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第4話 泣けば許される世界
「あ……っ……」
倉庫の冷たい空気に耐えきれなくなったのか。
突如、ミレーヌが糸が切れた人形のように、ふらりとその場に崩れ落ちた。
「ミレーヌ!!」
アルベルトが血相を変えて飛びつき、床に倒れ込む寸前で彼女の細い身体を抱きとめる。
「苦しい……アルベルト様、私、息が……っ」
「しっかりしろ! バルド、医者を呼べ! すぐにだ!」
薄暗い倉庫の中が、一瞬にして騒乱の渦に包まれた。
使用人たちが慌てて走り回り、アルベルトは私や横領問題のことなど完全に忘れ去り、ただミレーヌの名前を叫び続けている。
私は、その劇的な光景を、ひどく冷めた目で観察していた。
……絶妙なタイミングですね。
横領の証拠を見つけ、犯人を追及しようとしたまさにその瞬間。
彼女が倒れれば、すべての矛先は彼女の看病へと向かう。
そして、この場に残されたのは。
私は視線を落とし、手元に残された副台帳を見た。
ドタバタと人々が立ち去っていく足音が遠ざかる中、私はカンテラの光を頼りに、一人で帳簿のページをめくった。
ミレーヌが倒れる直前、彼女が私の肩に触れようとしたあの時。
真帳視の視界の中で、彼女の指先から微かな魔力の残滓が漂っていたのを見逃してはいなかった。
欠けた封蝋。
合わない数字。
白夜回廊への不審な送金。
私は静かに懐から小さな手帳と鉛筆を取り出し、改竄の『手口』と『真の数字』を正確に写し取っていく。
怒りはない。ただ、冷え切った湖の底にいるような静けさだけがあった。
「……記録に残します」
誰にも聞こえない声で呟き、私は手帳を閉じた。
彼女が泣けば、すべてが許される。
彼女が倒れれば、すべての罪がうやむやになる。
アルベルトはそれを疑いもしないし、私がどれほど領地のために血を吐くような思いで数字と格闘していようと、彼にとっては『強いから放置していい存在』でしかない。
私はカンテラの火を消し、冷たい闇の中で一人、深く息を吐いた。
代償の頭痛はまだ続いており、こめかみがひどく脈打っている。
「……もう、結構です」
それが、私の心の中で下した、最大の拒絶だった。
♦︎♦︎♦︎
自室に戻ったのは、夜も更けた頃だった。
冷え切った身体を休める間もなく、私付きのメイドであるエマが、銀の盆に一枚の封書を乗せて入ってきた。
「リオナ様。先ほど、早馬で急ぎの書状が届きました」
エマの声は、いつもより少し硬かった。
私は盆から封書を取り上げる。
分厚く、上質な純白の羊皮紙。
裏返すと、そこには漆黒の封蝋が押されていた。
意匠は、天秤と剣を交差させた紋章。
「……王立監査院」
思わず、乾いた声が漏れた。
アルカディア王国において、最も強大な権限を持つ独立機関。
領地の不正を暴き、時には貴族の首すら物理的に飛ばす、冷徹なる監査官たちの巣窟。
封を切り、中身を引き出す。
流麗な文字で書かれていたのは、単なる通知ではなかった。
『クラウゼ領における魔導台帳の不整合について。至急、監査院への出頭を命ず』
手紙の隅には、公文書が複製拡散されるための『告示の鏡板』の小さな魔紋が刻まれている。
これはもう、内輪の揉め事では済まされない。
王国の信用システムそのものが、この領地を『異常』と見なし始めた決定的な証拠だった。
私は窓辺に立ち、月明かりに照らされる王都の街並みを見下ろした。
指にはめた、クラウゼ家の管理者印の指輪が、ひやりと冷たく肌に張り付いている。
終わりの足音が、すぐそこまで近づいていた。
倉庫の冷たい空気に耐えきれなくなったのか。
突如、ミレーヌが糸が切れた人形のように、ふらりとその場に崩れ落ちた。
「ミレーヌ!!」
アルベルトが血相を変えて飛びつき、床に倒れ込む寸前で彼女の細い身体を抱きとめる。
「苦しい……アルベルト様、私、息が……っ」
「しっかりしろ! バルド、医者を呼べ! すぐにだ!」
薄暗い倉庫の中が、一瞬にして騒乱の渦に包まれた。
使用人たちが慌てて走り回り、アルベルトは私や横領問題のことなど完全に忘れ去り、ただミレーヌの名前を叫び続けている。
私は、その劇的な光景を、ひどく冷めた目で観察していた。
……絶妙なタイミングですね。
横領の証拠を見つけ、犯人を追及しようとしたまさにその瞬間。
彼女が倒れれば、すべての矛先は彼女の看病へと向かう。
そして、この場に残されたのは。
私は視線を落とし、手元に残された副台帳を見た。
ドタバタと人々が立ち去っていく足音が遠ざかる中、私はカンテラの光を頼りに、一人で帳簿のページをめくった。
ミレーヌが倒れる直前、彼女が私の肩に触れようとしたあの時。
真帳視の視界の中で、彼女の指先から微かな魔力の残滓が漂っていたのを見逃してはいなかった。
欠けた封蝋。
合わない数字。
白夜回廊への不審な送金。
私は静かに懐から小さな手帳と鉛筆を取り出し、改竄の『手口』と『真の数字』を正確に写し取っていく。
怒りはない。ただ、冷え切った湖の底にいるような静けさだけがあった。
「……記録に残します」
誰にも聞こえない声で呟き、私は手帳を閉じた。
彼女が泣けば、すべてが許される。
彼女が倒れれば、すべての罪がうやむやになる。
アルベルトはそれを疑いもしないし、私がどれほど領地のために血を吐くような思いで数字と格闘していようと、彼にとっては『強いから放置していい存在』でしかない。
私はカンテラの火を消し、冷たい闇の中で一人、深く息を吐いた。
代償の頭痛はまだ続いており、こめかみがひどく脈打っている。
「……もう、結構です」
それが、私の心の中で下した、最大の拒絶だった。
♦︎♦︎♦︎
自室に戻ったのは、夜も更けた頃だった。
冷え切った身体を休める間もなく、私付きのメイドであるエマが、銀の盆に一枚の封書を乗せて入ってきた。
「リオナ様。先ほど、早馬で急ぎの書状が届きました」
エマの声は、いつもより少し硬かった。
私は盆から封書を取り上げる。
分厚く、上質な純白の羊皮紙。
裏返すと、そこには漆黒の封蝋が押されていた。
意匠は、天秤と剣を交差させた紋章。
「……王立監査院」
思わず、乾いた声が漏れた。
アルカディア王国において、最も強大な権限を持つ独立機関。
領地の不正を暴き、時には貴族の首すら物理的に飛ばす、冷徹なる監査官たちの巣窟。
封を切り、中身を引き出す。
流麗な文字で書かれていたのは、単なる通知ではなかった。
『クラウゼ領における魔導台帳の不整合について。至急、監査院への出頭を命ず』
手紙の隅には、公文書が複製拡散されるための『告示の鏡板』の小さな魔紋が刻まれている。
これはもう、内輪の揉め事では済まされない。
王国の信用システムそのものが、この領地を『異常』と見なし始めた決定的な証拠だった。
私は窓辺に立ち、月明かりに照らされる王都の街並みを見下ろした。
指にはめた、クラウゼ家の管理者印の指輪が、ひやりと冷たく肌に張り付いている。
終わりの足音が、すぐそこまで近づいていた。
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