巨人の話

KeiSenyo

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巨人の話

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 その巨人は、氷に包まれていた。もはや周りの氷塊と同化して、彼のことを氷の巨人と表してもよかった。彼は今あんぐりと口を開けている。その口の中は洞穴のようで、真っ黒くぬるい。彼の吐き出す息は白く、その体内は外見と違って、確かな体温を持っているようだ。彼は口を開けて、獲物が飛び込んでくるのを待った。彼の大口は素敵に広がっているから、しかも中は暖かいので、間違って入ってしまう動物はいるだろう。
 彼が口に入った獲物を閉じ込めて頬張るために、下顎をがちんと上げると、彼の頬骨に乗った氷塊はぎちぎちと音を立てる。そのいくらかが落ちてくる様子は氷河が雪崩れてくる様とおんなじである。彼はいつのまにこんな氷に体を包まれていたのだろうか。彼は元々の生まれは灼熱の火山の下で、そこで溶岩を鍛えた剣を作っていた。剣はあらゆるものを溶かして両断する業物だった。彼は人間にも彼の作る武具を与えた。どんな熱にも耐えうる彼特製の鎧は、鉄砲の弾をも弾き返した。彼が火山から出て行ったのはその火山が爆発してしまい、彼の住まいが建てられるほどの大きさよりずっと小さくなってしまってからだ。彼はそれでもめげずに新天地を求めてさすらうことにした。彼は折角だから灼熱と正反対の極寒の地へ赴くことにした。彼の一歩は足裏の土を焦がした。彼の進んだ道はなぎ倒された草木と黒焦げの足跡で知れた。しかしそれも最初の内であった。彼は東北の方角へと向かい、どんどん寒い一帯に入ってくると、体内から溢れてくるほどの熱は次第に冷めていった。彼が湖の水を呑むと干上がってしまいそうになったがもはやその半分の水量が減るくらいで留まった。彼は山ほど大きかったから周囲に鳥が集まってきた。始めは熱くて触れるのもかなわなかったその体にはもう合唱団ほどの数の鳥たちが列を成していた。彼は気前の良い巨人だったから、あまり他には迷惑をかけないように注意しながら旅をしたし、寄ってくる生物には親切に応えた。時折鳥たちの声に沿って彼らのために森に向かったし、山裾から覗く来光を最も高い場所から見せてあげたりした。
 彼はいよいよ人跡未踏の、素晴らしく平坦な氷の世界をその足で分け入ろうとした。遠くからシロクマが彼を眺めたが目を点にしてなんと物珍しい訪問客かと思った。巨人といえどもこの地は過ごすのに難じるであろう。彼らの食物だった栄養のある岩石はないし、シロクマを口に放り込んだとしても満たされるはずがない。氷を食べて、生き長らえるだろうか?しかし彼はそうしてみることにした。何事もまず実験してみねばということだ。彼の舌には永久凍土の氷は美味だった。意外な食感が(岩だったらぼりぼりと噛み砕くところが氷だとがりがり、さらさらと歯に触る感触が変わった)気持ちよく、また零度以下の低温が喉ごしに爽やかな後味を残した。彼はどんどん氷を食べていった。すると、彼の体表の温度がまっすぐに水銀棒を下げていき、氷地に吹雪く白い雪を貼りつかせるようになった。こうして彼は氷を身にまとうことになったのである。彼がまとうのは雪ではなかった。彼の体内の温度までが氷点下にならず、むしろ灼熱の心臓が定期的に放熱を欲したために、雪を溶かし、氷をつくったのである。
 まあ、このように自らの体を作り変えてしまった上での弊害はある。彼は動きにくくなってしまう。当然である。氷は塊だから筋肉や関節のように自由に動けない。彼は本当に山のようにしか動けなくなってしまう。だが、動作がゆっくりになったために消費するエネルギーは小さくなり、彼は動物を食べても生き長らえられるようになった。そんなわけで、彼は大きく口を開けて、じっと獲物がその中に入るのを待つようになったのだ。

 今はもう巨人はほとんど、姿を見かけなくなってしまった。人間の数は爆発的に増えたが、彼らを抑える天敵はいなくなった。傍若無人な人間は増殖した。その中の一人が、もはや伝説上の話である氷になった巨人を打ち倒してやろうと剣を取った。彼は、貧相な武具に身を包み、果ては大陸の端まで足を伸ばしたが、目的の者はどこにもいなかった。彼はまだ巨人が動き続けているものと思っていた。
 かの巨人を見なかったのではなかった。彼だけではなく、氷の巨人は、もう姿を現していた。巨人はもはや、氷を身にまとってはいなかったが!巨人は氷塊に包まれて氷そのものになった気分だったから、今度は違うものになりたいものだと思い、大地に身を滑らしていたのである。巨人の動作は極寒の地にいた時と同じほどゆっくりだった。だから、その山が動き出してもほとんどの人間に分からなかった。巨人は山となっていた。よく観察すれば、その頂には氷が乗っているし、温泉も湧き出すので内部は灼熱が滾っているのだと分かる。彼には名前がついていた。マウント・ジャイアントと呼ばれていた。文字通り、巨人のような山だという名前だが、実はその逆であった。彼は今も動き続けている。まだまだ終生の安住の地は見つけていない。
 さて、もしかしたら、どの山も、こうしたでかい巨人たちが変身した姿ではなかろうか?彼らは実際に動き続けているし、時折怒ったように噴火もするし、その内部の灼熱の血脈が届かない、頭上には溶けない氷を乗せてもいるのだ。彼らは、ひょっとしたらすべての山であったりするのだろうか?巨人たちは案外身近に存在しているのかもしれない。我々を見下ろしているかもしれない。我々を見て、彼らは一体何を思うか?
 怒れば、恐らく火を噴くし、悲しめば、雨を送るし、我々の怒りを鎮めようとすれば、猛烈な東風を吹き降ろすし、宥めたければ、霧を生むだろう。我々は正に彼らと共に生きているのかもしれない。では我々は、彼らを見て、何を思うか?
 ただの山だと思うだろうか。それとも、明らかな生物として、その巨大な体躯に、感動するだろうか。私などたまにだが、山となった巨人を見て、涙を流した。物言わぬ彼が、こちらを見て、大きく頷くように見えた時に。彼の旅路は恐らく、偉大だ。私はそれに、きっと心打たれたのだ。
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