僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

文字の大きさ
上 下
831 / 934
二十二章

2

しおりを挟む
 眠りの世界で二時間すごし、目覚めたら四時半になっていた。上半身を起こし、背伸びをする。すると北斗も丁度目を覚ましたらしく、身を起こして背伸びを始めた。エネルギーが充填された、さっきより一段男前の顔に北斗はなっている。イケメンより男前が相応しい、苦み走ったその風貌に何だか腹が立ち、勝手に復讐させてもらった。
「僕の勘では部活を終えた昴が、あと十分で北斗の家の前を通るけど、どうする?」
 すると予想どおり、貫禄のある男っぷりなどどこへやら。北斗は一瞬、
 アタフタアワワ
 と大慌てになってから、
 バビュンッッ!!
 目にもとまらぬ速度で部屋を飛び出て行った。足音の方角から察するに、身繕いをすべく洗面所へ向かったのだろう。僕は制服のまま寝ちゃったので酷いありさまだけど、北斗の引き立て役になれるなら本望だ。もう一度背伸びして起き上がり、二組の布団を片付けた。
 皺だらけのシャツとズボンをダメもとで整え、ハンガーに掛けてあったジャケットを羽織ったところで、末吉が目を覚ました。翔家翔人の話に大興奮の北斗が大声を出しても起きることの無かった末吉は、この会合が楽しみ過ぎて午前中あまり寝られず、軽い睡眠不足に陥っていたと思われる。しかも待ちに待った会合の時間がやっと来たと思ったら一時間の遅延を美夜さんに知らされ、それを待つうちウトウトし始め、だが遅延が三十分に短縮したと聞くやウトウトを跳ね除け、一目散に北斗の家へ駆けて来た。そしてお刺身盛り合わせにお腹を満たされ、ふかふかポカポカの座布団に座っているうち、末吉は安心しきって寝てしまった。おそらくそんな所だろうと考えていたとおり、
「にゃにゃっ、三時間以上経っているにゃ。おいら安心して寝ちゃったにゃ・・・」
 末吉はがっくり肩を落とした。でも丁度帰って来た北斗に、自分達もついさっきまで寝ていたと明かされ、「これで末吉も昼寝仲間だな」と親指を立てられるや、たちまち機嫌を直した。僕らはワイワイやりながら階段を下り、玄関を出て道に繰り出し、昼寝のお陰で満タンになった体力にものを言わせ、おバカ三人組になってはしゃぎまくっていた。そこへ、
「お~~い」
 輝夜さんの声が届いた。顔を向けた僕の目に、掲げた両手をブンブン振りながらピョンピョン跳ねて歩く輝夜さんと、不安と期待に足取りの覚束なくなった昴が映った。これが漫画やアニメだったら、足取りの覚束ない少女がお約束で躓くも、少年がすぐさま駆けつけ少女を助け起こし、そしてそれがきっかけになって、二人の抱えていたわだかまりが全て払拭される的な場面になるのだけど、昴には無理。身体能力の怪物の昴がかよわく躓くなど、天地がひっくり返ってもあり得ないのである。よって昴は苦労してでも歩く他なく、また昴はその行為を、ある種の償いとして捉えているのだと僕には感じられた。輝夜さんも間違いなくそう感じていて、重力が半分の星にいるかの如く跳び跳ねながらも昴を気遣い、すぐ隣を寄り添うように歩いていた。そんな二人の意思をまざまざと観た僕は、二人が僕達の場所に来るまで静かに待つつもりでいたのだけど、やはり僕にとって昴は、姉でしかないのだろう。
 タンッッ
 軽やかな音を立て、北斗は風になって昴の元へ駆けて行った。
 ―― 昴が躓きそうなら支える
 その想い以外の一切を持たない北斗はそれを叶えるためだけに体を使い、その結果、無駄な力みの微塵もない風になって昴へ駆け寄ったのである。そんな北斗に、昴は万感の想いを沸き上がらせ、足を止める寸前まで追い込まれた。しかし、たとえ万を超す想いが心に荒れ狂っていようと、
 ―― 北斗に支えられて安心したい
 これこそを自分は最も望んでいるのだと知っていた昴は、足を止めず歩み続けることができた。その二人の想いが奇跡を呼び、天地をひっくり返したのかもしれない。いや、二人の創造力が新しい世界を作ったとした方が、適切なのだろう。北斗の向かう先に、かよわい少女が出現したのである。
 かよわいその少女は、不安定な足取りを制御できず、とうとう躓いてしまった。
 だがその直後、少女の想い人の少年が、少女をしっかり受け止めた。
 二人は、二人だけしかいない世界で見つめ合う。
 そして少年は少女へ、望む未来を告げた。
「昴が不安定な時は俺が支える。だから昴、新たな人生を歩む俺が不安定になっていたら、俺を支えて欲しい。昴、俺と二人で、これからの未来を生きてくれないか」
「うん、わかった。北斗と二人で生きてゆくね」
 僕は二人が、外界から切り離された二人だけの世界を創造したことを確信した。その理由は、二人とは全く別のことを僕が考えていたからだ。仮に僕もその世界にいたとするなら、感動のあまり涙と鼻水まみれになっていたに違いないけど、切り離された世界にいたせいで、こんなことを考えていたのである。
「なあ北斗。それってお前が考えに考えて導き出した、プロポーズの言葉だよな。今それを使っちゃったら、何年後かに訪れる正式なプロポーズで、困るんじゃないか?」と。

 幸いにも、僕がそんなことを考えていたのは、皆にバレなかった。輝夜さんがすぐ隣にいたら危なかったはずだが、部活から帰って来たばかりの二人は僕から20メートルほど離れた場所にいたし、また北斗のプロポーズが受け入れられるや末吉が輝夜さんの元に全力で駆けて行き二人で抱き合って喜んでいた事もあって、露呈を避けられたのである。最も危険な昴もあの調子だったから僕にかまけている余裕がなかったのも、僕に味方してくれた。いやはや何とも、幸運だったなあ。
 別世界に行っていた二人は、一分とかからず元の世界に戻ってきた。その際、二人の波長がこちらの世界に馴染むまでほんの僅かとはいえ時間を要したことから、次元を別つのは数学理論ではなく波長なのだと、僕は実体験でもって学ぶことができた。これも込みで、二人をお祝いしないとな。
しおりを挟む

処理中です...