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8・酒とストレスと男と女

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「ほう?
 我らが、捕虜を不当に扱っていると?」
 私の嫌味に、アンダリアス将軍が眉を顰める。

「少なくとも対外的には交渉相手として呼ばれている私に、お茶の一杯も出されない事を考えても、そうとしか判断できませんもの。」
 まあ、こんな事を言ってはみたものの、別に期待してはいなかった。
 たとえ怒らせたにせよ、今この城の外で起こっている事に気付かれるよりましだと思っただけだ。 
 だが、たかが女一人と侮っていた相手が、威圧に怯えるどころか、飲み物を要求した事が意外だったのだろう。

「…ワインならばすぐご用意できますが。」
 なんか思ってたのと違う展開になった。
 けど、緊張で喉が渇いていたのは間違いない。
 ありがたく頂戴する事にする。

「いただきますわ!」
 私が速攻で頷くと、アンダリアス将軍は一瞬驚いたような表情を浮かべてから、何処からかグラスを持ってきて私に手渡した。
 傍のひと抱えの大きさのある樽を持ち上げ、それを傾けて直接注ぐ。
 …あ、この樽に描かれてるの、うちの商会のマークだ。
 ということは、ここのお城の貯蔵庫から持ってきたものだろう。
 注がれた、うっすら黄みがかった透明な液体の、その芳醇な香りを楽しみながら、グラスを傾ける。
 思った通り、最高の品質だ。
 実家うちの商品であるなら、仮にもお城に納めたものが、半端な品である筈がない。
 通は最高級のシャンピニオンのような香りと称する、しかもこの品種の葡萄に於いて最も香味がバランス良く熟成されるといわれる15年物。
 こんな時でもなければ口にする機会はない。

「…いい飲みっぷりだ。
 この国では貴族の女も酒を嗜むのか。」
 なんだろ。驚いてるのか、敬語抜けちゃったよこのひと。
 …もしかして帝国の貴族女性はワインすら飲まないのだろうか。
 こんなに美味しいのにもったいないこと。

「貴族は男女関係なく、社交界デビューを果たせばワインは解禁ですわ。
 ついでに言えば、私は平民の出です。
 そしてこのワインは、私の実家が長年取引をしている醸造所の、その中でも最高品質のものですの。
 娘の私でも、まだ人生で3度ほどしか口にした事がありません。」
「平民の娘だと!?
 それが、何故国の上層部に籍を置いている!?」
 もう完全に、申し訳程度の敬語すら忘れちゃいましたね、このオッサン。
 なるほど、ゲームではそこまで掘り下げられてなかったけど、帝国の身分制度はどうやら、この国よりも厳格であるらしい。

「スコルピオ帝国では、そういった事例はございませんの?
 戦果をあげた一般兵士が部隊長へ昇進するとか、そういった事は?」
「…確かに戦時ならば、それもありますな。
 むしろ兵士はそれがある為に命を賭ける。
 …なるほど、つまりそうか。
 貴女にとって、我々の戦に相当する戦いに勝利を収めた結果、今の地位を得られたと、そういうわけですかな。」
 適当言ったのになんだか良くはわからないが納得したようだ。
 てゆーか戦場って…まあ、出世の糸口になったあの件は、確かに対応を間違えれば密かに消されていてもおかしくなかったことを考えると、強ち間違いではないが。
 つかバアル様への誤解も併せて考えるに、この男にとって地位とは何者にも勝る価値のものであり、それが万人に共通するものであると、疑いすらしていないらしい。
 私なんかは、あの件さえ無ければ予定通り3年で神殿の花嫁修行を終えて、適当な商人の息子と見合いでもして今頃は子供の1人でも居ただろうし、そんな平凡な幸せを望んでたんだけどね…。
 平凡が一番手の届かない世界になってしまったとか、なんの罰ゲームなのって感じ。
 あ、罰ゲームじゃなくて乙女ゲーでした。
 …なんか段々ハラ立ってきた。

「…もう一杯いただけます?」
 とりあえず、飲もう。

 そして。

「だから…ねえ、ちょっと聞いてます!?」
「なんなんだこの酒癖の悪い女は!!」
 気がついたら私は、敵国の将軍に酔ってクダ巻いていた。

 ・・・

「…私だって、好きでこんな歳まで神殿勤めしてるわけじゃありませんよ。
 7年前の、あの事件さえなければ…いいえ、あの時私に月のものさえ来ていなければ…ううん、そもそも花嫁修行の為に神殿に入りさえしなければ今頃は結婚して子供のひとりやふたり…つか花嫁修行をしていて婚期を逃すとか、どんな本末転倒なのよ。
 自分で自分が信じられねえわ。
 あ、ごめんなさいおかわりいただけます?」
「…いささか、飲みすぎではないか?
 俺は不調法者ゆえ、この国のしきたりは確かに存じ上げぬが、女が酒を過ごす事が、決して良くはない事くらいはわかる。」
「飲まなきゃやってられますかっての。
 つか、こんな時ばかり女、女って。
 かず後家の地味なオバサンなんて、女だなんて思ってないくせに。」
「そのような事はない。貴女は美しい女性ひとだ。
 …正直言って、貴女が最初にここに足を踏み入れて来られた時には、創世四神の1人女神アルマが顕現なされたかと思った。」
「いや、そこまで言うと嘘くさいし。」
「嘘ではない。
 この国の基準がどうかは知らぬが、帝国の男は貴女を欲しがるだろう。
 貴女ほどの女ならば、皇帝や皇太子は無理でも他の皇子方の側室くらいにはなれようて。」
「側室は嫌ですねえ…。
 どうせならあなたがお嫁さんにしてくださいよう。」
「…済まんが、俺は乳のでかい女が好みではないのだ。
 まだ少年の頃、父の側室たちに散々言い寄られて、若干トラウマが……」
「うああぁん、デブって言われたぁ──!」
「言っとらん!!」
「ぐすっ……えぐえぐ。
 …判ってますよう。男の人はみんなそう。
 君は美人だ、大丈夫だ、まだ望みはある。
 そう言って慰めてはくれても、いざこっちが距離を詰めればみんな、自分はちょっと…って退いていくんだからぁ…。」
「あー……うん、なんかすまん。
 だ、だが貴女は地位も人望もあるし、何も結婚だけが女の幸せでは…」
「結婚したいんですうぅっ!
 みんなから慕われるよりも、たった1人に愛されたいんですよう!!
 私はもうこの年齢だし贅沢は言いません!
 せめて初婚で、私より年上で私より身長が高くて、毎日ちゃんとお家に帰ってきてくれて、マザコンじゃなく親と同居でもなく、イケメン過ぎずモテ過ぎず絶対浮気とかしない、生活に不自由せずかつ貯金もできる程度の収入が毎月一定にある、私だけを愛してくれる人なら、もう誰でもいいんですよぉう!!」
「いや充分贅沢言ってないこの子!?」
「結婚はしたいけど夫の浮気に苦労するのも、嫁姑の確執も、貧乏も絶対に嫌ですから!
 …てゆーか、誤魔化してないでさっさといでくれません!?
『シャンピニオン・スペチアーレ』の15年ものなんて、この機会を逃したら次いつ飲めるか判らないんです!」
「いやもう、ほんとに勘弁して…」
「……つ・げ。」
「……………はい。」
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