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第一章その2 ~黒鷹、私よ!~ あなたに届けのモウ・アピール編

お子様ランチは白旗を掲げる

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 基地は、極度の混乱状態にあった。

 被災者達は代わる代わる旧職員室へ駆け込んでは、移動の可否を問い合わせている。

 入り口でぶつかりながら出入りするその様は、早く子を育てようと、必死で餌を運ぶ親鳥のようにも思えた。

 なんとか家族だけでも別の避難区に入れてくれ、その分どんな労働でもするから、と懇願する男達の声が聞かれたが、だからと言って事務方には何も出来ない。

「現時点では避難区の割り振りが出ていません。とりあえず準備を進めてください。荷物は最低限にお願いします」

 そう言われた親達が、次々と項垂れながら戻って行くのだ。



 雪菜はいてもたってもいられなくなり、上層部に連絡を取った。

 何度も申請を繰り返した北四国方面隊ではなく、第5船団の軍務の最高機関たる、船団統合防衛本部にである。

 雪菜は痛みをこらえて直立し、壁掛け式の巨大モニターに正対する。

「……状況は理解したよ、鶉谷少佐。が、現時点で撤退は認められんな」

 画面に映る50代後半ぐらいの男は、淡々とそう答えた。

 痩せて色白な肌で、白髪混じりの髪を後ろに強く撫でつけている。

 モスグリーンのジャケットにはしわ1つなく、各種の勲章を示す略綬りゃくじゅリボンが並んでいたが、これは別に彼の功績を示すわけではない。単にデザイン的に寂しいという理由で飾られているだけである。

 階級上は中将にあたる彼は、そもそも軍務経験はなく、ただ船団長とのコネにより、その高い地位についているのだ。

 椅子に座るだけで莫大な報酬を得ている彼の衣服の彩りに、まるでお子様ランチの旗ね、と内心毒づく雪菜だったが……いや、お子様ランチはおいしいし、それじゃ子供に失礼だわ、と考え直した。

「既に伝えた通り、応戦して敵を足止めし、他の避難区が退避する時間を稼ぎたまえ」

「……りょ、了解しました。しかし現状の戦力では、とても5000を超える餓霊の侵攻を食い止められません。出来るだけ他の避難区の戦力を回して下さい。守備範囲が広すぎて、足止めすら不可能です」

 必死に訴える雪菜だったが、男はゆっくりと首を振った。

「増援は難しいな。先日の撤退戦から立て直しに必死なのだ」

「で、では私達だけで足止めですか!? それじゃ全滅しろと言うようなものです! それに私達の基地にも、被災者達が大勢います。彼らには移転許可が出るのでしょうか」

「まだ未定だ。決定には時間がかかるのだよ。決定すれば戦力も補強する『かもしれん』し、迎えも出せる『かもしれん』」

 雪菜は怒りを押し殺しながら食い下がった。

「ご、ご決定のめどは、何時いつごろになりますでしょうか……?」

「さてな。幕僚長達がご出張のため、なかなか連絡がつかないのだ。4~5日後ぐらいには戻られるのではないかな」

 そんなわけがない、と雪菜は思った。

 明日にも莫大な数の敵が押し寄せるというのに、統合防衛本部の長が戻らないなんてあるものか。あったとしたらお笑い草だ。

「話は終わりだ。失礼するよ」

 通信を切られるとまずいので、雪菜は慌てて叫んでしまう。

「お、お待ち下さいっ!! ……あ、し、失礼いたしました。ですがその、出来れば本部に直接お伺いしてお話させて欲しいのですが」

「…………、それは君が個人的に我々を接待するという事かね?」

「……っ!」

 予想外の言葉に、雪菜は一瞬動揺した。けれどこのチャンスを逃せば、皆が生き残る可能性はついえてしまう。

 雪菜は覚悟を決め、震える声で答えた。

「…………そっ、それで、あの子達が助かるのであれば……!」

 だが男の反応は、雪菜の予想外のものだった。

「……ふふっ、ふははははっ、大した覚悟だ鶉谷少佐。さすが元神武勲章レジェンド隊、その正義感には感心するよ」

「…………?」

 呆然とする雪菜をよそに、男は極めて愉快そうに笑みを浮かべる。

「いや、冗談を言って悪かったね。君はこうして画面で見るには麗しいんだが……分かるだろう?」

「え……?」

「君はあの戦いで、魔王の毒気を浴びてるからね。君が来ると、気にする人もいるんだよ」

 思いがけない言葉に、雪菜はうろたえた。痛む左手を押さえながら、視線を宙に泳がせる。

「……い、医師は……人には、うつらないと……」

「確定ではないし、恐れる人も多い。君はそこに居るべきだよ」

 男はそこで再び、小ばかにしたように笑みを浮かべた。

「伝説の隊の一員だから、上層部うえもお目こぼしを続けてきたがね。あまり張り切ると、周囲にも不利益が生じるよ」

「あっ、お待ち下さい!!」



 雪菜は一歩、二歩とモニターに歩み寄ったが、既に黒い鏡と化したモニターには、目を見開いた己の姿しか映っていなかった。

 命令に従おうが従うまいが、ここの若者達に生きる道は無いという事か。

「……………………」

 雪菜はゆっくりと執務机に戻り、椅子に腰掛けた。

 絶望から体の力が抜けていき、机に手を乗せて項垂れてしまう。

 左手の甲には、赤く変質してしまった逆鱗がある。かつてパイロットとして活躍した頃には、青い宝石のようだったその細胞は、今は猛り狂う人喰いの魔物となって、日々雪菜の体を蝕んでいる。

 それは分不相応の英雄に憧れ、思い上がった我が身への罰であろう。自分には何でも出来る。あの頃はそう思っていたのに……

「……司令。如何いかがいたしましょう」

 秘書官であるメガネの少女が、気を使った様子でそう言った。藍色の髪を1つに縛っており、育ちの良さそうな少女だった。

「隊員達に、単独交戦の旨を伝達いたしますか」

「…………ええ。もう一度皆を集めて。お願い」

 答える雪菜の声は、どこか他人のそれのようだった。

 あの子達の顔を見て、一体何と言えばいいのだろう?

 作戦など何も無く、ただ死という現実を突きつけるだけだ。

 ただどんなに恨まれようと、自分の命令で命を落としていく子供達がいる以上、きちんと顔を合わせて言わねばならないのだ。

 しかしその時、秘書官が焦った表情で雪菜を振り返った。

「し、司令、これを……!」

 差し出した通信端末に光る表示、それは上層部からの緊急・一斉連絡だった。

 大規模の一斉避難など、必要な時には一度も使われた事のないそのシステムは、簡素な文面で、ただ『単独での応戦を命ず』と記している。

 雪菜は思わず眩暈を覚えた。

「そ、そんな、私から言わなきゃ……端末一つでこんな事、不信感を招くわ」

「不信感で済むかどうか……やけくそになって武器を手にしなければいいんですが」

 秘書官の少女は心配そうに答えた。

「悪い噂は、すぐ増幅されますからね」
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