上 下
4 / 5
大借金顛末

章の四 これで大団円?

しおりを挟む
章の四 これで大団円?

 ドルフシュタイン朝銀河帝国は現在、皇帝の指名した各機関の長(大体何とか尚書と呼ばれている)が宰相を議長として簡易な会議を行い、政治を取り仕切っている。
 と言うと聞こえは良いが、実際は皇帝はすっかりお飾りで、実際は宰相その他の地位に就いた門閥貴族達の独裁に近い。
 そんな事態になってしまった最大の理由は、今上帝が元々床に臥せりがちなぐらい身体が弱かった事と、頭を押さえる者がいなくなった――大貴族と呼ばれた人外や、その人外を粉砕したレンツ候などである――為、要するに図に乗ったのである。
 どれ位図に乗ったかといえば、帝国中を探し回って皇族の血筋を探し出し、その人物を担ぎ出して断絶した公爵家を復帰させ婚姻関係を結んで権威付けするのは当たり前、自分達専用のデパートやレストラン、ホテルを制定する事を始め、終いには公式記録までいじって自分達の正統性を主張しようとしたのである。
 尤も、公式記録云々に関しては、たまたま戦況報告で第二代レンツ候――因みに、初代の弟に当たるゲルハルト・フォン・レンツと言う人物だ――が戻って来ていた為、実際に公文書館で騒いでいた連中全員が反逆者として即刻処刑されている。
 勿論、門閥貴族達全員が、その苛烈な処罰に反発した。だが、全員沈黙せざるを得なかったのは、完全武装した皇帝特務連隊の一個中隊を背にしたレンツ候の言葉故だ。
「我らは、泰帝陛下の違勅により現在も作戦行動中だ。曰く、
 『帝国臣民の生活と命を脅かし、その安寧を犯すものを殲滅せよ。二度と過去三〇〇年の如き、暗黒時代を繰り返すな』
 貴様達の身内とやらは、己の欲望のままに公文書をいじり、先帝の願われた臣民の生活と安寧を自分達の都合の良いように捻じ曲げんとした。あの大貴族どものようにな。
 お前達は勘違いしているだろう。
 お前達を貴族として残したのは、お前達が人間であったから。だが、生物学上人間であって、頭の中身が大貴族と一緒であると言うなら、今ここでお前達も殲滅しよう。
 奴らと同じものを、帝都で眠られる泰帝陛下の陵の近くに残すなど、神が許そうと我が兄が許さぬわ」
 その直後、貴族達の耳に居る筈のない狼の遠吠えが聞こえたとか、聞こえなかったとか。
 それからそろそろ一五年。
 人間、残念ながら『喉元過ぎれば熱さ忘れる』と言う言葉は、この宇宙時代になっても通用してしまう訳で。
 更なる富と権力を求めて揉める門閥貴族達を背景に、一人の暴走少年が表舞台に飛び出した。
 それが、この国の現状である。


 あの借金大騒動の最中の事である。
「人に裏切られた事は、無いですか?」
 たまたま夕食を共に出来た日、酒を飲むついでにフェルナンド・フォン・アイスフェルトは、『先生』ことルードヴィッヒ・オーウェンに質問した。
 答えは、彼の予想に反して、「あるさ」だった。
 話はこうだった。

 事は十数年前の話である。
 彼の養父が流行病で死んだ後、とある軍人が門閥貴族にごり押しされて、未亡人の子供を垂らしこめと命じられた。
 無論、自分が未亡人を手に入れる後押しの為である。
 野心のあった軍人は、義理とは言え父親を亡くして間もない子供を容易く懐かせた。
 だが、軍人はその貴族が、女子供から全財産を奪った挙句、二人を交易都市リゲルの娼館に売り飛ばす気である事を知り、良心に耐え兼ね総てを子供に明かして逃げ出した。
 そして、そこで大人に打ち捨てられた子供が自分だと。

 軍人は貴族からの報復として、宇宙海賊が多発する激戦区に飛ばされ帰って来なかった。
 自分がその死を悲しむ権利さえ、相手は奪い去って行った。
 自分は加害者、そしてルードヴィッヒは被害者と言う盾を作って、逃げ去ったのだ……。

 その話は、何故かほんの数日で元帥府全体に知られた話となってしまった。
 そう、あっと言う間に、上官であるマンフレート・フォン・リーフェンシュタール元帥の耳にまで届いていたのである。


「判らんな」
「何がです? マンフレート様」
 聞き返す幼馴染に、今年一九歳のマンフレートは溜め息混じりに呟いた。
「子供の自分を裏切るような、不誠実な大人を何故ルードヴィッヒは、今も好意を寄せているのだ? そんな男、許さなければ済むだけの話だろうに」
 掛ける言葉を捜すクリスティン・シェンカーの前で、マンフレートは言葉を続ける。
 ……彼にとって、大人の裏切りは絶対許せないものであったし、それによって今日の彼があった。
 五歳年上の姉を『寵姫』と言う名目で売り飛ばした不甲斐ない父、それを軽蔑し、嫌い、そして踏み躙る者全てに逆らおうと足掻いた結果が、今の彼だったから。
「それは、未練と言うものではないのか? 俺は好きにはなれん」
 尖る上官で且つ乳兄弟であるマンフレートを宥めるのは、クリスティンの物心ついた時からの一番の仕事である。
 上官であり主家の若当主であり、物心ついた時から生涯仕えると心に決めた相手に向かって、クリスティンは言葉を紡ぐ。
「オーウェン卿は情に厚い方です。リヒター提督の時も、そして今回のアイスフェルト提督に関しても。私には責めるべき欠点とは思えません」
「クリス、お前はそう言うが」
 論理的に説く一番の部下に、半ばムキになってマンフレートは食い下がる。
「俺には、それは弱さとしか思えない。――奴は軍人として」
 そう言った、その次の瞬間である。
「お呼びで?」
 耳元で囁かれた低くて渋い、その癖ひょうきんな声音に、癇癪玉に驚いた猫よろしく、マンフレートは飛び上がった。
 無論、何時の間にか真横に来ていたルードヴィッヒ・オーウェンの仕業である。
 因みに、ここは会議室横の元帥用控え室であり、一応扉には鍵が掛かっていた筈である。
「何故此処にっ!」
「はははははは、蛇の道はヘビ」
 そう言って、愛用の扇子をパンっと開くと、ルードヴィッヒは役者もかくやな仕草で、会議室とを隔てる壁を指差した。
「と、言うか、先ほど壁が一つ崩落したのですが、お気付きになりませんでしたか?」
 見れば、確かに壁が人一人潜れるほどぽっかりと開いており、その向こうで幕僚達が責任を擦り付け合っている。
 唖然と、壁を見ている二人に向かって、口元を扇子で隠しながらルードヴィッヒがひらひらと右手を振って見せる。
「しかし、私の幼き日のゴシップが、まさかお二方の話題にまでなろうとは。いやはや、感無量です」
「こうなったら聞くが、なんで卿は、あの男を許すのだ!」
 マンフレートの言葉に、ルードヴィッヒは「これは異な事を」と返した。
「いや、全然許していませんが?」
「え?」
 聞き返すマンフレートに、大きく『見敵必殺』と書かれた扇子を振り振り、ルードヴィッヒは言葉を続ける。
「例え謝られたって、一生許せる相手じゃありませんよ、全く持って」
 その言葉に首を傾げる金髪の幼馴染みに、ゴシップゆえに足りなかったり付け足された情報があると、断じた銀髪の青年が宥めに入る。
「マンフレート様、マンフレート様、ゴシップですから、当人の意見とは」
「あれ?」
 更に悩む上司に向かって、ルードヴィッヒは言葉を続ける。
「いえですから、幾らしがらみありだろうが同情すべき事情持ってようが、こんな不愉快な思いをさせられたのは溜まったもんじゃないぞっと。死んだからって許せる話じゃないと」
 自分の想像外の発言に、理解が追い付かずよいよいになっているマンフレートを置き去りにして、思い出して怒りが再燃したらしい事の元凶は額に青筋切って、ぼそりと付け足した。
 視力調整と、偏光機能付きの片眼鏡がぎらりと光る。
「と言うか、思い出すだけで腹が立つなあと」
「それで俺に八つ当たりかあっ!」
 そう言いながら、瓦礫の下から埃塗れでウォルフラム・イェフ・アルトが立ち上がる。どうやら、壁が崩れた一因は彼にあるようだ。
 それに対して、吐き捨てるような一言が帰って来る。
「似た面に老けるお前が悪い。アラサーで爺むさくなりおって」
 「何だと!?」と、ウォルフラムが一歩踏み出そうとしたその時だった。
「ルードヴィッヒ! おまー聞いたぞっ!!」
 どげしっと壁になっていたウォルフラムの広い背中を蹴倒して、蜂蜜色の金髪の美少年、もといランドルフ・リヒター提督が飛び込んで来た。
「おお、マイディア」
「何がじゃ!」
 ボケに激しく突っ込みと言う名の鳩尾への一撃を入れると、ランドルフはびしっと指を突き付けた。
「この野郎め、何が少年時代のトラウマだ、いけ図々しい!」
「いやはや、何処ぞの三十歳回ってトラウマで女ったらしよりは、まだまだ図々しくありませんよったら」
「大体、何がトラウマだよっ! 中年親父誑たぶらかして、さんざ飲み食いしただけの癖にっ!!」
「はっはっは、ついでに色々勉強させて貰ったぞ。さすが高級軍人、持ち物は良し!!」
 カラカラと擬音付きで、扇子を振り振り笑う男を、もう一撃と抉るような左フックが襲う。
 尤も、それを喰らうと洒落にならない事をルードヴィッヒ本人が知っている為、蝶のようにひらりと躱したが。
 周囲が付いて来れないまま、ランドルフはルードヴィッヒの襟首を掴み上げ、彼の副官を呼んだ。
「エルトマン、このネコネズミ男を片付けて置けっ! まったく、人騒がせなっ!」
 にゃーっと、何処かの小国の王子のように猫のポーズを取る長身の美男子を軽々と持ち上げる――ここだけの話、ランドルフとルードヴィッヒは身長で十二センチ、体重で十五キロの差がある――蜂蜜色の金髪の勇士によって、騒動の主は強制退場させられた。
「そうだったんですか?」
 これで話が終るかと思われた矢先に、フェルナンド・フォン・アイスフェルトの爆弾が投げ込まれた。
「私はてっきり、先の戦役の際に閣下の決定と真逆に事態の流れを決めたルードヴィッヒ卿を『弱虫』と決め付ける事で、次に似た決定事項が生じた場合の発言を封じる為の布石かと思いました」
 彼の言葉に、その場がずんっと静まり返る。
 そしてその言葉に、真っ先に噛み付いたのは当然ながらランドルフだった。
「アイスフェルト提督、何だそれはっ!」
「いえ、もしも良心に目をつぶれば勝利を得られる状況で、オーウェン卿を精神的な弱腰の人物と決めて掛かっておき噂を流せば、彼が例え正当な根拠を持って語ろうと、意見を無視する事に心理的抵抗が無くなると、思われたのかと」
 その言葉に、ランドルフの銀灰色の瞳がかっと開く。
「卿は、ルードヴィッヒに世話になったのではないのかっ!」
「いえ、私はリーフェンシュタール候が、そう考えられたのかと思ったのです」
 フェルナンドのその言葉に、マンフレートも流石に表情を強張らせた。
「アイスフェルト、私がそのような卑劣漢と思っているのか?」
「申し訳ございません、閣下」
 丁重に頭を下げつつ、しかしフェルナンドの言葉は続く。
「私はそのように誤解し、故に恐怖しました。そんな方の旗の下で戦うはどうかと――。しかし、今は己の浅薄さを恥じるばかり。お許し願えれば幸いです」
「ぬけぬけと。噂に違わぬ図々しさだな」
 背を向け、退出しながらマンフレートはこう言った。
「良し、許そう。但し、二度は無いぞ」
 そして扉の向こうにその背が消えるまで、フェルナンドは頭を下げ続けた。
 扉が閉まり、ふうと詰めていた息を吐きながらフェルナンドが顔を上げる。
 そこに、少し興奮した様子でランドルフが声を掛けて来た。
「アイスフェルト、卿は俺が考えていたような人間じゃ無さそうだな。ずっと強かだ。それに面白い! こんな面白みのある男だとは思わなかった!」
 勢い込んでそう言うのに、士官学校の三年先輩は面食らう。
 そこに、士官学校一年先輩とフェルナンドの同期生とが、ランドルフの肩に腕を乗せつつにたにた笑う。
「ランドルフ、そりゃ誤解してるな」
 ウォルフラムがそう言うと、リーンハルト・ケラーもうんうん頷く。
「全くだ、今でこそ一見まともそうだが、フェルナンドと言えば」
「装甲板並みの面の皮、ナイロンザイルの神経と命知らずの図々しさを兼ね備えた」
「『帝国最大の無神経男』と呼ばれていたんだぞ? ほれ、『悪魔の毒々フェルナンド』って、第一士官学校の名物男だったし」
 情報過多でおぶおぶするランドルフを抱え、からから笑う二人に向かって、むかっ腹を抱えてフェルナンドは噛み付いた。
「ケラー、ウォルフラムっ! 組織の先輩だからと思って大人しくしてりゃあ、何も知らない若者にっ! 誰が名物だ、貴様らこそ、士官学校で伝説造りくさった癖にっ!!」
「はっはっは、格好良かったぞ」
 ウォルフラムが鷹揚に笑う横で、ケラーが意味深に笑って向こうを指差した。
「ほれ、あそこに弁護士の先生が」
 はっと、振り返ったフェルナンドの視線の先に、スラックスにワイシャツ、ノータイのリラックスした姿で煙草を燻らす『先生』がいた。
 ――単にルードヴィッヒは片眼鏡を外し、従卒に軍服の埃取りをして貰っていただけだったのだが。
「ああ、見直した。ちょっとメイクラブしたくなるくらいの、いい男だったぞ」
 煙草を離して、そう言って微笑んだルードヴィッヒを見て、一瞬でフェルナンドの頭に血が昇る。
 そして次の瞬間、鼻から大量出血しつつ、脳貧血を起こした白い生き物が一匹。
「わーっ! フェルナンドが鼻血吹いて倒れたーっ!」
「医者だ医者!」
「それよりストレッチャーだ!」
 こうして、その日の会議はうやむやのうちに終了したのである。


 その晩、ランドルフとルードヴィッヒは、薔薇の別邸で二人のんびりと寝っ転がっていた。
 話題は、昼間のフェルナンドの事である。
「ルディ、俺、お前が何にあんなにも怒ってたのか、やっと判った」
 笑顔でそう言った弟分に、煙草をふかしながらルードヴィッヒはこう切り返す。
 機嫌が良いのだろう、オカマ言葉全開である。
「あんなものじゃないわよ、先輩の面白さは。あの噂を流布させたのは、恐らくあの人だわ」
「え?」
 不思議そうに顔を上げたランドルフに、金銀妖瞳の美丈夫は煙を吐きつつ事の次第を話してやる。
「リーフェンシュタール候の心理状態とアタシの立場、そしてそれによってどれだけ自分を売り込めるかの計算込みでやったんでしょうねえ。自作自演って奴よねぇ」
 呆然と聞いているランドルフに向かって、煙草を思いっきり吸い込みながらルードヴィッヒによる解説が続く。
「多分、アタシがあそこで乱入を掛けなかったら、閣下にワタシを『弱い』と言わせた上で、あの大人しげな面でぬけぬけと言ってのけたんでしょうねぇ」
「――まさか、『勝利の為に、リーフェンシュタール候が部下を陥れる』って?」
 息を飲む親友に、そうだと答える。
「そこまで、やる?」
「やるわよ、その位。アタシの知ってる中で、尤も利己的で、尤も人間的でずるい先輩だったもの」
 『非常のスキル』を持つ男ってね。
 そう笑って懐かしがるルードヴィッヒの口元から、ランドルフの手が煙草を攫う。
「だから怒ってたんだ。……今度は俺が、ちょっと腹立ってきたかなー。なーんだなーんだ、知らなかったの俺だけかい」
 そう言って、煙草の煙を吐くランドルフに膝枕をしてやりながら、ルードヴィッヒも苦笑を浮かべる。

 何しろ、大好きな先輩だったから。保身はバランスよく、尊敬と盲信は別物、そして最後に勝ち組に立てれば良し、それを公言していた先輩が、なんであんな『バカ借金』をこさえていたのか判らなかったから。
 ここまで計算して恩を売る事の出来る男の、あの馬鹿げた行動が許せなかったから。

「ワルだったんだー、フェルナンド先輩って」
 ランドルフの笑いながらの言葉に、ルードヴィッヒも笑って答えた。
「ワルでしたよー、フェルナンド先輩はー」
 そして、帝都ユグドラシルの夜は、とっぷりと更けて行った。


 その頃のフェルナンドは、四十℃オーバーの熱を出し、看護士による完全看護状態で病院にいた。
 そして、来ないと判ってはいたが、「もしも」を考えて眠れぬ夜を過ごしていた。


 ……寝ろよ、お前は。
しおりを挟む

処理中です...