君とは付き合いたくない!

風崎なをき/次作は四月くらい

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第36話 八月のさよなら(1)

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おばあちゃんごめん、
会いに行かなくてごめんね、



夢の中で奏汰は祖母にしきりに謝っていた。しかし夢の中の祖母は石像のように微動だにせず、奏汰の声は届かなかった。


「…大丈夫…?」

 はっと目を開けると光輝が心配そうに覗き込んでいた。時刻は深夜の二時過ぎだった。確か昨日はプラネタリウムを観た後にまた具合が悪くなって光輝に連れられて帰宅したはずだ。服も部屋着に着替えさせてもらっている。
「俺、なんか言ってた…?」
 奏汰は寝言が多い、と寝たことのある相手からよく言われた。自分でも自分の叫ぶ声で起きることもある。夢の中でくらい平穏に過ごさせてくれよ、と思うのだがどうしようもない。今も何か喋っていた気がする。けれど何を言っていたかどんな夢を見ていたかは思い出せない。
「ううん…」
 光輝は嘘をついた。奏汰はうなされながら、しきりに『ごめん』と言っていた。しかし事実を告げない方がいい気がして光輝は黙っていた。
「コウくんまた泊まってくれたんだ。お家の人心配してない?」
「別に……一応、連絡入れてるし…」
 昔から、姉にばかり気をとられてた光輝の両親は大人しい光輝をあまり構うことはなかった。父親が亡くなってから母親は放任主義に拍車がかかった。けれど、放っておかれているというより、信頼されている感覚が光輝にはあった。ゆえに母親との仲は良好な方だと思っている。母は一報入れておけば特に何も言ってこない。
「それより具合どうですか?」
「ちょっと頭痛いかも…」
 光輝は奏汰の額に手を当てた。
「まだ少し熱残ってそうですね。痛み止め飲みましょうか。でもお腹空っぽですよね…何か食べられそうなものある?」
「食欲ないなあ。食べたら吐いちゃうかも…」
 奏汰は先ほど光輝の前で嘔吐をしてしまい、あまつさえ服と床を汚して彼に迷惑をかけたことを思い出し憂鬱な気持ちになった。落ち着いたらちゃんとお詫びをしようと今は忘れることにした。
「ゼリーとかプリンとかもダメそう?」
「プリンなら食べられるかも…」
「ちょっと待っててくださいね」
 光輝は冷蔵庫からプリンを取り出して少しだけ奏汰に食べさせると薬を飲ませた。いつの間に買ってきてくれたのだろう。熱が出ると心細くなるせいですぐに泣きそうになる。光輝の献身が心に染みて、喉の奥が痛む気がした。
「なんでそんな優しくしてくれるの」
「優しい…?ですかね。目の前に病人いたら普通の対応じゃないですか?」
 奏汰は光輝の口調や表情が柔和なものに戻っていることに気づいた。自分のことを好きでいてくれた時のようだった。
「起こしてごめんね。コウくんも寝て」
 と言って奏汰は再び体を横たえた。
「何かあったら起こしていいですからね」
 光輝も隣に寝てくれた。事情や心情を聞かないでくれるのがありがたかった。今は上手く話せそうにない。
「うん…」
 奏汰は布団の中で光輝の手を探った。そっと握ると光輝もまた優しく握り返してくれた。
 その夜、二人は久しぶりに身を寄せ合って眠った。



 三日後、奏汰は黒いスーツ一式を持って祖母の葬儀に出るために地元へ帰った。葬儀は家族のみの一日葬で今日中には終わる。しかし手続きなどでバタバタするであろう両親を手伝うために二、三日泊まることにした。
 奏汰の実家は都内ではあるが、23区内ではなく東京の西の方にある。都心に電車で出るより埼玉に自転車で行く方が近いといった具合だ。つまり田舎なのだ。田畑に囲まれている…とまではいかないが、高い建物もマンションもなくひたすら国道と民家がのんびりと続いている。
 かろうじて駅前だけは、有名なファーストフードやアイスクリーム屋のチェーン店が建っており、都心ではあり得ない大きさの店舗を構えている。
 奏汰が約二年ぶりに降り立っても、そこは変わり映えしなかった。奏汰は懐かしさよりも居心地の悪さを感じた。高いビルの建っていないこの町は見通しがよい。歩いている人はほとんどいないから目立つ。どうしても誰かに見られているような気持ちになってしまうのだ。
 大学一年生の夏休み前に家を出てから奏汰は一度も実家に戻っていない。両親に勧められてではあったが、ヒステリーが悪化した祖母から逃げるように出て行った手前、家族と顔を合わせづらかったのだ。
 両親とはたまに電話もするし、妹の歌音かのんは長期休みになると都心に遊びがてら泊まりに来ることもあった。それで家族の役目は果たしていたつもりだった。久しぶりに家族に会うのが気が重い。奏汰がこの世で一番気を使っているのが家族だった。
 地元の明らかに都会とは違う空気を吸っていると、光輝に会いたくなった。

 タクシーを拾って十五分ほど経つと斎場に着く。奏汰は更衣室を借りて久しぶりにネクタイを締めた。八月ももう終わりに近いがまだまだ気温は連日三十五度を超えている。しかし葬儀場の中はとても冷えていた。とても大きな斎場で、自分の家の他にも何件も火葬が行われるようだ。黒い喪服の老若男女と何回もすれ違った。施設は桜の木に囲まれていて、蝉の声がよく聞こえた。
 奏汰はメインホールで両親と妹の姿を探したが、見当たらなかった。座っていても落ち着かないので一度外に出て喫煙所に向かう。
 喫煙所には先客がいた。同じくらいの背だが妙に体躯の良い男だった。よく日に焼けていて黒髪を短く刈っている。紙タバコを吸いながらスマートフォンを見てしきりに指を動かしている。何かを連絡している様子だった。奏汰には目もくれなかった。
 しかし奏汰はその男が視界に入った瞬間、固まった。
 最後に見た兄の記憶とだいぶ印象が違う。しかし見間違うはずがない。どう見ても兄だった。

「お兄ちゃん……?」

 と言ってから奏汰はハッとした。お互い二十も過ぎて兄をお兄ちゃんと呼ぶのはなかなか幼稚なのではないか?しかし兄と思しき男はそんな奏汰の動揺など気づきもしないといった様子で
「え?奏汰?久しぶり」
 とまるで数日ぶりに会ったくらいの気軽さで返してきた。
「な、なんでいるの?」
 奏汰は動揺する。祖母の葬儀に来ていることも驚きだが、それよりもなぜこんな『なんでもないように』しているのかが分からない。

 兄…浅見和宏と奏汰は仲が良くない。兄は高校に入学したころからほとんど家に寄り付かなくなり、地元のいわゆる不良と呼ばれる類の人間とつるんでいた。その頃にはもう挨拶どころか顔を合わせることすらしなくなっていたと思う。高校を卒業したあとはどこかに行ってしまった。そのまま行方知れずだ。
「なんでって、おばあちゃん死んじゃったからに決まってんだろ」
 まるで奏汰の方がおかしなことを言っているかのように兄は言う。兄は『精悍な顔つき』という形容が似合うほどに人相が変わっていた。子供の頃から周りを憎むような暗く、そして覇気のない瞳をしていた。
 顔だけではない。背は奏汰よりも高かったものの、言ってしまえば肥満といえるほどぽっちゃりしていて、その横にも縦にも大きな体が周りの人間をさらに敬遠させていた。
 祖母はその容姿がだらしなく見えたのか、平気でモラルを疑う暴言を兄に投げつけていた。しかし、今は筋骨隆々といった体つきをしていて、脂肪が全て筋肉に変わったのではないかと思えるほどだ。まるでアメフトの選手のようだった。家族でなければ気づかなかったかもしれない程の変わりようだ。
「だって、行方不明なんじゃ…」
「行方不明?え?俺、行方不明ってことになってんの?」
 少しだけ苦笑した兄は大人の顔をしていた。一歳しか変わらないのだが、随分と落ち着いた大人びた笑い方と口調だった。記憶にある卑屈な兄の面影はまるでなかった。
 その時だった。

「カナちゃーん!こんなとこにいたんだー!」

 と妹の歌音かのんが駆け寄ってきた。久しぶりに見た妹は随分あか抜けていて、高校の制服であるグレーのセーラー服がよく似合っていた。そんなことより奏汰は歌音が抱えているものを見てぎょっとした。

「え、あ、赤ちゃん!?」

 なぜか妹は抱っこ紐を前にかけて赤ん坊を抱っこしていた。月齢も性別も全く分からないがどこからどう見ても赤ん坊だ。今はすやすや寝ている。

「なんでお前が抱っこしてんだよ…」
「だって可愛いんだもん~いいな~欲しいな~一日貸して欲しいな~」
「っつーか、喫煙所に連れてくるなよ。ほら行くぞ」
「カズちゃんが煙草止めればよくない?」
「今月で辞めるって」
 和宏と歌音は至って普通に話しているが奏汰は置いてけぼりだ。二人は喫煙所から連れ添って出て行く。背後から見ると普通の兄妹のように見える。和宏が歌音の世話をしている姿など少なくとも奏汰の記憶にはない。奏汰は呆然とその場に佇んでいると、
「カナちゃん?行こう?お母さんたち待ってるよ」
 と歌音が振り向いた。奏汰がはっとして、
「えっ、誰の赤ちゃん…?」
 と奏汰が問うと
「俺の」
 と和宏がしれっと答えた。
「うちら、おじさんとおばさんになっちゃったんだよ、カナちゃん」
 被せるように歌音が言う。 
「えっ、えぇ!?」
 事情がうまく飲み込めていない奏汰だけがただ動揺していた。

 

 
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