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狂った小人
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傷だらけの顔は、半分が道化のように白くて半分が爛れていた。目も左側が色白の肌に不気味に閃く青灰色で、右側がぎらぎらと輝く茶色である。頭上には太陽がきんきらまぶしい。草が匂い立つ。
擦り切れたジーパンに、白いシャツを着ている。両手をポケットに突っ込んでいる。適当な紐靴を履いて、自分の影をうつむいて見ている。
獅子がその両側に立ち、牙を剥いている。ただ彫像のように不動である。左右の獅子の前後にはチェスの駒が鎮座している。それぞれ、ルークとナイトが、その順序に前後している。さらに、それらの駒の前と後ろに、剣を構えた農夫が自分の育てた子牛を屠殺しようとしていた。
若い女性が以上の奇妙な静止列を見ている。彼女もまた列の真ん中の人のように左右で違う顔をしている。その左側は白くて青灰色の目をしていて、右側は爛れて茶色の目である。ただし、両方の目から涙滴が落ちた跡がある。もう乾いて薄い塩だけが貼りついているが。
ゆらゆらと揺れているのは松明だが、それらは女性の背後に二柱留まっている。蚊が炎の上を踊っている姿を、台座から伸ばした細い真鍮が真似している。
これを見て本物の誰かが涙を流した。その声は以上の奇妙な静止列を、溶け崩した。燃えるような匂いがした。静止列の炎がその誰かの裾を焦がした。それでも誰かは泣いたままだった。
誰かは右腕を上げてその袖向こうを水平に窺った。あちらから犬が走ってくる。犬は小さく、賢そうな目をしている。同時に誰かは雨の予感がして、どこか雨宿りできるところはないかと周囲を見回した。誰かも左右で違う顔をしていた。左側が白くて、右側が爛れている。雨は降ってきた。土砂降りで、砂が混じっていた。誰かはひざを叩き、地面を掃いて、雨に負けない大声で叫んだ。その胸から押し出されたのは赤い風船だった。誰かは風船に乗った。雨雲よりずっと高くまで飛んで行きたいと願った。だがそれほど高く行かないうちに雲は切れて濡れなくなった。
誰かの正面に巨大な樹が生えている。風船はそのまま樹の根元まで誰かを連れて行った。そして、空中でパンと割れると、誰かは地面とは逆の方向へ落ちていった。誰かは樹の枝に逆向きに引っかかった。誰かにとって大地と木の根が天井になった。
傷だらけの顔の誰かはひどい渇きを覚えた。だが雨粒は葉の表側に溜まっており、裏側にいる誰かからは手が届かなかった。誰かはすっかり困窮してしまった。仕方ないので枝の皮を剥ぎ取り口に含んだ。
誰かはいつのまにか眠っていた。起き上がると太陽が靴の下から光を照らしていた。誰かは頭上を見上げた。地面がどこまでも続き、誰かに安住の地がないことを知らせた。誰かはいっそのことここから飛び降りてみることにした。どこまで落ちていくのか、ひょっとすれば空を突き抜けて宇宙までいくのか知れないが、ともかくそうしてみることにした。誰かはひょいっと軽やかに枝から滑り落ちた。危うく他の枝に足元をすくわれそうになりながら、どんどん、どんどん、下へ下へと下っていった。しかしどこまでいっても樹は続いた。誰かの体も枝と枝との間をすり抜けながら、うまいこと落ち続けたが、落下速度もぐんぐん上がるものの一向に何もないただ空の中には届かなかった。誰かはもう絶対に樹は頂などないのかもしれないと諦めたその時、柔らかい葉に受け止められて、やっと落下が止まった。そこが樹のてっぺんだった。もう下には何もない。
誰かはその葉の裏側で小人を見つけた。小人は赤いジャケットを着て緑色の帽子を被っていた。小人はようこそと挨拶をすると、早速だけど、重力を戻さなきゃと言った。ここに来るには重力を反転させなきゃならなかったけれど、そうは言っても、世界に負担がかかるから、と。
「この場所は秘密だった」小人が小声で話した。「真と偽の狭間なんだ。ここには神様は絶対に居ない。普通は絶望を味わう場所だ。望んで来る場所ではない。だがね、未来はここから始まるものでもあるんだ。どうだい、ここから下には何もないだろう。けれど頭上にはすべてがあるだろう。生きるとはこの上で展開されることだ。そして生の先には必ず死があるが、それもこの上で催されることだ。おや、なにやらつらそうな顔をしているね?」
小人は小さなコップを差し出して誰かに水を飲ませた。その瞬間、重力が反転して誰かは早速地面に向かって落下していった。あえなく誰かは全身を打って、そのまま死んだ。
その後、数日して、血の滲む地面に手形が現れた。樹は急激に枯れ出して、落ち葉がたくさん土を覆った。枯れ枝が落ちてきて、誰かの死んだ跡にどさりと転がった。そこには赤いジャケットの小人の小さい死骸が石のようにうずくまった。小人は地面から誰かの血を吸って立ち上がった。頗る青い顔をして、唇も真っ青で、いかにも小鬼の表相になった。「あれっ」と意外そうに小鬼は自分の姿を見て叫んだ。
「どうして僕は生きているんだ?さっき落ちてきたはずなのに」
小鬼は首を傾げた。死ぬことが自分の望みであったはずなのだが。天井から雨が降ってきた。小鬼の頭上には空ではなく地面が広がっていた。彼はいつのまにか空中を散歩していた。大地から土砂降りの雨が降っていたのである。
彼はゆっくりと葉を落とした樹から遠ざかっていった。彼の顔面は時間をかけて、半分が色違いのものになっていった。彼は耳が遠くなり、目も利かなくなっていった。それが彼の望みではなかったのか。彼は死に物狂いで必死に駆け出した。何もない空中を、裸足が虚しく滑り、頭上の地面と足元の空しかない空間を小鬼は苦しみながら走る真似事をした。逆向きに降る雨を浴びながら、彼はもうこれ以上走れないというところまで来て、やっと立ち止まった。彼は自分が死ねないことを悟った。もう一度生きてみようと思ってもかなわないということに気がついた。彼は、絶望した。もう彼は動けなかった。
ところが、大地から雨粒が降っている。彼に降りかかるものがある。彼にはわからない。彼の世界こそがそのような様態であることを。彼のいる場所は秘密だった。彼は自分を守り通した。だから彼は死ねなかった。死ぬことがなく、それでいいものだった。彼は嘆いた。自分が自分であることを。彼は人間から離れてやっと救われる存在なのかもしれない。彼は人間から離れられるわけなどないのだから。太陽が優しく彼の足の裏を照らしている。その光は、確かに彼に温度を伝えている。
彼のいる場所はこの世である。彼はこの世でこそ苦しみを受けている。彼を追い詰めたのは彼だった。彼は生きていた。彼は確かに死んでいなかった。それでよかった。
枯れた樹はいずれ葉を付け、季節の巡りとともに甦る。花も咲くだろう。実も生るだろう。
彼にも匂いが届くだろう。彼を救うのは彼なのだ。彼自身による意識の死などほんの一瞬にしかすぎない。彼は今絶望している。たった今で、それは永劫ではない。彼は今泣いているが、その涙もやはり枯れてしまう。枯れた後、彼は沈黙したまま、そこから離れないかもしれないが、世界は、彼の周りに佇んでいる。無限の揺り籠が世界だとすれば、彼は、その中で次なる生命の準備をしているにほかならない。
彼の中でうたが目覚めた。彼のひどく青ざめた唇からそのうたごえは漏れた。
どうして死が適当だとわかる?
私にはこれしかないと 思ってたのに
一向に世界は変化しない
だからといって 嘆くのは損だ
私は生きたいように生きた
それでいいじゃないか でも
ああ 世界は逆転し
私は今も 地上に戻れない
私は生命を呪詛する
頭の上の世界を憎む
私の足をつかむのは誰だ
それは彼が殺した、誰かだった。彼に血を吸われて、干からびた体だったが、彼の足に触れて、その生気を回復した。「お前はおれだ」と誰かは言った。
「そしておれじゃない誰かはお前だったな!」
小鬼は滂沱の涙を流した。最も彼にとって恐ろしいことが起こった。死の存在である彼が、命を流し込まれることが、何よりも世界の破滅を引き起こすものだったからだ。世界中が反転した。逆向きだった重力はその呪詛からのがれ、元通りの方向を回復した。彼は言った。
「お前は、余計なことをした!」
二人はともに落下していった。どちらがどちらを庇ったかしれないが、どちらかが生き残った。生き残った方は立ち上がり、世界を眺め回した。
「ここがおれの生きている世界か」
と、呟くと、その人間は地平線の彼方まで歩いていった。
その人間は、再び静止列を見出した。人間は半分ずつを青白い化粧と焼け爛れた恐ろしげなメイクにして顔面を彩っていたが、最初と同じような、傷だらけの顔を、うつむかせた人物がじっと自分の足元を見つめている。その顔面は普通だった。人間はその人物にメイクを施してやった。目の色も互い違いにさせた。人間はその人物の両隣にいる獅子を口の閉じた状態から牙を剥かせた。獅子の前後にあるチェスの駒は変える必要がなかった。そのルークとナイトの駒の、前と後ろ側にいる農夫には、剣を持たせ子牛を用意し、屠殺の準備をさせた。人間はこれを眺める女性を静止列の真ん中にいる人物と同じメイクをかけてやり、背後の松明台には火を灯し、台から伸びた真鍮の細長い針金には蚊を象らせた。人間は、以前この景色の前で涙を流したが、今はこれの製作者として、満足げに眺めた。人間はそばにあの大樹の存在を感じた。しかし、大樹はどこにも見えない。人間はもはや重力を反転させる必要がなくなった。人間の中に、この世界があるべき姿として記憶されたからだ。
それが彼自身を癒すことだった。彼は彼がしたことをなぞり、それを肯定も否定もせず、そのまま認めた。一つの冒険譚が終わり、幕は閉じて、緞帳が下ろされた。観客は点された電灯にほっとし、暗空間を出て行った。飛行機雲が伸びていた。
擦り切れたジーパンに、白いシャツを着ている。両手をポケットに突っ込んでいる。適当な紐靴を履いて、自分の影をうつむいて見ている。
獅子がその両側に立ち、牙を剥いている。ただ彫像のように不動である。左右の獅子の前後にはチェスの駒が鎮座している。それぞれ、ルークとナイトが、その順序に前後している。さらに、それらの駒の前と後ろに、剣を構えた農夫が自分の育てた子牛を屠殺しようとしていた。
若い女性が以上の奇妙な静止列を見ている。彼女もまた列の真ん中の人のように左右で違う顔をしている。その左側は白くて青灰色の目をしていて、右側は爛れて茶色の目である。ただし、両方の目から涙滴が落ちた跡がある。もう乾いて薄い塩だけが貼りついているが。
ゆらゆらと揺れているのは松明だが、それらは女性の背後に二柱留まっている。蚊が炎の上を踊っている姿を、台座から伸ばした細い真鍮が真似している。
これを見て本物の誰かが涙を流した。その声は以上の奇妙な静止列を、溶け崩した。燃えるような匂いがした。静止列の炎がその誰かの裾を焦がした。それでも誰かは泣いたままだった。
誰かは右腕を上げてその袖向こうを水平に窺った。あちらから犬が走ってくる。犬は小さく、賢そうな目をしている。同時に誰かは雨の予感がして、どこか雨宿りできるところはないかと周囲を見回した。誰かも左右で違う顔をしていた。左側が白くて、右側が爛れている。雨は降ってきた。土砂降りで、砂が混じっていた。誰かはひざを叩き、地面を掃いて、雨に負けない大声で叫んだ。その胸から押し出されたのは赤い風船だった。誰かは風船に乗った。雨雲よりずっと高くまで飛んで行きたいと願った。だがそれほど高く行かないうちに雲は切れて濡れなくなった。
誰かの正面に巨大な樹が生えている。風船はそのまま樹の根元まで誰かを連れて行った。そして、空中でパンと割れると、誰かは地面とは逆の方向へ落ちていった。誰かは樹の枝に逆向きに引っかかった。誰かにとって大地と木の根が天井になった。
傷だらけの顔の誰かはひどい渇きを覚えた。だが雨粒は葉の表側に溜まっており、裏側にいる誰かからは手が届かなかった。誰かはすっかり困窮してしまった。仕方ないので枝の皮を剥ぎ取り口に含んだ。
誰かはいつのまにか眠っていた。起き上がると太陽が靴の下から光を照らしていた。誰かは頭上を見上げた。地面がどこまでも続き、誰かに安住の地がないことを知らせた。誰かはいっそのことここから飛び降りてみることにした。どこまで落ちていくのか、ひょっとすれば空を突き抜けて宇宙までいくのか知れないが、ともかくそうしてみることにした。誰かはひょいっと軽やかに枝から滑り落ちた。危うく他の枝に足元をすくわれそうになりながら、どんどん、どんどん、下へ下へと下っていった。しかしどこまでいっても樹は続いた。誰かの体も枝と枝との間をすり抜けながら、うまいこと落ち続けたが、落下速度もぐんぐん上がるものの一向に何もないただ空の中には届かなかった。誰かはもう絶対に樹は頂などないのかもしれないと諦めたその時、柔らかい葉に受け止められて、やっと落下が止まった。そこが樹のてっぺんだった。もう下には何もない。
誰かはその葉の裏側で小人を見つけた。小人は赤いジャケットを着て緑色の帽子を被っていた。小人はようこそと挨拶をすると、早速だけど、重力を戻さなきゃと言った。ここに来るには重力を反転させなきゃならなかったけれど、そうは言っても、世界に負担がかかるから、と。
「この場所は秘密だった」小人が小声で話した。「真と偽の狭間なんだ。ここには神様は絶対に居ない。普通は絶望を味わう場所だ。望んで来る場所ではない。だがね、未来はここから始まるものでもあるんだ。どうだい、ここから下には何もないだろう。けれど頭上にはすべてがあるだろう。生きるとはこの上で展開されることだ。そして生の先には必ず死があるが、それもこの上で催されることだ。おや、なにやらつらそうな顔をしているね?」
小人は小さなコップを差し出して誰かに水を飲ませた。その瞬間、重力が反転して誰かは早速地面に向かって落下していった。あえなく誰かは全身を打って、そのまま死んだ。
その後、数日して、血の滲む地面に手形が現れた。樹は急激に枯れ出して、落ち葉がたくさん土を覆った。枯れ枝が落ちてきて、誰かの死んだ跡にどさりと転がった。そこには赤いジャケットの小人の小さい死骸が石のようにうずくまった。小人は地面から誰かの血を吸って立ち上がった。頗る青い顔をして、唇も真っ青で、いかにも小鬼の表相になった。「あれっ」と意外そうに小鬼は自分の姿を見て叫んだ。
「どうして僕は生きているんだ?さっき落ちてきたはずなのに」
小鬼は首を傾げた。死ぬことが自分の望みであったはずなのだが。天井から雨が降ってきた。小鬼の頭上には空ではなく地面が広がっていた。彼はいつのまにか空中を散歩していた。大地から土砂降りの雨が降っていたのである。
彼はゆっくりと葉を落とした樹から遠ざかっていった。彼の顔面は時間をかけて、半分が色違いのものになっていった。彼は耳が遠くなり、目も利かなくなっていった。それが彼の望みではなかったのか。彼は死に物狂いで必死に駆け出した。何もない空中を、裸足が虚しく滑り、頭上の地面と足元の空しかない空間を小鬼は苦しみながら走る真似事をした。逆向きに降る雨を浴びながら、彼はもうこれ以上走れないというところまで来て、やっと立ち止まった。彼は自分が死ねないことを悟った。もう一度生きてみようと思ってもかなわないということに気がついた。彼は、絶望した。もう彼は動けなかった。
ところが、大地から雨粒が降っている。彼に降りかかるものがある。彼にはわからない。彼の世界こそがそのような様態であることを。彼のいる場所は秘密だった。彼は自分を守り通した。だから彼は死ねなかった。死ぬことがなく、それでいいものだった。彼は嘆いた。自分が自分であることを。彼は人間から離れてやっと救われる存在なのかもしれない。彼は人間から離れられるわけなどないのだから。太陽が優しく彼の足の裏を照らしている。その光は、確かに彼に温度を伝えている。
彼のいる場所はこの世である。彼はこの世でこそ苦しみを受けている。彼を追い詰めたのは彼だった。彼は生きていた。彼は確かに死んでいなかった。それでよかった。
枯れた樹はいずれ葉を付け、季節の巡りとともに甦る。花も咲くだろう。実も生るだろう。
彼にも匂いが届くだろう。彼を救うのは彼なのだ。彼自身による意識の死などほんの一瞬にしかすぎない。彼は今絶望している。たった今で、それは永劫ではない。彼は今泣いているが、その涙もやはり枯れてしまう。枯れた後、彼は沈黙したまま、そこから離れないかもしれないが、世界は、彼の周りに佇んでいる。無限の揺り籠が世界だとすれば、彼は、その中で次なる生命の準備をしているにほかならない。
彼の中でうたが目覚めた。彼のひどく青ざめた唇からそのうたごえは漏れた。
どうして死が適当だとわかる?
私にはこれしかないと 思ってたのに
一向に世界は変化しない
だからといって 嘆くのは損だ
私は生きたいように生きた
それでいいじゃないか でも
ああ 世界は逆転し
私は今も 地上に戻れない
私は生命を呪詛する
頭の上の世界を憎む
私の足をつかむのは誰だ
それは彼が殺した、誰かだった。彼に血を吸われて、干からびた体だったが、彼の足に触れて、その生気を回復した。「お前はおれだ」と誰かは言った。
「そしておれじゃない誰かはお前だったな!」
小鬼は滂沱の涙を流した。最も彼にとって恐ろしいことが起こった。死の存在である彼が、命を流し込まれることが、何よりも世界の破滅を引き起こすものだったからだ。世界中が反転した。逆向きだった重力はその呪詛からのがれ、元通りの方向を回復した。彼は言った。
「お前は、余計なことをした!」
二人はともに落下していった。どちらがどちらを庇ったかしれないが、どちらかが生き残った。生き残った方は立ち上がり、世界を眺め回した。
「ここがおれの生きている世界か」
と、呟くと、その人間は地平線の彼方まで歩いていった。
その人間は、再び静止列を見出した。人間は半分ずつを青白い化粧と焼け爛れた恐ろしげなメイクにして顔面を彩っていたが、最初と同じような、傷だらけの顔を、うつむかせた人物がじっと自分の足元を見つめている。その顔面は普通だった。人間はその人物にメイクを施してやった。目の色も互い違いにさせた。人間はその人物の両隣にいる獅子を口の閉じた状態から牙を剥かせた。獅子の前後にあるチェスの駒は変える必要がなかった。そのルークとナイトの駒の、前と後ろ側にいる農夫には、剣を持たせ子牛を用意し、屠殺の準備をさせた。人間はこれを眺める女性を静止列の真ん中にいる人物と同じメイクをかけてやり、背後の松明台には火を灯し、台から伸びた真鍮の細長い針金には蚊を象らせた。人間は、以前この景色の前で涙を流したが、今はこれの製作者として、満足げに眺めた。人間はそばにあの大樹の存在を感じた。しかし、大樹はどこにも見えない。人間はもはや重力を反転させる必要がなくなった。人間の中に、この世界があるべき姿として記憶されたからだ。
それが彼自身を癒すことだった。彼は彼がしたことをなぞり、それを肯定も否定もせず、そのまま認めた。一つの冒険譚が終わり、幕は閉じて、緞帳が下ろされた。観客は点された電灯にほっとし、暗空間を出て行った。飛行機雲が伸びていた。
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