バニシング・ツイン(消えた双子と血染め花のマリー)

らぃる・ぐりーん

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第27話 血の海 《sideミシェル》

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 ニコラスの様子を病院へ見に行った三日後、ミシェルはバスタブの中の海を漂っていた。体内に流れる血が、水中にある手首からゆらゆらと流れ出していく。意識はすでに温かな死出への旅立ちの中を泳いでいた。蛇口から滝の音も聴こえる。

 ルークがあまりにも長すぎる入浴に違和感を覚えたのか、ドア越しに何度も呼びかけている気がする。一度も返事はしなかった。自分が応えなくても、ルークは困らないだろう。居なくても困らないだろう。そうとも。そうに違いない。

 ふとドアに鍵をかけたかと気になり、何気なく腕を伸ばす。手に力が入らない。視界が狭まってくるのが分かる。またルークが呼びかけている声がする。幻聴ではないのかもしれない。どんどんとドアを叩く音が激しくなっていく。その頃には現実なのだとようやく分かる。だが、意識も朦朧としていく。

 ああ、何もない人生だった。辛い人生だった。なにかを変えたくて、庭には綺麗な花をたくさん植えた。アビーが以前の仕事で営業に訪れた際、一緒に『フラワー・カラーズ』という会社を作り上げないかと誘われた時は嬉しかった。ああ、そうだ。ルークと結婚した時も幸せだった。

 ああ、もしかしたら……私……幸せだったのかなぁ……。

 ぼんやりと想うと、重くなってきた瞼が眼を塞いでいった。


 ***


 ルークがドアを体当たりでこじ開けると、蛇口からドボドボと勢いのある湯が垂れ流しになっていた。バスタブにもたれ掛かるミシェルは蒼白で幽霊のように見えた。バスタブの上に出ている腕を枕にして眠っている。腕からは血が弱々しく滴り落ちていて、バスタブから真っ赤な湯がじゃばじゃば流れ出ている。今にも沈み込んでしまいそうなミシェルを、ルークは飛び込むように掴まえて引っ張りあげた。

 タイル地の上で、ミシェルの心臓が力ない脈を打つ度に、真っ赤な血液が宝石のように形を変えて手首から零れ落ちていく。

 鋭利な刃物で切りつけたであろう深い傷の見える手首を、急ぎ手で圧迫した。棚の上に畳んであるタオルが全て倒れ落ちるのも構わず引っつかみ、手首を押さえつける。タオルにみるみる赤い染みが広がっていく。ポケットから携帯電話を取り出すと、血でぬるぬると滑る指で携帯電話をなぞり、耳に当てた携帯電話からニコラスの声が聴こえる。溢れた赤く透き通った湯が、ミシェルの手首を切り裂いたであろう剃刀をバスタブから落とし、追いやっていく。剃刀は排水口の上で嘲笑うように、いつまでもかたかたと踊っていた。


 ***


 横たわっているのがベッドだと自覚するのにしばらくかかった。

 頬を伝っているのが涙だと気付き手の甲で拭った。ずきんと痛む、乱雑に縫われた手首が現実へと引き戻す。手で縫い目をなぞり、深く切れていて手首の筋を傷付けているためいつまでも痛むのだとイメージする。

 夢を……夢を見ていた。とてもリアルな夢。手には未だに感触が残っているように思える。実際に起こったことを追体験しているかのような夢だった。それは赤い豪華な花瓶を、“ろくろ”を使って粘土で作り上げていく夢。ひどく真っ赤なイメージだけが鮮烈に残っている。それが花だった気がする。深紅の茎に、同じように深紅の花。添える手と“ろくろ”に捻りあげられ、キラキラとした宝石のような滴がいくつも葉からこぼれ落ちていき、とても綺麗で幻想的だった。でも、夢の中にいて、手で粘土をこねているのは自分ではなかった気がする。自分が自分でない感覚。そして、当の自分は誰かにカゴの中に閉じ込められ、ゆっくりと自分の姿をした怪物に食べられている夢だった。つま先からゆっくりとだ。思い出すだけで身震いするほど鮮明な夢だった。

 ミシェルが起き上がると、白い髪が太ももの上を撫でるように揺れている。髪をかきあげ、痛む頭に沿うように耳にかける。水玉模様の布団や、角にあるサイドテーブルで、二階の角部屋にある客間、ニコラスとアルマが泊まりに来た際に使う寝室に寝ているのだと思い出す。サイドテーブルにある白い花瓶にはルークが生けてくれた百合の花が咲いていた。白く可愛らしい百合の花、アルマの好きな花。アルマの死を受けてこの部屋の壁紙をルークが真っ白に塗ったのだ。その白さが眩しいぐらい。

 アルマが死んでからどれほどの時間が経っただろう? 一週間? 二週間? 一年ぐらいだろうか? ルークが縫合した手首の跡は、未だにずきずきと痛む。深い眠りから目覚めてからは、ずっとベッドの上にいる。定期的に運ばれてくる食事と薬を事務的に処理していて、次第に時間の感覚がおかしくなってくる。実際、この日当たりの悪い部屋の窓から見える景色だけでは朝なのか昼間なのかも分からない。まるで家畜にでもなったような気分だ。

 階下で足音が聞こえる。階段を登ってくる音だ。がちゃりと音を立てて薬をアルミトレイに乗せたルークが現れる。昼の餌の時間なのだと分かる。

 ルークが手首にある包帯を解いていく間、もう一方の手でたどたどしく緑色のカプセルを探り当て、口の中に放り込んで、小さな一口サイズのカップの水と一緒に飲み干す。顕になった手首からは痛々しい縫合用の糸が見えたままで、ミシェルが逃げられないよう釘を打ち付けられた窓枠の外へと目線を逸らす。ルークとは目も合わせない。手に感じられる温もりが、少し不快に感じる。新しい包帯を巻いていっているのだと知らせる。

 巻き終えたルークは、部屋の隅にある椅子に腰掛けたまま、いつものように怒った顔でしばらく見つめている。その間もミシェルは窓の外の一点を見つめていた。

 ルークが腕時計を見下ろし、数分待って薬が効いてくるのを確認したように頷く。立ち上がってミシェルの頬にキスをした。窓との間を阻むように正面に立ったルークは、ミシェルの眼を覗き込んだ。次の瞬間、先程キスをしたばかりの頬を叩いた。ミシェルはなんの抵抗も見せない。

 自らを落ち着かせるようにか、部屋中を歩き回り、ミシェルの耳に顔を寄せて囁いた。

「頼むから、身体を大事にしておくれ」

 そう言うと、ルークはアルミトレイを手に階段を降っていった。

 耳を澄ませ、足音が完全に階下に降りていくのを確認すると首を旋回させ、ベッドから降りて床にはべり、耳をくっつけて動向を探った。その微かな足音が聴こえなくなる。いつものように書斎の扉が閉まる音が聴こえると、口の中に指を突っ込んでほとんど水しかない胃液と薬を吐き出した。

 嘔吐物の中から溶け始めていたカプセルを拾い上げる。両手でつまんで開ける。握りこぶし一つ分ほどしか開かない窓枠を押し上げ、窓の隙間から中の粉末をふっと吹き飛ばす。残るカプセルを口の中で飴玉のように転がしているとやがて溶けて消えた。

 自死を図った今回、想定外に生還した。それを受けてルークから処方されるこの薬は、容易に意識を奪っていく。飲むと数分で意識を失うように眠気が襲ってくるのだ。永続的に飲まされれば、目を覚ますことがなくなってしまうかと思われる程だ。一体何の薬なのかは説明されてはいない。

 少し前なら躊躇わず飲み込んでいただろう。絶望していた。それこそ死んでしまってもいいと思っていたのだから。

 だが今は違う。まだ見た目では分からないほどの変化だが、膨らんできているように感じる腹部。来ない生理。極めつけは、時間を計られる監視付きの中で行った妊娠検査キットだ。

 結果は陽性。つまり子供ができたのだ。ルークとの間に望んでいた妊娠。産まれてくる子供のため、今、薬を飲むわけにはいかない。そのせいで障害が出ないとも限らないのだ。

 まだ感じるはずもないし、もしかしたらいつもの妄想かもしれない。だが、日に日に感じ始めている胎動は、女としての、母親としてのを呼び起こしていた。根幹にあるという意志を。

 まだルークには教えていない。言えなかった。言えるはずもない。今の自分の状態を鑑みれば、堕ろすしかないかもしれないのだ。そう決断されても仕方ない。

 ミシェルはひとり決心していた。

 ルークには悪いとは思う。せめて産まれるまでは、ここに居るわけにはいかないのだ。

 窓のガラスが息で曇るほど顔を近づけて外を眺めた。

 ルークがこの後どうするかを確認する必要がある。いつものように『ブルーバード図書館』へ行くか、『ドラッグストア』に行くか……それかニコラスの様子を見に行くのだろう。恐らくはだが。

 ルークがなにかを脇に抱えて車へと乗り込もうとしているのが見える。

 顔を引っ込め、車が走り去るのを見届けると、ミシェルは部屋のドアに飛びついた。このドアの鍵は回せば鍵がかかった音はするが、本当の意味ではかかってはいない。鍵が壊れていることをルークは知らないのだ。

 階段を駆け下りた。ミシェルは玄関を開けようとしたが、今までの五つの鍵とは別な、新たな鍵が設けられていた。ルークがつけた真新しい新参者を弄るが、鍵はがんとして開かなかった。中からも鍵を使わなければ開かないのだと予想する。

 裏口に回っても同じような型の鍵が立ち塞がる。家中の窓には釘が打ち付けられ、半分ほどしか開かない。釘を力いっぱい引っ張るが、ビクともしない。ダメで元々、身体を滑り込ませようとしたが、頭すら通らない。

 今日もダメなのかと項垂れ、まるで家自体が牢獄のようだとミシェルは思った。

 ソファーに腰掛けて血のにじむボロボロの爪を噛み始めた。みんなが自分に隠し事をしている。ルークですら、どこか今までと違う。不自然に上機嫌なのだ。

 ルークは近頃しょっちゅう外出していて、以前までの書斎に入り浸り、貝殻にでも籠るかのようなが姿が今では考えられないほど。

 それは母アルマが死んでからは特に。

 父ニコラスが入院してからは異常に。

 ミシェルを家のに閉じ込め、ニコラスの『ドラッグストア』に行き来するようになってからは、しょっちゅう朝帰りだ。

 まさかとは思うが女がいるのだろうか? ありえない事ではない。可能性がない訳では無いのだ。ルークだって男なのだ。ほかの女が誘惑すれば、あるいは……。頭のおかしくなった妻はに閉じ込め、優雅な交際をしていても、なんら不思議ではない。

 ここから逃げることも先決だが、浮気も許せない。なんとかして浮気の現場も押さえたい。それいかんによっては、子供を連れて離れるしかないかもしれないのだ。その可能性はできるだけ消したい。ルークとは離婚なんてしたくない。自分に薬がいらないぐらい正気まともでいられれば。きっと、いつかまた以前の優しいルークに戻ってくれる事だろう。

 ミシェルは本気でそう思っていた。
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