驟雨(しゅうう)

リリーブルー

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身をやつして

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 下男は、さっきの私と藤松との取っ組み合いを、いかがわしいことだと勘違いをしたのだと気づくまで時間がかかった。やくたいもない言いがかりを私がただそうとした時、ぞろりと戸口が開き、人の影が動いた。
「申し」
人影が低い声で言うと、
「そいじゃ、旦那、お縄にならないように、気いつけてくんな」
と下男はそそくさと小腰をかがめて出て行った。私はいやな気がした。
 入れ替わりに入って来た男は、戸を閉めて、立てかけてあったつっかい棒で戸締まりをすると、土間の薄暗がりで頬被りをとり、手拭いをぱんと振った。
 咲之助の美しげな白い顔が、妖気ただよう女面のように暗がりに浮かび上がった。咲之助だとわかっていたはずなのに私はあらためてその美貌に驚き、また、ぞっとした。いつもと違い地味な形(なり)をしているのが、またかえって咲之助のどんなに身をやつしても消すことのできない気品と美しさを一層感じさせた。大店の若旦那が、自分のために命の危険をおかし身をやつして訪ねてきてくれたと思えば感激もした。そして、そのような道にそれた大事が恐ろしくもあった。
 咲之助は、驚きで板の間に手をついたままの私の上に覆い被さってきた。
「咲、どうして来た。お前、このことが知れたら」
私は、仲を裂かれた時の、むごい仕打ちを思っておののいた。
「ああ、あの時は」
咲之助も思い出したのか、私の背中を指で探った。
「ひどいことだった」
私と咲之助は、皆の前に引き出され、うち打ちゃく(ちょうちゃく)されたのだった。髷をつかまれ、ざんばらになったところへ、履物で蹴倒され、背中をむしられて、鞭打たれた。咲之助は私をかばって、余計に打たれた。
「お前の白い背なが割れて赤い血の流れるのを、私はもう見とうない」
私は訴えた。
「ふふふ」
咲之助は笑った。
「そうか、見たくないか。それは残念だ。私は、あれから、ああいったことに病みつきになっているというのに」
咲之助は私を押し倒して言った。
「見たくないならば、私がお前を鞭打とう」
咲之助は私の顔すれすれに唇を近づけて言う。
「お前の、きれいな顔の歪むのが見たい」
「痴れ言を言うな」
私は咲之助の肩を押しやった。咲之助は私に体を押しつけてきた。
「私は身上を傾けてお前に入れ込みたい」
「よせ、私のやった手紙を読まなかったのか」
「あのような忠言は聞き入れられぬ」
「それだといって、今は仕方がないではないか。もう少しの辛抱だ。私の蟄居がとければ、また二人で会うこともできよう」
「いつだ? お前様の蟄居がとけるというのは、いつのことだ?」
「わからない」
私は正直に答えた。
 咲之助は身を引いた。私はほっとして起き上がった。
「咲、お前が来てくれてほんに嬉しいよ。夢のようだ」
我らは手を取り合った。
「けれど、お前のことが心配だ。どうか、今夜はこれで帰っておくれ」
私は言った。
「夏は自分のことが可愛いのだな。私は命がけで来たんだのに」
「そうじゃあない、今だってここに来るのに、下男に知れてしまったじゃないか。そうして会えなくなるのを心配しているのだ」
「お前の家がすぐにはわからなかったのだ。今度は過たずに来られるだろう」
「そう度々来てくれるな。咲は目立ちすぎるから」
「なぜ、そんなにつれない。そんなにあの子どもがいいか」
咲之助の視線の先に藤松の姿があった。藤松は薄暗い座敷の畳に突っ伏しているのか、微動だにせず、小さな背中が、ぼんやりと見えた。
「お前までそんなことを言う。あの子への気持ちは、そんなんじゃない」
「たとえ今はそうでも、いずれそのままではおられまい」
「今も、いずれも永遠にそんなことはない。これ以上変な言いがかりをつけるなら帰ってくれ」
「まあ、そう怒るな」
私は座りなおした。
「私は、お前をさらって逃げてもいいのだよ」
咲之助が私の肩に手をかけた。
「よせ、つまらない。私はこんな仮住まいの身に十分懲りているのだ。そんな愛欲に身を持ち崩すのは懲り懲りだ」
「どうだか。こないだだって、随分、激しく取り付いてきたじゃあないか」
私の頬は熱くなった。私はそれでもかろうじて言い返した。
「これ以上、手放すものもないような身の上、悪鬼の餌になるようなものはもう何一つないのだよ」
「あはは、悪鬼の餌には、お前の身一つあれば十分だ。骨までしゃぶりつくさせてやるがいいさ」
「いいや、私はあの子を、ちゃんと育ててやりたいのだ」
私は言った。
「またそんなことを言う。それだから変な噂が立つのだ」
「変な噂?」
「お前様が美童を閉じこめて、ばかに入れ込んでいるという話を聞いたが」
「そんなことは嘘だ」
悪意のある噂が、町の方まで広まっているというのか?
「まあ、噂が嘘なのはわかっているさ。何しろお前様が私を忘れることができるわけはないのだからね」
咲之助が私の乱れた裾に手を入れた。咲之助の触れた手が腿に冷たかった。
「真っ当になろうなんざ馬鹿げた了見はやめるがいい」
「咲よ、私は老いさらばえて、死ぬまで欲にいためつけられるのは嫌なのだ」
「仏の道に目覚めたか」
咲は笑った。
「お前には何を言っても通じないのか」
私は、裾をまさぐる咲の手を振りはらった。
「そうだ。俺には何も通じない。お前のことばも人のことばも」
咲は私を抱きしめた。

 私は藤松がどうしているかと気になった。
「俺に感得できるのは、愛欲の焔(ほむら)だけ。ほかには何も欲してはおらぬ。ただお前が欲しいだけ」
「恐ろしいことを言うな。そんな地獄の業火などに焼かれたくないわ」
「抗うているな。せいぜい抗うがいいさ。お前様が抗うてみせる姿も、また格別だからな」
咲之助はにっと笑って、私を床に押しつけた。
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