傾城屋わたつみ楼

野瀬 さと

文字の大きさ
上 下
31 / 55
第二章 常磐

12

しおりを挟む


ここは遊郭…


偽物の愛を囁き合って、ひと時の快楽を得るための場所。
何もかもを忘れて、お客様にただの男に戻っていただく場所。

その為なら、俺たちはどんな嘘だって口にしてきたじゃないか。

「俺たちは…嘘でできてんだよ…朽葉…」

嘘を塗り重ねて、嘘を着て歩いて…
そんなことをしてるうちに、俺たちは存在自体が嘘になっちまったんだ。

「なにが本当かなんて…自分ですらもわからねえんだ…」

だから娑婆に戻ったら、一気に現実が見える。
朽葉、おまえのその気持ちも…それが嘘だってわかるはずだ。


俺のことが好きだと思う朽葉は──
きっとこの龍宮城から出てしまえば、煙のように消えちまうんだ


肌着に散った血が、どす黒く変色していくのをただ見つめた。




「湊さんっ…」

そんなある日、夜中に店番をしていると紫蘭の部屋子が帳場に飛び込んできた。

「どうした」
「紫の間の様子がおかしいんです」
「どうおかしいんだ」
「中から紫蘭さんの呻き声がするんですっ…」

急いで部屋子と二人で二階に駆け上がった。
紫の間の前に立つと、中から呻くような声が聞こえる。

これは、情交してるときの声じゃない。
只事ではないと俺も判断した。

「正広さんを起こして来るんだ」

部屋子にそう言うと、部屋の襖をそっと開いた。
すぐに居間の襖も開け放つと、奥の間の襖が開いてるのが見えた。

「紫蘭っ…」

奥の間から、襦袢姿の紫蘭が上半身だけ出して床に倒れていた。

「湊…」

薄暗い中、紫蘭の口の端から血が流れているのが見えた。

「紫蘭っ…」
「湊っ…助けてっ…」

泣きながら手を伸ばす紫蘭の背後に、のっそりと男の影。

…今日初めて紫蘭についた客だ…

あれだけ言ったのに

腹の底から、怒りが湧いてくる。
脳天まで電気で痺れたように、思考ができなくなってくる。

「なんだ…引き回し風情が、邪魔するな」

そう言うと、紫蘭の髪を掴んだ。

「あぁっ…もう、堪忍してくださいっ…」
「おやめくださいっ…」

体が勝手に動いた。
奥の間まで駆け入ると、男から紫蘭を奪い取った。

息が上がる。
とにかくここから紫蘭を逃さないと。

「うちの子に手荒な真似はしないとお約束いただきましたよね?これはなんです」
「ああ!?一晩金で買ったんだ!それをこちらがどうしようと勝手だろう!」

後ろに庇った紫蘭の身体が震えている。
こういう暴力を振るう客はたまにいるが、紫蘭が当たったのは初めてだった。

「今日はお帰りください」
「こいつに気が入ってないから、指導してやっただけだ!」
「お帰りください」

じっと男と睨み合う形になった。
俺よりも体格がいいから、もしもここで殴り合いになったら確実に負ける。

でもその間に紫蘭を逃がせるなら…

そう思って、挑発するように嘲笑ってやった。

「紫蘭に気が入ってないって言うなら、お客様にそれだけの技量がないってことでしょ?」
「…なんだとおっ!?」
「ご自分の技量がないのを、うちの子のせいにしないで貰えますか?」
「このっ…」
「どうぞ、他のお店で技量を磨いていらしてください。お客様は出入り禁止にさせていただきます」
しおりを挟む

処理中です...