僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十二章

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 まずはお二人が、サタンの次元爪を回避した速度を、序盤から終盤までの全場面で表示する。続いて序盤を左端、終盤を右端にして折れ線グラフを作る。普通なら疲労によって、右肩下がりの折れ線になるはず。だがグラフに描かれたのは、左端と右端が同じ高さにある、ほぼ真っすぐな線だったのだ。これはお二人が、一定の速度で回避した証拠。部員達の感嘆が練習場に響き、それが静まるのを待って、僕は説明を再開した。
「戦闘の全局面を同じクオリティーで駆け抜けるお二人の能力が、連携にもたらす恩恵は計り知れません。竹中さんと菊池さんと僕の三人でサタンに挑む際、僕はお二人の能力低下を加味せず戦闘予測を立てることができます。その予測の中で僕が勝機を見いだした瞬間は、ここでした」
 サタンに勝利した6秒前からエイミィにスロー再生してもらい、4秒前で一時停止する。耳朶をくすぐった北斗の唸り声に、「そういえば見定めが前より早くなったことを伝えてなかった」と、僕は検証に付き合わされる未来を覚悟せねばならなかった。
 それはさておきエイミィに頼み、インハイ出場レベルの高校生の平均疲労率を竹中さんと菊池さんの映像にかぶせて、その後の4秒間をシミュレーションしてもらった。言うまでもなく連携は崩れ、敗北して終わった。疲労のせいで、次元爪の餌食になってしまったのだ。4秒前ではなく3秒前でシミュレーションしても、2秒前でも餌食になるのは変わらず、1秒前になってようやく勝てたことから、お二人の超回復力があってこその勝利だったと僕は結論付けた。練習場に拍手が沸き起こり、部員達の質問がお二人に集中する。内容はもちろん、クオリティーを維持できる秘密についてだ。それへの返答から察するに、お二人は自分達の超回復力を小学生の頃から知っていたらしい。だがその仕組みとなると、医療AIも「先天的能力でしょう」と答えるのみで、とんと判明していないと言う。ただそれでも、回復を妨害する行動や習慣にお二人はとても詳しく、みんな目の色を変えてそれに聴き入っていた。
 そうこうするうち午前の部は終わり、練習場へ感謝を述べ、皆で部室に向かった。それは僕らにとって日常に過ぎず、意識に上ることも稀だったが、
「戦闘分析に力を入れているのも、湖校新忍道部の強さの秘密なんですね!」
 と、颯太がいたく感心していたことが僕は嬉しかった。

 颯太の合宿参加への心配は皆無とまではいかずとも、ほぼ心配されていなかった。人柄は申し分なく、身体能力も教育AIのお墨付きをもらっているのだから、過度に心配する方が颯太を信頼していないと言えよう。もちろん渚さんは、それに含まれないけどね。
 ただ渚さんも決して過度ではなく、優しい姉が弟を心配する範囲に収まっていた。おそらくその最大の理由は、最も身近な先輩である松竹梅の合宿テーマが、
 ―― 新入部員対応の予行練習として颯太の面倒を見る
 だった事だろう。春休みが明けたら、松竹梅は後輩を持つ身となる。研究学校の部活動において、それは恩返しのできる日がやっと来るという事にほかならない。先輩方から恩を賜る一方だった松竹梅はその日が来るのを待ちわびており、ならば最高の状態で新入部員を迎え入れられるよう、颯太の合宿参加を事前練習にすることを思い付いたそうなのだ。小笠原姉弟へ連絡を取りその旨を伝えると、渚さんが3D電話を掛けてきて、これほど安心できる事はありませんと三人へ三つ指ついたと言う。年上のお姉さんに頼られ、奮起せぬ年頃男子はいない。三人は颯太と過ごす合宿の草案を作り、その感想を僕と北斗と京馬に求めた。僕らは率直な意見を述べ、間を置かず改定案が提出され、率直な意見を再び述べ、というやり取りを経て出た最終案を、先輩方に読んでもらった。よくできているとの高評価を頂戴した最終案は、颯太を常に気に掛けるも構い過ぎないという、絶妙な距離感を土台にして作られていたのである。
 その絶妙な距離感を、合宿初日の午前中、松竹梅はずっと保っていた。先ほどの颯太の「戦闘分析に力を入れているんですね!」も、松竹梅との会話で成された発言だ。会話は昼食中も続き、松竹梅は一年時における自分達の戦闘分析を颯太に披露していた。それは颯太にとって、金銀財宝に勝る宝物だったらしい。颯太はそれを基に自分用の訓練メニューを作り始め、「まずは弁当を食ってからにしろ」「そうはいっても松井さん!」という、賑やかな会話が部室の一角で交わされていた。生徒の家族として部室で昼食を共にしていた渚さんはそんな弟の様子に、ハンカチを目に押し当てていた。

 小笠原姉弟が揃って僕の神社に泊まると知った男子部員十二名は、渚さんが三枝木さんと一緒にマネージャーをしている光景を、最も望ましい未来として脳裏に思い描いた。これにはちゃんとした理由があり、それは男子組十二名が、たった一人の女子部員の三枝木さんをとても案じていた事だった。三枝木さんは合宿中、部活の時間と神社で過ごす時間の区別なく、マネージャー業務に携わる決意を表明していた。唯一の女子としてただでさえ負担をかけているのに合宿中はそれが激増することを案じた男子十二名は、そのフォローを渚さんへ無意識に求めたのである。
 だがそれは、過小評価以外の何ものでも無かった。僕らは三枝木さんと渚さんを見くびっていた。お二人は僕らの想像を超える、素晴らしい人だったのである。小笠原姉弟が神社に泊まると決まった翌日、三枝木さんと渚さんと、そして祖母の三人による草案が黛さんに提出された。要約すると、それはこんな感じになるだろう。
『旅館の跡取り娘の渚さんは身に着けた技術を活かし、午前を宿泊所の清掃に充てる。そうする事で宿泊所における三枝木さんのマネージャー業務を軽減し、三枝木さんはその分を、部活中の業務遂行に充てる。祖母と貴子さんと翔子姉さんも清掃に参加し、宿泊所における渚さんの仕事が午前でなくなるよう努める。仕事の無くなった渚さんは午後を弟のすぐそばで過ごし、長野のご両親に安心してもらう』
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