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トビ
切望
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トビは息を潜めてジッと待つ。
彼は今、カラスたちが入っていった路地を見つめ、二人が再び姿を現すのをただひたすら待っていた。腹ばいになっているのは、通りを挟んだ向かい側にある三階建ての洋館の屋根の上である。
ここに陣取ってからすでに一刻は経っているが、トビにとってはまだまだ序の口だ。丸一日、微動だにせず獲物を待ち続けたこともある。
トビは鳥たちの誰よりも、気配を隠すのがうまかった。初手ならカラスでさえも出し抜けるだろう――モズたちにも、半分からかい混じりにしばしばそう言われていたものだった。
もっとも、まさか本当にカラスとやり合うことになるとは思っていなかったが。
トビは何よりも頼りになる相棒に添えた手に力を込める。すらりとした銃身は艶やかに磨き上げられた木製だ。肩口に押し当てた銃床をほんのわずかだけ動かした。
と、その時。
――来た。
眼下に姿を現したのは、漆黒と紅の取り合わせ。
路地から出てきた二人を、トビはジッと見つめた。そうして、銃口を紅の衣装に身を包んだ少女に向ける。
トビの見ている中で、カラスと少女の距離が次第に開いていく。もう五歩分ほど離れれば、カラスも彼女を護ることができなくなるだろう。
――今だ。
トビの指が引き金を絞ろうと、ピクリと動く。
が。
その光景に、トビは目を見開いた。信じられなくて、二度、三度と、瞬きをする。
しかし、やはりそれは変わらない。
「あれは、本当にカラスなのか……?」
彼の口からは、意識せぬまま呟きが漏れ出ていた。
カラスが何かを気に掛けるところなど、トビは見たことがなかった。それなのに、今、彼は立ち止り、振り返り、そして少女に向けて真っ直ぐに手を差し伸べている。
あの少女は、カラスに認識されているのだ。彼の目に留まり、彼の頭の中に居場所を得ているのだ。
そう思った瞬間、トビの胸の中で何かがうごめいた。
指が勝手に動き、直後轟音が響き渡る。その音で、トビは碌に狙いを付けぬうちに自分が引き金を絞っていたことに気付いた。
「クソッ」
思わず毒づく。
眼下ではカラスが少女を抱き上げ、その全身で彼女を包み込むようにして辺りを窺っていた。
弾は、当たっていない。たとえ距離を隔てていても、命中していればトビには判る。その手応えが、今は感じられなかった。
舌打ちをして、トビはもう一度少女を狙う。
二発目。
三発目。
だが、当たらない。警戒して意識を張り巡らせたカラスに、もう付け入る隙はない。
不意に、トビが見つめる中でカラスの頭が前後左右に動いた。その仕草に、彼はハッと息を呑む。
――僕を、探してる。
これまで決して有り得なかった、そして長い間切望していた状況に、トビの鼓動が速まった。
「僕はここだよ」
届くわけがない、届いたら自分は死ぬ。それが判っていて、呟いた。むしろ、それを切望していた。
と、まるでその声が聞こえたかのようにカラスの頭が止まり、気配を探るように微かに傾く。
――彼が、僕を見る。
高まる期待に、トビの肌が粟立つ。カラスに見つかれば、この任務は失敗だ。にも拘らず、その瞬間を望まずにはいられない。
カラスが振り返る。真っ直ぐに視線を上げれば、トビが見える筈だ。
だが、今にもあの緑の眼差しが彼を捉えようとしていたというのに、寸前でそれは阻止される。カラスの腕の中に包み込まれていた少女が身を乗り出して、彼に覆い被さったのだ。
その瞬間、カラスの意識が襲撃者を探すことから再び少女を護ることだけに向いてしまったことが判った。彼は少女を抱え込み、路地裏へと駆けこんでいく。
もう少しで、カラスはトビを見るところだった――トビは彼に認識されようとしていたのだ。
それなのに。
トビは銃を掴んで立ち上がる。その頭の中には、ただ一つのことしかなかった。
彼は今、カラスたちが入っていった路地を見つめ、二人が再び姿を現すのをただひたすら待っていた。腹ばいになっているのは、通りを挟んだ向かい側にある三階建ての洋館の屋根の上である。
ここに陣取ってからすでに一刻は経っているが、トビにとってはまだまだ序の口だ。丸一日、微動だにせず獲物を待ち続けたこともある。
トビは鳥たちの誰よりも、気配を隠すのがうまかった。初手ならカラスでさえも出し抜けるだろう――モズたちにも、半分からかい混じりにしばしばそう言われていたものだった。
もっとも、まさか本当にカラスとやり合うことになるとは思っていなかったが。
トビは何よりも頼りになる相棒に添えた手に力を込める。すらりとした銃身は艶やかに磨き上げられた木製だ。肩口に押し当てた銃床をほんのわずかだけ動かした。
と、その時。
――来た。
眼下に姿を現したのは、漆黒と紅の取り合わせ。
路地から出てきた二人を、トビはジッと見つめた。そうして、銃口を紅の衣装に身を包んだ少女に向ける。
トビの見ている中で、カラスと少女の距離が次第に開いていく。もう五歩分ほど離れれば、カラスも彼女を護ることができなくなるだろう。
――今だ。
トビの指が引き金を絞ろうと、ピクリと動く。
が。
その光景に、トビは目を見開いた。信じられなくて、二度、三度と、瞬きをする。
しかし、やはりそれは変わらない。
「あれは、本当にカラスなのか……?」
彼の口からは、意識せぬまま呟きが漏れ出ていた。
カラスが何かを気に掛けるところなど、トビは見たことがなかった。それなのに、今、彼は立ち止り、振り返り、そして少女に向けて真っ直ぐに手を差し伸べている。
あの少女は、カラスに認識されているのだ。彼の目に留まり、彼の頭の中に居場所を得ているのだ。
そう思った瞬間、トビの胸の中で何かがうごめいた。
指が勝手に動き、直後轟音が響き渡る。その音で、トビは碌に狙いを付けぬうちに自分が引き金を絞っていたことに気付いた。
「クソッ」
思わず毒づく。
眼下ではカラスが少女を抱き上げ、その全身で彼女を包み込むようにして辺りを窺っていた。
弾は、当たっていない。たとえ距離を隔てていても、命中していればトビには判る。その手応えが、今は感じられなかった。
舌打ちをして、トビはもう一度少女を狙う。
二発目。
三発目。
だが、当たらない。警戒して意識を張り巡らせたカラスに、もう付け入る隙はない。
不意に、トビが見つめる中でカラスの頭が前後左右に動いた。その仕草に、彼はハッと息を呑む。
――僕を、探してる。
これまで決して有り得なかった、そして長い間切望していた状況に、トビの鼓動が速まった。
「僕はここだよ」
届くわけがない、届いたら自分は死ぬ。それが判っていて、呟いた。むしろ、それを切望していた。
と、まるでその声が聞こえたかのようにカラスの頭が止まり、気配を探るように微かに傾く。
――彼が、僕を見る。
高まる期待に、トビの肌が粟立つ。カラスに見つかれば、この任務は失敗だ。にも拘らず、その瞬間を望まずにはいられない。
カラスが振り返る。真っ直ぐに視線を上げれば、トビが見える筈だ。
だが、今にもあの緑の眼差しが彼を捉えようとしていたというのに、寸前でそれは阻止される。カラスの腕の中に包み込まれていた少女が身を乗り出して、彼に覆い被さったのだ。
その瞬間、カラスの意識が襲撃者を探すことから再び少女を護ることだけに向いてしまったことが判った。彼は少女を抱え込み、路地裏へと駆けこんでいく。
もう少しで、カラスはトビを見るところだった――トビは彼に認識されようとしていたのだ。
それなのに。
トビは銃を掴んで立ち上がる。その頭の中には、ただ一つのことしかなかった。
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