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南の国
南の国<怒髪天の王>
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「なんと愚かな……」
その報告を受けたとき、怒りのあまり視界が真っ赤に染まった。
「神鳥を……襲うなどと!」
北の、若造めが!
感情の混じった怒声が喉の奥から突出し、心臓までもが飛び上がる。
王の間は著しい緊張感に包まれたが、跳ねた脈動は老いた王の身を大いに苛んだ。
「ぐうっ」
米神を伝う汗が玉座に落ちる。
発作が起きたのだ。
「陛下!」
「お気を確かに!」
ぐぐぐ、と唸りながらも胸を抑える。
(然り、儂は人のことは言えん。だが……)
あの北はやってのけた。やってしまったのである。
(愚かな、愚かな、愚かな……!)
「痴れ者めが……っ!」
両脇に控える騎士や侍従が、玉座に座り直して息を整える王を心配している。
心臓の音は少しずつ適切な脈動を取り戻し始める。幸いにも荒い息が整いつつあった。
面を上げれば側近たちが不安げに伺う目をしている。
軒並み、馴染深い顔ばかりだ。
「……大事ない」
王はこぼれそうになるため息を噛み殺し、水を、と告げる。
一気にほっとした空気が流れた。
周囲はいそいそと、この老いぼれ王のために澄んで程よく冷えた水を盆に載せて持ってきた。うやうやしく渡される金色の杯を受けとり、口の中を湿らす。濡れた唇を拭いてくれる侍従から視線を逸らし、とんでもないことになった、と。改めて北の王への怒髪天といっていいほどの感情が、焦土のように胸の内側を焼いていく。
彼の経歴は連綿と続いてきた南の王朝を支えてきたという点においては二重丸といって良い。
元来大人しい性格の南の王は、王子時代このままではいけないと奮起、若かりし頃にありがちな傍若無人さと勢いでもって、北の国土をわずかばかり奪い、切り取った。
たまたま運が良かったともいえるが……それが決め手となり、兄弟の王位継承から一歩リードをとり見事、南の王になった。その成功譚は国中を沸き立たせ、彼を一気に武勇の誉だとかなんとか盛り立てていったが――――
――――のち、凡愚とまでは言われはしないが長く続いた統治は安定した。平穏な時代である。ただし、子宝はさほど恵まれず。跡取りは若き第三夫人が生んだ娘の誕生でしかなかったが、優秀な婿をとれれば良いと小さな王女を溺愛する子煩悩な態度が好まれ、国民にはほどほどに愛された王家である。
墓に入るのはいずれ、と思われるは癪だが年齢が年齢である。南の王は満足した人生をそこそこに送っていた。
北と南。
関係は複雑ではあったが、かつては同じ国である。交流がまるでないわけではない。
互いに一進一退、ときに文を交わして適切な戦いを少々ドンパチ。いわば明け透けな予定調和、を繰り返してきた国同士でもあったのだが、長々と続いたなあなあ、それが変異したのは北の国が世代交代をしてからのこと。
若輩者である北の王が直接、南へ攻め入ってきたのである。
これには南の王は慌てふためいた。今までにない展開であった。側近たちも青い顔をしている。
「何が起きた」
「分かりません。ですが……、
良くない兆候です」
「うむ」
互いに互いのベストを知っている。知り尽くしている。腹立たしい政敵を屠るために前線に出してやり、それを殺すよう親書にしたためられていることもやってやった。だのに、相手は何ひとつ通告を果たさず、就任挨拶の手紙ひとつも寄越さず攻め入ってきたのであった。通例ではない。
残ったのは、僅かに狭くなった領土。奪われた土地。
南の王が若かりし頃に北へやってやったことを、してやられたのであった。
あの時は北の王へ膨大な金を払うことによって和解が成立したが。
「歴史は繰り返す、か」
南の王はそれでもまだ鷹揚ではあった。苦い味を喰わされたが。
長い経歴もあるし人生経験も豊富である。若い王を諌める力があると自信があった。己が王子であった頃を思えば、就任したばかりの北の王が勇み足を踏んでもおかしくはない。
親書をしたためた。
同じく、多額の賠償金さえ払えば許す、と。
だが、そんな態度が裏目に出たのか。
第五次戦争が勃発したのである。
変事でしかなかった戦が、本当の戦争へと転じてしまった。代理人を送り付けてようやく和平にこぎつけることはできたが、互いに埋められぬ溝が出来てしまった。これには王の寿命が散々にいじめられてしまう。
我ら南の国が大事にしてきた神の鳥を。第五次が終わり、静観していた隙にしてやられた。
王位継承の儀や限られた式典でしかその麗しい姿を見せることがかなわぬ、人ならぬ人たちを奪い盗られた。神鳥たちの羽ばたきは、まるで天女のように美しい。奴隷にしたがる貴族や人間が多数を占めるが彼らは決して触れてはならない不問律であった。北も、南も。どれだけ涎を垂らそうとも。
「神鳥は自由にさせねばならない……」
昔から王家が保護してきた種族である。それは神人との約束ごとでもあった。
ましてや、最近では性別不詳たる存在が確認された。それは大変喜ばしいことであった。神人の兆候を調べるのにとても有益で、もし性別が判明でもしたら神人の誕生が露わになる。
神人を誰よりも早く、もてなさねばならない。
(その性のない神鳥も行方不明になるなどと……)
北の王は不気味だ。
返答ひとつ、まともに寄越さない。
このままでは神人の怒りを買うのではないか。
神の代弁者ともいうべき神人はすべてに等しい。大陸丸ごと沈めた話は有名だ。昔、力を振るった神人は男で。寵愛していた竜の娘を殺された末、竜と敵対していた勢力を無残に虫けらのように千切ったという。神鳥はそんな神人に助力を惜しまなかった。その功績により神人は神鳥を優遇し、人間たちに約束をさせたのである。無論、人間たちも神人にそれなりの報奨をいただいたものであるが。
とにかく。
神人は約束を反故することを許さない。
神人と神鳥。
昔、ただの鳥でしかなかった彼らの先祖が神人に助けられて以来の付き合いであるという。大人しい性格の彼らは静かに森の奥で村を作り、人間にいじめられた過去を教訓として静かに暮らしていた。
式典に出るのは、神人との約束の一環であるからして渋々出てきてはいたが、それ以外は至極借りてきた猫のように物静かにじっとしている。
南の王の記憶では、美しい横顔、綺麗な羽は人間の誰もが記憶に残る麗しい一族である。
神鳥の住む領土を奪いとってからは、南にばかり姿を現すようになってしまったが。
北は、彼ら神鳥にとって嫌な気配ばかりがするところであるらしい。特に、北の王が代替わりしてからはさらにきな臭く、人間の嫌な部分ばかりが目につくという。神人にもっとも近い一族であった、彼らの言うことは大概において正しいのだろうと南の王は認識していた。そしてそれは正しい。
第五次戦争での終結は、南の劣勢で終えてしまった。じわじわと土地を奪われ、人も喪失。人口減少は頭の痛い問題であった。それでも南の王は要領よく北と和平交渉を行っていた。
北の王族と目に入れても痛くはない幼い娘王女を婚約させたのである。
これで曲がりなりにも平和は築けるはずだった。それなのに、北の王は。
「……よほど、南が嫌いか」
北国の王は年の離れた弟を南へ婿入りさせて女王の王配となり、いずれ両国はひとつになる。
そんな屈辱さえ南の老いた王は受け入れたのに。北は、なんと欲張りか。
奮戦し甲斐なく喪失した、長く付き合いのある寵臣たちが死んでいくのを目の当たりにした南の王、もはや薬が手放せなくなり。玉座を温める暇もなく、机にかじりついてじわじわと真綿で首を絞められる心地を終始、今度は寝台で眠れぬ日々を送る羽目になる。縛り首か、それとも断頭台か。北が強気なのはその軍事力にある。南は、むしろ削いでしまった。対抗すべき点が薄らいでいる。
老いたる王は、末期の日々を。
若かりし頃、攻めた村や街で殺した人々の顔を脳裏で攻め立てられながら、実父に叱られつつも褒められた数少ない英雄譚を。神人のような勇ましさはなかったが、幾度も反芻し、自身を慰め、己の人生を憂いた。
その報告を受けたとき、怒りのあまり視界が真っ赤に染まった。
「神鳥を……襲うなどと!」
北の、若造めが!
感情の混じった怒声が喉の奥から突出し、心臓までもが飛び上がる。
王の間は著しい緊張感に包まれたが、跳ねた脈動は老いた王の身を大いに苛んだ。
「ぐうっ」
米神を伝う汗が玉座に落ちる。
発作が起きたのだ。
「陛下!」
「お気を確かに!」
ぐぐぐ、と唸りながらも胸を抑える。
(然り、儂は人のことは言えん。だが……)
あの北はやってのけた。やってしまったのである。
(愚かな、愚かな、愚かな……!)
「痴れ者めが……っ!」
両脇に控える騎士や侍従が、玉座に座り直して息を整える王を心配している。
心臓の音は少しずつ適切な脈動を取り戻し始める。幸いにも荒い息が整いつつあった。
面を上げれば側近たちが不安げに伺う目をしている。
軒並み、馴染深い顔ばかりだ。
「……大事ない」
王はこぼれそうになるため息を噛み殺し、水を、と告げる。
一気にほっとした空気が流れた。
周囲はいそいそと、この老いぼれ王のために澄んで程よく冷えた水を盆に載せて持ってきた。うやうやしく渡される金色の杯を受けとり、口の中を湿らす。濡れた唇を拭いてくれる侍従から視線を逸らし、とんでもないことになった、と。改めて北の王への怒髪天といっていいほどの感情が、焦土のように胸の内側を焼いていく。
彼の経歴は連綿と続いてきた南の王朝を支えてきたという点においては二重丸といって良い。
元来大人しい性格の南の王は、王子時代このままではいけないと奮起、若かりし頃にありがちな傍若無人さと勢いでもって、北の国土をわずかばかり奪い、切り取った。
たまたま運が良かったともいえるが……それが決め手となり、兄弟の王位継承から一歩リードをとり見事、南の王になった。その成功譚は国中を沸き立たせ、彼を一気に武勇の誉だとかなんとか盛り立てていったが――――
――――のち、凡愚とまでは言われはしないが長く続いた統治は安定した。平穏な時代である。ただし、子宝はさほど恵まれず。跡取りは若き第三夫人が生んだ娘の誕生でしかなかったが、優秀な婿をとれれば良いと小さな王女を溺愛する子煩悩な態度が好まれ、国民にはほどほどに愛された王家である。
墓に入るのはいずれ、と思われるは癪だが年齢が年齢である。南の王は満足した人生をそこそこに送っていた。
北と南。
関係は複雑ではあったが、かつては同じ国である。交流がまるでないわけではない。
互いに一進一退、ときに文を交わして適切な戦いを少々ドンパチ。いわば明け透けな予定調和、を繰り返してきた国同士でもあったのだが、長々と続いたなあなあ、それが変異したのは北の国が世代交代をしてからのこと。
若輩者である北の王が直接、南へ攻め入ってきたのである。
これには南の王は慌てふためいた。今までにない展開であった。側近たちも青い顔をしている。
「何が起きた」
「分かりません。ですが……、
良くない兆候です」
「うむ」
互いに互いのベストを知っている。知り尽くしている。腹立たしい政敵を屠るために前線に出してやり、それを殺すよう親書にしたためられていることもやってやった。だのに、相手は何ひとつ通告を果たさず、就任挨拶の手紙ひとつも寄越さず攻め入ってきたのであった。通例ではない。
残ったのは、僅かに狭くなった領土。奪われた土地。
南の王が若かりし頃に北へやってやったことを、してやられたのであった。
あの時は北の王へ膨大な金を払うことによって和解が成立したが。
「歴史は繰り返す、か」
南の王はそれでもまだ鷹揚ではあった。苦い味を喰わされたが。
長い経歴もあるし人生経験も豊富である。若い王を諌める力があると自信があった。己が王子であった頃を思えば、就任したばかりの北の王が勇み足を踏んでもおかしくはない。
親書をしたためた。
同じく、多額の賠償金さえ払えば許す、と。
だが、そんな態度が裏目に出たのか。
第五次戦争が勃発したのである。
変事でしかなかった戦が、本当の戦争へと転じてしまった。代理人を送り付けてようやく和平にこぎつけることはできたが、互いに埋められぬ溝が出来てしまった。これには王の寿命が散々にいじめられてしまう。
我ら南の国が大事にしてきた神の鳥を。第五次が終わり、静観していた隙にしてやられた。
王位継承の儀や限られた式典でしかその麗しい姿を見せることがかなわぬ、人ならぬ人たちを奪い盗られた。神鳥たちの羽ばたきは、まるで天女のように美しい。奴隷にしたがる貴族や人間が多数を占めるが彼らは決して触れてはならない不問律であった。北も、南も。どれだけ涎を垂らそうとも。
「神鳥は自由にさせねばならない……」
昔から王家が保護してきた種族である。それは神人との約束ごとでもあった。
ましてや、最近では性別不詳たる存在が確認された。それは大変喜ばしいことであった。神人の兆候を調べるのにとても有益で、もし性別が判明でもしたら神人の誕生が露わになる。
神人を誰よりも早く、もてなさねばならない。
(その性のない神鳥も行方不明になるなどと……)
北の王は不気味だ。
返答ひとつ、まともに寄越さない。
このままでは神人の怒りを買うのではないか。
神の代弁者ともいうべき神人はすべてに等しい。大陸丸ごと沈めた話は有名だ。昔、力を振るった神人は男で。寵愛していた竜の娘を殺された末、竜と敵対していた勢力を無残に虫けらのように千切ったという。神鳥はそんな神人に助力を惜しまなかった。その功績により神人は神鳥を優遇し、人間たちに約束をさせたのである。無論、人間たちも神人にそれなりの報奨をいただいたものであるが。
とにかく。
神人は約束を反故することを許さない。
神人と神鳥。
昔、ただの鳥でしかなかった彼らの先祖が神人に助けられて以来の付き合いであるという。大人しい性格の彼らは静かに森の奥で村を作り、人間にいじめられた過去を教訓として静かに暮らしていた。
式典に出るのは、神人との約束の一環であるからして渋々出てきてはいたが、それ以外は至極借りてきた猫のように物静かにじっとしている。
南の王の記憶では、美しい横顔、綺麗な羽は人間の誰もが記憶に残る麗しい一族である。
神鳥の住む領土を奪いとってからは、南にばかり姿を現すようになってしまったが。
北は、彼ら神鳥にとって嫌な気配ばかりがするところであるらしい。特に、北の王が代替わりしてからはさらにきな臭く、人間の嫌な部分ばかりが目につくという。神人にもっとも近い一族であった、彼らの言うことは大概において正しいのだろうと南の王は認識していた。そしてそれは正しい。
第五次戦争での終結は、南の劣勢で終えてしまった。じわじわと土地を奪われ、人も喪失。人口減少は頭の痛い問題であった。それでも南の王は要領よく北と和平交渉を行っていた。
北の王族と目に入れても痛くはない幼い娘王女を婚約させたのである。
これで曲がりなりにも平和は築けるはずだった。それなのに、北の王は。
「……よほど、南が嫌いか」
北国の王は年の離れた弟を南へ婿入りさせて女王の王配となり、いずれ両国はひとつになる。
そんな屈辱さえ南の老いた王は受け入れたのに。北は、なんと欲張りか。
奮戦し甲斐なく喪失した、長く付き合いのある寵臣たちが死んでいくのを目の当たりにした南の王、もはや薬が手放せなくなり。玉座を温める暇もなく、机にかじりついてじわじわと真綿で首を絞められる心地を終始、今度は寝台で眠れぬ日々を送る羽目になる。縛り首か、それとも断頭台か。北が強気なのはその軍事力にある。南は、むしろ削いでしまった。対抗すべき点が薄らいでいる。
老いたる王は、末期の日々を。
若かりし頃、攻めた村や街で殺した人々の顔を脳裏で攻め立てられながら、実父に叱られつつも褒められた数少ない英雄譚を。神人のような勇ましさはなかったが、幾度も反芻し、自身を慰め、己の人生を憂いた。
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