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10話
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「ごめんな、うちのかあさんが……」
「いや、いいんだ」
——マーサおばさんなりの、気遣いだろうから……とセシルは胸中で続けた。
セシルが村へと帰郷した二年前、塔が完成するまで家に泊めてもらった際、マーサはセシルに謝罪してきた。
母を亡くした自分を、家計の事情により引き取れなかったことを後悔していると、マーサは目に涙を浮かべながら何度も謝ってくれた。
マーサとアンヌが台所へと去った後の食卓は静かというか、落ち着きを取り戻していた。マシューが語るケヴィンの幼い頃の微笑ましい失敗談に、婚約者のユニスは鈴が転がるかのように笑った。
「マシュー……ユニスの前でそんな話をしなくても……」
「いいじゃねえか。兄貴の新たな一面、もっと知りたいよな?」
「ええ、ぜひ……!」
ユニスの期待に応えようと、マシューは口を開きかけたが、必死な形相のケヴィンによって阻止される。
「やめろやめろ。もう俺の話はよせ」
「なんだよ、ユニス……いや、ねえさんに聞かれて困るような話でもあるのか、兄貴?」
「なになになにー? 聞かれて困る話って!?」
「聞きたーい!!」
悪ノリするビリーとファビオに、ケヴィンはやっていられないと言わんばかりに首を左右に振った。
「そういうわけじゃない、断じてない……! 俺の話より、マシューの話をするぞ!」
「「「えぇ——!?」」」
セシルとマシューの父ヨセフ以外から上がる、食卓にいる面々の不満の声を一蹴したケヴィンは、マシューへと指を突き付けた。
「お前はどうなんだ、マシュー?」
「い、いきなりだな。なにがだよ?」
ケヴィンは誇らしげに胸を張り、こう言った。
「俺はこんなに素敵な嫁さんを見つけたぞ」
おお——っ、とビリーとファビオは歓声を上げる。ユニスの頬は林檎のように赤く染まっている。
「お前も遊んでばかりいないで、ちゃんといい人を見つけろ!」
「なっ、なんだそりゃ……」
兄の指摘に、たじろぐマシュー。ちらりと横にいるセシルの顔色を窺うと、彼は取り皿の肉を一口大に切り分けていた。
「エレナ、クローディーヌ、ステファニー、オリアンヌ……あと誰だっけ」
ファビオの連ねる女性の名前に心当たりを覚え、マシューは目に見えて焦り始めた。
「エイミーにジュリエットだろ、それから……」
ファビオに続けて耳が痛くなる名前を紡ぎ出すビリーの口を塞がんと、マシューは弟を背後から羽交い絞めにする。
「ぐえっ……!」
「なんでお前が知ってんだよ!」
「村中みんな知ってるぜ……って! 首! 締まってる!!」
「なんのことだか! お年頃だなあ、お前たち——」
マシューはなんとか誤魔化そうと必死に口を回しながら、恐る恐るセシルの様子を窺う。
「へえ……」
肉を切り分ける作業を終えたセシルは皿から顔を上げ、マシューに冷たい笑みを向けた。目は全く笑っていない。
「違うんだ、あれは……」
背筋に冷たい汗を流すマシュー。弁解しようと口を開きかけたその時——。
「お待ちどう! 煮込みシチュー一丁上がり!」
マーサの声と芳醇なソースの香りに、食卓の面々から歓声が上がる。
「ユニス、かあさんの煮込みシチューは絶品なんだ」
「まあ、素敵!」
マーサのおかげで、『セシルには聞かせられない話』は有耶無耶になり、マシューはホッと胸を撫で下ろすのだった。
マーサのお手製ケーキであらためてケヴィンの誕生日を祝った後、食事会はお開きとなった。
セシルは普段あまり酒を嗜まないが、ヨセフの自信作だという自家製シェリー酒を勧められ、一口だけと断ってから口をつけた。酒に耐性のないセシルは色白の顔を仄かに染め、ほんのりと酔っているようだ。
マシューの家からセシルの住処である塔までは、歩いて十分ほどの距離だが心配なので、マーサはマシューに送っていくようにと命じた。
「大丈夫かい? セシル」
「はい……今日はありがとうございました。料理、美味しかったです」
「ああ、嬉しいねえ」
マーサはセシルと別れの抱擁を交わした後、マシューの方へ顔を向けた。
「セシルを家までしっかり送り届けてやるんだよ、マシュー」
「任せとけって」
マシューは明かりを灯したランタンを掲げ、セシルは俺が守ってやるから、と請け負うのだった。
「いや、いいんだ」
——マーサおばさんなりの、気遣いだろうから……とセシルは胸中で続けた。
セシルが村へと帰郷した二年前、塔が完成するまで家に泊めてもらった際、マーサはセシルに謝罪してきた。
母を亡くした自分を、家計の事情により引き取れなかったことを後悔していると、マーサは目に涙を浮かべながら何度も謝ってくれた。
マーサとアンヌが台所へと去った後の食卓は静かというか、落ち着きを取り戻していた。マシューが語るケヴィンの幼い頃の微笑ましい失敗談に、婚約者のユニスは鈴が転がるかのように笑った。
「マシュー……ユニスの前でそんな話をしなくても……」
「いいじゃねえか。兄貴の新たな一面、もっと知りたいよな?」
「ええ、ぜひ……!」
ユニスの期待に応えようと、マシューは口を開きかけたが、必死な形相のケヴィンによって阻止される。
「やめろやめろ。もう俺の話はよせ」
「なんだよ、ユニス……いや、ねえさんに聞かれて困るような話でもあるのか、兄貴?」
「なになになにー? 聞かれて困る話って!?」
「聞きたーい!!」
悪ノリするビリーとファビオに、ケヴィンはやっていられないと言わんばかりに首を左右に振った。
「そういうわけじゃない、断じてない……! 俺の話より、マシューの話をするぞ!」
「「「えぇ——!?」」」
セシルとマシューの父ヨセフ以外から上がる、食卓にいる面々の不満の声を一蹴したケヴィンは、マシューへと指を突き付けた。
「お前はどうなんだ、マシュー?」
「い、いきなりだな。なにがだよ?」
ケヴィンは誇らしげに胸を張り、こう言った。
「俺はこんなに素敵な嫁さんを見つけたぞ」
おお——っ、とビリーとファビオは歓声を上げる。ユニスの頬は林檎のように赤く染まっている。
「お前も遊んでばかりいないで、ちゃんといい人を見つけろ!」
「なっ、なんだそりゃ……」
兄の指摘に、たじろぐマシュー。ちらりと横にいるセシルの顔色を窺うと、彼は取り皿の肉を一口大に切り分けていた。
「エレナ、クローディーヌ、ステファニー、オリアンヌ……あと誰だっけ」
ファビオの連ねる女性の名前に心当たりを覚え、マシューは目に見えて焦り始めた。
「エイミーにジュリエットだろ、それから……」
ファビオに続けて耳が痛くなる名前を紡ぎ出すビリーの口を塞がんと、マシューは弟を背後から羽交い絞めにする。
「ぐえっ……!」
「なんでお前が知ってんだよ!」
「村中みんな知ってるぜ……って! 首! 締まってる!!」
「なんのことだか! お年頃だなあ、お前たち——」
マシューはなんとか誤魔化そうと必死に口を回しながら、恐る恐るセシルの様子を窺う。
「へえ……」
肉を切り分ける作業を終えたセシルは皿から顔を上げ、マシューに冷たい笑みを向けた。目は全く笑っていない。
「違うんだ、あれは……」
背筋に冷たい汗を流すマシュー。弁解しようと口を開きかけたその時——。
「お待ちどう! 煮込みシチュー一丁上がり!」
マーサの声と芳醇なソースの香りに、食卓の面々から歓声が上がる。
「ユニス、かあさんの煮込みシチューは絶品なんだ」
「まあ、素敵!」
マーサのおかげで、『セシルには聞かせられない話』は有耶無耶になり、マシューはホッと胸を撫で下ろすのだった。
マーサのお手製ケーキであらためてケヴィンの誕生日を祝った後、食事会はお開きとなった。
セシルは普段あまり酒を嗜まないが、ヨセフの自信作だという自家製シェリー酒を勧められ、一口だけと断ってから口をつけた。酒に耐性のないセシルは色白の顔を仄かに染め、ほんのりと酔っているようだ。
マシューの家からセシルの住処である塔までは、歩いて十分ほどの距離だが心配なので、マーサはマシューに送っていくようにと命じた。
「大丈夫かい? セシル」
「はい……今日はありがとうございました。料理、美味しかったです」
「ああ、嬉しいねえ」
マーサはセシルと別れの抱擁を交わした後、マシューの方へ顔を向けた。
「セシルを家までしっかり送り届けてやるんだよ、マシュー」
「任せとけって」
マシューは明かりを灯したランタンを掲げ、セシルは俺が守ってやるから、と請け負うのだった。
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