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えんじ色
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「ありがとうございました」
細かい装飾の入った茶褐色の扉が閉まると同時に、店員の声が聞こえた。
受け取った紙袋をそっと覗く。その中には掌サイズの小さな箱。立ち止まってそっと蓋を開けた。金色で縁取られた円盤。中央から伸びる二本の針。針はチッチッと音を立てている。
動いている。また止まっていた針が動き出したのだ。しかも丁寧にクッションに座らされている。
時計を裏返した。えんじ色の革のベルトが姿を表す。たくさんあった傷はすっかり消えていた。円盤裏には「A.S」と小さな字で刻まれている。
「母さんとお揃いで買ったんだ」
昔父が照れ臭そうに話していたのを今も覚えている。
父は警察官だった。よく
「礼儀正しく、謙虚でありなさい」と言われたものだ。
四人姉弟の跡取りということもあり、父の影響からか合気道などの武道も習った。父は剣道をやっていた。私は父を尊敬していた。
ペンを持たない左腕につけてみる。今回はしっかりと留まってくれるようだ。父が持っていた当時も白い円盤の上で時を刻んでいたことだろう。
十六年前。父は余命三年と宣告された。末期癌だ。けれど父は変わらず釣りに行ったり山に行ったり。剣道をしたりと変わらなかった。幼い私の娘のことも大変可愛がった。実家にはいつもりんごに桃にオレンジ、いちごに葡萄など、果物が揃っていた。娘のために買って待っていた。
日に日に弱っていく父を見るのは辛かった。妻の力を借りて、三番目の姉と三人で高齢の母の代わりに毎日病院を行き来した。
たまに娘達の顔を見せると笑顔を見せた。
けれど時折父とその日別れた後の上の娘はなんとも言えない寂しげな表情をしていた。
父は本当に頑張ってくれたのだと思う。宣告されたその倍を、私たちは父と過ごすことができた。小学生だった上の子は中学へ、下の子も小学校に入るくらいまで大きくなった。
葬儀はあっという間だった。数年間病院に通っていた期間と違い、決めた段取りがあっという間に慌ただしく過ぎていく。すすり泣く姉、妻、娘たち。その横で私はなく心の余裕はなかった。形として喪主ではあったが、その立場としての仕事はほとんどなく、慣れている姉達がテキパキとこなしてしまった。私は父との別れを惜しむよりならないことにただ慌てるだけだった。
クリスマスを過ぎた頃、娘から久しぶりに連絡があった。この正月は帰ってくるらしい。
ふと香の香りがした。なんだか懐かしい匂いだ。実家の仏壇にあげる線香のような。
そういえば父は、あれから十年が経つのか。
「今、お線香の香りがした。お義父さんかもね」
台所にいた妻もいった。スピリチュアルな考え方が多いことにもだいぶ慣れた。よく困らされはするが、娘も帰ってくるし今回は案外そうかもしれない。
そういえば最後仏壇に手を合わせたのはいつだったか。もしかしたら「最近来てないぞ」と不貞腐れているのかもしれない。
数年ぶりに見る娘は思ったよりもやつれていなかった。少し遅れたが、予定していた初詣のため黒色、ではなくえんじ色の時計をつける。仕事、ではないが正月くらいはいいだろう。
下の子の部活があり残念ながら家族揃っての初詣とはいかなかったが、そのまま実家に寄ることにした。施設に入った母の代わりに三番目の姉が出迎えた。
久しぶりに見る父の写真は何だか笑っているように見えた。
夕食も終わり、ふとつけていた腕時計を見る。針はぴったり六時を指して止まっていた。正確には「六時に一秒前」だが。
父の仕業だろうな、そう思った。
正月が明けると、娘は有給休暇を満喫し、首都圏へと帰っていった。また会えると思っても、やはり少し寂しい。
娘達が九歳、三歳のときの写真が目に入ってくる。ネクタイを締め、鏡の自分を見つめる。仕事初めだ。今日はベルトの黒い時計をつける。
細かい装飾の入った茶褐色の扉が閉まると同時に、店員の声が聞こえた。
受け取った紙袋をそっと覗く。その中には掌サイズの小さな箱。立ち止まってそっと蓋を開けた。金色で縁取られた円盤。中央から伸びる二本の針。針はチッチッと音を立てている。
動いている。また止まっていた針が動き出したのだ。しかも丁寧にクッションに座らされている。
時計を裏返した。えんじ色の革のベルトが姿を表す。たくさんあった傷はすっかり消えていた。円盤裏には「A.S」と小さな字で刻まれている。
「母さんとお揃いで買ったんだ」
昔父が照れ臭そうに話していたのを今も覚えている。
父は警察官だった。よく
「礼儀正しく、謙虚でありなさい」と言われたものだ。
四人姉弟の跡取りということもあり、父の影響からか合気道などの武道も習った。父は剣道をやっていた。私は父を尊敬していた。
ペンを持たない左腕につけてみる。今回はしっかりと留まってくれるようだ。父が持っていた当時も白い円盤の上で時を刻んでいたことだろう。
十六年前。父は余命三年と宣告された。末期癌だ。けれど父は変わらず釣りに行ったり山に行ったり。剣道をしたりと変わらなかった。幼い私の娘のことも大変可愛がった。実家にはいつもりんごに桃にオレンジ、いちごに葡萄など、果物が揃っていた。娘のために買って待っていた。
日に日に弱っていく父を見るのは辛かった。妻の力を借りて、三番目の姉と三人で高齢の母の代わりに毎日病院を行き来した。
たまに娘達の顔を見せると笑顔を見せた。
けれど時折父とその日別れた後の上の娘はなんとも言えない寂しげな表情をしていた。
父は本当に頑張ってくれたのだと思う。宣告されたその倍を、私たちは父と過ごすことができた。小学生だった上の子は中学へ、下の子も小学校に入るくらいまで大きくなった。
葬儀はあっという間だった。数年間病院に通っていた期間と違い、決めた段取りがあっという間に慌ただしく過ぎていく。すすり泣く姉、妻、娘たち。その横で私はなく心の余裕はなかった。形として喪主ではあったが、その立場としての仕事はほとんどなく、慣れている姉達がテキパキとこなしてしまった。私は父との別れを惜しむよりならないことにただ慌てるだけだった。
クリスマスを過ぎた頃、娘から久しぶりに連絡があった。この正月は帰ってくるらしい。
ふと香の香りがした。なんだか懐かしい匂いだ。実家の仏壇にあげる線香のような。
そういえば父は、あれから十年が経つのか。
「今、お線香の香りがした。お義父さんかもね」
台所にいた妻もいった。スピリチュアルな考え方が多いことにもだいぶ慣れた。よく困らされはするが、娘も帰ってくるし今回は案外そうかもしれない。
そういえば最後仏壇に手を合わせたのはいつだったか。もしかしたら「最近来てないぞ」と不貞腐れているのかもしれない。
数年ぶりに見る娘は思ったよりもやつれていなかった。少し遅れたが、予定していた初詣のため黒色、ではなくえんじ色の時計をつける。仕事、ではないが正月くらいはいいだろう。
下の子の部活があり残念ながら家族揃っての初詣とはいかなかったが、そのまま実家に寄ることにした。施設に入った母の代わりに三番目の姉が出迎えた。
久しぶりに見る父の写真は何だか笑っているように見えた。
夕食も終わり、ふとつけていた腕時計を見る。針はぴったり六時を指して止まっていた。正確には「六時に一秒前」だが。
父の仕業だろうな、そう思った。
正月が明けると、娘は有給休暇を満喫し、首都圏へと帰っていった。また会えると思っても、やはり少し寂しい。
娘達が九歳、三歳のときの写真が目に入ってくる。ネクタイを締め、鏡の自分を見つめる。仕事初めだ。今日はベルトの黒い時計をつける。
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