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第1章:偽聖女の烙印
1-1:神聖原液の完成
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ひやりとした空気が肌を撫でる。
王宮の最奥、陽の光さえ届かぬ一室に設けられた「神聖薬草院」の工房。そこは、地表深く掘られた石造りの部屋であり、湿気と土の香りの奥に、濃厚な薬草の匂いが幾層にも重なり、独特の結界のような緊張感を生み出していた。壁には窓がなく、光源は天井から垂れ下がる小さな魔導ランプと、実験台の蒸留器の下で揺らめく微かな炎だけだ。
「あと少しね」
ルシルは、作業着である実用的なワンピースの上に白衣を纏い、細い銀の匙を握りしめていた。三日三晩、寸暇を惜しんで続けた調合作業は、今、その最終局面に到達していた。
目の前にあるのは、特注のガラス製蒸留器。その内部で、王国の最奥地に自生するSランク薬草――微かな魔力を持つ雫を湛えた『星涙草』の濃縮エキスが、ゆっくりと濾過されている。
彼女は深く息を吐き、魔力を集中させた。ルシルの魔力は、派手な「光の癒し」とは無縁の、極めて繊細で中立的な性質を持っていた。それは、薬草の活性を極限まで高め、調合の不純物を一切取り除くために存在する。
微かに掌が青白い光を放ち、蒸留器を包む。温度を、圧力を、ほんの一瞬、完璧な数値に固定する。
チリチリ、と、魔力と薬液が反応する微かな音が耳に届いた。
そして、一筋の琥珀色の液体が、慎重に用意された小さなガラス瓶へと滴り落ちた。
「できた」
ぽつりと漏れた呟きは、棚に並ぶ無数のガラス器具に吸い込まれて消えた。
ルシルは、目の前にある小さなガラス瓶を見つめていた。その液体は、ただのポーションとは比べ物にならない、超高純度の輝きを放っている。わずか一滴の中に、王国騎士団長フェリクス様の「呪い」を解くための、膨大な治癒魔力が凝縮されていた。それこそが、国家の生命線である『神聖原液(エリクサー)』だった。
三日三晩、睡眠は細切れの仮眠のみ。もはや体は疲労の限界を超えていたが、この世で最も難度の高い調合を成功させた安堵感が、それを遥かに上回った。全身の筋肉が緩み、張り詰めていた肩の力が抜ける。
(間に合った。これで、フェリクス様は助かる。そして、この原液を希釈すれば、最前線の騎士団のポーションの備蓄も補充できる)
ルシルの仕事は、単に目の前の人間を助けるだけでなく、王国の防衛力そのものを維持することでもあった。この事実は、婚約者である王太子ジェラルド様さえも十分に理解していない、最高機密である。
婚約者である王太子ジェラルド様の役に立てる。
『聖女』として、国に尽くすことができる。
その事実が、ルシルの疲れた心に、工房の微かな炎よりも温かい光を灯した。
彼女の仕事は、地味だ。
王家に仕える伯爵令嬢でありながら、彼女が纏うのは流行のドレスではなく、汚れてもいい実用的なワンピースと、その上に羽織った「神聖薬草院」の白衣のみ。
彼女の功績は、常に陰に隠され、誰にも知られることはない。世間が想像する「聖女」とは、ほど遠い姿だろう。
世間が「聖女」と聞いて思い浮かべるのは、きっと異母妹のアデリーナのような存在だ。
陽光のように明るい金の髪。純白のドレス。そして、派手な「光の癒し」の魔術を操り、王太子の隣で華やかに微笑む妹。
それに比べ、ルシルの「聖女」としての役目は、この秘密の工房で、国の生命線であるポーションの原液を精製すること。その事実は王家とごく一部の上層部しか知らない、国家の最高機密である。
(アデリーナは、今頃殿下と何を話しているのかしら)
ふと過った考えを、ルシルは慌てて振り払う。嫉妬など、抱いてはいけない。アデリーナの華やかさは、殿下を支えるために必要なもの。自分には、地味でも、この国を根底から支える役割があるのだから。
ルシルは、繊細な手つきで『神聖原液』を鉛製の厳重なケースに納めた。この薬液の純度は高すぎるため、並大抵の容器では魔力に耐えられないのだ。
彼女はブーツを履き直し、工房の重い石造りの扉を押した。
扉の向こう、王宮の廊下は、ルシルの地味な仕事とは無縁の、華やかな光の世界が広がっている。
この一滴の琥珀色の液体が、まさか自分の運命を奈落へ突き落とす引き金になるとも知らずに。
王宮の最奥、陽の光さえ届かぬ一室に設けられた「神聖薬草院」の工房。そこは、地表深く掘られた石造りの部屋であり、湿気と土の香りの奥に、濃厚な薬草の匂いが幾層にも重なり、独特の結界のような緊張感を生み出していた。壁には窓がなく、光源は天井から垂れ下がる小さな魔導ランプと、実験台の蒸留器の下で揺らめく微かな炎だけだ。
「あと少しね」
ルシルは、作業着である実用的なワンピースの上に白衣を纏い、細い銀の匙を握りしめていた。三日三晩、寸暇を惜しんで続けた調合作業は、今、その最終局面に到達していた。
目の前にあるのは、特注のガラス製蒸留器。その内部で、王国の最奥地に自生するSランク薬草――微かな魔力を持つ雫を湛えた『星涙草』の濃縮エキスが、ゆっくりと濾過されている。
彼女は深く息を吐き、魔力を集中させた。ルシルの魔力は、派手な「光の癒し」とは無縁の、極めて繊細で中立的な性質を持っていた。それは、薬草の活性を極限まで高め、調合の不純物を一切取り除くために存在する。
微かに掌が青白い光を放ち、蒸留器を包む。温度を、圧力を、ほんの一瞬、完璧な数値に固定する。
チリチリ、と、魔力と薬液が反応する微かな音が耳に届いた。
そして、一筋の琥珀色の液体が、慎重に用意された小さなガラス瓶へと滴り落ちた。
「できた」
ぽつりと漏れた呟きは、棚に並ぶ無数のガラス器具に吸い込まれて消えた。
ルシルは、目の前にある小さなガラス瓶を見つめていた。その液体は、ただのポーションとは比べ物にならない、超高純度の輝きを放っている。わずか一滴の中に、王国騎士団長フェリクス様の「呪い」を解くための、膨大な治癒魔力が凝縮されていた。それこそが、国家の生命線である『神聖原液(エリクサー)』だった。
三日三晩、睡眠は細切れの仮眠のみ。もはや体は疲労の限界を超えていたが、この世で最も難度の高い調合を成功させた安堵感が、それを遥かに上回った。全身の筋肉が緩み、張り詰めていた肩の力が抜ける。
(間に合った。これで、フェリクス様は助かる。そして、この原液を希釈すれば、最前線の騎士団のポーションの備蓄も補充できる)
ルシルの仕事は、単に目の前の人間を助けるだけでなく、王国の防衛力そのものを維持することでもあった。この事実は、婚約者である王太子ジェラルド様さえも十分に理解していない、最高機密である。
婚約者である王太子ジェラルド様の役に立てる。
『聖女』として、国に尽くすことができる。
その事実が、ルシルの疲れた心に、工房の微かな炎よりも温かい光を灯した。
彼女の仕事は、地味だ。
王家に仕える伯爵令嬢でありながら、彼女が纏うのは流行のドレスではなく、汚れてもいい実用的なワンピースと、その上に羽織った「神聖薬草院」の白衣のみ。
彼女の功績は、常に陰に隠され、誰にも知られることはない。世間が想像する「聖女」とは、ほど遠い姿だろう。
世間が「聖女」と聞いて思い浮かべるのは、きっと異母妹のアデリーナのような存在だ。
陽光のように明るい金の髪。純白のドレス。そして、派手な「光の癒し」の魔術を操り、王太子の隣で華やかに微笑む妹。
それに比べ、ルシルの「聖女」としての役目は、この秘密の工房で、国の生命線であるポーションの原液を精製すること。その事実は王家とごく一部の上層部しか知らない、国家の最高機密である。
(アデリーナは、今頃殿下と何を話しているのかしら)
ふと過った考えを、ルシルは慌てて振り払う。嫉妬など、抱いてはいけない。アデリーナの華やかさは、殿下を支えるために必要なもの。自分には、地味でも、この国を根底から支える役割があるのだから。
ルシルは、繊細な手つきで『神聖原液』を鉛製の厳重なケースに納めた。この薬液の純度は高すぎるため、並大抵の容器では魔力に耐えられないのだ。
彼女はブーツを履き直し、工房の重い石造りの扉を押した。
扉の向こう、王宮の廊下は、ルシルの地味な仕事とは無縁の、華やかな光の世界が広がっている。
この一滴の琥珀色の液体が、まさか自分の運命を奈落へ突き落とす引き金になるとも知らずに。
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