幼馴染最優先の婚約者に愛想が尽きたので、笑って家出しました ― 笑顔で去っただけなのに、なぜ泣いているのですか

ラムネ

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第36話 なぜ泣いているのですか

「う、あああああっ……!」

大講堂の冷たい石床に突っ伏し、アルベルトは声を上げて泣きじゃくった。

「ごめん……ごめんなさい……! 僕は、君を失いたくなかった……! 君に、見捨てられたくなかったんだ……っ!」

後悔の念が、彼の全身を苛んでいるのが分かった。
失って初めて、自分がどれほど恵まれていたかに気づいたのだろう。
だが、その気づきはあまりにも遅すぎた。

私は彼の涙を見ても、心が痛むことはなかった。
かつて私が一人で執務室で泣きそうになっていた時、彼は私を顧みることなくミレーヌの手を取っていたのだから。

「……アルベルト様」

私はしゃがみ込み、彼の視線の高さに合わせて静かに口を開いた。

「あの夜。私が屋敷を出て行った時のことを、覚えていますか?」

アルベルトは涙で霞む目を上げ、私を見つめた。

「私は怒りませんでした。叫びもしませんでした。ただ指輪を机に置き、あなたに背を向けました」

私の口元に、自然と微笑みが浮かぶ。
それは彼が望んでいた、完璧で手のかからない令嬢の笑顔。
あの夜、鏡の前で何度も練習した、冷え切った微笑みだ。

「私は笑って去っただけです」

大講堂の静寂の中に、私の言葉が吸い込まれていく。

「……笑顔で去っただけなのに、なぜ泣いているのですか?」

「っ……あああああぁぁぁ……!!」

私の言葉が決定的な刃となって彼の胸を貫き、アルベルトは再び床に泣き伏した。
もう、彼には返す言葉も、すがる気力も残っていなかった。

「連れて行け」

レオンハルト卿の低く冷たい声が響き、衛兵たちがアルベルトの両脇を抱えて引きずり出していく。
彼の慟哭が、厚い扉の向こうに消えるまで、私はただその場に立ち尽くしていた。

「……終わったな」

背後から、レオンハルト卿が歩み寄ってきた。
彼の手には、私のための温かい外套が握られている。

「はい。すべて、終わりました」

私が振り返ると、彼は私の肩にそっと外套を掛けてくれた。
分厚い布地から伝わる温もりが、冷え切っていた私の身体を優しく包み込む。

「よくやった。君の目は、もう誰にも縛られていない」

彼の銀色の瞳が、信じられないほど優しく私を見つめていた。
公務の時の厳しい彼ではなく、ただの一人の男性としての、温かい眼差し。

「……少し、外の空気を吸わないか」

彼が短く提案する。

「王都の空気は淀んでいるが、君が重荷を下ろした記念だ。……付き合え」

それは命令ではなく、やはり私への選択だった。

「……はい。喜んで」

私は心の底から、自然な笑顔を浮かべて頷いた。
誰かのためではなく、自分のための笑顔。

私を縛り付けていた過去の鎖は断ち切られ、ここから新しい未来が始まる。
彼の隣を歩き出しながら、私は確かにそう感じていた。

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