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プロローグ
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──私、魔女なの。
そう言って老女──エレーナは客の男に穏やかな笑みを浮かべた。
彼女の終の棲家となる海辺の小さな家は丘の上にひっそりとあり、普段は来客などほとんどない。
その僅かな客も、丘を下りた先に住む娘家族の誰かだ。
けれど、今日は珍しく、その誰でもない見知らぬ男が彼女の家のベルを鳴らした。
◇◇◇
エレーナはハーブを多く取り入れた見事なイングリッシュガーデンで客をもてなす。
爽やかな香りのハーブティーはエレーナの自慢の1杯だ。
「自家製のハーブティーです。お口に合えばいいのですけど」
「いえ、突然の訪問にも関わらず、ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げる男の年齢は40代半ば。
エレーナからしてみたら、娘の杏奈と同年代だ。
それは身に着けるものからもわかり、清潔に整えられた髪と仕立てのいいスーツは男に良く似合っていた。
けれど、そんな男を前にエレーナはかろうじて表情には出さなかったが、戸惑うばかりだ。
男は『常盤 昇』と名乗った。
ここから新幹線で2時間もかかる都会で会社を経営しているらしい。
そんな昇から家族のことで尋ねたいことがあると言われて庭に通しはしたが、エレーナには昇の名前に聞き覚えも、もちろんその外見にも見覚えはなかった。
一体、何を聞かれるのか。
人を避けるようにして生きてきたエレーナの心に恐怖がじわりとにじむ。
「ずっとこちらに?」
庭を見渡していた昇の視線が質問と同時にエレーナに向けられる。
「え? ええ……、父に連れられて日本に来てからですから、50年近くでしょうか」
「50年……」
「ここからの景色が気に入ってしまって……」
視線を逸らすエレーナとは逆に、昇はじっとエレーナだけを見ていた。
「では、こちらでご結婚を?」
昇の質問にエレーナは曖昧に微笑む。
その笑みが拒絶だと理解した昇はすぐさま目を伏せた。
「すみません。不躾でしたね」
「いえ……帰国していないことを不思議に思われたのでしょう? それに……」
エレーナは白髪に触れ、肩をすくめる。
数年前まで美しい金髪だった髪はすっかり色が抜け、今はもう銀に近い。
遠目にはどこにでもいる老女の髪だ。
けれど──
「髪はごまかせても、目の色はごまかせませんから」
エレーナが視線をあげると、同じように視線をあげた昇と目が合う。
途端に昇はビクリと肩を揺らすが、次の瞬間には、エレーナから視線を外せなくなっていた。
「綺麗な青……ですよね」
吸い込まれるような青かと思えば、光の加減で薄い水色、青紫へと色彩が変わる瞳は美しい。
昇はいつまでも見ていたい衝動を止められず、エレーナの瞳の奥を見つめた。
「ふふ、こんな田舎じゃ、今でも珍しがられるの」
「うらやましいんだと思います……」
ぼうっとした昇の表情と声に、エレーナはくすりと笑う。
「父と母はイギリス人でしたから、何も特別なことなんてなかったんですけどね」
「イギリス……、なぜ日本に……?」
「母が亡くなり、父の仕事で……。その後、父は日本で義母に出会い、再婚しました」
「ああ、それで……」
「ええ、すでに永住許可をいただき、ここでハーブを広めています。でもこの外見ですから……」
来日はエレーナが15歳。
その頃のエレーナは金髪碧眼の少女だった。
今もその頃の片鱗が見え隠れするとはいえ、エレーナはすでに60過ぎ。
それなのに昇はいまだにエレーナから視線を外せないでいる。
魅入られ、囚われたその眼差しに、エレーナは懐かしさを覚えた。
「あなた……どこかで……」
ああ、いけない。
エレーナはハッと目線を落とし、手つかずのままだった自慢の1杯を慌てて勧める。
「……冷めないうちにどうぞ。落ち着きますよ」
「え、ああ……失礼しました。いただきます」
昇も今目覚めたように慌ててカップに手をつけると、すっかり冷めてしまったハーブティーを飲んだ。
「……あぁ、おいしいですね」
「ふふ、ありがとう。町のカフェでも人気で、おかげで悠々自適な生活ができているの」
「……お幸せなんですね」
「もちろん……」
エレーナは微笑み、ハーブティーに口をつける。
その間に、昇からの視線は魅入られたような眼差しから探るような眼差しに変わっていた。
そのことに安堵しつつエレーナは昇の名刺をもう一度、指でなぞる。
「それで……家族のことで尋ねたいというのは、何かしら」
「あぁ、そうでした……」
昇は思い出したように大きなバッグから1冊のスケッチブックを取り出す。
「お話する前にまず、これを見ていただけますか?」
エレーナの前で昇はスケッチブックを開くと、そこにはエレーナのよく知る風景が描かれていた。
「これ……私の部屋からの景色……どうして……」
「それをお聞きしたいんです」
昇はそう言って、再びスケッチブックをめくる。
すると、そこに描かれていたのは──
「桃音……?」
「も、ね?」
「ああ、ごめんなさい。孫なの。でも違うわ。これは……私ね」
エレーナは若かりし日の自分の姿が描かれた絵にシワだらけの手を伸ばす。
恋に溺れ、夢中だった頃のエレーナ。
過ぎたる力に疑問を持たず、欲しいものを残酷に手に入れる──シミもシワも何ひとつない完璧な美しさを持つエレーナがそこにいた。
──ああ、これは罰だ。
何十年も前の罪が暴かれる時がきた。
エレーナは伸ばした手を引き戻し、昇の前で懺悔するようにゆっくりと目を閉じた。
そう言って老女──エレーナは客の男に穏やかな笑みを浮かべた。
彼女の終の棲家となる海辺の小さな家は丘の上にひっそりとあり、普段は来客などほとんどない。
その僅かな客も、丘を下りた先に住む娘家族の誰かだ。
けれど、今日は珍しく、その誰でもない見知らぬ男が彼女の家のベルを鳴らした。
◇◇◇
エレーナはハーブを多く取り入れた見事なイングリッシュガーデンで客をもてなす。
爽やかな香りのハーブティーはエレーナの自慢の1杯だ。
「自家製のハーブティーです。お口に合えばいいのですけど」
「いえ、突然の訪問にも関わらず、ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げる男の年齢は40代半ば。
エレーナからしてみたら、娘の杏奈と同年代だ。
それは身に着けるものからもわかり、清潔に整えられた髪と仕立てのいいスーツは男に良く似合っていた。
けれど、そんな男を前にエレーナはかろうじて表情には出さなかったが、戸惑うばかりだ。
男は『常盤 昇』と名乗った。
ここから新幹線で2時間もかかる都会で会社を経営しているらしい。
そんな昇から家族のことで尋ねたいことがあると言われて庭に通しはしたが、エレーナには昇の名前に聞き覚えも、もちろんその外見にも見覚えはなかった。
一体、何を聞かれるのか。
人を避けるようにして生きてきたエレーナの心に恐怖がじわりとにじむ。
「ずっとこちらに?」
庭を見渡していた昇の視線が質問と同時にエレーナに向けられる。
「え? ええ……、父に連れられて日本に来てからですから、50年近くでしょうか」
「50年……」
「ここからの景色が気に入ってしまって……」
視線を逸らすエレーナとは逆に、昇はじっとエレーナだけを見ていた。
「では、こちらでご結婚を?」
昇の質問にエレーナは曖昧に微笑む。
その笑みが拒絶だと理解した昇はすぐさま目を伏せた。
「すみません。不躾でしたね」
「いえ……帰国していないことを不思議に思われたのでしょう? それに……」
エレーナは白髪に触れ、肩をすくめる。
数年前まで美しい金髪だった髪はすっかり色が抜け、今はもう銀に近い。
遠目にはどこにでもいる老女の髪だ。
けれど──
「髪はごまかせても、目の色はごまかせませんから」
エレーナが視線をあげると、同じように視線をあげた昇と目が合う。
途端に昇はビクリと肩を揺らすが、次の瞬間には、エレーナから視線を外せなくなっていた。
「綺麗な青……ですよね」
吸い込まれるような青かと思えば、光の加減で薄い水色、青紫へと色彩が変わる瞳は美しい。
昇はいつまでも見ていたい衝動を止められず、エレーナの瞳の奥を見つめた。
「ふふ、こんな田舎じゃ、今でも珍しがられるの」
「うらやましいんだと思います……」
ぼうっとした昇の表情と声に、エレーナはくすりと笑う。
「父と母はイギリス人でしたから、何も特別なことなんてなかったんですけどね」
「イギリス……、なぜ日本に……?」
「母が亡くなり、父の仕事で……。その後、父は日本で義母に出会い、再婚しました」
「ああ、それで……」
「ええ、すでに永住許可をいただき、ここでハーブを広めています。でもこの外見ですから……」
来日はエレーナが15歳。
その頃のエレーナは金髪碧眼の少女だった。
今もその頃の片鱗が見え隠れするとはいえ、エレーナはすでに60過ぎ。
それなのに昇はいまだにエレーナから視線を外せないでいる。
魅入られ、囚われたその眼差しに、エレーナは懐かしさを覚えた。
「あなた……どこかで……」
ああ、いけない。
エレーナはハッと目線を落とし、手つかずのままだった自慢の1杯を慌てて勧める。
「……冷めないうちにどうぞ。落ち着きますよ」
「え、ああ……失礼しました。いただきます」
昇も今目覚めたように慌ててカップに手をつけると、すっかり冷めてしまったハーブティーを飲んだ。
「……あぁ、おいしいですね」
「ふふ、ありがとう。町のカフェでも人気で、おかげで悠々自適な生活ができているの」
「……お幸せなんですね」
「もちろん……」
エレーナは微笑み、ハーブティーに口をつける。
その間に、昇からの視線は魅入られたような眼差しから探るような眼差しに変わっていた。
そのことに安堵しつつエレーナは昇の名刺をもう一度、指でなぞる。
「それで……家族のことで尋ねたいというのは、何かしら」
「あぁ、そうでした……」
昇は思い出したように大きなバッグから1冊のスケッチブックを取り出す。
「お話する前にまず、これを見ていただけますか?」
エレーナの前で昇はスケッチブックを開くと、そこにはエレーナのよく知る風景が描かれていた。
「これ……私の部屋からの景色……どうして……」
「それをお聞きしたいんです」
昇はそう言って、再びスケッチブックをめくる。
すると、そこに描かれていたのは──
「桃音……?」
「も、ね?」
「ああ、ごめんなさい。孫なの。でも違うわ。これは……私ね」
エレーナは若かりし日の自分の姿が描かれた絵にシワだらけの手を伸ばす。
恋に溺れ、夢中だった頃のエレーナ。
過ぎたる力に疑問を持たず、欲しいものを残酷に手に入れる──シミもシワも何ひとつない完璧な美しさを持つエレーナがそこにいた。
──ああ、これは罰だ。
何十年も前の罪が暴かれる時がきた。
エレーナは伸ばした手を引き戻し、昇の前で懺悔するようにゆっくりと目を閉じた。
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