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第5話 指輪より重いもの
冷たい銀の感触が、左手の薬指を締め付けている。
朝の光が差し込む執務室で、私は自分の手を見つめていた。
薬指に嵌められた指輪の中央には、クラウゼ家の家紋を模した蒼いサファイアが埋め込まれ、その周囲を複雑な魔紋が取り囲んでいる。
婚約指輪。
一般的には愛と誓いの証とされる美しい装飾品だが、この領地においては別の意味を持つ。
魔導台帳《グラン・レジャー》を開き、契約を保証し、領地の資金を動かすための『鍵』。
すなわち、管理者印だ。
この指輪を通して私の魔力を台帳に読み込ませることで、初めてクラウゼ領の信用保証は機能する。
もし指輪の所有者が変われば、正規の手続きである『引継ぎ儀式』を行わない限り、台帳は新しい管理者を拒絶し、すべての信用保証が凍結される仕組みになっていた。
「リオナ、またそんな書類ばかり見ているのか?」
不意に、能天気な声が執務室に響いた。
顔を上げると、アルベルトが扉の枠によりかかり、呆れたような顔で私を見ている。
彼から漂うのは、昨夜の酒の匂いと、微かな甘い香水。
「……おはようございます、アルベルト様。来週に迫った祝宴の予算案を最終確認しておりました」
「ああ、あれか。適当にやっておいてくれ。僕は数字を見ると頭が痛くなるんだ」
アルベルトは肩をすくめ、無造作に私の机に近づいてきた。
彼は魔導台帳の横に置かれた予算書をちらりと見たが、すぐに興味を失ったように目を逸らす。
「台帳の管理も、全部君に任せるよ。君は几帳面だし、そういう裏方の作業が得意だろ?」
裏方の作業。
その言葉が、私の胸の奥で冷たく響いた。
彼にとって、領地の命運を握る台帳管理は、ただの退屈な事務作業に過ぎないのだ。
この指輪の重みも、引継ぎ儀式の重要性も、彼は何一つ理解していない。
「アルベルト様。魔導台帳の管理者印は、現在私が預かっております。ですが、本来は次期領主であるあなたが持つべきものです。いずれは正式な権限移譲が必要になりますが」
私が淡々と告げると、アルベルトは面倒くさそうに手を振った。
「結婚してからでいいさ。どうせ君がずっとやってくれるんだし、わざわざ面倒な手続きなんて必要ないだろ?」
「……規程上、監査院の立会いのもと『引継ぎ儀式』を行わなければ、権限は不完全なまま移譲されません。もし正規の手続きを経ずに他者が台帳に触れれば、信用保証は著しく低下します」
「だから、君がやればいいって言ってるじゃないか。君は強いし、頼りになる。僕にはミレーヌを支えるという大事な役目があるんだから」
まただ。
また、その言葉。
私は膝の上で、きつく拳を握りしめた。
爪が手のひらに食い込み、微かな痛みが走る。
「……承知しました」
私はそれ以上何も言わず、ただ深く頭を下げた。
彼は知らないのだ。
私がこの指輪を外した瞬間、クラウゼ領がどうなるかを。
来週の祝宴。
そこで彼は、きっとまた私を裏切る。
その予感が、冷たい確信となって私の心を覆い尽くしていた。
♦︎♦︎♦︎
アルベルトが鼻歌を歌いながら部屋を出ていくのを見送り、私は再び台帳に目を落とした。
指先で、分厚い表紙の魔紋をそっと撫でる。
冷たい革の感触が、私の熱を持った指先から体温を奪っていく。
引継ぎ儀式がないと、権限は移らない。
その事実だけが、今の私にとって唯一の武器だった。
朝の光が差し込む執務室で、私は自分の手を見つめていた。
薬指に嵌められた指輪の中央には、クラウゼ家の家紋を模した蒼いサファイアが埋め込まれ、その周囲を複雑な魔紋が取り囲んでいる。
婚約指輪。
一般的には愛と誓いの証とされる美しい装飾品だが、この領地においては別の意味を持つ。
魔導台帳《グラン・レジャー》を開き、契約を保証し、領地の資金を動かすための『鍵』。
すなわち、管理者印だ。
この指輪を通して私の魔力を台帳に読み込ませることで、初めてクラウゼ領の信用保証は機能する。
もし指輪の所有者が変われば、正規の手続きである『引継ぎ儀式』を行わない限り、台帳は新しい管理者を拒絶し、すべての信用保証が凍結される仕組みになっていた。
「リオナ、またそんな書類ばかり見ているのか?」
不意に、能天気な声が執務室に響いた。
顔を上げると、アルベルトが扉の枠によりかかり、呆れたような顔で私を見ている。
彼から漂うのは、昨夜の酒の匂いと、微かな甘い香水。
「……おはようございます、アルベルト様。来週に迫った祝宴の予算案を最終確認しておりました」
「ああ、あれか。適当にやっておいてくれ。僕は数字を見ると頭が痛くなるんだ」
アルベルトは肩をすくめ、無造作に私の机に近づいてきた。
彼は魔導台帳の横に置かれた予算書をちらりと見たが、すぐに興味を失ったように目を逸らす。
「台帳の管理も、全部君に任せるよ。君は几帳面だし、そういう裏方の作業が得意だろ?」
裏方の作業。
その言葉が、私の胸の奥で冷たく響いた。
彼にとって、領地の命運を握る台帳管理は、ただの退屈な事務作業に過ぎないのだ。
この指輪の重みも、引継ぎ儀式の重要性も、彼は何一つ理解していない。
「アルベルト様。魔導台帳の管理者印は、現在私が預かっております。ですが、本来は次期領主であるあなたが持つべきものです。いずれは正式な権限移譲が必要になりますが」
私が淡々と告げると、アルベルトは面倒くさそうに手を振った。
「結婚してからでいいさ。どうせ君がずっとやってくれるんだし、わざわざ面倒な手続きなんて必要ないだろ?」
「……規程上、監査院の立会いのもと『引継ぎ儀式』を行わなければ、権限は不完全なまま移譲されません。もし正規の手続きを経ずに他者が台帳に触れれば、信用保証は著しく低下します」
「だから、君がやればいいって言ってるじゃないか。君は強いし、頼りになる。僕にはミレーヌを支えるという大事な役目があるんだから」
まただ。
また、その言葉。
私は膝の上で、きつく拳を握りしめた。
爪が手のひらに食い込み、微かな痛みが走る。
「……承知しました」
私はそれ以上何も言わず、ただ深く頭を下げた。
彼は知らないのだ。
私がこの指輪を外した瞬間、クラウゼ領がどうなるかを。
来週の祝宴。
そこで彼は、きっとまた私を裏切る。
その予感が、冷たい確信となって私の心を覆い尽くしていた。
♦︎♦︎♦︎
アルベルトが鼻歌を歌いながら部屋を出ていくのを見送り、私は再び台帳に目を落とした。
指先で、分厚い表紙の魔紋をそっと撫でる。
冷たい革の感触が、私の熱を持った指先から体温を奪っていく。
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