仮面と少年

KeiSenyo

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仮面と少年

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 立派な木造のお屋敷のお庭の、厠の隣にある農具小屋に、少年がやってきた。小屋には、一休みできる二畳間がある。そこにはたくさんの仮面が並べて吊るされていた。少年はここで最近学校で噂になっていることを、試そうとしていた。何を隠そう、仮面には人間の魂が宿っていて、行事などで使われるのだが被った人間の体にその魂が入り込むのである。そこで、仮面に取り憑いた魂を焙り出す方法がある。おいしいものを、煙にして奴らに嗅がせる。仮面にいる奴は腹が減っていて仕方がないから、しばらくすると、面から剥がれて落ちてしまうのだ。彼はこの話を聞いて、面白そうだと言った。すると、肝試しに誰か試してみないかということになり、彼が皆から指名されてしまった。
 面倒臭いことが少年は嫌いだったが、少し面白そうとも思っていた。今まで霊たるものを見ていない、もしいるなら、この目で確かめてみたいものだ。しかし、ただの噂かもしれない、とも考えていた。もし話通りに儀式なぞして何も起きなかったら…どう報告すればいいだろうか。ふうむ。そんなことを考えながら、少年は準備を進めた。みかんと蝋燭数本と、鉄串と餅を用意した。みかんに蝋燭を刺して、その上に串刺しした餅を炙らせる。やがて、ぷすぷすと餅から良い匂いが立ち、仮面にその煙が届いた。
 揺らめく炎の下で、みかんはつやつやとした皮の色を光らせた。時間は丑三つ時、勿論、この辺りが幽霊も出やすいだろうと選択したのだが、それほど少年は幽霊が見たかった。外はいうまでもなく人間も動物も草木も皆が眠っている。起きているのは、彼と、まだもの言わず梁に掛かっているだけの仮面たちである。ぷすぷす、ちりりと、餅が炙られる。ゆらゆらと、蝋の炎が揺れる。少年はぼんやりとしてきた。睡眠は前もって十分取っていたつもりだが、何分、こんな夜中まで起きていたことはない。早く寝てしまえばいいのに、と思ったのは、梁に掛かった仮面たちである。子供を脅かすのはこちらの趣味ではない、たとえ良い匂いがしているからとて、つまらぬことに時間は使いたくないものだ。だが、こんな真夜中にこちらの懐に飛び込むなんてその歳のわりには勇気ある行動ではないか。彼を讃えて、どれ、こちらの姿を見せてもやろうか。
 冷気がだんだんと少年の足元に忍び寄ってきた。すると、彼の耳元にざわざわと声が聞こえ始めた。少年は身を固くした。もしかすると、幽霊の声ではないか。耳を澄ます。しかし、彼は急に怖くなって、この場にいるのがとてもつらくなった。なんてことを自分はしているのだろう。幽霊に会いたいなんて!声はどんどん近づいてくる。彼は周囲を見渡したが、霊らしき白いものはどこにもない。だが、仮面が自分を見下ろしており、彼らの無数の声が、耳の中に入ってきているような気がした。
 ふっと囁きが止まった。しかし冷気は依然足元に溜まっていた。少年は目を瞑っていたが、顔を上げて、何も起こらなかったことを確かめようとした。
「もし、もし。あなたは何者ですか。どうしてこんな所へ」
 びくりと少年は身を弾ませた。まごうことなき人の声は、誰もいない所から発せられた。
「ははは、まあ、噂は噂にすぎなかった、てとこか。風の音を、こんな風に聞いちまうなんて」
「もし、もし。あなたは何て名前ですか。私たちに教えてください」
「はは、まただ。今度は虫の声か」
「もし。あなたは本当に強情な人なんですね。わかりました。いい加減あなたに姿を見せましょう」
 あちこちから、白いタオルのようなものが滑ってきて、少年の前でくるくると渦を巻いた。
「やれやれ、この期に及んで怖がるとは。折角お前の勇気に応えようとしたのになあ」
 ばんと光って大きく広がり、びろんとした老爺の仮面が、もとの大きさの五倍ほどになって現れた。
「ば、化け物だあ」
「ええ加減にせんと、喰ってしまうぞ」
 老爺の仮面は、がらがらと笑って、少年を威圧した。
「どうした、ははあ、我々に出会うために、そのような歓待の儀式を催したというのに、怖気づいたか。よく見ろ。宙に浮かぶ我が体を!恐ろしいか、怖いか。でも、わしができることはこうして宙空を飛ぶばかりで、も一つできることは、お前に物語を聞かせることだ。わしはそのためにお前の前にやってきた」
 少年は涙目になっていた。噂話など試してみるのではなかったと激しく後悔した。
「お前、名前は」
「はい、鉢次郎といいます」
「ハチジロウ?物珍しい名だな。文字通り八番目の子か」
「いいえ、二番目です」
「二郎に八を継ぎ足したか。ならばこんな物語がよいのでは?」

「忠犬ハチ公の話は、知っているか?あれはなあ、八角山に登った鳥の話なのだよ。なぜかって?聞けばわかるさ。鳥は元来警戒心が強くてな、絶対に人についてきたりはせんもんだが、餌付けをするとな、寄ってくる。あるお婆さんが餌付けしたカラスと仲良くなって、一緒に山を登った。カラスはお婆さんの肩にとまって、カアカア鳴いた。お婆さんは嬉しくて涙を流して立ち止まったよ。なぜって、カラスのその声が息子の幼い頃にそっくりだったからさ。耳の間近で聞くとなあ、そんな風に聞こえたらしい。お婆さんは意気揚々と山を歩いていった。目指すは山頂のお社だ。そこにお供え物をしに行ったのさ。ところが、途中で足を挫いてしまった。お婆さんは言った。「こりゃこりゃ、息子の声を持つカラスや、どうかこのお団子を、向こうのお社まで運んでくれないか」
 どういうわけかカラスに通じ、その嘴にお団子を包んだ巾着をくくられて、カラス君はお婆さんの代わりに山を飛んでいった。
 ところが後からな、お婆さんの飼い犬が追いかけてきて、お婆さんはこれにも仕事を頼んだ。その牙にお団子入りの巾着をぶら下げて、お犬様も山を登っていったのだよ。二匹がお社に着いたのはほとんど同時になった。二匹は喧嘩になった。おれがお供えする、いやあたしが頼まれたのよと、気が付くと、もう夕方でな。二匹は突然山道で足を挫いたままのお婆さんのことが気になった。二匹はそれぞれ託されたお団子をお社にお供えして、急いで山道を引っ返した。お婆さんは尻餅をついたままずっとかかとをさすっていた。さて仕事は終わった。今度はお婆さんをどのようにしてかついでいくかという話になった。二匹は助けを求めることにした。しかしワンワン、カアカア、お婆さん以外に二匹の言葉をわかる人間はおらんのだ。お婆さんはやがて山道で枯れ木のようになって、そのまま死んでしまったよ。二匹ともお婆さんに寄り添い、石のようになって、いつまでも傍に立っていた。」

「え?なぜ『忠犬ハチ公』ってお題がついてたんだって?忠犬と、ハチ公がここにいるじゃないか。石になったカラスはまるでハチドリのように嘴が細くて可愛らしかったから、お婆さんがそう名前を付けたのだよ。それに八角山で育ったから、ハチ公、それ以外に何がある?ああ、だまされたという顔をしている。驚いたか?驚いたか?」
 老爺の面はぷすんっと音を立てて風船のようにしぼんで消えた。坊やはぼうっとして何が何だかわからない顔つきをしていた。すると、彼の横からするりと絹の虹色を引いて、宙に浮かんだのはおたふくの仮面だった。坊やは思わずのけぞった。
「あははは、怖くはない。怖くはないわ。だってもう、一つ目のお話を聞いているのだものね。あんなみっともないお話でごめんなさいね。私はもうちょっとましな物語を聞かせるわ」

「家出した女の子がある所にいてね。こんにちは、て私に挨拶してくれたの。私は、こう見えても以前はもっとしゃっきりとして美人顔だったのよ?こうしてみると、ふくれっ面して怒ってるようにも見えるけれどね」
 と言って、おたふくのお面はちょっと頭を下げて口角を見せないように隠した。うつむき加減の顔のふくれた頬が強調されて、女の表情に怖い影が差した。
「私は本当は怖い仮面なのよ?それで、その女の子は私についてきたいと言った。私は女の子を一人にしとくのも嫌で、警察に預けようと思い保護することにした。女の子は私の作ったお菓子をおいしそうに食べてくれたけど、食べるごとに、どんどん太っていくの。私は嬉しかったから、女の子にもっともっとどうぞと勧めたら、すっかりお腹がふくれて、もう動けなくなってしまったの。そうしてようやく私は警察に電話して、女の子を連れて行ってもらったのよ。ああ肩の荷が下りたと思ってたら、電話がかかってきて、お宅に預かっていただいた子供、実はあたしの娘なんですけどと言われた!不気味な声で、底なし沼から響くような囁きでね。どうしてもっと太らせてくれなかったの、と言うの。あの子が悲鳴を上げるまで、とことん食べ物を与えてくれなくちゃ、あの子は反省しないのよ、あなたの所へついていったことを。私、後で事情が判ったわ。相手は私を嫉妬していたの。ちっとも娘が自分に懐かないで、しきりに私に会いたがっているらしかったからね。相手からはこうも言われた。
『私の所でね、十分食べ物を与えられるなら、とっくにしていた。外で何らかの罰が与えられなくちゃ、あの子は諦めて私の所にいられないのよ。だから、もしあの子があなたの所にまた行ったら、今度はちゃんとした罰を与えてちょうだい。もう二度と家出はしない、と誓わせて。あなたにしか、これは頼めないことなの。』」

 突然、おたふくは虹色の光を残して消えた。男の子は目をしばたたいた。え、これで終わりなの、という顔つきで、周囲を見渡した。
「ええ、これで終わりよ。中途半端だって?そうかしら」
 虹色の光も消えて、次の仮面が現れた。颯爽と闇を切り裂き、風のようにそれは登場した。目は潰れ、口は横幅に広く裂けているようで、鼻は上を向き、耳は上下がさかさまだった。顔面はこのように崩れているのに、髪型はぴっちり七三分けでてかてかと光っていた。
「おれはもっと面白い話を用意するぜ。小僧、とくと聞きな!」

「昔、相貌のひどい男がいたんだ。彼はなあ、女になろうとした。なぜかって、そりゃあその顔面じゃ誰も振り向いてくれないわけだから、少なくとも女になってしまえば、物好きが興味を持ってくれるんじゃないかって、考えたわけだよ。胸に二つ玉を仕込み、両肩はできるだけ落として、なよなよとした雰囲気を作ったそうだ。男は背が低かったし、猫背で、痩せてもいたから、着物で綺麗に着飾りゃあそら、どこからどう見ても女にしか見えなくなった。まあ、おしろいでいくら誤魔化しが利くからって、まともに顔を覗けばわかっちまう話だがな。男だって。それに、付いているものはしまえないし、捨てることもできねえ。だがな、そいつを好きになった男がいた。顔のひどい男は身も心もそいつのために女性であろうとしたから、顔面は除いて、完璧なまでに理想の女像を演じていた。男はひどく奴が好きになってしまって、結婚を申し出た。しかし、まだ奴には付いていた。奴はどうしてもそれを隠し切れなくなって、男に謝るついでに、変身を解いた。すると、男は奴を嫌いになるどころか、ますます愛しちまってな。そいつのこれまでの涙ぐましい努力も、今までに遭ってきた様々な労苦も、皆理解してやったのさ。男は奴と良い友達になって、いつまでも寄り添ったってさ。」

 崩れた顔面の仮面はぱっぱっと光を放ちながら消えた。鉢次郎少年はあっけにとられたままだったが、何か、今の話にはしこりの残る感触があった。それは、話が完全に片付いてはいないという感触だった。
「あらあら、収まりの良い話だこと。でも短過ぎるわ」
 今度は荒々しくごうっとうなりながら、桃色の仮面が登場した。綺麗な女の顔立ちで、少し高邁であった。
「お話はもっと長くてどきどきするものじゃなけりゃねえ」

「あるところに、お姫様とお婿様がいました。お姫様は何でもできるお人で、とびっきり上手なのは、歌でした。お婿様は貧しい農民の出で、誠実さが頼りでした。彼も、歌がうまかったけれど、とてもお姫様にはかなわない。さて、彼女の美声を噂で聞いて、各地からお殿様やお后様、若い跡取り息子たちがやってきました。皆たくさんの宝物をお姫様にくださいました。中には、息子を置いていくので、あなたの婿にしてくれないかとまで言う方もいました。姫は快くその申し出を受けました。姫君の婿様はどんどん増えていき、もう一つお屋敷を建てなければならないほどになりました。一番最初に婿入りした旦那様は、何一つ不平を言わずに、せかせかとお働きになり新しいお屋敷の建設の陣頭指揮を執っていらっしゃいました。ところが、事故が起きて、旦那様はお亡くなりになりました。お姫様はいたく悲しみ、旦那様のために墓碑をお立てになりました。そしてその他の婿殿たちに全員この墓穴に入れと命令しました。それほど、悲哀は深かったのです。婿たちは散り散りになり、もう二度と姫君のお屋敷に来なくなりました。ひとり残された姫様は呟きました、
『ああ、あの方がいらっしゃった頃はまだ良かったのに、いなくなると突然何もかもが失われてしまった。それだけ、深く深く、私があの方を愛していたということだわ。きっとそう。ああ悲しい、ただただ悲しい。』

 …また、尻切れトンボのように話がぶつ切れた。少年はおかしくなった。こんなにも中途半端な物語が、あってたまるものかと思った。桃色の仮面は自分で言っていたじゃないか、もっと長くて、どきどきする話をすると。彼は、仮面たちのお話は聞いていておもしろいものの、少し飽き出してしまった。
「あら、ここで終わりと思ってしまった?」
 桃色の仮面はまだ消えていなかった。少年ははっとして首を上げた。いまだ、驚異は続いていたのだ。
「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは川へ洗濯に行き、おばあさんは家の縁側に腰を下ろしていました。おじいさんは素敵な桃を見つけて持って帰ってきましたが、その時おばあさんは家にいませんでした。ふらっとお墓参りに行ったきり、帰らなかったのです。けれど、それは昨日の話で、おじいさんは一日中夜っぴいて洗濯していたので、おばあさんのことは忘れて桃を割ってさっさと食べてしまいました。おばあさんは沈没したお墓の穴にはまって動けなくなっていました。どうしたものかと思案していましたが、お墓の穴蔵の奥から、おういおういと呼ぶ声がします。その声が気になって、おばあさんはわざと穴の中に落ちていってみました。そこには亡者や骸骨どもがうようよいて、とても気味が悪い光景でした。ですが、亡者たちの中に、大分肉はそぎ落とされていますが見覚えのある人間を見つけました。おばあさんは大変喜びました。おばあさんは、かつてのお姫様で、一番初めの旦那様と再びここで出会うことができたのです。おばあさんはいまだ衰えないその美しい歌声で、旦那様に呼び掛けました。死んだ旦那様も昔懐かしい声で歌に応じ、二人はそろって合唱しました。それから、旦那様とお姫様はここで仲睦まじく暮らすことに決め、亡者たちもそれを歓びました。え、おじいさんは、どうしたのかって?そりゃあ勿論、その日からすっかり耄碌して、たちまちにお亡くなりになりましたとさ」
 桃色の光は消えた。少年は、自分の心臓がどくどくと脈打っているのを感じた。彼は目を瞑り、呼吸を整えようとした。満足はしないが今の物語は完結しているな、と彼は理解した。しかし、一つ前に聞いたお話とは違う、しこりが体の奥に残っていた。多分、それは幸福な結末を迎えていないからだと鉢次郎は考えた。
「へええ、へええ、小っさな子供だねえ。あたしの用意するお話についてこられるものだろうかねえ」
 次に登場したのは老婆のお面だった。奇妙にぴかぴか光り、夕暮れ時の空の色をして、物憂く沈んだ表情をしている。長い髪はばっさばさ、右左で顔の形が違っている。どうも継ぎ接ぎして作られたもののようだった。
「ははは、楽しんでいるかい、今宵はめでたいな、めでたいな、珍しく仮面どもの宴会に聞き手がいるよ。こんなにも若い、かわいらしい子供だが、めんこいなあ、めんこいなあ」
 その暗い顔つきと違い、声音は妙に明るい。耳にきんきんと痛むくらいに、飛んでいる。
「むかしむかあし、ある処に、あたしがいたんだがね。あたしの味わった悲劇のお話さ。ようく、お聞き」

「それはそれは長い嵐の続く寒い冬だった。年寄りにゃこたえる天気だった。食べ物も底をついてしまったから、こりゃいよいよお迎えが来るかもしれんと覚悟していた。ふと玄関口を見ると、いつのまにいたのか、それは可愛らしい赤いちゃんちゃんこ着た地蔵様がおった。そのお手に、たくあんとおにぎりが入っている茶巾が吊るしてあった。あたしは思わずがつがつと地蔵様の手から茶巾を奪い取って、食べ物をいただいた。はあ満腹、これはもう思い残すことがないわと、すやすやと眠った。
 明くる日は空がやっと晴れて、すがすがしい空気が小屋に入ってきたものだから、外へ出てみると、なんともいえない綺麗な光景が広がっていた。畑は真っ白く雪化粧されていて、きらきらと表面がきらめいていた。兎が飛び跳ねていて、とんとんと足跡が雪についていた。枯れた立ち木も優雅に踊る白装束の神様のようだった。あたしは感動して、お天道様にお祈りした。ああ明日も、明後日も、こんな天気が続きますようにって。あたしは蓄えを持って町に繰り出した。昨日のお地蔵様からの差し入れのお陰で、この日まで命をつないだんだなあ、嵐のせいで行けなかった市場でやっとこさ冬越しの食料を買い溜めて、帰りは馬に乗っけてもらい、楽をして戻ることにした。そしたら、道中でお地蔵様が座っていらっしゃって、雪をかぶって寒そうにしてらした。あたしは昨日のお礼にお地蔵様の雪をはらって、そのお手に茶巾で包んだたくあんとおにぎりを吊るさせてもらった。きっと、こんな風にめぐんだ分を返してもらいながら、また困っている人にめぐんであげようと雪の中行かれるのだろうと、想像しながら。お地蔵様においとまを告げて、帰ろうとしたその時、なんとあたしの心臓が止まってしまった。あっけなくお地蔵様の前であたしはあの世行きになっちまった。それ以来、あちこちふらふらと飛んでいてね、成仏できずにいるのさ。今もこうして。どうだい、驚いたかい?」

 小僧は、今度は良い話を聞いているかもしれないと思いながら、仮面のお話に耳を澄ませていたが、またも唐突な終了に、目を白黒させた。何が結末でどうして物語は終了なのだろう。小僧は不思議な面持ちで老婆の仮面を眺めた。
「ああ、でも、聞いてくれてありがとう。どうだい、あたしたちのお話は、どれも中途半端で、納得がいかないだろう。だがな、これがあたしたちの記憶であり、現実だったんだよ。結論のない、なんとも収まりのつかない煮え切らない人生を、送ってきたんだよ」
 老婆はくるくると回転し、ふっと消えてしまった。しかし、その消え方はどこか心地いいものだった。そういえば、と少年は思った。今まで消えていった仮面たちは皆気持ちのいい消え方をしていたな。
 その次に現れたのは、緑色の肌の少年仮面だった。野性的で力強く、確信に満ちたたくましい顔つきをしている。
「僕は、緑肌族の戦士。ある国で、親友との約束を果たしに旅をしているのだが、それももうすぐ終わろうとしている。この旅が終われば僕は消える。なぜなら、僕はお話に出てくる一人の主人公だからさ」

「僕は人間の国に行きたいと思ったことがある。僕は物語の中の登場人物だからさ。こうして初めてあなたの国にやってきたけれど、最近、物語の世界にとてつもない事件があってね、人間の国の住民が、僕らのことを忘れ出したというんだ。架空の世界の住人である僕らはあなたたちの想像の力で生まれているから、あなたたちが忘れ始めると、僕たちは勇気を失い知恵をなくしてしまい、自分が何者かもわからなくなってしまうんだ。でも、ある少年が僕たちを救ってくれた。彼は類まれな想像力で、僕たちの国を癒してくれた。彼こそ我が親友、僕は彼との約束を、つまりは彼があちらの世界で誕生させた空想の物語の一つ一つを完結させる約束を、担っている。あちらの世界で、すなわち僕たちの世界での、その旅は終わった。でももう一つだけ完結させなければならないお話が残っていた。それは、こちら側に、あなたたちの国にある。あなたはそれが何だかわかるかい?」
 鉢次郎は首を振った。しかし、緑色の少年仮面の話はどこかで聞いたことがあると思った。
「彼が始めたストーリーさ。僕の親友自身が始めた、生まれた時から、今生きている瞬間に至るまでの人間という物語。これを完結させなきゃならないんだ。でも、別にそれはあなたでもいい。あなたの物語を完結させてもらえないだろうか」
 唐突に話が自分に振り向けられて、男の子は慌てた。緑色の少年の目は真剣だった。
「お願いだ」
「で、でも僕は、あんたの親友とは違うし。言っていることも、何が何やらさっぱりで…」
「問答無用、だ」
 仮面はしゃしゃりと頭上に伸びて、あっというまに鉢次郎を喰らった。彼は可哀相に、泣き叫びながら、仮面の口の雷雲の渦に呑み込まれていった。しかしやがて、白い明かりが見え出したかと思うと、ばんと明るい日差し溢れる野山の山腹の台地にいた。
 隣に緑の肌の少年が立っている。彼はもはや仮面ではない。
「あちらをご覧」
 その指の示す方に、鉢次郎の大好きな子犬と、妹と、弟と、父と母と祖父母がいた。鉢次郎はぼうっとしていた。彼の家族はこちらに近寄ってきて、今まで聞いたことがないような会話を交わした。そのおしゃべりは、彼がもしこんな家族が自分にいたらと、空想したことがある台詞だった。彼は息が詰まった。全身が麻酔で打たれたように痺れた。彼らはこんな会話をしてはならない。もし本当にこんなことをしゃべっているなら、僕は彼らの家族ではなくなってしまう…。空想と現実が入れ替わり、彼は言葉にできないむごさを感じた。
「やめてくれ」
 彼は各人の口に手の平を押し当てた。すると、ぴたりと声が止まった。彼はよくよく家族を見たら、本当の家族ではなかった。それぞれが、ゆらゆらと揺れて、仮面のように硬い板が顔に乗っけられた炎の相貌を現した。彼はほっとした。その途端、間違いの家族たちは消え去って、彼はひざに力が入らなくなった。彼があぐらをかいてうつむくと、
「あなたの物語は」
 緑肌の少年が再び仮面になって、宙にきらきらと浮かびつつ、
「空想の世界にはない。現実の世界にこそあるんだ」
 と言った。

 気が付けば、農具置きの小屋に少年は戻っていた。少年の仮面はどこにもない。
「さて、私が話さなきゃならないのは」
 今度登場したのは優しげな顔の若い女性の面だった。
「空想好きの人間のお話。これはね、可哀相な話なの」

「まあ、先に結論を教えましょう。彼は、自分で創り出した、物語のとりこになってしまい、そのまま抜け出せなくて死んでしまったの。でも、これは、よくあることなの。人間は、同じ人間と暮らしていて、様々な物語を自分で創り出してしまう。相手をよく知らず、自分の勝手に想像を膨らませることは、誰だってあるでしょう。幼い頃に、知らない街並みを空想したり、好きになった異性の部屋を想像してみたり…。人間は、物事を知っていくほど、そうした空想の力は減っていく。空想するべきものがなくなっていくから。でも、その力だけは決してなくならない。空想する努力をなくしていくだけ、勘違いは勘違いで済ませてしまうだけで、自分の周りの平安があれば、何もいらなくなってしまう。小さい頃は、それは世界中に驚異が満ち溢れていたでしょう、でも、歳と共に驚くことはなくなってしまう。その時に人は、自分専用の物語を創り上げて、その中で暮らすようになっている。
 そのお話を終えることができるのは、たった一人だけ。お話を創った本人だけ。寂しくない?どうあっても死ぬ時は誰もが一人きりなのだわ。たとえ結婚しても、誰かと一緒に生きていても、相手も自分だけの物語の中に棲んでいる。孤独という寂しさは絶対に消えたりしない。でも、当然だわ。今までどれだけの数の人間が死んでいっただろう。星の数以上の人々が、寂しく儚くこの世から亡くなっていった。空想が大好きだったある人間は、このことを恐れた。彼は、死にたくなかった。自分が死なない物語を創造した。その中に閉じ籠もってしまえばいい。彼は、そうして死ななくなった。彼は死ねないから、彼が始めた物語も終了しなかった。
 いい?鉢次郎といいましたね。あなたは、どんな物語を今の自分に持っているかしら。夢溢れる、幸せな未来に突き進む物語?それとも、愛せる人との出会いを待ち望む、純愛の物語?あるいは、悲劇を考えたことがあるかしら。人生に失望して、破滅の道をとぼとぼと歩く悲しい末路を、自分自身に想像したことはある?死ぬことを恐れて、自分が死なない物語を創り出した彼は、自分が人間である筋をお話から切り離した。彼は自分が超越していたとうたった。彼は、どんな感情にも感覚にも揺さぶられず、鋼鉄のように生きることができた。彼は太陽のようにたった一つの生命体のように生きた。しかし、突如死が彼の上に舞った。彼は天命これに尽きると思い、創り出した物語の中にその魂を、するっと滑り込ませた。彼の霊はまだ生きている。気を付けなさい。そうした霊魂は、破滅的な力を持っているものだから。」

 若い女性の仮面はゆっくり消えていった。辺りはしんとして静かになった。みかんの上に刺した蝋燭の炎が少しも揺れず、まっすぐだった。鉢次郎ははっとした。ずぶ濡れの大男が、いつのまにか彼の背後に立っていた。彼は仮面ではない。正真正銘、生きている人間である。大男は猿のように鋭い眼光をあちこちに配り、鉢次郎に、黙っているよう唇に指を当てた。
「ここにおるある人物の魂は」
 大男が言った。
「寂しさゆえに、無数の性格と性質とを形作った、天才戯曲家、芝田安次郎。お前の大好きな仮面どもが、お前の居場所を教えたぞ。お前は人間を捨てた仮面だ。誰でもなくなってしまった人間だ。今までどれだけ多くの人々を狂わせてきたか。仮面に宿り、役者を操って、お前の思う通りに動かした。その猛烈な寂寥ゆえに、お前の眷属をそうして生み出した。成仏できぬ幽霊がお前の周りに無数におるのだ。もはや、お前自身が成仏せねば、眷属たちも浮かばれぬ。いい加減人に戻れ。仮面に取り憑き人を食らうな。お前はただ一人死に行く人間なのだから。お前の物語をお前が終わらせろ」
 苦しげな悲鳴が上がり、がらがらと梁から仮面が落ちた。ぼんやりした白い浮遊物がふらりふらりと現れた。明滅し色褪せて、今にも掻き消えそうであった。
「おれは終わる。もうすぐだ」
 霊は言った。
「いよいよこの手で創りし物語のすべてを、完結させられた。おれは、そのために死後も生きたのだ。おれこそ人間の悪だろう。これほど情けない人間もいまい。ああ、おれの肉体があるぞ。おれは生まれ変わったか、生まれ変わっていたのか!すると、もう二度と、死を恐れなくても済むというわけだ。なるほど、道理で、すっきりした気分だな」
 小さな光が煌々と黄色く、霊の体からするりと抜け出ると、ゆっくり鉢次郎に近づき、その額に自らを押し込んだ。その瞬間、鉢次郎にはすべてがわかった。ここで見たもの、聞いたもの、全部、彼の想像だったのだ。彼は蝋燭の火に魅入られて、催眠状態になったのだ。夢うつつになりながら、不気味に見下ろす仮面たちを、彼の思い通りに動かしていた。どこかで聞いたことのあるお話の筋を、仮面どもが語る物語に織り込み、噂は本当だったと語るために、彼は嘘をつこうとしていたのだ。だが、大男はそこにいて、ずぶ濡れのまま、少年を見下ろしていた。少年は急に恥ずかしくなった。
「誰でもない者よ」
 男は鉢次郎をじっと見据えて、その中に何か探った。
「お前の前世の安次郎は、どうやら成仏したようだ。そして、再びお前の中に取り込まれたようだ。お前は安次郎そのものなのだ。魂が分かれ、一部が逃亡し、仮面に紛れ悪さをしたが。お前は想像力が豊かであるから、二度とこんな真似はしてはならんぞ。今一度、この世に人生をやり直しているならば、なおさらだ。その力を、愛のために使え。己のためのみ使ってはならぬぞ。愛する人間たちのために、使うのだ」
 大男は戸口から出て行った。鉢次郎は崩れ落ちたお面の真ん中にいて、大男が言ったことを口の中で反芻した。愛のために使え、己のために使うな、愛する人間たちのために使え…。
 蝋燭の炎は消えた。がらがら、戸が閉められた。その日の明け方、寒々とした空が広がっていた。冬の訪れをトンビが告げた。

 鉢次郎はその後子供に読ませる児童書の作家となった。彼の類まれな空想のお話は子供たちを喜ばせた。彼らは世界中の宝だった。小さな人々を、喜ばせ本当に納得させるお話の筋の書き方を、彼はよく心得ていた。死後、彼の霊魂は荒ぶることなく、天寿全うして、安らかに、天国へ昇ったということである。
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突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

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ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

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