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第二章:すれちがい
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萌は姿見の中の自分を見つめる。
ワンピースは、可愛い。
一美が買ってくれた、桜色のワンピース。
クスノキの家を出るまでは卒業生が残していったお古を譲り受け、働くようになってからも自分で選ぶ服は機能的で安いものばかりだった。
こんなふうにヒラヒラした服なんて、着たことがない。
髪も、リコに借りたアクセサリーでアップにしてみた。
何度も何度も練習して、ようやくうまくまとまるようになった。
萌は、鏡の中の自分に笑いかけた。
何となく、引きつっている。
こんなふうに着飾って、確かに萌も、いつもの自分とは違うと思う。
でも――
本当に、こんな自分が一美の隣に立ってもいいのだろうか。
彼と二人きりでいる時は、別に何も気にならない。ただ、傍にいられればそれだけで幸せな気持ちでいっぱいになれるから。
でも、彼の『恋人』として隣に立つ時は――他の人にもそれを知らしめるように立つ時は、いつも少し居心地の悪さを覚える。
それは、多分、一美が自分のことをどんなふうに想ってくれているのかが、今ひとつ判らないからだ。
彼は萌のことをとても大事にしてくれるけれど、それがどんな気持ちから来るものなのかが、彼女には判らない。
付き合い始めた時に言われたのは、「多分、好きなのだと思う」。
だけど。
(先生の『好き』って、どういう『好き』なの?)
それは、こんなふうに着飾って彼の隣に並んでもいいような『好き』なのだろうか。
キスは、する。
そっと触れるだけのものも――深いものも。
(『妹』や『娘』とは、あんなキスはしないよね……?)
萌は、そっと指先で唇に触れながら、そう自問する。
そんなふうに想っている相手には、あんなキスはしないはず。
それに、前に一美の口から、「そうではない」と言われたではないか。
(――と思うって、付いてたけど)
ちょっとばかり不安要素はあるけれど、多分、そうではないのだ。
でも、キス以上は無い。
それは、どんな意味を持つのだろうか。普通は、付き合ってどれくらいで『その先』に進むものなのだろう。
萌は、色々なことが『初めて』だった。誰かをこんなふうに想うことも、誰かとあんなふうに触れ合うことも。
けれども、軽いキスでも死にそうなほどにドキドキしてしまう萌と違って、経験豊富な一美には、殆どおままごとのようなものなのかもしれない。
キスにも、深い意味なんて、ないのかもしれない。
「ああ、もう」
ただ彼を想っていた時の方が、幸せだった気さえしてくる。彼が自分のことをどんなふうに想っているのかを考えなくて済んだから。
大事にされて幸せなのに、不意に逃げ出したくなるなんて、自分でも変だと思う。けれども、時折そんな気持ちになってしまうのだ。
萌は小さく息をつく。
と、丁度その時、玄関のチャイムが鳴った。一美が迎えに来てくれたのだと思っても、すぐには動けなかった。
もう一度、チャイムが響く。
深呼吸を一つして、萌は玄関に向かった。
ドアを開ける前に、もう一度深呼吸。
そうして、ドアノブに手を掛ける。
「準備はできたか?」
玄関に入ってきた一美は、開口一番そう訊いてきた。
「はい、いつでも行けますよ?」
笑顔でそう答える萌を、彼はジッと見下ろしてくる。
――どこか、変?
思わず身なりを見直そうと視線を下げた萌の頬に、一美の手が添えられた。
「顔を上げて」
「え?」
萌は、眉をひそめて彼を見上げる。
「そのまま、少し唇開けて」
一美の意図が判らないまま、彼を見つめて言うとおりにした。
と。
「ひゃ!?」
唇に、かすめるように彼の唇が触れて、思わず萌は妙な声を上げてしまう。
「……悪い。そんなふうに見てくるから、つい……もう一度、ジッとしていてくれ」
頬が赤らんでいるのを自覚しつつ、萌はもう一度同じように固まった。
一美はポケットから何かを取り出すと、それで彼女の唇に触れる――隅から隅まで、丁寧に。
「いいぞ」
そう言うと、彼は萌の右手を取り、その上に何かを落とす。そこにあるのは、小さな口紅だ。キャップを外して見てみると、ワンピースと同じ、桜色だった。
「ワンピースも髪も、その色も良く似合う。行くぞ」
「……はい」
どんな顔をしたらいいのか、判らない。
うつむきがちに頷いて、萌は彼の後に続いた。
ワンピースは、可愛い。
一美が買ってくれた、桜色のワンピース。
クスノキの家を出るまでは卒業生が残していったお古を譲り受け、働くようになってからも自分で選ぶ服は機能的で安いものばかりだった。
こんなふうにヒラヒラした服なんて、着たことがない。
髪も、リコに借りたアクセサリーでアップにしてみた。
何度も何度も練習して、ようやくうまくまとまるようになった。
萌は、鏡の中の自分に笑いかけた。
何となく、引きつっている。
こんなふうに着飾って、確かに萌も、いつもの自分とは違うと思う。
でも――
本当に、こんな自分が一美の隣に立ってもいいのだろうか。
彼と二人きりでいる時は、別に何も気にならない。ただ、傍にいられればそれだけで幸せな気持ちでいっぱいになれるから。
でも、彼の『恋人』として隣に立つ時は――他の人にもそれを知らしめるように立つ時は、いつも少し居心地の悪さを覚える。
それは、多分、一美が自分のことをどんなふうに想ってくれているのかが、今ひとつ判らないからだ。
彼は萌のことをとても大事にしてくれるけれど、それがどんな気持ちから来るものなのかが、彼女には判らない。
付き合い始めた時に言われたのは、「多分、好きなのだと思う」。
だけど。
(先生の『好き』って、どういう『好き』なの?)
それは、こんなふうに着飾って彼の隣に並んでもいいような『好き』なのだろうか。
キスは、する。
そっと触れるだけのものも――深いものも。
(『妹』や『娘』とは、あんなキスはしないよね……?)
萌は、そっと指先で唇に触れながら、そう自問する。
そんなふうに想っている相手には、あんなキスはしないはず。
それに、前に一美の口から、「そうではない」と言われたではないか。
(――と思うって、付いてたけど)
ちょっとばかり不安要素はあるけれど、多分、そうではないのだ。
でも、キス以上は無い。
それは、どんな意味を持つのだろうか。普通は、付き合ってどれくらいで『その先』に進むものなのだろう。
萌は、色々なことが『初めて』だった。誰かをこんなふうに想うことも、誰かとあんなふうに触れ合うことも。
けれども、軽いキスでも死にそうなほどにドキドキしてしまう萌と違って、経験豊富な一美には、殆どおままごとのようなものなのかもしれない。
キスにも、深い意味なんて、ないのかもしれない。
「ああ、もう」
ただ彼を想っていた時の方が、幸せだった気さえしてくる。彼が自分のことをどんなふうに想っているのかを考えなくて済んだから。
大事にされて幸せなのに、不意に逃げ出したくなるなんて、自分でも変だと思う。けれども、時折そんな気持ちになってしまうのだ。
萌は小さく息をつく。
と、丁度その時、玄関のチャイムが鳴った。一美が迎えに来てくれたのだと思っても、すぐには動けなかった。
もう一度、チャイムが響く。
深呼吸を一つして、萌は玄関に向かった。
ドアを開ける前に、もう一度深呼吸。
そうして、ドアノブに手を掛ける。
「準備はできたか?」
玄関に入ってきた一美は、開口一番そう訊いてきた。
「はい、いつでも行けますよ?」
笑顔でそう答える萌を、彼はジッと見下ろしてくる。
――どこか、変?
思わず身なりを見直そうと視線を下げた萌の頬に、一美の手が添えられた。
「顔を上げて」
「え?」
萌は、眉をひそめて彼を見上げる。
「そのまま、少し唇開けて」
一美の意図が判らないまま、彼を見つめて言うとおりにした。
と。
「ひゃ!?」
唇に、かすめるように彼の唇が触れて、思わず萌は妙な声を上げてしまう。
「……悪い。そんなふうに見てくるから、つい……もう一度、ジッとしていてくれ」
頬が赤らんでいるのを自覚しつつ、萌はもう一度同じように固まった。
一美はポケットから何かを取り出すと、それで彼女の唇に触れる――隅から隅まで、丁寧に。
「いいぞ」
そう言うと、彼は萌の右手を取り、その上に何かを落とす。そこにあるのは、小さな口紅だ。キャップを外して見てみると、ワンピースと同じ、桜色だった。
「ワンピースも髪も、その色も良く似合う。行くぞ」
「……はい」
どんな顔をしたらいいのか、判らない。
うつむきがちに頷いて、萌は彼の後に続いた。
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