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『君の知らない魂の記憶』

021 『Mute』

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「お待たせしました」

 ユウラたちが右殿に着くと、宮城ヒロが用意したであろう神主のような袴を着たアンドロイドが笛を吹き、昔ながらの日本の伝統を感じさせる音色が響き渡っていた。

 新郎新婦席に座る二人は、にっこりと微笑みながら振り返った。

「やはり似合っているね。ルカさんも巫女姿がとても似合っているね」
「ええ、とてもよく似合っているわ。私たちのためにありがとうございます」

 ようやく声を発したユキは、とても上品で育ちの良さが伝わってくる。

「えへへ。お兄ちゃん、似合ってるって!」

 誉め言葉に俄然テンションが上がったルカは、嬉しさと照れくささからポッと頬を赤らめてはしゃいでいる。

「本当に似合ってるよ。良かったな」

 ユウラはルカの頭を撫でてあげた。

「俺たちはどうしたら良いですか?」
「僕が今から誓詞を読み上げるから、それ聞いていてくれるかな」
「わかりました」

 時間が差し迫っていることもあり、祝詞と修祓、三三九度を終えていた宮城ヒロたちは神前に誓う誓詞を読み上げる。ユウラは、神前に向かって右側の参列者の席に座り、ルカは左側の参列者の席に座り誓詞を聞くことにした。新郎新婦の二人は席を立つと、神前に設置された玉串案の前に立ち並び、蛇腹状に折りたたんだ紙を広げた。

「誓詞。この良き日を選び、明治神宮の大前を拝し、婚姻の礼を行う。今より後、互いに敬愛の心を尽くして、一家を整え、苦楽を共にし、終生変わらず願わくば、幾久しく守り導き給え。ここに謹みて誓詞を奉る。誠怜27年9月1日、宮城ヒロ」
「ユキ」

 誓詞を読み上げると、再び新郎新婦の席へ戻っていった。

「ルカさん。君の左側に置いてある指輪を持って来てくれるかい」

 ルカが左側の台座に目をやると、ダイヤモンドが美しい輝きを放つ結婚指輪が二つ置かれていた。

「これですね!」

 指輪を手に取ると、二人のもとへ持って行った。

「どうぞ!」
「ありがとう」

 指輪を受け取ると、ユキの白くか細い左薬指にスッと指輪をはめ、ユキも続いて宮城ヒロの男らしい薬指に指輪をはめた。

「ルカさん。あとは、神前で寿の舞を踊ってくれるかい?」
「なんですかそれ?」
「僕らの結婚を祝うための踊りだよ。このメモリーチップに寿の舞のデータが入っているから、データを取り込めば簡単に踊れるようになるよ」

 ルカはそのメモリーを受け取ると、一度ユウラの目を見て取り込んでいいものかと確認をした。宮城ヒロから直接渡されたそれがルカに悪影響を及ぼさない保証はなかったが、自らの結婚式を台無しにするようなことをするはずがないと、ユウラは静かに頷いた。

「……寿の舞のデータをインストールします!」

 メモリーチップを左首筋にあるメモリースロットに挿入すると、インストールが始まった。データ容量はそれほど多くなかったため、10秒程度でインストールが完了。

「なるほどです! 神楽、寿の舞をインポートしました! 宮城ヒロさん、鈴はありますか?」
「指輪を置いてあった台座の側に立ててあるよ」
「ありがとうございます!」

 ルカがたくさん鈴の付いた棒を手に取ると、タイミングを見計らっていたようにアンドロイドが笛を奏で始めた。その音色に合わせて、神前へと階段を上がり、ルカは舞い始めた。

 神楽、寿の舞は昭憲皇太后の歌に曲を加え、その曲に合わせて舞う女舞である。この舞は、昭憲皇太后を御祭神として奉っている明治神宮で行われる神前式に用いられる伝統的な舞だ。

 ルカは、笛の音に合わせて、神前に向かい祈りを捧げる。ゆっくりと両手を広げ、振袖を揺らめかせ、時折り掲げた神楽鈴を鳴らしながら緩やかに舞う姿は、流麗の一言に尽きる。

 宮城ヒロを始め、参列席で見ていたユウラも任務のことを忘れてしまうほどの美しい舞に見惚れていた。

 踊り終えたルカは、神前から降りてくると新郎新婦の席へと歩み寄り、二人の前で鈴を鳴らす。

 右から左、左から右、また右から左へと小刻みに鈴を揺らしながら鳴らし、最後に正面で一度手首のスナップを利かせて『シャンッ』と鳴らし一礼した。

「ありがとう。とても美しい舞だったよ」
「ありがとうございます」

 二人は美しい舞を披露したルカに礼を言った。その後、神前での結婚式を一通り済ませた宮城ヒロは、黙って二人の姿を見守り続けたユウラのもとへ歩み寄った。

「吾妻ユウラ君。君のおかげでユキとの約束を果たすことができた。心から感謝するよ」
「別に礼を言われるようなことはしていないですよ。俺はただ見ていただけですから」
「いや、僕たちにとって誰かに見届けてもらうというのは、とても大切なことなんだ。本当にありがとう」

 成り行きとはいえ、結婚式を見届けただけのユウラだったが、愛する人との約束のために死力を尽くした格好の良い、尊敬に値する男のように思えた。

 しかし、宮城ヒロの目的と事件については全く別の話。結婚式を終え、目的を果たしたであろう宮城ヒロには、色々とやってもらわなければならないことがあると、ユウラは深呼吸をして本題を切り出した。

「俺も宮城さんとの約束は果たした。だから、約束通り《BLACK》についての情報を話してもらう」
「そうだね。約束は守ろう。君たちの探している《BLACK》だが、彼はコールドスリーパーだ」
「コールドスリーパー?」
「彼は100年前の2007年に冷凍睡眠装置で保存されていた人間なんだ」
「冷凍睡眠って、蘇生可能だったのか……」

 ユウラは愕然とした。冷凍睡眠は、不治の病とされていた病気を治療するため、将来の医療や科学の発展に期待する人々が一度全身の血を抜き、仮死状態で冷凍保存されるものだが、蘇生され普通に生活している事例は未だにないはずだった。

「実際のところ、50年前に一度蘇生されていてその時に《Alice》を完成させているんだ。つまり、《Alice》の生みの親は《BLACK》と言うことになるね」
「じゃあ、あの事件で使用された刃物はその時にクラフトされたものってことなのか」
「そこは僕も知らないけど、僕は《未來ミナ》のダミーを作っただけでそれ以外は何もしていないから、恐らくそうなんだろうね」
「ちょっと待ってください。さっき50年前に一度蘇生されたって言いましたよね。ってことはまた冷凍睡眠に入って、現代で蘇生されたってことですか?」
「そうだね。ただ、二度目の冷凍睡眠にはかなりのリスクがあったみたいで、体の回復も含めて20年前に二度目の蘇生を行なっている。彼の頭で思い描いていた技術を再現するには、まだ色々と足りなすぎたんだ。だから、彼は自分の頭脳に世界が追いつくまで待っていた」
「《BLACK》は一体、何をしようとしているんですか?」
「それは僕にも分からない。ただ、彼は優秀過ぎる。僕たちとは違う次元で物事を考えていることは確かだ。あの大量殺人も、彼の考える研究に必要だったのかもしれない」
「もしかして、完全なるヒューマノイドというやつですか?」

 その問いに、険しい表情になる宮城ヒロ。

「……ここから先を聞く、覚悟はあるかい?」

《BLACK》の関する何か重大な情報を話そうとしているのだと、ユウラは固唾を飲んだ。

「……大丈夫です。何が起ころうとも、覚悟はできてますから」
「そうじゃない。君がクラフターとして魂の研究をしている以上、今から話すことを受け入れる覚悟が必要だと言っているんだよ」
「受け入れる覚悟って……」
「これから、話すことは君にも深く関係することだ」

 そう言われると、本当に聞いて良いことなのだろうかと、少し怖くなるユウラだったが、核爆発までの時間を考えても迷っている暇はない。

「……聞かせてください」

 意を決したユウラは、その場で胡座あぐらをかき全てを聞き入れる態勢を整えた。

「よく聞いて考えて欲しい。《BLACK》は、50年前に感情を持つアンドロイドを生み出した。それから長い歳月を掛けて《Alice》が人々の生活に馴染み必要不可欠な存在になり、50年の時を経て彼は目覚めた。彼の作り出した《Alice》が日本中の誰もが持つ時代になってからだ。君は、一度も疑問に思ったことはないかい? 僕たちは考え、行動することができる。それなのに、なぜ人間の真似事をする《Alice》が必要なのかと」
「それは……」

 その問い掛けに、ユウラは答えることが出来なかった。と、いうよりも今まで疑問に思ったことなど、一度もなかった。ユウラが物心ついた頃から《Alice》は存在し、それが普通の事だと思っていた。しかし、その普通はAliceが誕生する以前では考えられないことだった。

 人々は生活を豊かにするために様々なものを生み出し、自らの意思で考え行動するための補助として、それらを使ってきた。だが、生活をする上で《Alice》は優秀すぎるほどにすべてをこなしてしまう。結果として、人が考え行動することが、徐々に減ってきている。

 ユウラは、《Alice》がいる現状が異常なことなのではないかと思い始める。そして、至る一つの答え。

「まさか、今俺たちが普通だと思っている状況は、すべて《BLACK》の思い描いた通りになっていると言うことですか……?」
「そう。目覚めるタイミングも、眠っている間にどこまで発展させるのかも、すべてが計算のうち。彼とって、人間も《Alice》もこの世のすべてが己が野望を叶えるための道具に過ぎないということだよ。さっきも言ったが、彼の考えることは次元が違いすぎる。僕らがいくら考えようと、彼には到底及ばない」

 すべてが《BLACK》の手の内なのだとしたら、ユウラたちは想像を超える人物を相手にしていることになる。

 このままでは、核爆発を防いだとしてもそれ以上の脅威が残されてしまう。

 嫌な汗が頬を伝い、ユウラは全身から血の気が引いていくのを感じた。

「宮城さん。《BLACK》がどんな人間で何を考えているのかは、もうどうでもいいです。一刻も早く、捕まえなければ俺たちはずっと《BLACK》に操られ続けることになる。だから、教えてください。《BLACK》は、誰なんですか?誰なのか教えてください」

 誰なのか。それこそが、宮城ヒロがユウラに話す内容で、受け入れてもらわなければならないことのすべて。

 宮城ヒロは、少し躊躇いながらも、言う。

「……彼は、君の——」

 そう言いかけた瞬間、白い閃光が奔った。銃声はない。ただ一瞬だけ見えたそれは、寸分の狂いもなく宮城ヒロの眉間を打ち抜いた。血が流れることはなく、傷口からゆっくりと全身に向かって、宮城ヒロの体が白い光を放っていく。

 ——な……何だ……これ。

 何が起きたのかと、見ていることしかできないユウラの目の前で、辛うじて人としての原型を留めていた宮城ヒロの体が、霧のように細かく分解され、崩れゆく姿は、季節外れの雪が舞い散るが如く。

「ヒ……ロ? 嘘……でしょ、ねえ、ヒロ。……嘘よね。イヤ……嫌ぁぁぁあああ‼︎」

 目を疑うユウラの耳に、愛するものを目の前で失ったユキの悲痛の叫びだった。
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