悪役令嬢だけど、男主人公の様子がおかしい

真咲

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8 ライナス

 なんて美しい人なんだろうと思った。
 その次に、なんて傲慢な貴族なんだろうと思った。

 フェリシア・レンテリア公爵令嬢。
 ほっそりした白い体、艶のある黒髪。首は細く華奢で、その上に乗る頭は彫刻品のようだ。目鼻立ちは華やかなのだが、やはり品が良く、もしも彼女が黙ってじっとしていたらよくできた人形だと思ったかもしれない。全体的に彩度の低い彼女の立ち姿は浮世離れしていて、唇の紅と紅玉の瞳だけが際立つ。

 美しい人だな、と見惚れていただけに、初めて交わした会話は散々だった。そしてそれは、次も、その次の会話も最悪と呼べるような類いのものだ。
 彼女は、公爵令嬢という立場を鼻にかけ、更に父親が第一騎士団の団長であることを理由に騎士志望の俺に賄賂を強請ったかと思えば、平民街育ちなのを嘲ってくる。

 確かに、完璧な貴族である彼女にとって、俺の振る舞いは見苦しいものだったのだろう。だが彼女のそれは、俺のマナーや所作にただ苦言を呈したいわけじゃなかった。おそらく、俺の振る舞いが改善したとて、彼女には関係ないのだ。
 ただただ、不満の捌け口として丁度いい相手を探していたかのように思える。
 底意地の悪い要求は俺の周囲にまで及んだ。

 フェリシアは俺と同じ騎士学科のユーリに、俺を倒せとけしかけたそうだ。騎士の夢を諦めさせろと。それも、自分との縁談さえちらつかせて。
 フェリシアは高貴なお嬢様だ。軽率に異性に期待を持たせるようなことはしない。ユーリは本気にしていなかったが、公爵令嬢との縁談に少しも揺らがなかったとは言えないな、と苦笑していた。彼女は俺の邪魔をするために、自分さえ売れる。

 それほど嫌われているのかと、愕然とした。
 その後、俺のミスでユーリの剣が見学席に飛ぶという事故があった。

 フェリシアは手本のような構えで剣を打ち落としてみせたのである。見事だった。今の俺には真似できそうにない、美しく品があって、それでいて正確な一振り。彼女の「第一騎士団長レンテリア公爵の娘」という身分は、伊達ではないのかもしれない。
 剣を振ったことはないようだが、彼女の才能か、フェリシアがつけてくる剣筋の難癖は舌を巻くほど的確だった。

 ムカつく装飾語は毎回ついてきたが、それから素直に耳を傾けることにしている。

 フェリシアは、俺が思っていたよりも嫌なヤツ、ではないのかもしれない。
 かちんと来ることも多いのだが、俺のマナーが至らないのは事実だった。ユーリは「あれは言い過ぎだと思うけど、気になるなら教えてやるよ」と笑ってくれた。侯爵家っていうのは、フェリシアの公爵家の次に偉い……伯爵家よりも上の高位貴族なのに、ユーリは鼻につくことがなく親切だ。

 ユーリ曰く、フェリシアは確かに傲慢なところがあるが悪い人ではない、ライナスと関わると様子がおかしいように見える、と言っていた。
 俺も、あんなに綺麗に剣を構える人が、どうして俺に突っかかって酷いことを言ってくるのかわからなかった。

 ただ。

 一つ、思うところがある。
 俺のことを目障りに思っているのは、なにもフェリシアだけじゃないということだ。ユーリ以外の男子生徒、特に上級生からはよく目をつけられている。軽い暴力沙汰も数回あった。
 ただ、同学年の男子から直接的に何かされることはないのだ。
 それは、もしかすると……この学年が、完全にフェリシアによって掌握されているからなのかもしれない。

 フェリシアが表立って俺をいびることで、他から不満が噴出しにくい仕組みになっている。それが彼女の意図するものかは置いといて、俺が同学年の男子から殴られないのは、彼女のおかげではあるのだろう。

 感謝はしないが、絶対に分かり合えない相手だとも思わなかった。
 やっぱりムカつくけど。

 そんな時、上級生から呼び出しがあった。
 何度かあったことでもある。きっとまた、殴られるのだろう。あの上級生たちは、俺が平民街出身なのも気に食わないし、フェリシアに何度も話しかけられていることも気に食わないのだ。

 フェリシアは綺麗だ。学年を越えて人気がある。
 ユーリは「高嶺の花すぎて」と誤魔化していたが、少なくとも他の男子はちらとは夢見たことがあるだろう。あの、孤高の女帝が自分を振り返って、あわよくば微笑みかけてくれたら、と。俺は微笑みかけられてなんていないが、どちらかというと睨まれっぱなしなのだが、それでも交流の少ない上級生からは目をつけられてしまった。

 問題ない。俺は腕力には自信がある。さっさとのしてしまったのだが、今回は少し違った。
 上級生の一人が、刃物を持ち出してきたのである。なんとか、左の手のひらがずたずたになるのと引き換えに勝つことができたが、正直疲れ切ってしまった。
 ふ、と意識が暗転していく。
 誰かが近づいてきたような気がした。

 次に目が覚めると、保健室のベッドで眠っていた。
 だが、何か変な夢を見たような気がする。俺は誰かに……自分よりも華奢な誰かに背負われてここに運ばれてきた。それから、美しい……そう、俺を気遣わしげに覗き込む、フェリシア・レンテリアの夢を見た。

 夢だ。だってフェリシアが俺を保健室に運ぶなんてそんなことをするはずがない。俺は彼女にとことん嫌われている。そのはずだ。
 しかし、保健室の先生は「口止めされているから」と誰が俺をここまで運んだのか教えてくれなかった。それが一層疑念に変わっていく。

 もしかしたら……いや。あれが本当に夢だったとして……俺の、願望でしかなかったのだとしても。俺は、彼女と……フェリシア・レンテリアとの仲を、どうにか好転させたいと思っているのだ。

 翌日。逃げるように歩く彼女を廊下で捕まえた。
 手首が細い。こんなに近づいたのは久しぶりだ。少し、良い匂いがする。

 フェリシアは無意識にか、俺の左手をちらりと見ていた。一瞬よぎった気遣わしげなそれ。まくしたてるようないつもの嫌味。
 俺はこの時、俺を保健室に運んだのが彼女だと確信した。
 間違っている可能性もないでもなかったが、信じたいものを信じるだけだ。

 でも彼女は、俺と仲良くなる気がないらしい。ここで呼び止められるのも、昨日のことを確認されるのも困るのだろう。警戒する毛並みの良い猫のような彼女が怖がらないように。
 口に出すのは些細な願いだけに留めた。

「だから、俺を見ていてほしい。……今は、それで十分だから」
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