バニシング・ツイン(消えた双子と血染め花のマリー)

らぃる・ぐりーん

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第39話 深い哀しみ 《sideダイス》

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 ダイスの見つめる先で、学長の禿げ上がった頭がさらに茹で上がって赤みを増していく。その怒りは、もはや噴火寸前だ。

 少数を切り捨てる方が学園運用するものとしては当然の事なのだろうと理屈では理解できる。だが、今回の少数を切り捨てるような真似は我慢ならない。それが我が娘ウェンディなら尚更だった。以前学校で頭をぶつけただけだとウェンディは言っていたが、こうなってくると事情がかなり違ってくる。被害者であるウェンディ本人の供述、それ自体も怪しくなってくるのだ。

 ダイスの声が怒りから冷静さを欠きはじめていた。

「いじめっ子がいくら金持ちの息子達だろうと、うちの子を守ろうともしないあんたらはクソだ。女をいじめるようなクソガキ共もな。お望み通り出てってやるよ。だがな、クソガキ共の事も、あんたの事も、ずっと見張っているからな。少しでも法に触れる事があれば、必ずあんたらの前に現れてホモだらけの監獄に送り込んでやる。どんな手を使ってもだ。そのケツみたいな顔も、せいぜい今のうちに洗っておくんだな!」

「出ていけ!」

 叩きつけられるような言葉を背に、ダイスはウェンディの温かな手を握りしめて学園を出るまでまっすぐ歩いた。なにもかもが気に入らない。今すぐ刑事局長のように叫び声を上げそうなほどだ。だが、まだだ。

 ウェンディを後部座席に座らせ、少し待っててくれと言って離れた。タバコに火をつけて吹かし、大いに吸い込むとむせ返った。胸が少し痛い。それがさらに怒りに火を注ぐ。ダイスは学園と外界とを隔てるコンクリート壁を蹴りつけた。何度も何度も。そして痛みに呻く前に止めた。そしてジンジン痛む足で車まで行く。後部座席のウェンディの羞恥にまみれた視線を避け、助手席のグローブボックスからフラスクを取り出した。家族の写真が目に入るが今は目にしたくなかった。怒りに塗れた心ではそれを汚してしまうような気がするからだ。一口ぐいと飲み込み、さらにもうふた口ほど。喉を焼くようなアルコールの熱さで気を紛らわす。同時に途方に暮れた。

 いったい明日からどうすればいい? ウェンディの学校は? もしかしたら、あのハゲ学長が侮辱を理由に訴えを起こすかもしれない。もしそうなれば、仕事どころではなくなってしまうし、弁護士を雇うような余裕もない。ウェンディの学費だってタダではないのだ。

 さっきからポケットの中が断続的に振動しているのを感じる。怒り狂った学長がさっそく言い忘れた文句を言おうと電話をかけてきたのかもしれないし、もしくはもう弁護士に連絡したのかもしれないとダイスは思っていた。そして同じハゲ仲間の刑事局長からも。

 ダイスは携帯電話を駐車場の地面に放り投げた。とにかくだれも話しかけないで欲しかったし、少しでいいからひとりにしてほしかった。お節介焼きなジョンも、遊んでくれとせがむ犬みたいなロブにもそばをまとわりついて欲しくない。ただただ、酒に溺れて幻覚でもなんでいいから“妻”に会いたいだけだ。それだけだった。

 ウェンディがいつの間にか車を降りていて、放り投げた携帯電話を拾い上げていた。様子をうかがうように正面に立っているため、その様子が薄暗くなってきていた世界に影を落としていた。

 ダイスは表情に気をつけ、遠慮がちに顔を上げた。

 ウェンディが携帯電話を両手で握りしめている。手帳型のケースを開いて家族の写真を見ている。

「ねえ、パパ? ママはいないけど、わたしはどこにも行かないよ。わたしはずっとパパと一緒にいるからね。だから、心配しないで。悲しまないで。わたしがいるから」

 ダイスはウェンディの小さな小さな背中を抱き寄せ、その温もりに耐えきれず、ずっと心の奥底に貯めていたものが溢れ出るかのように、涙となってこぼれ落ちていく。それらのほとんどが妻エブリンへの想いの形をしている。こぼれ落ちる一粒一粒が、“寂しい”と叫んでいる。

 エブリンの葬式では泣けなかった。それは父親として、男として泣けなかった。歯を食いしばって、刑事として悪意へと怒りを向けることで悲しみを乗り越えようとしていた。だが、それはずっと一時しのぎでしかなく、あふれ出る寂しさは心に影を落とし、こぼれ落ちる悲しみは煙草とアルコールになって肺と肝臓を蝕み続けていた。

 まだ投げ出すわけにはいかない。ウェンディを守らなければ。もう少し、もう少しだけ。大人になるまで。そしてこうやって、心が折れそうなときに優しい言葉をかけてくれるだけで良かったのだ。それだけでもう一歩だけ、もう一歩だけと歩くことが出来る。それが“家族の絆”なのだが、人はときにそんな大事なことも忘れてしまう。

 ウェンディの小さな手の中で振動する携帯電話が邪魔をするかのように現実の世界へと引き戻した。

 ウェンディの手から受け取った携帯電話にいくつかの不在着信と、ロブからの電子メッセージだ。その内容は途中からめちゃくちゃだ。

 読み取れる意味のある言葉だけを抜き出す。

 “セント・ドミニク”。

 それだけでも、なにかが起きたことは紛れもない。

 ダイスはウェンディを促し、車へと急がせた。すぐさまアルバラード家の前に残した、ロブへと携帯電話をかけ続けるがコール音が続くだけだ。

 ロブ、いったいなにがあった? 応援は呼んだのか? もしかして呼べなかったのか? あの文面から分かるのは、『セント・ドミニク病院』だけだ。

 考えられるのはロブが負傷し運ばれた、もしくは全てが終わり、病院へと呼んでいるのか。

 どちらにせよ、それらは家やジョンの家とは反対方向へと向いている。ウェンディを預けに行っている暇はない。

 ダイスは両手で挟むように顔を強く叩き、無理やり集中する。

 車のグローブボックスの下に取り付けてある無線を取り出し、確認を取ろうとする。

「こちらダイス、誰かいるか?」

『はい、こちらはステラ。どうぞ』

「ロブ・ハーディングからの応援要請、もしくは現場封鎖の要請はあったか?」

『いいえ、何かあったの?』

「いや、ロブの奴に連絡がつかなくてね。小便でもしてるのかな? そっちを見てくるよ。ありがとう」

『了解です。お気を付けて』

 ダイスは無線を切り、『セント・ドミニク病院』へと車の頭を向ける。

 なにか嫌な予感がする。それらは妻が死んだ時の予感に似ている。じりじりと顎の下に火がついているような危険な焦りだ。


 ***


 ――ロブ・ハーディング、数分前。

 見開いた眼前にあるプールの縁と、冷たいコンクリートの地面から察するに、自身が地下室の地面に這いつくばっているのだと分かる。

 階段のある背後で、ゴリゴリ、ゴツン。ゴリゴリ、ゴツンと、なにか重いものを引きずる音と、それが地面に落ちる音とが交互に響く。導かれるように視線を送ると、何者かが大きなハンマーを持って、階段を降ってきている所だった。

 何者かの奇襲を受け、地下室の階段を転げ落ちたのだと理解する。

 立ち上がろうとするが、先程の衝撃を受ける瞬間、咄嗟にガードした右腕に痺れを感じる。ヒビが入っているのかもしれない。さらに強烈な目眩がした後、頭に急激な痛みが波状攻撃を仕掛けてくる。押さえた手にねっとりした血がついた。本当に割れているのかもしれない。

 ロブが片膝をついた状態から立ち上がる事が出来ないでいると、階段の方から暗い地下室へと男が降り立った。先程は作動しなかった四隅にある薄ぼんやりとしたセンサー式照明が男を照らした。

 急激な光に目を皿のように細めた先で、ニコラス・アルバラードは変わり果てた姿をしていた。資料室のパソコンで見た運転免許証の姿とはかなり違う。

 着古したよれよれのパジャマを引きずるように歩き、頭髪が抜け落ちていて頭の一部が異様に膨らんでいる。その場所は乱雑に縫ったらしく傷跡が今にも破れてしまいそうだ。膿んだような黒っぽい血が見える。

 恐らく、髪の毛は抗がん剤治療の副作用だろう。ロブの祖父がかつてそうだったように。そしてあの傷跡、あれはアフリカの原住民の手術方法ではないだろうか? 頭蓋骨を四角く切って圧力を逃がす方法だ。

 誰かが処置したとするなら、“ルーク・アルバラード”しかいないだろう。

 末期の脳腫瘍から、クレストン・レーンの実家で眠っているはずの男が、今、目の前で大きなハンマーを引きずりながら歩み寄ってくる。

 侵入してからこっち、まったく気付かなった。この家の中のどこかに居たのだろうか? 

 いや、今は考えている場合ではない。

 奴は外敵を排除しようと一歩一歩踏み出している。その足先がロブの携帯電話を引っかけた。プラスチックが滑るのを、頭が変形したニコラスが目で追う。ゆっくりとした動作で拾って酸性のプールに放り投げた。

 ロブは腰にある銃に痛む手をかけるが、その瞬間ニコラスが走った。眼前にまで迫ったニコラスの振るう大きなハンマーがロブの細い身体を打った。

 身体をふたつに折りながら地面を滑っていって壁にぶつかった。ロブは地面に倒れ込んだ。

 同時にニコラスが振り切った重いハンマーに勢いを余され、くるっと一回転して反対側の壁に倒れ込んだ。

 ロブの右腕が痛くて上がらない。それどころか、さっきの一撃で肘から上が折れ曲がっている。

 見ると、爆発しそうな脳腫瘍のせいで、思うように左半身が動かせない様子のニコラスがのろのろと立ち上がった。それとは対象的に右半身の負傷で這いずり、距離を取ろうとするロブへと、ニコラスは不気味なほどゆっくり向かって来る。

 ロブは激痛に悶え、大粒の汗が滴る。焼けるような痛みが脚に走った。もしかしたらさっきの衝撃で太ももの骨にまでヒビが入っているのかもしれない。

「おあぁぇああぇあ……」

 脳で膨らみ続ける腫瘍のせいで動かせないのは、なにも手足だけではないらしい。顔面の半分からよだれを垂らし続けていて、言葉は喋れないようだ。

 ニコラスは自らの意思とは裏腹に、喋れていないことに気付いたようで、口から出た謎の言語に頭を捻っている。誰が喋ったのか分かっていないのかもしれない。

 半身がダメージを負っていて身動きがとれないロブは言った。

「お、お前は“ニコラス・アルバラード”だな?」

 歪んだ顔で正解だと笑みを見せる。化け物が笑っているように見える。

「お前は……いや、お前たちが、アルバラード家の全員が“血染め花のマリー”なんだな! そうだろう? そしてここで遺体を溶かしていた!」

 ひと言ひと言が身体中の骨に振動を与えて、神経が焼けそうな痛みが走る。それでもロブは声をあげ続ける。

「この家は包囲されている! 武器を捨て、諦めて投降するんだ!」

 ニコラスは話しは無用だと言わんばかりに、また一歩踏み出して工業用ハンマーを不格好に担ぎ上げた。

 ロブが慌てて這いずりながら離れていく。どうやら説得は意味をなさないようだ。

 振り降ろされた一撃が、ロブの広げた股ぐらで弾けた。コンクリートを伝った衝撃が伝わってくる。

 ロブの折れて、今では倍に腫れ上がった右手が、銃のホルスターを撫で回す。折れた骨が手首から突き出している。アドレナリンが出ているとはいえ、空気が触れるたびにズキンズキンと痛む。掴めない苛立ちと激痛から声を上げる。

「クソォッ!」

 左手が反対側の腰にある銃のホルスターのホックを外す。辛うじて届く指先がグロックを撫でまわす。

 四苦八苦しているロブの足に再度ハンマーが振り下ろされた。足の甲が砕けた衝撃で身体中に電気が走ったかのように身悶えた。ホルスターから頼みの銃がこぼれ落ちる。

 ニコラスは半分に歪んだ化け物のような笑みを浮かべて、ハンマーをその場に手放した。

 ニコラスの手がロブの首根っこを掴み、ロブの身体を引きずっていく。その先には酸のプールがある。不揃いな歩みがぐんぐん進んでいく。

「や、やめろ!」

 不自由な身体のわりに力が異常に強い。なんて力だと、恐怖を感じる。これが末期癌の男の膂力なのだろうか。

 ロブのまだ自由がきく左脚はむなしく地面をかいて、プールの縁に投げつけられた背中を打ちつけた。

 息が止まるほどの鈍痛。

 ニコラスが顔面を押さえつけ、後頭部から酸のプールへと押し込もうとする。

 ロブの髪が浸かった先から溶けていく臭いがしている。

 必死の抵抗も虚しく、徐々に力尽きていく。抵抗する。

 眼下に見えた拳銃に望みをかけて手を伸ばしたが、届かない。無情にも触れた指先からさらに離れてしまった。

 そうこうする間にも髪の大半が酸に溶かされていく。

 左手でニコラスの不揃いな顔を押し上げるが、体重のかかった手に押されて、さらに髪が溶けていく。

 必死で顔を背けるが、次は耳が酸に浸かり、冷たく熱い痛みが走った。

「あああぁあっ!」

 初めての理解出来ない熱さに、脳が狂いそうになりながらも、折れた右腕のことも忘れて殴りつけようと繰り出した。これが功を奏した。折れた腕の骨が鋭利な先端になっていて、尖ったナイフのようにニコラスのこめかみを突き破り、不揃いな目玉へと沈めていく。

 次いで折れた骨の肘から、足のつま先まで痛みの電撃が走って、ロブは思わず意識が飛びそうになった。

 顔面に空いた穴を押さえたニコラスは叫び声を上げて地面に転がった。

 ロブはなんとか身体を押し上げ、銃のある反対方向に向かって倒れ込んだ。

 ロブは泡の混じった唾を垂らし、呻きながら、ようやく手にした銃を向ける。

 ロブは怒りに任せて引き金を弾いた。
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