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第十八話:鉄観音
王都の上空に、雲一つない突き抜けるような青空が広がっていた。 しかし、その日の広場の空気は、空の青さとは対照的に、鉛のように重く、張り詰めていた。
王宮の正門前に特設された巨大な演台。 その周囲を取り囲むように、数万人の市民が詰めかけている。 彼らの目は、かつてのような祭りを楽しむそれではなく、歴史的な瞬間の目撃者となる緊張感に満ちていた。
今日行われるのは、旧王家およびその関係者に対する『特別公開監査』――事実上の断罪裁判である。
「……重いですわね」
演台の最上段、ベルベットの天蓋の下で、セレスティアは手の中の茶葉を見つめていた。 黒く、堅く、丸まった粒状の茶葉。 手のひらに乗せると、ずっしりとした重量感がある。 鉄観音。 中国十大銘茶の一つであり、その名は「鉄のように重く、観音のように美しい」ことに由来すると言われる。
「罪の重さと同じですわ」
彼女は呟き、茶器に茶葉を投入した。 熱湯を注ぐと、カチカチに固まっていた茶葉が、ゆっくりと、しかし力強く解け始める。 立ち上るのは、蘭の花を思わせる高貴で芳醇な香り。 だが、その味わいは甘いだけではない。喉の奥に残り続ける、岩のような重厚なコクと、金属的なまでの余韻。
「準備はいいか、セレスティア」
隣に立つジークフリートが、黒の礼服に身を包み、声をかけてきた。 彼もまた、鉄観音の入ったカップを手にしている。
「ええ。……終わらせましょう。この国の『甘え』の歴史を」
セレスティアは立ち上がり、広場を見下ろした。 彼女の合図と共に、重々しい鐘の音が鳴り響いた。 ゴーン……ゴーン……。 それは、旧時代の葬送曲であり、法という名の鉄槌が振り下ろされる合図だった。
***
「開廷する!」
裁判長役を務めるハイゼンベルク家の顧問弁護士(かつてミナを論破したあの男だ)が、木槌を叩いた。 広場が静まり返る。
「これより、旧王国政府、および王家による不正蓄財、職権乱用、並びに国家反逆罪に関する審理を行う」
最初に引き出されたのは、かつてアルフォンスに取り入り、甘い汁を吸っていた貴族たちや、逃亡を図って捕らえられたローズベリー男爵夫妻だった。 彼らは皆、後ろ手に縛られ、薄汚れた服を着て震えている。
「被告人、ローズベリー男爵。……貴殿は、娘ミナを王家に嫁がせるという名目で、王家の予算から不正に『支度金』を引き出し、それを私的な借金返済や遊興費に充てていた。その額、金貨50万枚。間違いありませんか?」
弁護士が証拠書類を突きつける。
「ち、違う! あれはアルフォンス殿下が『自由に使っていい』と言ったんだ! 私は悪くない!」
男爵が喚くが、弁護士は冷淡に次の書類を提示した。
「アルフォンス殿下の署名入り承認書……これの筆跡鑑定を行いました。結果、貴殿が殿下の署名を偽造していたことが判明しています。これは公文書偽造、および横領です」
「な……!」
「さらに、貴殿の妻は、王宮の備品管理台帳を改竄し、宝石や美術品を横流ししていた。その証拠も、質屋の帳簿から押収済みです」
「ひぃっ! あれは……ミナのために……!」
「娘のため? いいえ、あなた方は娘さえも道具として利用し、国を食い荒らした害虫です」
弁護士の言葉は、鋭い刃物のように彼らを切り刻む。 観衆からは、「恥知らず!」「金返せ!」という怒号が飛ぶ。
「判決を言い渡す。……ローズベリー男爵夫妻、全財産没収の上、北の鉱山にて懲役30年の強制労働に処す」
「いやだぁぁぁ! 鉱山なんて死んでしまうぅぅ!」
泣き叫ぶ夫妻が、衛兵によって引きずられていく。 かつてミナを甘やかし、怪物に育て上げた親たちの末路は、暗く冷たい地下の坑道だった。
続いて、次々と不正貴族たちが断罪されていく。 「私は知らなかった」「王子の命令だった」と言い逃れようとする者たちも、ハイゼンベルク銀行が徹底的に集めた「動かぬ証拠(鉄の帳簿)」の前には無力だった。
「……次、被告人ミナ・フォン・ローズベリー」
その名前が呼ばれた瞬間、会場の空気が変わった。 ざわめきが収まり、奇妙な緊張感が走る。
護送馬車から降ろされたミナは、意外にも綺麗なドレスを着ていた。 といっても、それは彼女が持っていたボロボロのものではなく、囚人用の白い簡素なワンピースだ。 髪は洗われ、櫛を通されていたが、その目は焦点が合わず、どこか遠くを見ていた。
彼女は演台に上げられると、観衆に向かってニッコリと微笑み、優雅に手を振った。
「ごきげんよう、国民の皆様。……私の戴冠式に来てくれてありがとう」
会場が凍りついた。 彼女はまだ、夢の中にいるのだ。
「被告人ミナ。……あなたは、王宮への不法侵入、器物損壊、および詐欺未遂、公務執行妨害の罪に問われている。……認めるか?」
弁護士が問いかけるが、ミナは聞こえていないように、虚空に話しかけた。
「あら、神父様? 誓いのキスはまだかしら? アルフォンス様がお待ちよ」
「……被告人は、心神耗弱状態にあると見なされる。しかし」
弁護士は、セレスティアの方を一瞬見た。 セレスティアは、鉄観音のカップを持ったまま、微かに頷いた。
「精神鑑定の結果、彼女の妄想は『自己保身のための逃避』であり、善悪の判断能力自体は喪失していないと判断された。よって、刑事責任能力ありとする」
それは、彼女を「狂人」として無罪放免にするのではなく、「犯罪者」としてきっちりと裁くという、セレスティアの意思表示だった。 甘えは許さない。 逃げ場は与えない。
「ミナ。……現実を見なさい」
セレスティアが立ち上がり、声をかけた。 マイクを通したその声は、ミナの鼓膜を直接揺さぶるように響いた。
「ここは結婚式場ではありません。断罪の場です。……そして、あなたの隣に王子はいません」
「……え?」
ミナがキョロキョロと周りを見回す。 泥人形もいない。 アルフォンスもいない。 あるのは、自分を取り囲む冷ややかな視線と、銃を構えた兵士たちだけ。
「……嘘よ。だって、私はヒロインでしょ? 最後に逆転するんでしょ?」
「物語は終わりました。……エンドロールはもう流れたのです。今は、劇場の掃除の時間ですわ」
セレスティアは冷たく告げた。
「あなたは、自身の虚栄心のために多くの人を傷つけ、国を混乱させ、そして自分自身をも破壊した。……その罪は、妄想で塗りつぶすにはあまりにも重い」
「やだ……やだ……」
ミナの顔が歪み始める。 夢の膜が剥がれ落ち、残酷な現実が浸食してくる。
「判決を言い渡す」
弁護士の声が轟く。
「被告人ミナ。……国家騒乱罪、および詐欺罪により、懲役20年。……ただし、その精神状態を考慮し、一般の刑務所ではなく、孤島にある『静寂の修道院』への収監を命ず」
「修道院……?」
「外界との接触を一切断ち、死ぬまで祈りと労働の日々を送る場所だ。……そこにはドレスも、宝石も、甘いお菓子もない。あるのは、粗食と沈黙だけだ」
「嫌ぁぁぁぁっ!!」
ミナが絶叫した。 修道院。それは彼女にとって、死刑よりも恐ろしい場所だった。 誰にも見てもらえない。 誰からも「可愛い」と言われない。 鏡さえない場所で、老婆になるまで朽ちていく。
「私は王妃よ! アイドルよ! みんな私を見て! 可愛いって言ってよぉぉぉ!」
彼女は暴れたが、すぐに拘束衣を着せられ、猿轡を噛ませられた。 モガモガとくぐもった悲鳴を上げながら、彼女は黒い箱馬車へと押し込まれていった。 その姿は、かつて彼女が捨てた泥人形のように、無力で哀れだった。
箱馬車の扉が閉まる音。 バタン。 それが、ミナという少女の人生の、最後の音となった。
***
「……さて、最後の一人だ」
ジークフリートが呟いた。 広場の巨大スクリーン(魔石映像)に、一枚の肖像画が映し出された。 アルフォンスだ。 ただし、王子の衣装を着た華やかなものではなく、先日撮影された、薄汚れた作業着姿の手配写真のようなものだ。
「被告人アルフォンス。……本日は所在不明のため、欠席裁判とする」
弁護士が事務的に進める。 彼を探し出すことは容易だったはずだ。 しかし、セレスティアはあえて彼をこの場に呼ばなかった。 呼ぶ価値もない、あるいは、彼に「主役」の座を与える必要はないという判断だろうか。
「元第二王子アルフォンス。……彼は、王族としての責務を放棄し、国庫を浪費し、国家の信用を失墜させた。その罪は万死に値する」
観衆は静まり返っている。 怒りというよりは、呆れと失望の空気が支配していた。
「しかし、彼は既に全てを失っている。地位も、名誉も、財産も。……よって、当法廷は彼に対し、以下の判決を下す」
弁護士が判決文を読み上げる。
「一、王位継承権の永久剥奪。および王籍からの除名」 「一、国外追放処分。ただし、ハイゼンベルク銀行への債務3億枚については、免責を認めず、生涯をかけて返済義務を負うものとする」 「一、今後、彼がいかなる場所で野垂れ死のうとも、王家および当国は一切関知しない。墓を作ることも禁ずる」
それは、死刑よりも重い「存在の抹消」だった。 彼は生きていても、社会的には死んだも同然。 さらに、3億枚という天文学的な借金という「鉄の鎖」を足首に繋がれたまま、終わりのない荒野を歩き続けなければならないのだ。
「……鉄観音の味だな」
セレスティアは、カップの底に残った濃い茶色の液体を見つめた。
「重く、渋く、そして逃れられない。……彼が背負う現実は、このお茶のように苦く、一生消えることのない余韻を残すでしょう」
「慈悲深いな、君は」
ジークフリートが皮肉っぽく笑う。
「殺してやれば楽になれるものを。……生かして苦しませるとは」
「彼が望んだのですわ。『愛があれば生きていける』と。……ならば、その身一つで、世界の過酷さと愛の無力さを噛み締めながら、生き抜いていただきましょう」
セレスティアは、空になったカップを置いた。 カチン。 硬質な音が、すべての裁判の終了を告げた。
「以上をもって、旧王国時代の清算を終了する!」
弁護士の宣言と共に、広場から拍手が湧き起こった。 それは歓喜の拍手ではなく、長い悪夢が終わったことへの安堵の拍手だった。 人々は理解したのだ。 甘い夢を見せてくれる無能な王よりも、苦い現実(鉄の味)を直視し、法と秩序で守ってくれる指導者の方が必要なのだと。
***
その頃。 王都の片隅、港の荷揚げ場。
アルフォンスは、巨大な木箱を背負ってタラップを上がっていた。 汗が目に入り、膝が笑う。 息が切れて、肺が焼けそうだ。
「おい、新入り! 遅えぞ! サボってんじゃねえ!」
現場監督の怒声が飛ぶ。 アルフォンスは歯を食いしばった。
「す、すみません……!」
彼はよろめきながらも、足を前に出した。 ふと、街の方から鐘の音が聞こえてきた。 裁判が終わった合図だ。
彼は知っていた。今日、自分が裁かれることを。 そして、どんな判決が出るかも、おおよそ予想がついていた。 3億の借金。 一生かかっても返せない額だ。 今の給料は日当銅貨8枚。 単純計算で、数万年かかる。
「……ははっ」
彼は乾いた笑いを漏らした。 絶望的だ。 あまりにも重い「鉄槌」だ。
しかし、不思議と心は軽かった。 ミナという重荷を下ろし、王子という鎧を脱ぎ捨て、裸一貫になった今の自分。 借金という鎖はあるが、それは「生きる目的(返済)」という名の鎖でもある。
「休憩だ!」
監督の声がかかる。 アルフォンスは荷物を下ろし、桟橋の端に座り込んだ。 腰の水筒を取り出す。 中に入っているのは、今朝自分で煮出した、渋くて濃い番茶だ。
「……ふぅ」
一口飲む。 鉄のような渋みが、疲れた体に染み渡る。
「美味いな……」
彼は海を見つめた。 海の向こうには、アークライト帝国がある。 そして、そのさらに向こうには、まだ見ぬ世界が広がっている。
「……いつか」
彼は呟いた。
「いつか、この借金を1枚でも多く返して……。堂々と、彼女の前に立ちたい」
許されなくてもいい。 愛されなくてもいい。 ただ、「僕は逃げずに生きた」という証明を、いつか彼女に見せたい。 それが、今の彼を支える唯一の、そして強靭な鉄の芯となっていた。
アルフォンスは飲み干した水筒の蓋を閉めた。 その顔には、以前のようなふやけた甘さはなく、日焼けした精悍さと、深い皺が刻まれていた。 それは、彼がようやく「自分の人生」という物語の主人公として歩き始めた証だった。
***
広場では、新しい宣言が行われようとしていた。 演台の模様替えが行われ、黒い幕が取り払われると、そこには新しい国旗が掲げられた。 セレスティアの髪色を表す銀と、ジークフリートの瞳の色を表す黒。 そして、中央には「天秤を咥えた鷲」の紋章。
「国民の皆様!」
ジークフリートが前に進み出た。 彼の声は、マイクを通さずとも広場全体に朗々と響き渡った。
「今日この日をもって、腐敗した王国は消滅した! 過去の悪しき慣習、血統主義、そして無責任な統治とは決別する!」
大歓声が上がる。
「我々が作るのは、法と経済、そして実力主義に基づく新しい国だ! 汗を流した者が報われ、知恵ある者が導き、そして全ての民が『適正価格』で幸福を享受できる国だ!」
彼は手を差し伸べ、セレスティアを隣に招いた。
「そして、この新しい国の初代大公妃として、国母として、この方を迎える! ……セレスティア・フォン・ハイゼンベルク!」
セレスティアが進み出る。 風が彼女の銀髪と、黒いドレスを揺らす。 その姿は、あまりにも美しく、そして強かった。
「……皆様」
彼女は微笑んだ。 それは、かつてアルフォンスに見せていた作り笑いでも、冷徹な仮面でもない。 心からの、希望に満ちた笑顔だった。
「わたくしは約束します。……もう二度と、皆様に『泥水』は飲ませません。この国を、世界で一番美味しい紅茶と、笑顔が溢れる場所にいたしますわ」
ワァァァァァッ!!
広場が揺れるほどの歓声と拍手。 花吹雪が舞い、ファンファーレが鳴り響く。 それは、本当の意味での「ハッピーエンド」の始まりだった。
セレスティアとジークフリートは、互いに見つめ合い、頷いた。
「……長かったな」 「ええ。……でも、良いお茶が入りましたわ」
二人の手はしっかりと握られていた。 その絆は、鉄観音の茶葉のように硬く、重く、そして決して解けることはない。
新しい国、新しい時代。 そして、新しい愛の物語。 古い茶葉は捨てられ、新しいポットに、最高のお湯が注がれようとしていた。
第十九話へ続く。 「ロイヤルミルクティー(濃厚な愛と幕引き)」。 全てを精算した二人の旅立ちと、甘く濃厚なフィナーレ。
王宮の正門前に特設された巨大な演台。 その周囲を取り囲むように、数万人の市民が詰めかけている。 彼らの目は、かつてのような祭りを楽しむそれではなく、歴史的な瞬間の目撃者となる緊張感に満ちていた。
今日行われるのは、旧王家およびその関係者に対する『特別公開監査』――事実上の断罪裁判である。
「……重いですわね」
演台の最上段、ベルベットの天蓋の下で、セレスティアは手の中の茶葉を見つめていた。 黒く、堅く、丸まった粒状の茶葉。 手のひらに乗せると、ずっしりとした重量感がある。 鉄観音。 中国十大銘茶の一つであり、その名は「鉄のように重く、観音のように美しい」ことに由来すると言われる。
「罪の重さと同じですわ」
彼女は呟き、茶器に茶葉を投入した。 熱湯を注ぐと、カチカチに固まっていた茶葉が、ゆっくりと、しかし力強く解け始める。 立ち上るのは、蘭の花を思わせる高貴で芳醇な香り。 だが、その味わいは甘いだけではない。喉の奥に残り続ける、岩のような重厚なコクと、金属的なまでの余韻。
「準備はいいか、セレスティア」
隣に立つジークフリートが、黒の礼服に身を包み、声をかけてきた。 彼もまた、鉄観音の入ったカップを手にしている。
「ええ。……終わらせましょう。この国の『甘え』の歴史を」
セレスティアは立ち上がり、広場を見下ろした。 彼女の合図と共に、重々しい鐘の音が鳴り響いた。 ゴーン……ゴーン……。 それは、旧時代の葬送曲であり、法という名の鉄槌が振り下ろされる合図だった。
***
「開廷する!」
裁判長役を務めるハイゼンベルク家の顧問弁護士(かつてミナを論破したあの男だ)が、木槌を叩いた。 広場が静まり返る。
「これより、旧王国政府、および王家による不正蓄財、職権乱用、並びに国家反逆罪に関する審理を行う」
最初に引き出されたのは、かつてアルフォンスに取り入り、甘い汁を吸っていた貴族たちや、逃亡を図って捕らえられたローズベリー男爵夫妻だった。 彼らは皆、後ろ手に縛られ、薄汚れた服を着て震えている。
「被告人、ローズベリー男爵。……貴殿は、娘ミナを王家に嫁がせるという名目で、王家の予算から不正に『支度金』を引き出し、それを私的な借金返済や遊興費に充てていた。その額、金貨50万枚。間違いありませんか?」
弁護士が証拠書類を突きつける。
「ち、違う! あれはアルフォンス殿下が『自由に使っていい』と言ったんだ! 私は悪くない!」
男爵が喚くが、弁護士は冷淡に次の書類を提示した。
「アルフォンス殿下の署名入り承認書……これの筆跡鑑定を行いました。結果、貴殿が殿下の署名を偽造していたことが判明しています。これは公文書偽造、および横領です」
「な……!」
「さらに、貴殿の妻は、王宮の備品管理台帳を改竄し、宝石や美術品を横流ししていた。その証拠も、質屋の帳簿から押収済みです」
「ひぃっ! あれは……ミナのために……!」
「娘のため? いいえ、あなた方は娘さえも道具として利用し、国を食い荒らした害虫です」
弁護士の言葉は、鋭い刃物のように彼らを切り刻む。 観衆からは、「恥知らず!」「金返せ!」という怒号が飛ぶ。
「判決を言い渡す。……ローズベリー男爵夫妻、全財産没収の上、北の鉱山にて懲役30年の強制労働に処す」
「いやだぁぁぁ! 鉱山なんて死んでしまうぅぅ!」
泣き叫ぶ夫妻が、衛兵によって引きずられていく。 かつてミナを甘やかし、怪物に育て上げた親たちの末路は、暗く冷たい地下の坑道だった。
続いて、次々と不正貴族たちが断罪されていく。 「私は知らなかった」「王子の命令だった」と言い逃れようとする者たちも、ハイゼンベルク銀行が徹底的に集めた「動かぬ証拠(鉄の帳簿)」の前には無力だった。
「……次、被告人ミナ・フォン・ローズベリー」
その名前が呼ばれた瞬間、会場の空気が変わった。 ざわめきが収まり、奇妙な緊張感が走る。
護送馬車から降ろされたミナは、意外にも綺麗なドレスを着ていた。 といっても、それは彼女が持っていたボロボロのものではなく、囚人用の白い簡素なワンピースだ。 髪は洗われ、櫛を通されていたが、その目は焦点が合わず、どこか遠くを見ていた。
彼女は演台に上げられると、観衆に向かってニッコリと微笑み、優雅に手を振った。
「ごきげんよう、国民の皆様。……私の戴冠式に来てくれてありがとう」
会場が凍りついた。 彼女はまだ、夢の中にいるのだ。
「被告人ミナ。……あなたは、王宮への不法侵入、器物損壊、および詐欺未遂、公務執行妨害の罪に問われている。……認めるか?」
弁護士が問いかけるが、ミナは聞こえていないように、虚空に話しかけた。
「あら、神父様? 誓いのキスはまだかしら? アルフォンス様がお待ちよ」
「……被告人は、心神耗弱状態にあると見なされる。しかし」
弁護士は、セレスティアの方を一瞬見た。 セレスティアは、鉄観音のカップを持ったまま、微かに頷いた。
「精神鑑定の結果、彼女の妄想は『自己保身のための逃避』であり、善悪の判断能力自体は喪失していないと判断された。よって、刑事責任能力ありとする」
それは、彼女を「狂人」として無罪放免にするのではなく、「犯罪者」としてきっちりと裁くという、セレスティアの意思表示だった。 甘えは許さない。 逃げ場は与えない。
「ミナ。……現実を見なさい」
セレスティアが立ち上がり、声をかけた。 マイクを通したその声は、ミナの鼓膜を直接揺さぶるように響いた。
「ここは結婚式場ではありません。断罪の場です。……そして、あなたの隣に王子はいません」
「……え?」
ミナがキョロキョロと周りを見回す。 泥人形もいない。 アルフォンスもいない。 あるのは、自分を取り囲む冷ややかな視線と、銃を構えた兵士たちだけ。
「……嘘よ。だって、私はヒロインでしょ? 最後に逆転するんでしょ?」
「物語は終わりました。……エンドロールはもう流れたのです。今は、劇場の掃除の時間ですわ」
セレスティアは冷たく告げた。
「あなたは、自身の虚栄心のために多くの人を傷つけ、国を混乱させ、そして自分自身をも破壊した。……その罪は、妄想で塗りつぶすにはあまりにも重い」
「やだ……やだ……」
ミナの顔が歪み始める。 夢の膜が剥がれ落ち、残酷な現実が浸食してくる。
「判決を言い渡す」
弁護士の声が轟く。
「被告人ミナ。……国家騒乱罪、および詐欺罪により、懲役20年。……ただし、その精神状態を考慮し、一般の刑務所ではなく、孤島にある『静寂の修道院』への収監を命ず」
「修道院……?」
「外界との接触を一切断ち、死ぬまで祈りと労働の日々を送る場所だ。……そこにはドレスも、宝石も、甘いお菓子もない。あるのは、粗食と沈黙だけだ」
「嫌ぁぁぁぁっ!!」
ミナが絶叫した。 修道院。それは彼女にとって、死刑よりも恐ろしい場所だった。 誰にも見てもらえない。 誰からも「可愛い」と言われない。 鏡さえない場所で、老婆になるまで朽ちていく。
「私は王妃よ! アイドルよ! みんな私を見て! 可愛いって言ってよぉぉぉ!」
彼女は暴れたが、すぐに拘束衣を着せられ、猿轡を噛ませられた。 モガモガとくぐもった悲鳴を上げながら、彼女は黒い箱馬車へと押し込まれていった。 その姿は、かつて彼女が捨てた泥人形のように、無力で哀れだった。
箱馬車の扉が閉まる音。 バタン。 それが、ミナという少女の人生の、最後の音となった。
***
「……さて、最後の一人だ」
ジークフリートが呟いた。 広場の巨大スクリーン(魔石映像)に、一枚の肖像画が映し出された。 アルフォンスだ。 ただし、王子の衣装を着た華やかなものではなく、先日撮影された、薄汚れた作業着姿の手配写真のようなものだ。
「被告人アルフォンス。……本日は所在不明のため、欠席裁判とする」
弁護士が事務的に進める。 彼を探し出すことは容易だったはずだ。 しかし、セレスティアはあえて彼をこの場に呼ばなかった。 呼ぶ価値もない、あるいは、彼に「主役」の座を与える必要はないという判断だろうか。
「元第二王子アルフォンス。……彼は、王族としての責務を放棄し、国庫を浪費し、国家の信用を失墜させた。その罪は万死に値する」
観衆は静まり返っている。 怒りというよりは、呆れと失望の空気が支配していた。
「しかし、彼は既に全てを失っている。地位も、名誉も、財産も。……よって、当法廷は彼に対し、以下の判決を下す」
弁護士が判決文を読み上げる。
「一、王位継承権の永久剥奪。および王籍からの除名」 「一、国外追放処分。ただし、ハイゼンベルク銀行への債務3億枚については、免責を認めず、生涯をかけて返済義務を負うものとする」 「一、今後、彼がいかなる場所で野垂れ死のうとも、王家および当国は一切関知しない。墓を作ることも禁ずる」
それは、死刑よりも重い「存在の抹消」だった。 彼は生きていても、社会的には死んだも同然。 さらに、3億枚という天文学的な借金という「鉄の鎖」を足首に繋がれたまま、終わりのない荒野を歩き続けなければならないのだ。
「……鉄観音の味だな」
セレスティアは、カップの底に残った濃い茶色の液体を見つめた。
「重く、渋く、そして逃れられない。……彼が背負う現実は、このお茶のように苦く、一生消えることのない余韻を残すでしょう」
「慈悲深いな、君は」
ジークフリートが皮肉っぽく笑う。
「殺してやれば楽になれるものを。……生かして苦しませるとは」
「彼が望んだのですわ。『愛があれば生きていける』と。……ならば、その身一つで、世界の過酷さと愛の無力さを噛み締めながら、生き抜いていただきましょう」
セレスティアは、空になったカップを置いた。 カチン。 硬質な音が、すべての裁判の終了を告げた。
「以上をもって、旧王国時代の清算を終了する!」
弁護士の宣言と共に、広場から拍手が湧き起こった。 それは歓喜の拍手ではなく、長い悪夢が終わったことへの安堵の拍手だった。 人々は理解したのだ。 甘い夢を見せてくれる無能な王よりも、苦い現実(鉄の味)を直視し、法と秩序で守ってくれる指導者の方が必要なのだと。
***
その頃。 王都の片隅、港の荷揚げ場。
アルフォンスは、巨大な木箱を背負ってタラップを上がっていた。 汗が目に入り、膝が笑う。 息が切れて、肺が焼けそうだ。
「おい、新入り! 遅えぞ! サボってんじゃねえ!」
現場監督の怒声が飛ぶ。 アルフォンスは歯を食いしばった。
「す、すみません……!」
彼はよろめきながらも、足を前に出した。 ふと、街の方から鐘の音が聞こえてきた。 裁判が終わった合図だ。
彼は知っていた。今日、自分が裁かれることを。 そして、どんな判決が出るかも、おおよそ予想がついていた。 3億の借金。 一生かかっても返せない額だ。 今の給料は日当銅貨8枚。 単純計算で、数万年かかる。
「……ははっ」
彼は乾いた笑いを漏らした。 絶望的だ。 あまりにも重い「鉄槌」だ。
しかし、不思議と心は軽かった。 ミナという重荷を下ろし、王子という鎧を脱ぎ捨て、裸一貫になった今の自分。 借金という鎖はあるが、それは「生きる目的(返済)」という名の鎖でもある。
「休憩だ!」
監督の声がかかる。 アルフォンスは荷物を下ろし、桟橋の端に座り込んだ。 腰の水筒を取り出す。 中に入っているのは、今朝自分で煮出した、渋くて濃い番茶だ。
「……ふぅ」
一口飲む。 鉄のような渋みが、疲れた体に染み渡る。
「美味いな……」
彼は海を見つめた。 海の向こうには、アークライト帝国がある。 そして、そのさらに向こうには、まだ見ぬ世界が広がっている。
「……いつか」
彼は呟いた。
「いつか、この借金を1枚でも多く返して……。堂々と、彼女の前に立ちたい」
許されなくてもいい。 愛されなくてもいい。 ただ、「僕は逃げずに生きた」という証明を、いつか彼女に見せたい。 それが、今の彼を支える唯一の、そして強靭な鉄の芯となっていた。
アルフォンスは飲み干した水筒の蓋を閉めた。 その顔には、以前のようなふやけた甘さはなく、日焼けした精悍さと、深い皺が刻まれていた。 それは、彼がようやく「自分の人生」という物語の主人公として歩き始めた証だった。
***
広場では、新しい宣言が行われようとしていた。 演台の模様替えが行われ、黒い幕が取り払われると、そこには新しい国旗が掲げられた。 セレスティアの髪色を表す銀と、ジークフリートの瞳の色を表す黒。 そして、中央には「天秤を咥えた鷲」の紋章。
「国民の皆様!」
ジークフリートが前に進み出た。 彼の声は、マイクを通さずとも広場全体に朗々と響き渡った。
「今日この日をもって、腐敗した王国は消滅した! 過去の悪しき慣習、血統主義、そして無責任な統治とは決別する!」
大歓声が上がる。
「我々が作るのは、法と経済、そして実力主義に基づく新しい国だ! 汗を流した者が報われ、知恵ある者が導き、そして全ての民が『適正価格』で幸福を享受できる国だ!」
彼は手を差し伸べ、セレスティアを隣に招いた。
「そして、この新しい国の初代大公妃として、国母として、この方を迎える! ……セレスティア・フォン・ハイゼンベルク!」
セレスティアが進み出る。 風が彼女の銀髪と、黒いドレスを揺らす。 その姿は、あまりにも美しく、そして強かった。
「……皆様」
彼女は微笑んだ。 それは、かつてアルフォンスに見せていた作り笑いでも、冷徹な仮面でもない。 心からの、希望に満ちた笑顔だった。
「わたくしは約束します。……もう二度と、皆様に『泥水』は飲ませません。この国を、世界で一番美味しい紅茶と、笑顔が溢れる場所にいたしますわ」
ワァァァァァッ!!
広場が揺れるほどの歓声と拍手。 花吹雪が舞い、ファンファーレが鳴り響く。 それは、本当の意味での「ハッピーエンド」の始まりだった。
セレスティアとジークフリートは、互いに見つめ合い、頷いた。
「……長かったな」 「ええ。……でも、良いお茶が入りましたわ」
二人の手はしっかりと握られていた。 その絆は、鉄観音の茶葉のように硬く、重く、そして決して解けることはない。
新しい国、新しい時代。 そして、新しい愛の物語。 古い茶葉は捨てられ、新しいポットに、最高のお湯が注がれようとしていた。
第十九話へ続く。 「ロイヤルミルクティー(濃厚な愛と幕引き)」。 全てを精算した二人の旅立ちと、甘く濃厚なフィナーレ。
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