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ふしだらな狼と、二匹のネズミ
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「えっと、レネ様…‥これが俺へのお土産ですか?」
「……気に入りませんか」
レネの声が低くなった。
「まさか! レネ様がくれるものならその辺の石ころだって俺は宝物にするよ」
「小石や葉っぱを拾ってきて、わたくしにくれたのは貴方の方でしょう」
レネが懐かしそうに金色の目を細めた。今度はユシウスの顔が羞恥で赤くなった。
子供の頃の話だ。まだ狩りもできなかった幼体のときである。レネのために森で綺麗なものを集めてきては、毎日レネに『献上』していたのだ。木の実やどんぐり、ツルツルした小石や、珍しい模様の葉っぱ。ユシウスの獣人本能が、幼いなりにレネに「求愛」していたのだった。
今思うととんでもないガラクタだ。何でも手に入る、それこそ王宮で贅沢に囲まれ暮らしていたこともあるレネに、その辺に落ちてるゴミをせっせと「献上」していたなんて、思い返すと申し訳なさで顔から火が出そうだった。
「もう忘れてください!……ちゃんと捨てましたよね? 俺を揶揄うためにとっておいたりしてないですよね?」
恐々聞くと、レネはふふっ、と意味深な笑みを浮かべただけで答えなかった。
「え。レネ様? どっちなんですか!」
レネはユシウスを無視して四角い籠を乱暴にテーブルの上に放った。どん、と底がぶつかった衝撃で、中にいた二つの影は飛び上がって哀れな鳴き声を上げる。
キー、キキ―。ギー!
「レネ様、食べ物を粗末にしたら駄目ですよ」
ユシウスは森で動物を狩る時も、なるべく恐怖を与えないよう素早く仕留めるようにしている。その方が肉が柔く美味いからだ。レネに食べてもらう肉だから、狩りも調理も手は抜かない。だからレネにも、そのようにしてほしい。美味しい肉を味わってもらいたい。
レネは少し驚いたようにパチパチと瞬きした。密集した睫毛が揺れる。
「ユシウス、もしや貴方食べるつもりなのですか? これを?」
「え?」
意外な反応に、思わず手元のそれと、レネの目を交互に見やった。最後に籠を指差して問う。
「これ、そのために持ち帰ったんじゃないんですか?」
ユシウスに指差された二匹のネズミが、まるで人語を理解しているかのようにブルブル震え出した。
❖
籠の中に閉じ込められた二匹のネズミは、一匹がでっぷりと肥えたドブネズミ。もう一匹は、見た目は子供が寄ってきそうな可愛らしさだった。円らな青い目をしており、よく見れば体毛も金色に近い色をしている。黒い方のドブネズミの体格に隠れていてよく分からなかったが、ネズミとはいえ愛玩動物にする人間がいてもおかしくなさそうな見た目だ。
もしかして、とユシウスはレネを見た。
(レネ様の愛玩動物……いや、使い魔にするために捕まえたとか?)
魔法使いには動物や精霊と契約して使い魔にする者もいると聞く。
レネは籠を放り投げた後、いそいそと食事の席に戻り、大好きな腸詰をパンに挟んで、さらに野菜の染み込んだスープにちょんちょんと浸して頬張りはじめた。
可愛い。食べ方もそうだが、食べ終わったら何をされるか宣告されたのを綺麗さっぱり忘れているらしい無防備が、可哀そうで可愛い。
小さな口をもぐもぐさせているレネを横目に、もう一度生け捕りのネズミたちを眺めた。
てっきり、ユシウスへの「おやつ」かと思った。
さすがにレネ本人は、これを食べたがらないだろう。前にユシウスが捕まえた鼠を「つまみ食い」しようとしたのを目撃した時も、「それを食べた手で作った料理は食べません」と嫌そうな顔をしていた。
「レネ様、愛玩動物にするためにこいつらを捕まえてきたんですか?」
「愛玩……?」
「餌をあげて可愛がって、一緒に暮らすことです。金持ちの人間の間でそういうのが流行ってるんですって。レネ様が首輪の呪いを解除して回る前は、見た目が良い獣人を愛玩するのが貴族の遊びだったんですよ」
「餌をあげて、可愛がって、共に暮らす……」
レネは呆れたようにふぅ、と嘆息した。
「わたくしが、いつも貴方にしているのと何が違うのです?」
「俺はレネ様の家族だから愛玩動物じゃない……と、思いますけど」
レネは何故か口を噤み、探りを入れるようにユシウスをじろじろ眺めた。ユシウスは眼光の鋭さに気圧されてごくりと喉を鳴らした。何かレネの機嫌を損ねることを言っただろうか。
審判を待つように内心ひやひやしていると、やがてレネが満足そうに目を細めた。
「今のは悪くない答えでした。ふふ……わかっているなら良いのです。自分の立場を弁えていて、大変よろしい」
——危なかった。
どうやら試されていたらしい。レネの気に入る答えを返せたようでホッと安心した。
(レネ様が飽きたら捨てられるかもしれないけど、それまではずっと一緒にいさせてもらえるようになんだってしよう……どうか俺が死ぬまでお傍に置いてくださいね、レネ様)
願うついでに、気になったことを聞いてみた。
「……俺と、どっちがレネ様のお好みに合いますか?」
言いながら虫篭……ではなくネズミ籠を指差した。
レネは真面目な顔つきなった。出来の悪い生徒を見る目つきをユシウスに投げて寄越す。
「ふざけているのですか? どうしてネズミと貴方をくらべる必要が……まあいいでしょう。触り心地の良い毛並み、三角のお耳、ふさふさの尻尾、大きな肉球のついた頑丈なお手々……ふん、比べるまでもありませんね」
ユシウスは照れ照れと相好を崩した。
「レネ様のものだから、いくらでも触ってくれていいですよ!」
大きな尻尾が座った椅子の下でぶんぶんと床掃除をしてしまい、そのせいで、ふたりの周囲にはまた埃が舞い上がった。
しかし、問題は残ったままである。
このネズミたちは、一体何のためにここにいるのだろうか。
「愛玩目的ではない……となると、残るは食用?」
レネは魔法でシロフクロウに変身する。フクロウの主食はネズミだ。ユシウスの言わんとしたことを察知して、レネは不快感を露わにした。
「わたくしは人間ですよ、ユシウス。魔法使いとはいえ、食生活は至って通常です。調理され味付けされたものしか口にしません。わたくしは見ての通り美食家ですからね。その辺の輩と違って、舌が肥えているのですよ」
珍しく冗談を口にしたのだと思って「あはは」と笑ったら、レネが不気味なほど無表情になったので、慌てて咽た振りをして誤魔化した。
(だってレネ様が最初に振舞ってくれた食事って……毒の沼みたいな見た目と味だったし)
しかし本人は、どうやら美食家の自負があったようだ。
毎日口にしているユシウスの料理を「美食」だと思ってくれているのは、心から嬉しいが……。
初めて奴隷として買われた日、レネは「最初ですからわたくしが料理を作ってあげます」と言って、鍋に得体の知れない、禍々しく、どろどろした粘液状のスープに似た何かを生成してくれた。意を決して口に入れた瞬間、ユシウスは意識を失くして倒れた。
懐かしい思い出だ。レネはあれ以来料理をしないが、多分腕は上がっていないと思う。自分がいる間はレネのために毎日料理すればいいだけなので別に構わないが。
「これは貴方が喜ぶだろうと思って、首輪の解呪に行った先の屋敷から持ち帰って来たのです」
レネはにっこりと笑って、白い指で籠の天井を叩いた。
「煮るなり焼くなり、貴方の好きになさい」
……やっぱり食べろということじゃないか。ユシウスはレネの持って回った言い方に首を捻った。
「飼い殺しにしても構いませんよ。出口のない永久迷路を作って上からふたりで眺めましょうか。嘘の出口を教えて延々と走らせてやるのもいいですねぇ。それとも、瓶の中に閉じ込めて川に流して……ああ、猫をけしかけてやるというのも面白そうですね」
レネはふふ、と機嫌よく笑う。ユシウスは指先まで石になったように固まっていた。
「どれにしましょうか、ユシウス。貴方の好きにしていいのですよ?」
「……」
背中にひやりとした何かが這うのを感じながら、ユシウスは慎重に口を開いた。
「レネ様はこいつらが嫌いなんですか? 別に名前を付けて可愛がる必要なんて俺もないと思うけど、でも、どうしてそんな」
——残酷なこと。
最後まで言えなかった。
ネズミだろうが何だろうが、レネが生き物を可愛がるのは嫌だ。ユシウス以外を可愛がってほしくない。自分だって、ただでさえ寿命が短くてレネに飽きられたらそこで終わりのちっぽけで取るに足りない命なのだ。生きている間だけでもレネをずっと独占していたいと思うのは、いけないことだろうか……そんなに贅沢なことだろうか。
……かといって、こんなのはレネらしくない。
レネは森の生き物を可愛がったりはしないし、ユシウスが狩った獲物を美味しそうに食べてくれる。そもそも、森の大型動物はレネの気配を恐れて近寄ってさえこないのだ。
レネは野生動物に対して強者の無関心を静かに纏うのみで、こんな風に小さな獣を虐めて悦ぶ趣味はなかったはずだ。少なくとも、ユシウスの知る限りは。
もしかしてレネは退屈しているのかもしれない。隷属の首輪を解呪して回るのは「趣味」「暇つぶし」だとレネは言っていた。この国を出ていくまでの、暇つぶし。並の魔法使いが寝る間を惜しんでやっと解呪する魔法も、レネの前では児戯に等しいという。
何件も解呪をこなすうちに飽きて、レネらしくもない変な「遊び」がしたくなったんだろうか。
(……どうせ遊ぶなら、俺と「もっと楽しいこと」をして遊んだらいいのに)
「名前ですって?」
レネは小首を傾げた。どうしてそんなことを聞くのかと問うように、不思議そうにユシウスを見つめる。
「名前ならもうあります。新しくつける必要はありませんよ」
「……レネ様が付けたんですか?」
わざわざ名前を付けて、いたぶるなんて。ますますもって、意味がわからない。
「わたくしが? いいえ、まさか。誰だって最初から自分の名前があるものでしょう」
「でも、俺の名前はレネ様が付けてくれましたし」
(俺に名付けてくれたみたいに、他の動物にも名前をやるなんて嫌だ……!)
レネはハッとした様子で、「そうでしたね」とユシウスの顎の下を撫でた。レネに触ってもらえた嬉しさで、ぐるるるる、と勝手に喉の奥が鳴った。
「そんなに喉を鳴らして……貴方ときたら、本当にわたくしのことが好きですねぇ」
奴隷だった頃、奴隷小屋の主人には「薄汚い毛玉」と呼ばれていた。同じ奴隷で見た目が愛らしいラミアという獣人には「ノロマ」と嘲笑われ、蹴ったり殴ったりされた。
「ユシウス」はレネが付けてくれた名前だ。レネリウスと似た響きの名前。ユシウスの獣生の中で、レネの次に大事な宝物だ。
「心配せずとも、わたくしが名前を付けて差し上げるのは貴方だけですよ。この先もずっとね。名前を授けられたからには、一生わたくしから離れて生きていけないのですからね」
ユシウスはうっとりとレネの手に頬ずりした。
「それって……すごく幸せですね、レネ様」
「ふふ、分かればよろしい。それにしても察しの悪い子ですねぇ。まだ気付きませんか?」
レネは内緒話をするようにひそひそと、声を潜めた。金色の目は悪戯っぽさを宿している。
「思い出しませんか? あの頃はまだ子供でしたから、自分を虐めた連中の名前なんて忘れてしまいましたか?」
「……、……え?」
レネの甘い言葉にぼうっと幸福に浸っていたユシウスは、一拍遅れてやっと聞き返した。
脳裏に過去の記憶が蘇る。
自分を「毛玉」と吐き捨て、数々の獣人を売り飛ばし、ろくに餌も与えずこき使った奴隷小屋の主人。たしか、黒い髪に無精ひげを生やしていた。だらしなく突き出た腹をしていたような気もする。
ユシウスは口を半開きにしたまま、小さい方のネズミを見下ろした。小ネズミの棲んだ青空のような青い目と、目が合った……ような気がした。
——まさか。
ユシウスの凍りついた表情を見て、何が可笑しいのか、レネはくすくすと口元に手を当てて笑った。
ネズミ籠の上に頬杖をついて、ユシウスに愛情のこもった目を向ける。
「大事な大事な、わたくしのユシウス。旅立ち前の夜にふさわしい餞別でしょう? さあ、一緒に何をして遊びましょうか」
「……気に入りませんか」
レネの声が低くなった。
「まさか! レネ様がくれるものならその辺の石ころだって俺は宝物にするよ」
「小石や葉っぱを拾ってきて、わたくしにくれたのは貴方の方でしょう」
レネが懐かしそうに金色の目を細めた。今度はユシウスの顔が羞恥で赤くなった。
子供の頃の話だ。まだ狩りもできなかった幼体のときである。レネのために森で綺麗なものを集めてきては、毎日レネに『献上』していたのだ。木の実やどんぐり、ツルツルした小石や、珍しい模様の葉っぱ。ユシウスの獣人本能が、幼いなりにレネに「求愛」していたのだった。
今思うととんでもないガラクタだ。何でも手に入る、それこそ王宮で贅沢に囲まれ暮らしていたこともあるレネに、その辺に落ちてるゴミをせっせと「献上」していたなんて、思い返すと申し訳なさで顔から火が出そうだった。
「もう忘れてください!……ちゃんと捨てましたよね? 俺を揶揄うためにとっておいたりしてないですよね?」
恐々聞くと、レネはふふっ、と意味深な笑みを浮かべただけで答えなかった。
「え。レネ様? どっちなんですか!」
レネはユシウスを無視して四角い籠を乱暴にテーブルの上に放った。どん、と底がぶつかった衝撃で、中にいた二つの影は飛び上がって哀れな鳴き声を上げる。
キー、キキ―。ギー!
「レネ様、食べ物を粗末にしたら駄目ですよ」
ユシウスは森で動物を狩る時も、なるべく恐怖を与えないよう素早く仕留めるようにしている。その方が肉が柔く美味いからだ。レネに食べてもらう肉だから、狩りも調理も手は抜かない。だからレネにも、そのようにしてほしい。美味しい肉を味わってもらいたい。
レネは少し驚いたようにパチパチと瞬きした。密集した睫毛が揺れる。
「ユシウス、もしや貴方食べるつもりなのですか? これを?」
「え?」
意外な反応に、思わず手元のそれと、レネの目を交互に見やった。最後に籠を指差して問う。
「これ、そのために持ち帰ったんじゃないんですか?」
ユシウスに指差された二匹のネズミが、まるで人語を理解しているかのようにブルブル震え出した。
❖
籠の中に閉じ込められた二匹のネズミは、一匹がでっぷりと肥えたドブネズミ。もう一匹は、見た目は子供が寄ってきそうな可愛らしさだった。円らな青い目をしており、よく見れば体毛も金色に近い色をしている。黒い方のドブネズミの体格に隠れていてよく分からなかったが、ネズミとはいえ愛玩動物にする人間がいてもおかしくなさそうな見た目だ。
もしかして、とユシウスはレネを見た。
(レネ様の愛玩動物……いや、使い魔にするために捕まえたとか?)
魔法使いには動物や精霊と契約して使い魔にする者もいると聞く。
レネは籠を放り投げた後、いそいそと食事の席に戻り、大好きな腸詰をパンに挟んで、さらに野菜の染み込んだスープにちょんちょんと浸して頬張りはじめた。
可愛い。食べ方もそうだが、食べ終わったら何をされるか宣告されたのを綺麗さっぱり忘れているらしい無防備が、可哀そうで可愛い。
小さな口をもぐもぐさせているレネを横目に、もう一度生け捕りのネズミたちを眺めた。
てっきり、ユシウスへの「おやつ」かと思った。
さすがにレネ本人は、これを食べたがらないだろう。前にユシウスが捕まえた鼠を「つまみ食い」しようとしたのを目撃した時も、「それを食べた手で作った料理は食べません」と嫌そうな顔をしていた。
「レネ様、愛玩動物にするためにこいつらを捕まえてきたんですか?」
「愛玩……?」
「餌をあげて可愛がって、一緒に暮らすことです。金持ちの人間の間でそういうのが流行ってるんですって。レネ様が首輪の呪いを解除して回る前は、見た目が良い獣人を愛玩するのが貴族の遊びだったんですよ」
「餌をあげて、可愛がって、共に暮らす……」
レネは呆れたようにふぅ、と嘆息した。
「わたくしが、いつも貴方にしているのと何が違うのです?」
「俺はレネ様の家族だから愛玩動物じゃない……と、思いますけど」
レネは何故か口を噤み、探りを入れるようにユシウスをじろじろ眺めた。ユシウスは眼光の鋭さに気圧されてごくりと喉を鳴らした。何かレネの機嫌を損ねることを言っただろうか。
審判を待つように内心ひやひやしていると、やがてレネが満足そうに目を細めた。
「今のは悪くない答えでした。ふふ……わかっているなら良いのです。自分の立場を弁えていて、大変よろしい」
——危なかった。
どうやら試されていたらしい。レネの気に入る答えを返せたようでホッと安心した。
(レネ様が飽きたら捨てられるかもしれないけど、それまではずっと一緒にいさせてもらえるようになんだってしよう……どうか俺が死ぬまでお傍に置いてくださいね、レネ様)
願うついでに、気になったことを聞いてみた。
「……俺と、どっちがレネ様のお好みに合いますか?」
言いながら虫篭……ではなくネズミ籠を指差した。
レネは真面目な顔つきなった。出来の悪い生徒を見る目つきをユシウスに投げて寄越す。
「ふざけているのですか? どうしてネズミと貴方をくらべる必要が……まあいいでしょう。触り心地の良い毛並み、三角のお耳、ふさふさの尻尾、大きな肉球のついた頑丈なお手々……ふん、比べるまでもありませんね」
ユシウスは照れ照れと相好を崩した。
「レネ様のものだから、いくらでも触ってくれていいですよ!」
大きな尻尾が座った椅子の下でぶんぶんと床掃除をしてしまい、そのせいで、ふたりの周囲にはまた埃が舞い上がった。
しかし、問題は残ったままである。
このネズミたちは、一体何のためにここにいるのだろうか。
「愛玩目的ではない……となると、残るは食用?」
レネは魔法でシロフクロウに変身する。フクロウの主食はネズミだ。ユシウスの言わんとしたことを察知して、レネは不快感を露わにした。
「わたくしは人間ですよ、ユシウス。魔法使いとはいえ、食生活は至って通常です。調理され味付けされたものしか口にしません。わたくしは見ての通り美食家ですからね。その辺の輩と違って、舌が肥えているのですよ」
珍しく冗談を口にしたのだと思って「あはは」と笑ったら、レネが不気味なほど無表情になったので、慌てて咽た振りをして誤魔化した。
(だってレネ様が最初に振舞ってくれた食事って……毒の沼みたいな見た目と味だったし)
しかし本人は、どうやら美食家の自負があったようだ。
毎日口にしているユシウスの料理を「美食」だと思ってくれているのは、心から嬉しいが……。
初めて奴隷として買われた日、レネは「最初ですからわたくしが料理を作ってあげます」と言って、鍋に得体の知れない、禍々しく、どろどろした粘液状のスープに似た何かを生成してくれた。意を決して口に入れた瞬間、ユシウスは意識を失くして倒れた。
懐かしい思い出だ。レネはあれ以来料理をしないが、多分腕は上がっていないと思う。自分がいる間はレネのために毎日料理すればいいだけなので別に構わないが。
「これは貴方が喜ぶだろうと思って、首輪の解呪に行った先の屋敷から持ち帰って来たのです」
レネはにっこりと笑って、白い指で籠の天井を叩いた。
「煮るなり焼くなり、貴方の好きになさい」
……やっぱり食べろということじゃないか。ユシウスはレネの持って回った言い方に首を捻った。
「飼い殺しにしても構いませんよ。出口のない永久迷路を作って上からふたりで眺めましょうか。嘘の出口を教えて延々と走らせてやるのもいいですねぇ。それとも、瓶の中に閉じ込めて川に流して……ああ、猫をけしかけてやるというのも面白そうですね」
レネはふふ、と機嫌よく笑う。ユシウスは指先まで石になったように固まっていた。
「どれにしましょうか、ユシウス。貴方の好きにしていいのですよ?」
「……」
背中にひやりとした何かが這うのを感じながら、ユシウスは慎重に口を開いた。
「レネ様はこいつらが嫌いなんですか? 別に名前を付けて可愛がる必要なんて俺もないと思うけど、でも、どうしてそんな」
——残酷なこと。
最後まで言えなかった。
ネズミだろうが何だろうが、レネが生き物を可愛がるのは嫌だ。ユシウス以外を可愛がってほしくない。自分だって、ただでさえ寿命が短くてレネに飽きられたらそこで終わりのちっぽけで取るに足りない命なのだ。生きている間だけでもレネをずっと独占していたいと思うのは、いけないことだろうか……そんなに贅沢なことだろうか。
……かといって、こんなのはレネらしくない。
レネは森の生き物を可愛がったりはしないし、ユシウスが狩った獲物を美味しそうに食べてくれる。そもそも、森の大型動物はレネの気配を恐れて近寄ってさえこないのだ。
レネは野生動物に対して強者の無関心を静かに纏うのみで、こんな風に小さな獣を虐めて悦ぶ趣味はなかったはずだ。少なくとも、ユシウスの知る限りは。
もしかしてレネは退屈しているのかもしれない。隷属の首輪を解呪して回るのは「趣味」「暇つぶし」だとレネは言っていた。この国を出ていくまでの、暇つぶし。並の魔法使いが寝る間を惜しんでやっと解呪する魔法も、レネの前では児戯に等しいという。
何件も解呪をこなすうちに飽きて、レネらしくもない変な「遊び」がしたくなったんだろうか。
(……どうせ遊ぶなら、俺と「もっと楽しいこと」をして遊んだらいいのに)
「名前ですって?」
レネは小首を傾げた。どうしてそんなことを聞くのかと問うように、不思議そうにユシウスを見つめる。
「名前ならもうあります。新しくつける必要はありませんよ」
「……レネ様が付けたんですか?」
わざわざ名前を付けて、いたぶるなんて。ますますもって、意味がわからない。
「わたくしが? いいえ、まさか。誰だって最初から自分の名前があるものでしょう」
「でも、俺の名前はレネ様が付けてくれましたし」
(俺に名付けてくれたみたいに、他の動物にも名前をやるなんて嫌だ……!)
レネはハッとした様子で、「そうでしたね」とユシウスの顎の下を撫でた。レネに触ってもらえた嬉しさで、ぐるるるる、と勝手に喉の奥が鳴った。
「そんなに喉を鳴らして……貴方ときたら、本当にわたくしのことが好きですねぇ」
奴隷だった頃、奴隷小屋の主人には「薄汚い毛玉」と呼ばれていた。同じ奴隷で見た目が愛らしいラミアという獣人には「ノロマ」と嘲笑われ、蹴ったり殴ったりされた。
「ユシウス」はレネが付けてくれた名前だ。レネリウスと似た響きの名前。ユシウスの獣生の中で、レネの次に大事な宝物だ。
「心配せずとも、わたくしが名前を付けて差し上げるのは貴方だけですよ。この先もずっとね。名前を授けられたからには、一生わたくしから離れて生きていけないのですからね」
ユシウスはうっとりとレネの手に頬ずりした。
「それって……すごく幸せですね、レネ様」
「ふふ、分かればよろしい。それにしても察しの悪い子ですねぇ。まだ気付きませんか?」
レネは内緒話をするようにひそひそと、声を潜めた。金色の目は悪戯っぽさを宿している。
「思い出しませんか? あの頃はまだ子供でしたから、自分を虐めた連中の名前なんて忘れてしまいましたか?」
「……、……え?」
レネの甘い言葉にぼうっと幸福に浸っていたユシウスは、一拍遅れてやっと聞き返した。
脳裏に過去の記憶が蘇る。
自分を「毛玉」と吐き捨て、数々の獣人を売り飛ばし、ろくに餌も与えずこき使った奴隷小屋の主人。たしか、黒い髪に無精ひげを生やしていた。だらしなく突き出た腹をしていたような気もする。
ユシウスは口を半開きにしたまま、小さい方のネズミを見下ろした。小ネズミの棲んだ青空のような青い目と、目が合った……ような気がした。
——まさか。
ユシウスの凍りついた表情を見て、何が可笑しいのか、レネはくすくすと口元に手を当てて笑った。
ネズミ籠の上に頬杖をついて、ユシウスに愛情のこもった目を向ける。
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