巨人を巡る冒険3

KeiSenyo

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巨人を巡る冒険3

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 私たちの旅の第四幕は、この地球上で最も古い場所から始まった。それは古生代の生き物たちがいる場所ではない、また堂々と聳え立つ山でもない。あの湖だった。私たちが、初めて巨人と出会った、その湖畔で、私たちはそれまでの旅の疲れをゆっくりと癒した。私たちはあれこれと想像した。私たちの、人間の巨人は、私たちに「命をくれ」と訴えたが、それはできないことを彼も私たちも知っていた。だが彼がそう訴上したことは何か重大なことを示唆していた。意志の明滅したる者がそれを望むと、多分、自分が何者か分からなくなる。相手の姿は見えるも、相手はきっと彼の映し鏡みたいになるだろう。私たちは、人間の巨人が自分を王だと名乗る、人間の一部だと考えていた。そうなることは、意志が明滅する――すなわち、「欲しがる魔物」となることだと、思った。王は何もかもが欲しくなる。彼が欲しいと思うものを、手に入れられないと不満になる。では、彼は風の巨人の言う通り、自分の子供が生まれても、そうしたがるのだろうか。「譲る」ということは、考えられないのだろうか。
 私たちは、自分に譲れない意志があることを知っている。けれど、他人の意志は、決して尊重はされてきていなかった。譲れないのは、ただ自分だけだ。その自分が、ひとたび、巨人となって現れたのが、あの時の経験だ。一体、私たちが、探していたものとはそれだったのか。そうだと思う。実際一つの結末は迎えられたのだから。だが、恵みある結末ではなかったようだ。
 というのは、何かやり果たしたという実感は二人とも持っていなかったのだ。「人間の巨人」に会うということ…それが、最後の目的ではなかったのである。私たちはこの旅を始めた最初の土地に戻ったわけだが、そこでなぜ巨人を発見できたかといえば、すべてを忘れて、ゆったりと休んだからである。これはなぜだろう、と私たちは話した。もしかしたら、巨人を探しに行くということが、必ずしも私たちの本当の目的ではなかったのではないか…?
 では最後に見つけるべき本当の答えとは一体何だろう。とりあえず、雷の巨人を解放する目的を私たちはつくった。

 彼は大地の中にいるということは分かっている。「ここから出してくれ」という彼の言葉は、少なくとも地面の上ではない。しかし、土の巨人は「彼は地上にいる」と言った。ヒントとなるのはあの赤ん坊の泣き声で、私たちは、再び激しい雷の落ちたあの場所へと戻った。
 やはり、泣き声が聞こえてくる。それも、あちこちから覆い尽くすかのように。しかし、この場所だけで、少しはずれた所へ行くと途端に声は聞こえなくなる。私たちは互いに相談して、意を決してこの場所にのみで穴を打ってみることにした。すると、ぼこっと穴が空いて、地面の下が覗き込めた。そして灯りをかざすと、水脈のようなきらきらとした揺らぎが望めた。はて、水脈というものは、地面の下で、人が想像もつかないほど広がっているものらしい。だとすると、赤ん坊の声はここであらゆる水の流れを通じて、聞こえてきたものだろうか?私たちはそう判断して、この水脈の行き着くどこかに雷の巨人がいるものと考えた。
 そこで、支援を頼んだのは水の巨人だった。彼は言葉をしゃべらなかったが、私たちの意を汲み、深く頷いてくれた。彼は私たちを乗せて(ということは、彼の背中に乗ったのだが、彼はうまく私たちを溺れさせないように水の流れを自分の体に作ってくれた)、頭上に呼吸のできる空洞のある洞窟を辿り、件の場所までやって来た。彼もまたここで土の巨人のように顔面をしかめた。私たちは大丈夫かと問うたが、彼はどうにも不安そうな面持ちだった。私たちは再び雷の巨人の声を聞いた…ごろごろと彼特有の声音だったが、今にも掻き消えそうである。私たちは急いで彼の声を辿った。彼の声は上流側から聞こえる。すると、水の巨人がひどく怯えたような、不安に苛まれた心を訴えた。私たちに、彼の体の水の流れを届けて、その感情を伝えてきたのである。私たちは土の巨人が同じような状態になって、その姿が変わってしまったことを話した。彼は頷き、それでも私たちをあの声の元まで届けると、約束した。上方かみがたへ、上方へ、水の流れを遡っていくと、確かに確実に雷の巨人の声は大きくなってきた。そこで、私たちは大きな揺れに襲われた。上に下に、左右に猛烈に揺さぶられて、さすがの私たちも命の危機を覚えた。突然、赤ん坊の泣き声がわんわんと辺りから響き始めた。
 私たちは、もしやあの巨人は水の中に閉じ込められているのではないか、と考えた。そんなことがあるだろうか。しかし、彼の声が水によって運ばれたなら、そう思うほかない。私たちを運んだ水の巨人は、水全体の長ではなかったのでそう尋ねても回答はなかったが、ゆっくりと私たちを振り向き、また頷いてくれた。どうやら確かめに行くほかないと、覚悟を決めたようだった。そして、私たちはついにかの巨人の囚われた楔打つ水の牢屋を確かめた。…確かめたのだ。だが、それはまさしく牢屋の機能を果たしていたはずなのに、牢ではない外観である。水が、四方から垂直に天井に伸びている。いいや逆だ!それは上から下に降下しているはずだ。が、私たちの目には逆流して見えている。薄紅色の岩たちが何か称えるように揺らいでいる。いや、岩などが身じろぐことがあるだろうか!しかし、それらには目があって、勝手気ままに移動できる意思ある岩たちだった。彼らが、四方に聳える水流の枠を埋めるようにひしめき合っている。そして…雷の巨人は、水の守りの真ん中にいた!彼のかたちは小さくなっていた。小さく、弱く、まるで何かに守られなければならない者に、なっていた。
 水の巨人は、改めて呻いた。彼は、私たちを地面に置いて、天井に伸び、雷の巨人を取り巻く一柱の流れになった。私たちの風の翼の剣が、光を放った。私たちは、同時にそれを手に取った。そして…水の柱を、斬った。斬ったのだ。気がつくと、私たちが、水の柱の牢獄に、閉じ込められていた。私たちは、そこで銅の巨人の声を聞いた気がした。私たちのせいで、つらい思いをしてしまったあの巨人は、こちらに「悲嘆」と「羨望」の情意をみちみちと送ってきた。私たちは、あの巨人が、もしかしたらそうした私たち自身の感情だったかもしれないと感じた。さらに、彼は治りつつあるとも。私たちの手によって、鉱脈から切り離された彼、しかし彼は銅であるのだから…切り離されても、銅こそ彼が伸張してきた地の内側の根だった。彼は、鉱脈から自然に伸びたその一部ではない。鉱脈こそ彼が育てたものだった。私たちは彼から「悲嘆」と「羨望」という彼自身の一部を、風の刃で切り離した。彼が嘆くのも当然だ。彼は自らの足で動き出すという夢を持っていた。その夢を実現させるために、私たちは彼の足元を斬ったのだが、彼はもう、その夢を忘れかけていたのかもしれない。彼の両足は、再び鉱脈と合体し始めた。彼は、「悲嘆」と「羨望」を乗り越えて…いや、食い尽くして…もう、動けぬという言葉を心に強く縫い付けてしまった。ペンダントのように、彼を飾るさりげない衣装にしてしまった。そうして彼の足は鉱脈から勝手に離れてしまうという…誰の手も借りずに自由になるという…未来の風景を、私たちは見ることができた。
 明滅した意志を、こうして私たちは斬ることに成功した。それは私たちの意志であった。私たちの経験が…そこにあったものが…明滅し光っていたのだ。それは、星のように、擦り切れた電灯のように。時々見られたものたちが、幻を残して、消えていく。当然私たちは巨人を発見できたのだ。彼らは忘れかけた私たちのかけら…まだ私たちのものになれなかった一部なのだから。さて、私たちはこれで、目的を果たしたのだろうか…?だとすれば、私たちは、水の牢獄から解放されて、私たちになれるはずだろう…。私たちは水牢に囚われた瞬間、雷の巨人そのものになっていた。彼もまた私たちの一部だった。人間の巨人だけが私たちから離れた生き物ではなかったのだ。私たちは二人してここから出してくれと訴えた…だが、それは誰に対して、だったか。水牢は一体誰がつくったものか。多分、それは私たちが、だ。その一本一本の柱が水の巨人でできているとすれば。私たちを縛るものは私たち自身なのか?ならば、どうしてもここから出ることはできないだろう。私たちは自ら囚われることを望んだのなら。しかし…銅の巨人のこれからの風景を、私たちは見つけた。彼が、自由になる情景。私たちもそれになるのか。我らもそうなっていくのか。我ら…?我らとは何だ。この二人か。この兄弟か。それとも、あらゆる巨人が我々ならば、我らは、一体誰と称せるか。
 豊かな生命がここにあることは分かる…私たちは、生きている。いや、死とともに、ある。私たちの縛された状態はいわゆる死なのか。何もできない私たちは、命から離された存在なのか。いいや違う。まったく豊かな生命が、踊っている。私たちは巨人ならば、雷も、銅も、風も炎も氷も、ここにある。私たちは明滅した意志を斬った…斬ったはずだ。しかしそれは確かに斬られたのか…?私たちは風の刃で切り落としたはずの水の柱を見つめた。いまだに上に向かって伸びている太い柱は、傷ついた跡もない。この箇所を斬りつけて、私たちは水の牢屋に閉じ込められたのだが。
 私たちは愕然とした。私たちがいる。そこに。私たちが私たちを見ている。ああ、しかし、これは前も経験したことがあった。人間の巨人に出会った時に…!
 その瞬間、絶望が転回したようだ。くるっと変わり、それは。ここで私たちの巨人を巡る冒険は終わった。終わったのだが、まだエピソードがある。そして、エピローグがある。

 この章の始めに、私たちの旅は地球上で最も古い場所から始まったと言った。その意味は、神話において混沌たる水からすべてが生まれたということではない。また私たちの旅が終わる瞬間に関わりの深い水の巨人がいたからというのでもない。私たちはそこで忘れた…忘れたことに気がついていた。我々が、巨人だったということに。
 我々は、自然の一部だ。と同時に、我々は世界をつくりつつある主体でもあるのだ。我々と、世界との関係は、深い。私たちは、旅を通じて水になったり岩になったり、炎にも氷にもなる体験をした。実際はそれらの巨人に遭遇したのだが、彼らに触れると、自ずから彼らの記憶が、私たちの間に満ちてきたのである。彼らが私たちに見せたのではない。私たちが、思い出したのだ…。だが、巨人はあくまで巨人だ。そして私たちは私たちだ。分かれていないが、分かたれている。それが、どこか貴重なこととして響くのはなぜだろうか?私たちの旅は…巨人たちの、足跡も含めた旅の路は…きっとここから始まったのだろうという感情だった。私たちと、世界との、旅の始まり。
 それはどこでもそうだった。どこでも始まりうる物語だった。そのどこでも始まりうる物語は…きっと終了する。終了という印を受ける。終了したら終わりかといえば、そうではない。それは印だ。それぞれの巨人の物語は、まだ続いている。雷の巨人はここの水牢に赤ん坊のように小さくなっている。彼はいずれ出ていく。彼はもともと大地を豊穣にするパワーなのだから、閉じ込められ続けるはずがない。彼こそ赤ん坊の泣き声を集めた…そう…あの地球なる巨人の言う通り、生まれ出ずる者しか入ることのできない彼の腹の穴の中に、巨人として闖入した者なのだ。巨人は再度誕生するのだ。その腹の中とは、私たち自身の腹の中なのかもしれない。…というと、きっと読者は混乱するだろう。巨人とは何者なのか、そして私たち人間とどう違うのか、それをはっきりと明示して語っているのではないのだから。巨人を、ただの巨大な人間だと思えば、こんな空想は鼻でせせら笑うものになってしまうだろう。だがこれは空想ではない。それに、巨人はもっと、私たち人間に近いものと感じる。きっと巨人と我々はお互いにお互いの腹の中から誕生してきたのではないか?こんなことを言うと、まったく拒絶してしまう人も勿論いるだろうが。
 とにかく…雷の巨人はその咆哮をやめれば、一時の安らぎを得るだろう。そして、純粋にこれから生まれる者として赤ん坊の姿をより明確に模っていくだろう。実際そのようになったし、彼というは、もっと人間に親しく関係の深い存在になった。彼はどこかに住まう者ではなくなり、明確にいる者になった。彼は天神として祭られることもあったし、大学の神として敬われることもあった。他の大陸ではもっと違った役割を担ったが、そのお陰で、彼は人間に近しい存在になったが巨大で揺るぎない文字通り「巨人」として親しまれるようになり、彼への理解をそれぞれの人間が深めていった。
 感謝と言う言葉を、地球なる巨人は言った。巨人は、感謝からできているらしい。…その意味が、私たちには少し分かった気がする。彼らがいて、私たちがいる。その逆も然りである。私たちは、彼らの一部で、彼らも、私たち人間の一部である。…まだまだ、発見できていない巨人の物語があるはずだ。これからも、そうした珍しい物語を拾っていくように、私たちは冒険を続ける所存である。



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