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61話 彼を知り己を知れば百戦殆うからず

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 その後も村人たちの会合で生贄をささげる方針が変わることはなかった。結局はフィルネシア本人の意思が強く固まっていることが大きかった。もはや話し合いは無用だと、俺たちは外に出ていた。

 やることはただ一つ、彼らが少女を犠牲にする前にあの大蛇を倒すのだ。

「倒すには全員の力が必要だ」

 仲間たちを見渡して問いかける。

「やってくれるな」

「もちろんです! 弟子一号、地の果てまでマスターとご一緒する所存です!」

 いの一番にルシャが敬礼して名乗り上げた。ルシャの台詞は何かの物語からの引用が多い。今度も何かの影響を受けての発言だろう。

「我が王のご意向のままに」

 レイチェルも優雅に一礼した。

 ザルドは言われずとも、相応の金を払えば付いてくるそうだ。そして姿が見えないと思っていたラナとイリナ姫が一緒に俺たちのもとへとやって来た。どうにも妙な組み合わせだった。またラナが何か気を回しでもしたのだろうか。

「姫。あなたは魔物退治に協力してくれるか」

「協力しますとも。もはや後には引けませんから」

「私も行かせていただきます」

 ラナも続く。そして予想外の声が1人。
 
「僕にも協力させてください」

 そう言ったのは志願して付いてきた少年、ウィルであった。

「僕も何かしたいんです。待ってるだけなんて」

 その言葉をレイチェルはせせら笑った。

「馬鹿なの? その程度の力で。だいたい人間の力なんて借りる必要がなんて──」

 その発言を俺は手で遮った。

「死ぬぞ。その覚悟はあるのか? 一時の浮ついた心で決めたのならば残るべきだ」

 きつく言い聞かせてもウィルは首を横に振らなかった。

「あの男の子は、彼はなんの力もなくても魔物の前に立ちはだかった、好きな人のために。彼を尊敬します。僕もそんな人になりたいんです」
 
「鬱陶しい。いいから雑魚は引っ込んでなさい。邪魔よ」
 
「レイチェル。子供とはいえ戦士の決意を侮辱するんじゃない」

 俺はいつになく厳しい声色で彼女に告げた。

「も、申し訳ありません」

 レイチェルは言葉につまり、すぐに謝罪する。
 
 だが確かにレイチェルの言葉は正しい、彼女もウィルの命を気遣ってそう発言したのかもしれない。それでも本気でその覚悟があるのなら、己の運命を自らの責任のもとで決めるというのなら、俺は拒みはしない。

 しかし冷たい声でそのまま、はっきりと続けた。

「レイチェルの言う通りだ。お前には力が足りていない」

 ウィルは分かっているとばかりに頷いた。だが俺の言葉を真実として理解はしていないはずだ。

「はっきり言う。着いて来れば死ぬ確率のほうが高いだろう。戦場は甘くはない。もし助けられないと判断したら俺はお前を見捨てる。自分の命のほうが惜しいからな。ここにいる他の者もそうだと思っていろ。俺たちの目的は敵を倒すことだ。そのために必要に駆られればお前を切り捨てることもするだろう」

 実際にはイリナ姫やルシャあたりが彼を助けるだろう。だが彼の実力で他者をあてにして来るようだったら邪魔になる。死ぬつもりで来て初めて何かを見出せる。

「自分に何ができるか、何ができないか。頭を働かせて。考えて動かなければならない。そう肝に命じろ」

「はい。ありがとうございます」

 ウィルは深々と頭を下げた。気持ちのいい若者だ。将来が楽しみだと思った。ああは言ったが彼も死なせるわけにはいかないだろう。

 話が終わるとレイチェルの傍によって小声で伝える。

「叱って悪かったな。お前も彼を気遣っていたんだろ」

「まさか。私が人間なんかを気遣うわけがありませんわ」

 素直じゃないのか、それが真実なのか。

「できれば彼を守ってやってくれ」

「人間をですか」

 彼女の態度には不満がありありと現れていた。言葉にはしないがムスッと頬を膨らませていた。

「頼めるか?」

「……はい。主様のお言葉ならば」

 念を押して頼むと、ようやくレイチェルは了承してくれた。



「しかし倒すとしてもどうする気ですか。貴方の力は強すぎる。こんなところで使えば下手をすると山崩れの被害が出ます」

「それは姫も同じだろう。お互いに使う力は最小限にしよう」

 あまりにも強力な魔術を行使すれば、付近の村が危険だった。術式は制限して使う必要があった。

「アステール。ミズガルド族の特徴と攻撃方法は」
 
 敵を知り、己を知り、準備を怠らないこと。それこそが生き残る可能性を高める。決して疎かにしてはいけないことだった。

「攻撃方法は単純なのがあの巨体を使った攻撃だな。尻尾と牙と体当たりなどは注意すべきだ。他には口から毒液や毒息を吐くことがある。一番の注意点は魔眼だな。複数の呪術と攻撃魔術を使う可能性がある。人間は聖属性の守護壁を張るべきだろうな」
 
 魔眼で行使できる魔術は多種多様にある。攻撃魔術でいえば発火系などがポピュラーだが、特殊魔術ならば魅惑や恐慌、呪術系なら石化や洗脳などがある。

 そうやって集会所の前で話し合っていると、とある村人が転がり込んできた。

「大変だ!」彼は叫ぶ。

「神の眷属が!」

 集会所から出た村人とともにすぐに村の入り口に駆けていくと、遠目にその姿を捉える。タイラントベア……そう一瞬思いかけた。しかし通常種のものとは明らかに存在感が違った。体毛は赤黒く、身の丈が一回り大きい。二頭ほど普通のタイラントベアを引き連れていた。

「でかいな。普通のタイラントベアとは違うのか」
 
 みなと同じく慌てて飛び出してきた長老に問いかける。

「彼らの中での特異体。彼らの主です。特に知性が高く、暴虐をまき散らします。それすらあの神の眷属なのです。破滅をもたらす使者です。かつてあれを追い返すために村の男の数十人が死んだと言われております」

 不謹慎だが強力な魔物と聞いて胸が躍った。

 俺はかつて強さに憧れ、強さを求めて、強者を欲した。強き者は今自分がどれほどの場所にいるか、どれほどの高みがまだ先にあるかを教えてくれる。

 今でもそうだ、強き相手との闘争は心が湧き立った。

「誰かやりたいやつはいるか?」

 周りを見渡すが、進んで行くものはいなかった。ならば俺がやることにしよう。

「今回は少し楽をさせてもらうか。レイチェル。頼む」

「お任せくださいませ」

 真祖の吸血鬼には障壁突破の影魔術を付与する能力がある。俺の剣の刀身に黒くまがまがしいマナが宿った。レイチェルから濃密に感じる嫌な気配の正体、それがこれだ。

 村の外に出て軽く一度、二度、ひゅんひゅんと空を裂いて剣を使用感を確かめる。そして深く深呼吸して徐々に身体にマナを巡らせていった。身体とマナが一体化したような感覚に陥る。

 そこにタイラントベアが襲い掛かった、無防備に見たのだろう。だが違う。即座に反応して刃を下から上へと縦に一閃、ずるりと真っ二つに捌かれた魔物。さらに連撃、次の標的であるタイラントベアの胴体に向けて横なぎに剣を閃かせる。やや間合いの外だ、しかし剣が守護壁を切り裂いた瞬間にマナを刃となって飛ばす。気功術の応用「一閃」を受けたタイラントベアは先と同じく身体が二つに分かれて崩れ落ちた。

「しっくりくるな」

 やはり敵の強固な守護壁を気にしなくていいと戦いの難易度はかなり下がる。いつの間にか俺もあの愛刀にかなり依存していたようだ。

 わずかに動揺を見せた特異体である森の主に向かって瞬時に踏み込み、高い位置にある首に向けて腕を目いっぱい伸ばす。気功術の大技を使うにはまだマナの練り上げが間に合わない、単なる斬撃は素早く反応した森の主の胸元を切り裂いただけだった。浅くはないが致命傷でもない。敵の反応速度は悪くなかった。

 俺は剣を振り抜いた状態であったが、態勢を整えるまで魔物は踏み込んではこなかった。

 やはり実にやりやすい。知性があるというのは厄介なことでもある。罠をしかけて狡猾に獲物を狙う、そんな危険性もある。

 しかしそれが逆に人間に利する点がある。知性があるならば刃を恐れる、痛みを恐れる、失うことを恐れる、目の前の魔物は守護壁を無効化する剣を恐れていた。恐怖に捕まえられた精神など簡単に安全なほうに流れ、容易く予見できる。

 さらに対人間用の格闘術における虚実、要はフェイントが通じる。巧い回避行動は読みやすい。巧みな攻撃も見えやすい。実は素人のでたらめな動きや、野生動物の本能に従う動きのほうが遥かに先読みしにくいのである。

 森の主は両手に風をまとう、爪を振るえば真空波となって大地に四本の線を引かれた。俺は風の刃の隙間を縫うようにして前に出る。敵は遠距離主体に切り替えて、俺の間合い入らないようにするつもりなのだ。魔物は何度も何度も風の刃を放ち、大地を抉るが俺にはかすりもしなかった。見えているからだ、マナの動きがはっきりと。

 どんどんと間合いを詰める俺に対して、劣勢を感じている魔物の次の動きは。

「二歩下がる」

 森の主は後退する。これ以上距離を作らせまいと、さらに俺が前に出ると。

「魔術で間合いを作ろうとする」

 使うのはブレス系統かハウリング系統。ここで単純な攻撃魔術は使わない。広範囲で確実に敵の足を止められる技を選択するはずだ。

 まさに読み通り、魔物はマナを練り上げて口を開けた。

「読みやすい」

 俺はほぼ同時に全身のバネを使って剣を飛ばした。気功術の応用「飛針」だ。魔術を構築していた口の中に打ち込まれた剣はマナの誘爆を引き起こし、魔術を破壊した。

 喉を貫かれた魔物はごぼごぼと血の塊を吐きだす。追い詰められた魔物の目が血走った、もはや死を覚悟しての突貫しかないと判断したのだ。だがあまりに遅い、その決断があまりに遅かった。俺は既に剣の柄に向けて蹴りを放っていた。

 蹴りは突き刺さった剣をさらに押し込みながら、牙を砕き、その巨体を吹き飛ばした。木に叩きつけられ、縫い留められてようやく止まった。その時にはもはや魔物は息絶えていた。

「神の眷属ってのはこの程度なのか」

 軽く言い放つと、信じられないといった様子で村人たちはざわめいた。

「あなた方はいったい」

「言ったろ。俺は悪党だってな」

「さすがマスター! 悪の帝王です!」

「やめんか」

 なぜ帝王だけを残す。そこが一番いらないのに。ルシャの髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でまわすと「あうう」と声をあげた。

「魔の帝王」

 何かに感づいたように長老がそう反芻した。

「まさか残虐王?」

「かの世界最強の魔術師」

 村人の間で囁きが広がった。俺はそれを肯定も否定もしなかった。

「見ろ。こんなものが本当に神の眷属か? やつは本当に神々なのか?」

 俺は魔物を指さして彼らに語りかけた。

「違う。お前たちも見たはずだ。俺の剣で傷を負い、姫の攻撃で逃げていった。あんなものは神ではない。ただの魔物にすぎない」

「倒せるというのですか」

「倒せる。俺たちならば」

 その瞬間、何かが崩れ落ちたようだった。長老派よろよろとふらつきながら俺の足元に跪いた。

「どうかお頼み申し上げます。孫を助けてください」 

「あんたらの頼みを聞く義理はない」

 ゆっくりと剣を鞘に納刀する。

「だが娘を生かして返すことだけは約束しよう。あんな蛇にくれてやるには惜しい娘だ」

 村人たちが全員頭を下げ始める。その間もずっと長老は深々と頭を下げ続けていた。

「さすがマスターです」

 ルシャは元気いっぱいにニコニコ笑う。

「かっこいい悪党っぷりです」

 どうやらルシャの判定では悪党はこれでいいらしい。
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