僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十四章

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「ゴホン。あ~猫将軍は刀の横方向の靭性を確認したいと言ったが、今したのはひょっとして、燕返しなのか?」
 応用版ですがそうですと答えると、なぜか伊達さんは眉間を押さえて押し黙ってしまった。また何かやっちまったか、と僕はオロオロする。そんな、オロオロする年下男子というものは、女性を朗らかにするのかもしれない。六年生と五年生の女子の先輩方と一緒にクスクス笑っていた高柳さんが、「燕返しについては今は訊かない事にして」と前置きし、
「さて、横方向の靭性はどうだったのかな、猫将軍君」
 優しいお姉さんの鑑のように尋ねてきた。条件反射で尻尾をブンブン振った自分を、新一年生に見られてしまったことを恥じつつ報告した。
「刃筋を通さず力任せに振ったら、空気抵抗に負けて折れる事もあると僕は感じました」
「刃筋の目安はどれくらいかしら」
「幅2ミリ長さ30センチの3D棒を、縦に両断できるくらいですね」
 六年生と五年生のお姉さま方の視線が高柳さんに集中した。頷いた高柳さんは居住まいを正し、剣道未経験の新一年生がそれを習得する予想期間と、幅何ミリの習得で最弱の飛行モンスターを倒せるかを、若干厳かな口調で問うた。幅2ミリの習得予想期間は二年、最弱の飛行モンスターを倒せるのは幅3ミリで、こちらの予想期間は一年と僕は伝える。それを受けお姉さま方と高柳さんは周囲そっちのけで議論を始めてしまい、どうすれば良いのでしょうと伊達さんに救いの眼差しを向けたところ、伊達さんは苦笑したのち、独り言のように語り出した。
「刃筋を高精度で通せるようになっても、剣道の試合成績がすぐ好転することはない。試合に有利な鍛錬に集中した方が、成果を短期間で出せるものなのだ。だが長期的に捉えるなら、剣の高みに到達できるのは、刃筋を通せる方だと俺は思う。いや違うか、俺は今そう思うようになったんだ。猫将軍が何気なくやってみせた燕返しを同じ速度でする自信も、そしてあれを避ける自信も、俺にはまったく無いからな」
 その後、六年生と五年生の男子の先輩方が、「猫将軍の主張どおり剣は体全部で振るべきなんだな」と口々に述べた。それを耳にしたお姉さま方は議論を止め、議論の成果の発表がてら、お姉さまの一人がこう問うてきた。
「体全部を使って新素材刀を素早く正確に振り、最弱モンスターを倒せるようになるまでの一年間の過ごし方を、考えてあげる必要があるって私達は思うの。やる気を保てて、けど増長せず、一年間を安全に過ごせるのが理想ね。猫将軍君はどう思う?」
 完全同意します素晴らしいです、と尻尾を千切れんばかりに振って即答した僕に、きっと慣れてくれたのだと思う。お姉さま方だけでなく剣道部員全員がクスクス笑い、それが嬉しくてニコニコしていると、
「何か案はある?」
 姉の声音で高柳さんが訊いてきた。ピンと閃き北斗へ目をやるや、北斗は親指をグイッと立ててハイ子を操作した。さすが親友と感心する半面、声を殺して笑いつつそれをした北斗に、いや声を殺して笑う新忍道部員全員に、複雑な想いが込み上げて来る。尻尾を振ってしまう癖はそろそろ封印すべきなのかな、誰に相談すればいいのかなあ、などと考えながら、北斗の周囲に現れた3Dボールの解説を僕はした。
「新忍道は、動体視力が非常に重要です。それを鍛えるため七ッ星北斗は、あの3Dボールを使った訓練を考案しました。自分をかすめて飛んでくる3Dボールに書かれた数字を、回転ジャンプスクワットをしながら、声に出して読むんですね」
 北斗はハイ子を操作し、周囲のボールを天井付近に移動させ、それを高速で飛ばした。「回転ジャンプスクワットをしながらあれを読むのか」「七ッ星北斗は聞いていたとおり傑物らしいな」系の多数の感嘆が立ち昇り、さすがの北斗も居心地悪そうにしている。少し溜飲の下がった僕は、気持ちを改めてお姉さま方へ体を向けた。
「3Dボールを半透明にし、中心を目視できるようにします。その中心めがけて新素材刀を振り、出来栄えを数値化するのはどうでしょうか。ボールの速度や数を変えて難度を段階性にし、最高難度をクリアすればモンスター戦の挑戦権を得られるようにすれば、モチベーションを保てるのではないかと僕は考えます」
 思いがけず盛大な拍手を頂くこととなり、僕は大いに照れた。そのとたん拍手は爆笑に替わり、僕も楽しくなって一緒に笑っていると、
「猫将軍、ちょっといいかな?」
 伊達さんが挙手した。その仕草がソワソワと言うか、モジモジと言うか、とにかく何だか可愛らしい感じで僕は伊達さんの胸中を量りかねたのだけど、長年苦楽を共にしてきた剣道部の諸先輩方には一目瞭然だったらしい。それら諸先輩方が放った数十本の視線の矢を、一身に浴びる事となった僕は涙目になりかけた。が、
 ―― 尻尾は振っても涙目になるな
 との声を耳にした気がして、どうにか踏みとどまる事ができた。それを、承諾と解釈したのだろう。伊達さんは、もう我慢できないとばかりに子供の瞳で言った。
「七ッ星北斗の3Dボールを、この刀で斬らせてくれ!」
 そう、伊達さんは僕に尋ねたのではなく、ただそれを言い放っただけだったのだ。伊達さんが返答を待たず皆から離れ、僕のいる場所にすっ飛んで来たのがその証拠だろう。しかも、
「次わたし!」「俺はその次!」「私も!」「「「俺も!」」」
 てな具合に、六年生と五年生の先輩方も、一瞬で列を成してしまったのである。僕は今度こそ、涙目の瀬戸際に追いやられた。だが今回は声の助けを借りずとも、そんな事している場合じゃないと覚悟を決められた僕は、両手を合わせて拝む形を作る。その拝まれた方の北斗が、万事任せろのハンドサインを素早く出した姿に、冗談抜きで惚れそうになったのも束の間、
 シュワ~ン
 効果音と共に湖校の校章が空中に現れた。そして教育AIは、ここは精密機器が沢山設置された部屋である事と、狭すぎて安全を確保できない事を、伊達さん達に滾々と説いた。北斗が親指をグイッと立てたことから察するに、北斗は伊達さん達の行動を見越して、教育AIに助力を求めてくれていたのだろう。安堵して撫でおろした僕の胸に、痛みがチクリと刺す。それは、伊達さん達に同情する心の痛みだった。
 剣道と翔刀術の違いはあれど、青春を剣道に捧げてきた伊達さん達の胸中が、僕には痛いほど解った。剣道に上達すればするほど刀を振ってみたいと願うようになるのは、至極普通の事。よって、高速移動する3Dボールを刀でスパーンスパーンと斬れる幸運に恵まれた若手剣道家が、「あれをこの刀で斬らせてくれ!」と子供のように瞳を輝かせる気持ちも、僕は理屈抜きで共感できたのである。
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