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【第2話:ゴブリンの魔王 後編】

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 魔王アンドロの目に飛び込んできたのは、見知らぬ一人の少年と……上半身を失った4つの巨体だった。

「ふぅ……『闇移動』のスキルはともかく、『魔神の剣』の方は魔力の消費が激しすぎるな」

 少年はそう呟くと、手に持っていた禍々しい巨大な剣を、恨めしそうに見つめ……霧のように消し去った。

「き、貴様、何をした……ぬ? 例の魔力はまだ外に……あの火柱を放っている奴とは別の者……貴様は奴の部下か何かか!」

 魔王アンドロは、巨大な魔力の反応が動いていない事を確認し、その少年の事をそう結論付けた。
 少年もかなりの強さだろうことは感じとれたが、絶対的な魔力は勇者の域を出ておらず、外で未だに恐ろしい威力の魔法を撃ち続けている者と比べれば、とるに足らない存在に思えた。

 事実、その少年とその魔力の持ち主が戦えば、少年が勝利を収めるのは難しいだろう。

 だが、主従がそうだとは限らなかった。

「ん? あぁ~『ゼロ』の事を言ってるのか? オレは一人生き残りがいるみたいだったから、助けに来ただけだ。お前の相手をするのは『ゼロ』だから気にするな」

 そう言って手をひらひらと振ると、背を向けて歩き出した。
 向かうのは、既に虫の息となってしまっているこの国の勇者アルテミシアのもと。

「あ……あ、なた、は……」

 そのボロボロの姿に少年はやや眉を顰め、悲しそうな瞳を向けると、

「頑張ったな……」

 一言そう呟いて、虚空から瓶を取り出し、不思議な光る液体を振りかけた。
 すると、少女は淡い光に包まれ、途絶えそうだった息が整い全ての傷が治癒されると、やがて規則正しい寝息が聞こえだした。

 少年のあまりに傲岸不遜な態度に呆気に取られていた魔王アンドロだったが、その薬の正体に思い当たると、思わず尋ねずにはいられなかった。

「む? 貴様、それはただのハイポーションではないな。ま、まさか、エリクサーかっ!?」

 エリクサーとは、いかなる傷も病気も、たちどころに治してしまう神の薬だ。
 少年にとっても唯一所持するエリクサーだったのだが、少年にとっては些細な事のように、何のためらいもなく使用してみせた。

「うっさい魔王だなぁ。少しはうちのゼロを見習えっつうの。こう見えてもオレ、今すっげー怒ってるんだぜ?」

 少年は魔王を前にしているというのに、まるで顔見知りに話しかけるようにそう毒づくと、ようやく振り向いた。
 その顔は、まだあどけなさの残る歳相応のものだったが、目に宿る光は歴戦の戦士のように鋭く、それなりに目鼻立ちの整った顔に、銀の髪を靡かせるその姿は、どこかアンバランスなものを感じさせた。

「がっはっはっは! 怒った所で貴様に何かできると言うのか? たかが人間の分際で、まずは貴様から血祭りにあげてくれるわ!」

 魔王アンドロはそう叫ぶと、禍々しい覇気を纏っていく。
 そして、並の者ならその波動に触れただけで、戦意喪失してしまうほどの武威が放たれた。

「見ろ! これが『魔王覇気』! あらゆるものを拒絶し、破壊する絶対的な力だ!」

『魔王覇気』

 それは、魔王のみが使える強力無比なオーラで、この覇気を扱えるようになった者が魔王を名乗り、眷属を従える事が出来るようになると言われている。
 その力は絶大で、唯一対抗できる可能性があるのが、勇者が纏う『聖光覇気』だけなのだが、その聖光覇気を以てしても互角に戦えるようなものでは無かった。

 その絶対の力『魔王覇気』を身に纏い、王城の床を破壊しながら、残像を残す速さで迫りくるその突進は、つい先日、この国の騎士団を殲滅した必殺の攻撃だった。

 しかし、少年は慌てた素振りも見せずにその様子を眺めると、少女を庇うように位置どり、気だるげに魔王アンドロに話しかけた。

「だから、お前の相手はゼロがするって言っただろ? 聞いてなかったのか?」

 そして少年は右手を突き出し……その突進を受け止めた。

 謁見の間に轟音と共にその衝撃の余波が広がり、部屋に残っていた調度品が更に破壊されていく。

「ぐぉぉ!? ば、馬鹿なっ!? 片手で止めただとっ!?」

 驚く魔王アンドロに向けて、してやったりと笑みを浮かべる少年。

 城を揺るがすような衝撃が走った中、さすがにそのような状況で眠っていられるわけもなく、その少女、勇者アルテミシアも目を覚ました。

「あぁ、悪いな。起こしちまったか。もうちょっとだけ、そこで待っててくれ」

 その少年が自分を救ってくれたのは薄っすらと覚えていたが、しかし、意識が覚醒し、思考が正常に戻っていくと、目の前に展開されている信じられない光景に目を見開き、驚きの言葉を発した。

「えっ? えぇぇ!? ……あなたはいったい……そにれそれって!? そ、その色は……魔王覇気!?」

 勇者アルテミシアの呟きに、頭だけで振り返った少年は、

「お? 良く知ってるな。でも、オレ人間だからな? あと、一応勇者らしいぞ?」

 そう言って、初めて純粋な笑みを浮かべる。
 その無垢な笑顔は、この場にとても不釣り合いなものだったが、少女は何故かその少年をすんなり信じる事が出来た。

 しかし、納得がいかず、信じられないのは魔王アンドロの方だった。

「な、何故だ!? なぜ人間が『魔王覇気』を扱えるっ!? ふざけるなっ!!」

 怒気を孕ませ魔王覇気を纏った拳で何度も殴りかかってくるが、その全ての拳は、同じく魔王覇気を纏った少年にことごとく防がれる。

「別にふざけてなどいないさ。まぁ、お前が納得しようがしまいが、使えるものは仕方ない」

 しかし、さすがに片手で全ての攻撃を防ぎきるのは難しいようで、少年もその表情を引き締め、全身を使って攻撃を捌いていく。

「認めんぞ! お前のような存在は絶対に認めんぞぉ!!」

 纏っている魔王覇気をさらに強めた魔王アンドロが、その攻撃の手を更に激しいものへと変えていくと、とうとう少年の表情からも余裕が消え去った。

 その拳の猛攻は凄まじく、激しい攻防による戦闘の余波が、広い謁見の間を破壊しつくしていく。

「きゃぁ!?」

 そして、とうとう全ての攻撃をいなし切れなくなり、近くの床が吹き飛ぶと、勇者アルテミシアが思わず悲鳴をあげる。

「はっはっは! どうした!? 身の丈に合わぬ力を手に入れて、勝てるとでも勘違いしたか!!」

 しかし……魔王アンドロの挑発は、少年には届かなかった。
 まるで自分の勝ちは揺るがないと、その勝利を欠片も疑っていないかのように。

「はんっ! 慢心それはいつも怒られてるから、お前に言われるまでもないんだよ! それより……ゼロっ!! なにそこで見てやがる!? さっさとこいつを倒せ!!」

 気付けば、いつの間にか勇者アルテミシアと少年の間に男が立っていた。

「あ~気付いてました? しかし、ステルヴィオ……ちょっと情けないですねぇ。もう少し日々の鍛錬を厳しくしないといけませんかねぇ?」

 悠然と佇むのは、執事服を着た初老の男。
 しかし、髪には少し白いものが混ざり始めてこそいるが、その顔は若々しく、舞踏会にでも行けば、周りの女性が放っておいてはくれないだろう容姿の持ち主だった。

「げっ……これ以上は勘弁してくれ……」

 ステルヴィオと呼ばれた少年と、ゼロと呼ばれたその執事服の男が、そんな軽口を交わしている間に、いつの間にか魔王アンドロの攻撃の手はやんでいた。

「な……そんな馬鹿な……その纏う覇気は……」

 驚きのあまり、口を大きく開き固まる魔王アンドロのその姿に、

「まぁ運が無かったと思って諦めて下さい」

 ゼロと呼ばれた男がそう投げかけると、指をパチンと弾いた。

 するとその瞬間、まるで手品か何かのように、魔王アンドロが纏っていた魔王覇気が吹き飛び、消え去った。

「あ、あ、本物なのか……あなたは、原初の……バエ……様……」

 自分に向かって指をさし、その身を震わし後ずさる魔王アンドロを見て、少し考え込むように顎に手をあてると、ゼロと呼ばれた男はこう告げる。

「ん~。そうですね。最後に自己紹介ぐらいはしておきましょうか」

 話しながらステルヴィオの横まで歩み寄ると、隣に並び立ち、視線を交わす。

「私の名は『バエル』。この少年ステルヴィオのギフト『魔王』により顕現せし者。ちなみに、今の世ではこう呼ばれているようですね。『原初ゼロの魔王』と」

 そしてもう一度、パチンと指を弾くと、

「では、さようなら。もう二度と会う事も無いでしょうけど」

 黒い炎が魔王アンドロを一瞬で包み込み、灰も残さず消し去ったのだった。
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