終わりと始まりに嗤う

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譲れぬ理由

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「……疲れた……腹減った……」

 宿り木ミスティルテイン日本支部のビルの屋上で、彌太郎は手摺りに背中を預けながら、空を仰ぎ見ていた。梅雨時期には珍しく、頭の上には澄み切った青空が広がっていたが、目を閉じている彌太郎の瞳にそれが映ることはなかった。

「それなら、飯でも食いに行こうか」

「……いつから其処に? えっと……」

「最初からいたさ。ルーカ・レオーネだ。よろしく」

 屋上に設置してあるベンチに寝転んでいたルーカは、身体を起こし煙草に火をつけながら、自らの名を名乗った。特に格好つけている訳ではないのだが、煙草に火をつけるという仕草ひとつが、こうも絵になるものなのかと彌太郎は気圧されていたが、ルーカはそんな反応には見向きもせずにゆったりと立ち上がった。そして彌太郎の隣にまで歩いてくると、同じように手摺りにもたれかかった。

「千乃ちゃんと一月いつき君から逃げて、ここ屋上に来たのかい?」

「そう……なりますかね。マスターも何であの二人を、俺のお目付役にしたのやら」

 エヴァが事務所を出て行った直後、我に帰った一月いつきがエヴァの指示に対して発狂しかけたが、彌太郎がエヴァのことをマスターと呼んだ瞬間に、“ほほう……”と呟くと、突然丁寧にギルドカードの使い方や依頼の確認方法、依頼達成時の報酬の受け取り方等の指導を始めた。一月いつきから向けられる生温かい目に苛つきながらも、それだけであれば彌太郎が屋上に避難することも疲れる事もなかった。彌太郎が溜息を吐かずにいられない主な原因は、十三とみ千乃ちのが作っていた。

 エヴァに再び失神させられた千乃は、オルガが急遽創造クリエイトした雪ダルマ型ゴーレムにより抱えらえると、事務所の応接ソファーに寝かされていた。そして数分後に目を覚まし、すぐさま彌太郎に目を向けると、彼が一月いつきからギルドに関する指導を受けているところを目撃した。

 ねっとりとした視線を向けられていることに、彌太郎は当然分かっていたが、反応することをしなかった。理由は単純に、怖かったからだった。眼の下に一目で分かるような濃いくまをつくり、顔は半笑いだが目には深い闇を感じる女子高生が自分に熱い視線を向けていたら、大半の者が恐怖を感じるに違いない。そんな千乃の存在に気付いた瞬間に、悲鳴をあげなかっただけでも、彌太郎は褒められても良いと思えるほどだった。

「それから一月いつきの存在を認識していないかの如く、同じ説明を一月いつきの言葉の上から被せてくる千乃ちゃんに、とうとう一月いつきがキレて乱闘になった隙に、君は屋上へと避難したと……あっはっはっは!」

「笑いすぎでしょ……」

 隣で大笑いしているルーカに対し、深く溜息を吐きながら俯いた彌太郎は、本気でこれからどうしようかと悩んでいた。

 戻った異世界の記憶と力

 失った大事な誰かの記憶

 この世界に何が起き、これから何が起きるのか

 どんな世界になろうとも、彼女と一緒に生きたいと願った

 だから俺は何をすべきなのか

 俯いたまま動かない彌太郎を横目に、ルーカは白い煙を空に向かって吐き続けていた。

 ルーカは自国でマフィアの用心棒として、幾多の敵対勢力と命のやり取りをしてきた。無能力者だけでなく能力者とも戦い、その中でエヴァとも出会っている。ルーカの固有能力ユニークは前衛向きでは無いものの、抗争時には先頭切って一番の手練れと戦うようにしていた。例え相手が実力を隠していたとしても、これまで自身の戦うべき相手を間違えたことはなかった。

 自分とファミリーにとって、誰が最も危険であるかどうか。ルーカの嗅覚は、その匂いを間違うことはなかった。そしてそんな彼が、彌太郎をこの時には自分の“相手”だと認識していた。

「あの二人が“お目付役”ね……時雨彌太郎君、だったよな?」

「えぇ、そうです……それ、喧嘩売ってんの?」

 自分の名を呼ばれ、思考の中から意識を戻し返事をした彌太郎は、俯いていた顔を上げ、ルークに目を向けると、自分の顔の前に相手の掌がある事を視認すると、その掌の持ち主に向かって鋭く目を細めた。そしてルークは、彌太郎の殺気が十分に込められた目線から目を逸らすことなく、彌太郎の顔の前に構えた右腕も動かすことなく口を開いた。

「嫌になるねぇ。見た目はその辺のガキにしか見えないってのに、帰還者オリジンはどんな奴でもマフィアのボスより肝が座ってやがる」

 先ほどまでの道ゆく女性の誰もが振り向くような、端正でかつ色気のある顔は、完全なる戦士の表情となり彌太郎に向けられていた。

「魔王や魔族と命のやり取りを心が擦り切れる程やれば、どんな甘ったれでもこうなっちまうさ」

「そうか……俺が知ってる帰還者オリジンも、お前と同じ目をしている。哀しそうで辛そうで、それでいて揺るぎない意志をも感じる。不安定で危うい、そんな人間の目だ」

 誰を思い浮かべながらルーカが言っているのか、彌太郎には分からない。しかし何処か悔しさ滲ませていることは、その目を見ればを十分だった。

「だったら何だってんだよ。そんな理由でいい大人の男が、俺みたいなクソガキに喧嘩売るってのかよ」

「俺もこの業界に浅いわけじゃない。帰還者オリジンが見た目通りの人生を送っているとは、当然思ってない。実は俺より君の生きている時間の方が長いと言われても、全く驚きはしない」

「そうかよ……で、俺が何をどうしたら、この拳銃より怖そうな手を退けてくれるんだ? 怖くて怖くて、今にも恐怖で吐きそうなんだけどさ」

「何が“吐きそう”だ。堂々と嘘を吐くんじゃねぇよ」

 話している間にも、ルーカの右手の魔力は高まり続けていた。“世界の理”が改変された日より以前では、ここまで魔力を高める事を少なくともルークはできていなかった。それが今では、これまでも行ってきたかのような不思議な感覚とともに可能になっている。

 それでもなお、彌太郎の魔力は高まっておらず、ルーカは自分が舐められているだけなのかとの考えも頭を過ったが、彌太郎の表情からそれは無いとルーカは判断した。彌太郎の額にはじわりと汗が滲み、纏う緊張感は明らかに“本物”だったからだった。

 この状況に、ルーカは悩んでいた。自ら誘導した結果としての状況だが、彌太郎があまりにも自分に対し無防備だからだった。魔力が満ちた世界となった今、ルーカも魔力弾の威力がどの程度上がっているのか、正確に把握しているわけでは無い。しかしこのまま至近距離で放てば、持たぬ者ゼロであれば即死するであろうことは間違いない。

 能力者であったとしても、魔鎧まがいを一切纏わない状態であれば、よほどの身体強化系統の術やスキルを発動していない限り、結果は然程変わるわけでは無い。そして彌太郎は、ルーカの目から見て一切魔力の高まりを感じないどころか、術やスキルを発動した様子すら観ることが出来なかった。

「君の纏う覚悟の強さから、こちらを舐めているわけでないことは分かる。そのあまりにも無防備な姿は誘いの一手なのか、それとも君の持つ固有スキルユニークに関係してるのかな?」

「デジャブだな……自分の力を嬉々として、敵に説明なんかするわけないだろ」

「まぁ、そうだな……敵か……俺が君に対してこんな事をしているのは、これまで外したことのない俺の直感が、君は俺が相手をするべき敵だと告げているからだ。宿り木ミスティルテインは、エヴァを中心に据え、俺にとってファミリーと言えるが、それは所属するギルメンの共通の認識だ。愛情、尊敬、信頼、好奇心、それぞれの想いは別だが、エヴァへの忠誠心は揺るぎがない。しかし君には、それが感じられない」

「要は、ギルドメンバーは全員エヴァが大好きなのに、俺はそんな感じがしないってのが原因で絡まれてるわけ?」

「平たく言えば、そんな感じとも言えるな」

「マジかよ……それが理由なら、俺がこのギルドに馴染むことはないな」

「大した自信だが、その理由は教えてくれるのか?」

 ルーカの言葉に彌太郎は、一瞬の溜めを作ったあとに思わず笑みが溢れた。

「普通、ここで笑うか?」

「思い出し笑いとかしないか? 好きな女のことを考えたらさ」

「そこに異論の余地は、確かにないが……」

 拳銃を目の前に突きつけられたに等しい者が笑みを浮かべ、突きつけている方が困惑の表情を浮かべると言う状況になり、その場の空気が少し変わっていた。一触即発の緊迫感に変わりはないが、それでも殺伐とした感じは消えていた。

「俺には、命を賭けるに値する女がいる。当然、それはマスターエヴァではない。このギルドがマスターエヴァの為にあり、ギルメンがそのことに命を賭けても良い者達であるのするならば……俺が本当の意味で、このギルドのメンバーになることはないだろうさ」

 真っ直ぐとルークを見る彌太郎の目には、揺るぎない決意と覚悟があった。そしてルークは今の言葉に嘘偽りがないことを感じ取ると、不意に表情を崩し笑みを浮かべた。

「なるほどな。確かにそれならエヴァが連れてきたにも関わらず、俺の直感が働くわけだ。お前はこのギルドの幹部であっても、仲間ではない。そして俺の直感がお前を俺の敵として見ているということは、いつか分からないがお前は惚れた女の為に、このギルドと戦うかもしれないってことだ」

「そうかもな」

 そして再び、場の空気は変わる。お互いに死の気配を感じる程に濃密な殺気が漂い、彌太郎の顔の前に構えているルーカの掌には魔力が凝縮していた。

「惚れた女が理由じゃ、お互い引くことはないな……さてとだ、このままこの手を下げるのも格好がつかないんでね。今ここで、俺の相手を早速してもらおうか」

「一応最後に聞いておくけど、俺ってここの副支部長になったんだよね? そのへんは、ギルド的にどうなのよ。それにこんな真っ昼間に屋上と言えども、こんな街中で騒いでも良いわけ?」

「新副支部長の胸を借りた結果の事故、とか何とでもなるから心配するな。それにこの拠点内の音や魔力に関しては、例え屋上であっても外に漏れないようにエヴァが術を施してある」

「なるほどね。騒いでも、ここじゃ全く問題なしということか」

 彌太郎の呟きにルーカが笑みで返すと、それをまるで合図としたかのようにルーカの右手の掌から魔力が放出されたのだった。



「あ、早速始めたわね。やっぱり、ルーカが最初に絡んでいったわねぇ」

 事務所の天井を見ながら、オルガ・デヴィンは楽しげに呟いた。青色の瞳は、薄らと魔力を帯びて淡く輝いており、目の焦点は天井ではなく更にその先に合っていた。小刻みに頭を揺らすため、黄金色の髪は主人の気分が楽しげであることを存分に周囲に知らせていた。

「ルーカ君は、一番このギルドを家族のように大事にしてますから。自分自身の目で確認しないことには、彼を家族の一員として認められないのでしょう」

 コーヒー片手に風神かぜかみ永新えいしんが、微笑みながら給湯室から戻り、オルガの横の自分の椅子に腰をかけた。コーヒーの香りが自然と場を和ませようとするが、丸眼鏡の奥の永新の瞳は、眼光が明らかに鋭くなっていた。

「本当は、自分が早く闘いたいって眼をしてるわよ」

「私は彼ほどこのギルド自体に、然程執着があるわけではありませんよ。手合わせ願いたいとは思っていますが、良い大人として今此処で駄々をこねるわけには行きませんから」

「ふーん、大人ねぇ。ならあの二人は、まだまだ子供ってところかしらね」

 勢いよく事務所の扉が開いた音がすると共に、先ほどまでお互いに一触即発の状態で睨み合っていたのだが、既に二人の姿は事務所にはなかった。その言葉に風神かぜかみは、静かにコーヒーを飲みながら優しく微笑んだ。

一月いつき君は、ギルマスの弟子として彌太郎君を任されてますし、千乃君はギルマスの狂信者として、この状況を前にして動かない筈がないですからな」

「まぁ、あの二人はエヴァ様が絡むと、ちょっとウザいからねぇ。ルーカもその点では、私的に面倒臭さは同じだけど。あの新人副支部長の……何某君もきっと“俺の直感が、お前の相手は俺がしなくちゃならんと言っている”とかドヤ顔で言ってるんでしょ」

「彼なりの歓迎イベント、みたいものなのでしょう。それに彼の先祖返りリボーンとしての力は、強化対象の魔力の質を把握することが大事だと言っていましたから。それを手取り早く把握するには、本気で戦うのが良いとのことらしいですよ」

「直感を理由にいきなり初対面の人間に命狙われたら、実際たまったもんじゃないわよ」

 自分の時を思い出したのか、オルガは溜息を吐きながらも額に青筋が浮かんでいた。オルガもまたギルドに加入した直後に、ルーカの直感を理由に戦闘を吹っ掛けられていた。彌太郎と同じくほぼ不意打ち気味に戦闘が開始された為、戦闘人形クークラの召喚が遅れた。その結果、初撃をまともに自身が受けて衣服がボロボロになってしまった。

「そのせいで服も新調しなくちゃならなくなって、金策のために“1アジン”と“2ドゥヴァ”を下のメイド喫茶でバイトさせなくちゃならなくなったし。あぁ、思い出すと今でもムカついてくるわね」

「オルガちゃん……このギルドに加入した時から、“1アジン”ちゃんと“2ドゥヴァ”ちゃんは依頼に出かける時以外はバイトしていると聞いていますが? ギルドの依頼料は、そこまで安くないと思いますよ」

「う、それは……色々とこの国ってお金を使うのに適して……あ! ルーカの奴、完全に本気出す気よ!?」

 風神かぜかみの半ば呆れ気味の指摘に対して、バツが悪そうに明後日の方向に目線を向けたオルガだったが、身体が淡い青色のオーラに包まれたかと思うと驚きながら再び天井を見た。

「これは、ルーカ君の『与えよキ チェルカ さらば与えられんトゥローヴァ』だね。しかし、これは凄い……魔力の波動が完全にこのビル内部全てに及んでいる。いやはや、やはり魔力が潤沢に存在していることで、効果範囲まで拡充させるのだね」

「これ増しているのは、効果範囲だけじゃないわよ。バフの効果自体もかなり上がっているように感じる。これが、真の固有スキルユニークの力ってわけね」

「そのようだね……この変わってしまった世界において、固有スキルユニーク持ちは大袈裟でなく、その国のあり方さえも変えてしまう存在となってしまいそうだね。やれやれ、私達のような者たちが、これから平穏というものを手に入れるには、全く大変な時代がやって来そうだ」

「……全く台詞と表情があってないのに、雰囲気だけは大人の感じをだすとか、器用よね。すごぉく、楽しそうよ?」

 ルーカの『与えよキ チェルカ さらば与えられんトゥローヴァ』により身体強化された力を、宥めるように深く深呼吸しながらゆっくり話をしていた風神かぜかみだったが、表情だけは我慢が出来なかった。

 彼は嬉しくて嬉しくて、仕方がなかった。今にも遠吠えでも吠えたくなるほどに、彼の眼は獰猛な狼のそれと同じになっていた。

 だからこそルーカとは別の大きな魔力が突如として屋上に現れた時、理性より戦闘本能が勝ってしまっても、これは仕方がないことである。隣のオルガもまた、同様であった。

 結果として、事務所は誰もいなくなった・・・・・・・・のだった。
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