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第4話 血の海 《sideダイス》
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警察車両が交互に放つ紅い閃光と青い閃光が、電圧の落ちた暗い教会のステンドグラスから入り、様々な色を作り上げて教会内を照らし出していた。配管が壊れているらしく、辺りは水浸し。押し退けられるように壊れた長椅子たちの中央を、鑑識班の持ち込んだ作業用ライトが、ひときわ重要な部分を暗闇の中に浮かべていた。その大きな血溜まりに遺体はなく、ただ血の海が広がっている。その周りには白い装束を着た人々が忙しなく証拠となる、なにかを小さなスプーンで掬って探していた。
刑事ダイスは起き抜けに飲んだコーヒーの力も借りて、微睡む意識を奮い起こし、文字通りの“血の海”へと歩み寄ってしゃがんだ。
床板の上に広がる赤い血が、所々の木板の隙間にゆっくり吸い込まれているようだ。配管から漏れた水と合わさっているとはいえ、むせ返るほどの血の匂いが時間経過のために劣化し嗚咽を誘う。
経験から、このような時は口で息をすることを心がける。
ナイロン手袋になけなしの息をフッと吹きかけて膨らませ、入れやすくなった手袋に指をねじ込んでいく。包まれたばかりの指が、壁に付いた血液の一端をなぞり、すくい上げた。
時間の経った血液は凝固を始めようとしているためにゆっくりと集まり、ダイスの青い瞳が見つめる中ゆっくりと落ちていった。
反対の手で膝を打ち、立ち上がったダイスは、歯噛みしながら昨日のやり取りを思い返して舌を打つ。
「ああ、くそっ……“亡霊”め」
***
――二十時間と三十分ほど前。
第二分署の地下にある未解決ファイル保管室で、椅子に座ってカビ臭い書類で顔を覆ったまま眠っていたダイスは揺すり起されていた。
夢から覚めたばかりのダイスの血走った目が見つめる先で、まだ大人になりきれていないかのような、そばかすだらけの顔の男が言った。
「ダイスさん、刑事局長がお呼びですよ。表情が硬かったので、いい話ではなさそうですが、行きましょう」
ダイスが開け放ってある戸口で止まり、ドアをコンコンとノックすると、こじんまりとしたオフィスの中央で、デスクの汚れとにらめっこしている顔が上がる。しかめっ面の刑事局長が椅子に座るよう促した。
「ダイス……もう一年になる。そろそろ前に進んじゃあどうだ? お前さんの気持ちは分かるんだ。地下の資料整理なんかに回したのも、現場から離れる必要があると思ったからだ。……だがな、警察組織では必要不可欠な事もあるんだ」
ダイスは決まり悪そうにペンを弄り、デスクに座る局長を見つめた。現役を退いて昇進してからというもの、みるみる禿げていき、みるみる太っていく。少しは運動でもした方がいいと怒りを募らせ、隣りに控えている男を一瞥してから言った。
「……ですが――」
「――ダイス、ダイス……なあ、いいか? よく聞くんだ。正直に言おう、今のままではもう庇いきれない所まできているんだ。この……新人の……」
局長は後ろに控えている少年のような男を見つめ、何かを思い出そうとじっと見つめた。
「ロブです。ロブ・ハーディング」
局長はひとつ頷いて言った。
「こいつと組め、そして“亡霊”を追うんだ。話しは以上だ。分かったら、猟犬のように獲物を追い、ケツに噛みついてでも結果を出すんだ。以上だ」
局長がデスクの端に積まれた資料の一番上を手元に手繰り寄せて開いた。羽根のついたペンを取り、座ったままのダイスを睨み上げ、まだ言わせるつもりかとその目で物語る。
もちろん断れる訳がない。断れば今度こそ刑事としてのキャリアが終わりを告げるのだ。ダイスは躊躇いがちに重い腰をあげ、局長のオフィスから出ていった。
“亡霊”というのは“血染め花のマリー”の事だ。それはこの町を代表するシリアルキラーで、当初から理解できない事柄ばかりが起こり、目撃者もおらず、手がかりに乏しい。そのため、手柄には程遠く、誰も担当したがらないのだ。不遇な事にその“亡霊”を追えという事だ。
そして、刑事局長その人から、この人間味のない通達を言い渡されて今に至る。
***
――現在。
通報者はこの古い教会の管理をしている老神父で、青い顔で終始震えている。震えている原因は酒か体調によるものだとも思えるが、とにかくここにはいたくないといった体だ。ひどく動揺していて、時々、時間軸を超越し、話しが過去と現在を行ったり来たりしている。
「……すみません。わたしに分かるのはそれぐらいなのです。ああ、神よ……」
「……つまり、まとめると、ここに来たのは様子を見に来ただけだと? 夜中の三時に?」
「歳をとってからは、とんと眠れませんのです。それに、昼間はみなさんに教会を開放しているので、その下準備も兼ねて作業の様子を見に来ました。そしたら、あれが……その……」
「ふむ。ご協力に感謝します。神父」
ダイスは書き留めた手帳であごをさすり、辺りを見回す。
表に止まっていた作業車からはひとりの免許証が見つかっていて、持ち物や、状況から、被害者はいずれも男性。
結果はまだ出ていないが、DNA鑑定では教会で作業していた作業員の四人だったと結論付けられるはずだ。
そして、その四人の共通点は同僚というだけ。
初仕事に意気揚々と、先だって現場に入っていたロブ・ハーディングが、教会の端から端まで見て回っている。口元を押さえていたかと思えば、青い顔で寄ってきて、モジモジと股間をいじるフリをした。
「ダイス刑事、すいません、ちょっと……用を足してきます」
ロブ・ハーディングは返事も待たずに外へと駆け出した。
ダイスは胡散臭そうにロブの後ろ姿から目を外して、血溜まりの中から何かを見つけようとする鑑識の男に話しかけた。
「よぉ、ジョン。いつこの掃き溜めから抜け出すんだ?」
「おう、ダイス。その時が来たら、花束抱えて声かけてやるよ。それより、あいつはなんなんだ?」
ダイスはロブ・ハーディングの事を認めるつもりがなかった。局長には何度もひとりでいいと言ったにも関わらずだ。相棒はもう必要ない。ダイスは逡巡した。
「オムツも取れてない“ド”新人だよ」
「はあっ? “ド”ってのはなんだ?」
ダイスは人差し指を口元の前に持ってきて、耳を澄ませと身振りして見せた。次に外へと向かったロブの方を指さす。ジョン・スミスがそちらへ首を旋回させて待った。
外の方から喘ぐような声が聴こえ、なにかの水音に続いて怒声がした。
「おい! そこのあんた! そんな所で吐かないでくれ!」
理解したと言わんばかりにジョン・スミスは両手を上げて降参してみせる。
「“ド”新人ね、よく分かったよ」
「そうさ、我らが局長殿は俺に“ド”新人のオムツが取れるように命じて、今頃ドーナツでも食ってやがるんだ」
「同感だね。あの禿げ頭に草でも添えてやりたいよ。エリートなんかクソ喰らえってんだ……っとと、ちょっとこれ持っててくれ」
ジョン・スミスはナイロン製の証拠品袋をダイスに渡し、血の海から何かを拾い上げる。
ピンセットに摘まれたそれは小さな破片で、爪先の半分ほどしかない。濡れた血がてらてらと光る。
「……そいつはなんだ?」
「……分からん。“ド”新人が出したものじゃないことを願うよ。アーメン」
刑事ダイスは起き抜けに飲んだコーヒーの力も借りて、微睡む意識を奮い起こし、文字通りの“血の海”へと歩み寄ってしゃがんだ。
床板の上に広がる赤い血が、所々の木板の隙間にゆっくり吸い込まれているようだ。配管から漏れた水と合わさっているとはいえ、むせ返るほどの血の匂いが時間経過のために劣化し嗚咽を誘う。
経験から、このような時は口で息をすることを心がける。
ナイロン手袋になけなしの息をフッと吹きかけて膨らませ、入れやすくなった手袋に指をねじ込んでいく。包まれたばかりの指が、壁に付いた血液の一端をなぞり、すくい上げた。
時間の経った血液は凝固を始めようとしているためにゆっくりと集まり、ダイスの青い瞳が見つめる中ゆっくりと落ちていった。
反対の手で膝を打ち、立ち上がったダイスは、歯噛みしながら昨日のやり取りを思い返して舌を打つ。
「ああ、くそっ……“亡霊”め」
***
――二十時間と三十分ほど前。
第二分署の地下にある未解決ファイル保管室で、椅子に座ってカビ臭い書類で顔を覆ったまま眠っていたダイスは揺すり起されていた。
夢から覚めたばかりのダイスの血走った目が見つめる先で、まだ大人になりきれていないかのような、そばかすだらけの顔の男が言った。
「ダイスさん、刑事局長がお呼びですよ。表情が硬かったので、いい話ではなさそうですが、行きましょう」
ダイスが開け放ってある戸口で止まり、ドアをコンコンとノックすると、こじんまりとしたオフィスの中央で、デスクの汚れとにらめっこしている顔が上がる。しかめっ面の刑事局長が椅子に座るよう促した。
「ダイス……もう一年になる。そろそろ前に進んじゃあどうだ? お前さんの気持ちは分かるんだ。地下の資料整理なんかに回したのも、現場から離れる必要があると思ったからだ。……だがな、警察組織では必要不可欠な事もあるんだ」
ダイスは決まり悪そうにペンを弄り、デスクに座る局長を見つめた。現役を退いて昇進してからというもの、みるみる禿げていき、みるみる太っていく。少しは運動でもした方がいいと怒りを募らせ、隣りに控えている男を一瞥してから言った。
「……ですが――」
「――ダイス、ダイス……なあ、いいか? よく聞くんだ。正直に言おう、今のままではもう庇いきれない所まできているんだ。この……新人の……」
局長は後ろに控えている少年のような男を見つめ、何かを思い出そうとじっと見つめた。
「ロブです。ロブ・ハーディング」
局長はひとつ頷いて言った。
「こいつと組め、そして“亡霊”を追うんだ。話しは以上だ。分かったら、猟犬のように獲物を追い、ケツに噛みついてでも結果を出すんだ。以上だ」
局長がデスクの端に積まれた資料の一番上を手元に手繰り寄せて開いた。羽根のついたペンを取り、座ったままのダイスを睨み上げ、まだ言わせるつもりかとその目で物語る。
もちろん断れる訳がない。断れば今度こそ刑事としてのキャリアが終わりを告げるのだ。ダイスは躊躇いがちに重い腰をあげ、局長のオフィスから出ていった。
“亡霊”というのは“血染め花のマリー”の事だ。それはこの町を代表するシリアルキラーで、当初から理解できない事柄ばかりが起こり、目撃者もおらず、手がかりに乏しい。そのため、手柄には程遠く、誰も担当したがらないのだ。不遇な事にその“亡霊”を追えという事だ。
そして、刑事局長その人から、この人間味のない通達を言い渡されて今に至る。
***
――現在。
通報者はこの古い教会の管理をしている老神父で、青い顔で終始震えている。震えている原因は酒か体調によるものだとも思えるが、とにかくここにはいたくないといった体だ。ひどく動揺していて、時々、時間軸を超越し、話しが過去と現在を行ったり来たりしている。
「……すみません。わたしに分かるのはそれぐらいなのです。ああ、神よ……」
「……つまり、まとめると、ここに来たのは様子を見に来ただけだと? 夜中の三時に?」
「歳をとってからは、とんと眠れませんのです。それに、昼間はみなさんに教会を開放しているので、その下準備も兼ねて作業の様子を見に来ました。そしたら、あれが……その……」
「ふむ。ご協力に感謝します。神父」
ダイスは書き留めた手帳であごをさすり、辺りを見回す。
表に止まっていた作業車からはひとりの免許証が見つかっていて、持ち物や、状況から、被害者はいずれも男性。
結果はまだ出ていないが、DNA鑑定では教会で作業していた作業員の四人だったと結論付けられるはずだ。
そして、その四人の共通点は同僚というだけ。
初仕事に意気揚々と、先だって現場に入っていたロブ・ハーディングが、教会の端から端まで見て回っている。口元を押さえていたかと思えば、青い顔で寄ってきて、モジモジと股間をいじるフリをした。
「ダイス刑事、すいません、ちょっと……用を足してきます」
ロブ・ハーディングは返事も待たずに外へと駆け出した。
ダイスは胡散臭そうにロブの後ろ姿から目を外して、血溜まりの中から何かを見つけようとする鑑識の男に話しかけた。
「よぉ、ジョン。いつこの掃き溜めから抜け出すんだ?」
「おう、ダイス。その時が来たら、花束抱えて声かけてやるよ。それより、あいつはなんなんだ?」
ダイスはロブ・ハーディングの事を認めるつもりがなかった。局長には何度もひとりでいいと言ったにも関わらずだ。相棒はもう必要ない。ダイスは逡巡した。
「オムツも取れてない“ド”新人だよ」
「はあっ? “ド”ってのはなんだ?」
ダイスは人差し指を口元の前に持ってきて、耳を澄ませと身振りして見せた。次に外へと向かったロブの方を指さす。ジョン・スミスがそちらへ首を旋回させて待った。
外の方から喘ぐような声が聴こえ、なにかの水音に続いて怒声がした。
「おい! そこのあんた! そんな所で吐かないでくれ!」
理解したと言わんばかりにジョン・スミスは両手を上げて降参してみせる。
「“ド”新人ね、よく分かったよ」
「そうさ、我らが局長殿は俺に“ド”新人のオムツが取れるように命じて、今頃ドーナツでも食ってやがるんだ」
「同感だね。あの禿げ頭に草でも添えてやりたいよ。エリートなんかクソ喰らえってんだ……っとと、ちょっとこれ持っててくれ」
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