがあったからだ。農作物の世話を始めて今年で二十七年、おばあさんはそれと同種のインスピレーションを、頻繁に受け取るようになっていたのである。
 農作業を始めた頃のおばあさんが畑で感じていたのは、ただただひたすら体の疲労だった。本格的な運動経験も力仕事の経験もない三十台終盤の女性がいきなり畑に出たのだから疲労は凄まじく、病院のお世話に幾度もなったが、夫と娘に助けられおばあさんは畑に足を運び続けた。「今振り返ると、優しい家族に支えられた想い出しかありません。この人と葉月が、家事を率先して手伝ってくれるようになったのです。そうよね、あなた」 顔中を赤く染めてしどろもどろに肯定の返事をするおじいさんを僕はその時、同世代の男友達として茶化したくて堪らなかった。
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