僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十三章

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 写真撮影時のノリのまま、颯太は寮に帰って行った。そして颯太が建物の中に消えるや、
「天川先輩、あの写真私も頂けますよね!」
 桃井さんが昴に取りすがった。恋する女の子って怖いなあ、と僕は若干引き気味だったけど、そこは年頃娘同士なのだろう。
「条件があるわ。優花がこっそり作った颯太君の待ち受け画面を、私に見せること」
「キャー、そんなの恥ずかしいです」
「とか言って、構図はもう決めているんでしょ」「はい、バッチリです!」「よし、私が当ててみせましょう。この瞬間をちょいちょいっと加工して、これなんてどうかしら?」「あの天川先輩、私と小笠原くんをそんなにくっつけなくても・・・」「甘いわ優花。あの子はこういうのに疎いから、気持ちだけでも攻めていないと」「そ、そうでしょうか?」「あのねえ、優花のライバルが現れないなんて、よもや考えていないでしょうね」「ッッ! 了解です天川先輩!!」
 てな具合に、二人はキャイキャイやり始めたのである。これが校門を出た以降だったら、二人を守るという大義名分を掲げてガールズトークを右耳から左耳へ素通りさせられたのだけど、学校の敷地内ではそうもいかない。桃井さんと颯太はお似合いと僕自身も感じているから桃井さんの趣味嗜好を知っておきたいというのもあるし、また僕がそう考えているのを昴はお見通しなため話を振られる可能性も多々あり、ピーチクパーチクを素通りさせることが僕にはできなかったのだ。
 幸い慣れもあり、さほど苦労せず三年生の校門に着けた。校門を出た左すぐは、准士が警備する場所の一つ。第五警備所と呼ばれるそこに立つ四年生准士の方々へ「「「お疲れ様です」」」と声を合わせ、歩きながら会釈する。先輩方は朗らかに微笑み、会釈を返してくれた。
 警備中の准士もしくは騎士が立ち止まって敬礼を交わすのは、交代時のみが原則。十二人を二人ずつの六班に分け、五班が警備、残りの一班を休憩とし、休憩を三時間で一巡させる。これは少し複雑なので、僕が警備を担当する来週月曜に持ち越すとしよう。
 ちなみに昴は、三年に進級した初日を担当した。警備は二週間に一度を基本とし、学年長は前半を、副長は後半を担当するから、僕と昴が同じ日を担当することはまず無い。少し残念というのが、正直なところかな。 
 第一通学路に出たので大義名分を堂々と掲げられるようになった。昴と桃井さんも、僕に気兼ねなくガールズトークを炸裂させた方が楽しいに違いないから、僕も気兼ねなく周囲の警戒をするぞと思っていたのだけど、それは大外れだった。
「天川先輩、小笠原くんはどんな女の子が好みなのでしょうか?」
「その質問は私より、眠留が適任ね」
 てな感じに、昴が遂に話題を振ったのである。お前卑怯だぞと胸中罵るも、確かにこれは昴の言うように、僕が適任なのだろう。薙刀部の先輩になるはずの昴より僕の方が、はっきりものを言えるしね。という僕の想いを察知したのか、
「猫将軍先輩、どんな事も受け止めますから、率直な意見を聴かせてください」
 桃井さんは覚悟を胸にそう請うてきた。それに報いるべく、僕も覚悟を決めた。
「颯太が好きなタイプの女の子を桃井さんが演じた途端、颯太の心は桃井さんから離れる。僕がそうであるように、颯太もそういう男だね」
 桃井さんは、僕が三時間前にしていたガチャコン歩きを始めた。しかしそれは体のみに留まり、心の窓である目は、僕が続きを話すことを強く望んでいた。僕は頷き望みを叶える。
「桃井さんが好きなタイプの男子を、颯太は演じていない。颯太は素の自分を桃井さんに晒して、そしてそんな颯太を、桃井さんは好きになった。違うかな?」
 違いません、と桃井さんは首を横にくっきり振った。ガチャコンも粗方取れた桃井さんに、こりゃホント颯太好みの子だとの想いが胸にせり上がって来る。僕は湖校特有の男子の性質を、この賢く強い子へ自信をもって説明した。
「表面的な序列に囚われず、腹の底で対等な付き合いができる男に、男は惚れる。湖校には、そんな男が大勢いてね。颯太もその一人だから、自分と同種の男達と颯太は友情を深めてゆくだろう。また男には、傷をなめ合う男は友達になり、尊敬し合う男は親友になる、という強い傾向がある。腹の底で尊敬し合っているから遠慮がなくなり、バカ話や言い合いを安心してできるようになるのが男なんだね。女の子には、理解しづらいかもしれないけどさ」
 無言で暫し熟考したのち、桃井さんは弾けるように昴へ顔を向けた。
「天川先輩と白銀先輩が、まさしくそういう関係なのでしょうか!」
 昴は満面に笑みを湛え、さすが優花、と桃井さんの頭を撫でた。そのとたん桃井さんは、僕があまりお目にかかった事のない豆柴の女の子バージョンになり、昴に質問を連発した。昴もそれに快く答えていたので桃井さんのことは昴に任せ、僕は周囲の警戒に移ろうとしたのだけど、僕はまたもや予測を外した。昴の話す輝夜さんの素晴らしさを聴くにつれ、僕は溶けたバターのようなふにゃふにゃ顔になってしまったのである。それを昴が指摘し、しかし指摘されても僕のふにゃふにゃ顔は一向に改まらず、我慢できなくなった桃井さんがとうとうお腹を抱えて笑い出した。そんな桃井さんに、過ぎ去って足掛け二年になる一年十組の日々が重なり、僕と昴は目元を赤くした。「先輩方、どうされたんですか?」 打って変わって不安顔になった豆柴の頭を昴は再び撫で、子細は判らずとも撫でられて安心した桃井さんが笑顔になったのを確認し、僕は話を再開した。
 と言っても、それ以降は質問に答えただけだった。湖校特有の男子の性質を、輝夜さんと昴の関係を足掛かりにすることで理解した桃井さんには、僕に質問する時間が必要と感じたのである。それは大正解と言うほかなく、駅に着くまでの僅かな時間を用いて桃井さんが問うたのは、
 ―― 颯太の趣味嗜好
 だった。颯太が好きなタイプの女の子を知ることと、颯太が好きな食べ物等々と知ることは、似ているようで違う。颯太に限っては、真逆の効果をもたらすと言っても過言ではない。前者は演技やライバルの炙り出しに代表される「颯太が嫌がること」に使われるが、後者は話題や料理の練習に代表される「颯太が喜ぶこと」に使われるからだ。二人は同じクラスなので共通の話題があるに越したことは無く、また好きな料理を予め練習しておけば、胃袋も掴みやすくなるはず。桃井さんはそこまで理解して、颯太の趣味嗜好を僕に尋ねたのである。もともとこの子を、颯太と相性が良さげな女の子として見ていた僕は、颯太が合宿中に無我夢中で食べていた料理や、日露戦争から第二次世界大戦にかけての日本の歴史に詳しい事などを話して聞かせた。桃井さんは大層喜び、しかしそれ以上の喜びを、「小笠原くんはそんなふうにご飯を食べるんですね!」や「小笠原くんはその時期の歴史をそうも楽しそうに話すんですね!」に抱けるこの子は、なんて颯太とお似合いなのだろうか。嬉しくて堪らなかった僕は、
「颯太をよろしくお願いします」
 改札前で桃井さんに頭を下げた。桃井さんは半ばパニックになるも、背中に定規を当てたが如き姿勢にすぐさまなり、全力を尽くすことを誓った。
 そして僕と昴に今日のお礼を述べ、体を直角以上に折ってから、改札の向こうに消えて行ったのだった。
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