幼馴染最優先の婚約者に愛想が尽きたので、笑って家出しました ― 笑顔で去っただけなのに、なぜ泣いているのですか

ラムネ

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第16話 偽りの管理者

「アルベルト様……」

執務室の少し開いた扉の隙間から、その様子をじっと見つめている瞳があった。
ミレーヌだった。

彼女は薄暗い廊下で、自分のドレスの裾をきつく握りしめていた。
最近のアルベルトは、彼女が泣いても優しく抱きしめてくれなくなった。
それどころか、いつも難しい顔をして書類を睨み、いなくなったあの女の名前ばかりを呼んでいる。

「私がいれば、十分だって言っていたのに……」

ミレーヌの唇の端が、微かに歪む。

リオナが消えれば、自分が完全にこの家の中心になれると思っていた。
アルベルトの愛情を独占し、次期侯爵夫人としての地位も手に入る。
だが現実は違った。リオナが消えた途端、アルベルトの余裕は消え失せ、彼女への扱いも雑になった。

『リオナ様が不在であるなら、融資は不可能だ』

先ほどのバルドの言葉が、ミレーヌの耳にこびりついている。

「……あんな地味な女にできて、私にできないはずがないわ」

ミレーヌは執務室の扉をゆっくりと押し開け、足音を忍ばせて中に入った。
アルベルトは手紙を書くのに夢中で、彼女が入ってきたことに気づいていない。

ミレーヌの視線は、部屋の隅の小さな飾り台に向けられていた。
そこには、リオナが置いていったあの指輪――蒼いサファイアがはめ込まれた、魔導台帳の管理者印が置かれている。

「私が、この家を支えればいいのよ。そうすれば、アルベルト様はまた私だけを見てくれる」

ミレーヌは震える手を伸ばし、その冷たい銀の指輪を掴み取った。
自分の左手の薬指に、無理やり押し込む。
サイズが少し合わず痛みが走ったが、彼女はそれを我慢した。

そして、机の中央に置かれた分厚い革張りの本、魔導台帳《グラン・レジャー》の前に立つ。

「開いて。私が、新しい管理者よ」

ミレーヌが気取った声で言いながら、台帳の表紙に手を触れた。

その瞬間だった。

バチィィィィッ!!!

「きゃあああああっ!?」

鼓膜を破るような激しい破裂音とともに、台帳から赤い閃光が放たれた。
強烈な衝撃波がミレーヌの身体を吹き飛ばし、彼女は床に激しく叩きつけられる。

「ミレーヌ!? 何をしているんだ!」

驚いたアルベルトが椅子を蹴り倒して駆け寄る。
だが、異変はそれだけでは終わらなかった。

赤い光を放ち始めた魔導台帳のページが、風もないのにパラパラと勝手にめくれ始めたのだ。

「あ、アルベルト様……! 台帳の記録が……!」

騒ぎを聞きつけて飛び込んできたバルドが、悲鳴を上げた。
台帳のページに書かれていた黒いインクの文字が、次々とドロドロに溶け出し、意味不明な記号へと乱れ始めたのである。

「な、なんだこれは!? どうなっている!」

「正規の引継ぎ儀式を経ずに、他者が魔力を流し込んだためです! 台帳が完全な『偽装攻撃』と判定し、防衛機能が作動しました!」

バルドの絶望的な叫びが響く中、台帳の文字は完全に崩壊し、ただの黒い染みとなっていく。

「いやあああ! 痛い、指輪が外れないのぉっ!」

床に倒れたミレーヌが、赤く腫れ上がった指を押さえて泣き叫ぶ。

「終わりました……」

バルドがその場にへたり込んだ。

「台帳の記録が乱れたことで、王国の信用システムは当領地を『完全な異常事態』と見なします。これで、隠していた倉庫の在庫不足や、未払いの債務が、一気に表面化することになるでしょう……」

アルベルトは、黒い染みで埋め尽くされていく台帳を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。

彼らが何もしなければ、まだ時間はあったかもしれない。
だが、ミレーヌの浅はかな行動が、崩壊の時計の針を一気に早めてしまったのだ。

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