19 / 22
雛姫の決意
しおりを挟む
賢人はひとまず自転車をしまい、鞄を玄関の中に放り込んでから雛姫たちに向き合った。
「えっと、で、話って? あ……ここじゃあれか」
家に上がってもらってもいいが、雛姫は気詰まりだろう。どうしようかと少し考え、思いつく。
「近くに公園があるから、そこに行こう。ついてきて」
彼女たちを促して賢人は歩き出した。少し遅れて、何も言わずに続く二人の足音が聞こえてくる。
公園は、入り口に立ったら端まで見渡せてしまえそうな、小さなものだった。置いてあるのも、賢人の背丈とどっこいどっこいのジャングルジムにブランコ、滑り台――そのくらいだ。空が紅く染まったこの時間、子どもの姿はない。
賢人はひとまず雛姫たちをベンチまで連れて行き、柵を乗り越えてその外側にある自販機でジュースを仕入れて戻ってくる。
「で、ホント、どうしたの?」
並んでベンチに座っている雛姫たちの前の地面に腰を下ろして、賢人は二人を見上げた。雛姫と春日は顔を見合わせ、次いで、春日だけが立ち上がる。
「わたし、あっちにいるから」
「え?」
「雛姫ちゃんが話したいことは、もう知ってるの。あ、ジュースありがと」
そう言うと、春日は賢人には有無を言わせず走っていってしまった。呆気に取られた賢人が見送る中で彼女はブランコに陣取り、それを揺らしながらジュースを飲み始める。
「えっと……ホントに一人でいいの?」
雛姫に目を戻して確認すると、彼女は頷いた。賢人は少し迷ってから雛姫の隣に尻を移す。
拳二つ分の隙間を開けて座った彼に、ほんの一瞬、雛姫の肩が緊張した。けれど、すぐにそれが緩んだのが判る。
その距離は、触れてはいないけれども体温は伝わってくる距離だ。
ほんの数ヶ月前までは、雛姫は、彼がこれほど近くに寄ろうものならガチガチに身体を固くしていた。けれど、いつの間にか、それがなくなっていた。
一日一日の変化は目に付きにくくても、確かに雛姫と賢人との距離は、変わってきているのだ。
他の男がこんなことを言っていれば、賢人は笑ってしまうだろう。そんな些細なもので満足するなんて、と。
だが、賢人は、その些細な変化がこの上なく嬉しい。嬉しくてたまらない。
二人きりで話したいと言ったのは雛姫だったが、彼女は、なかなかその口を開こうとしなかった。とはいえ、賢人は彼女といられれば満足なので、急かす気はない。
(ていうか、死ぬまでこうしててもいいかも)
そんなバカなことすら考えてしまうくらいだ。
視線だけを隣に流せば、そこに雛姫の横顔がある。
やっぱり、とても可愛いと思った。
大きな目。
小作りだけれども形の良い鼻。
小ぶりでふっくらした唇。
柔らかく丸みを帯びた頬。
それらが絶妙なバランスをとっている、可愛い、顔だ。
けれどそれは雛姫を構成するもののうちの一つに過ぎない。
誰も気づいていない小さな声に気づいて、助けたいと思うけれどもそれができない自分に泣けてしまうところが可愛い。
傷に呑まれて人の全てが怖くなって、誰にも近づけなくなってしまうような弱さが可愛い。
けれど、そうやって人と距離を置こうとしているのに、誰かが困っていれば考えるより先に身体が動いてしまうようなところが可愛い。
つまり、雛姫の何もかもが可愛いのだ。
直感から始まった気持ちが、雛姫の傍にいればいるほどドンドン塗り固められていって、今では何をもってしても崩れない山のようになっている。
(これ、きっと一生微動だにしないんだろうな)
雛姫を好きになった時の直感以上に、賢人にはその予感は間違いないという確信があった。
ふと見ると雛姫の手の中にある缶ジュースはまだ蓋が開いていなくて、賢人はそれを取り、プルタブを引いて渡す。
「ありがとう」
雛姫はジュースを受け取ると、さっきまでと同じように両手でそれを包み込み、ひと口含んだ。それから、ほ、と小さく息をつく。
それが呼び水になったのか。
「あのね」
うつむいたままで一言口にしてから、雛姫はふと何かに気づいたように顔を上げ、身体ごと賢人に向き直った。彼はと言えばずっと彼女を見ていたから、真正面から視線が絡む。
雛姫は軽く目蓋を伏せて一度深呼吸をしてから、また賢人を見つめた。
「私、美紗に会いに行こうと思うの」
「そっか」
賢人は何の戸惑いも疑問もなくうなずいた。なんとなく、彼女がそう言うような気がしていたから、その一言はするりと口から出ていた。
雛姫は手元のジュースに目を落とす。
「あのね。お見舞いに来てくれた時、舘くんが『美紗と話をしたのか』って、私に訊いたでしょう?」
それは問いかけの形をとりながら、賢人の答えを求めているようには聞こえなかった。彼の予想通り、返事をきかないまま、彼女が続ける。
「私、美紗と話をしなかった。ただ、美紗が泣いたことが怖くて、私が泣かせてしまったことが苦しくて、そこから逃げたの。三年間、逃げっ放しだったの」
そこで彼女は口をつぐむ。
賢人は両腕を脚の間に垂らして身体の力を抜き、雛姫がまた話し出すのを待った。群青色に染まりつつある東の空に目を向けて、もうじき日が暮れるな、と思いながら。
ふと隣で雛姫が動く気配がして、賢人がそちらを見ると、彼女も上げた顔を彼の方に向けたところだった。
「私は逃げて、小春ちゃんやお兄ちゃんが守ってくれることに甘えているだけだった。自分だけが安全な中に閉じこもって、美紗のこと、考えていなかったの。美紗が私のこと怒っているなら、ちゃんとそれを受け止めなければいけなかったのに」
少し、声が震えた。
けれど雛姫は一度奥歯を噛み締め、それをこらえる。
「この間、駅前で美紗と会って、あの時のことを……気持ちを、全部思い出したの。すごくつらかった。つらくて――また、逃げたの。逃げて、美紗のことなんて、考えようとしなかった。また、全部薄れてしまうまで、閉じこもろうとしていたの」
元から華奢なのにいっそう小さくなった肩を、賢人は抱き締めたくてたまらない。けれど、彼はそうしなかった。今はそうするべきではない、雛姫もそれを望んでいないと、判っていたから。
彼は膝の上で両手を握り込んで、不規則な雛姫の息遣いに耳を澄ませる。
長く待つことはなかった。
雛姫が真っ直ぐに賢人の目を覗き込んで、一度、瞬きをする。
「お見舞いに来てくれた時、舘くんに言われて、考えようとして美紗のことを考えたの。それまでは、考えたくなくても考えてしまってたけど、そうじゃなくて、ちゃんと美紗のことを考えようと思って、考えた」
缶を持つ雛姫の手に力がこもって、指先が白くなる。
「そしたら、美紗の言葉を全然聞こうとしなかったことに、気がついたの。私は自分が辛くて逃げて、同時に、私が傷つけた美紗からも、逃げたんだって……」
賢人は否定の言葉を吐き出しそうになって、息を詰めた。
それは、雛姫が負うものではない。
百歩譲ってちゃんとその時話し合っていればよかったのにとは思うけれども、雛姫が木下美紗を傷つけたというのは、違う。彼女が金谷浩史に傷つけられるのは、最初から決まっていたことだったのだから。
けれど、賢人がそれを伝えたところで、やっぱり雛姫は自分のせいだと思うのだろう。
(やっぱ、千発殴ってやったら良かったな)
こんなにつらそうな雛姫を見せられることになると知っていれば、奴のことをタコ殴りにしていたのに。
賢人はゆるゆると息を吐き、何とか気持ちを落ち着かせる。
彼のそんな素振りに、雛姫は気づかずにいてくれたようだ。軽く首をかしげて、目を合わせてくる。
「舘くんは私のことを好きだって言ってくれるよね? でも、私には、どうしてそう言ってくれるのか、全然解らないの」
「それは、オレの気持ちなんだから雛姫に解らないのは当然だろ?」
「そうじゃなくて。私は、自分が嫌いなの。だから、そんな私のことを好きだと言ってもらっても、全然、解らないし、受け入れられないの」
きっぱりと言った雛姫は、今までで一番、真っ直ぐな眼差しをしていた。
そこに、ふと、苦笑めいたものがよぎる。
「私ね、舘くんのことが少し羨ましかったの」
唐突な『告白』に、賢人は眉をひそめた。
「……え?」
「舘くんはいつも笑っているから。私は、笑うのが怖いから」
「そんなの――」
笑いたければ、いつだって笑わせてやる。
そう言おうとして、やめた。
口をつぐんだ賢人の言葉を横取りするように、雛姫が続ける。
「でも、私は、今の自分が嫌い。美紗のこと傷つけた自分は嫌だけど、あの時の自分よりも、今の自分の方が、もっと嫌い。このままで、いたくない――私も、また、笑えるようになりたい」
その宣言は、いつかの賢人の言葉に対する答えのように聞こえた。
いや、きっと、そうなのだろう。
思いつくまま彼が投げた言葉を、雛姫は、ちゃんと受け止め、考えていてくれたのだ。
(なんで、これでオレが雛姫のことを好きになるのかが解からないとか言えるんだ?)
こんなにも、彼女には好きになるしかない要素が溢れているというのに。
今、この瞬間、君のことが好きなんだと、言いたい。
賢人は心の底からそう思った。
けれど、今は、ダメだ。
「うん、オレも見たい」
好きだの代わりに同じくらい強く思っていることを口にすると、雛姫は華奢な背中をピンと伸ばした。
「メールでね、美紗に、明日会いたいって送ったの。そしたら、『わかった』って。それだけだからどう思ってそう返事してくれたのかは、判らないのだけど」
最初のうちははっきりと出ていた声が、最後の方は口の中に消えていく。
「……怖い?」
答えが判っていることを、賢人は敢えて声に出して訊いた。
雛姫は一度顔を伏せ、また上げる。
「怖いよ。でも、やめない」
澄んだ声でそう言った彼女の目の中に、迷いの色はない。
そんな雛姫は、もう、胸が苦しくなるほどキレイで。
「やべぇ」
「え?」
「やっぱ、好き。雛姫が自分のこと嫌いでも、オレは好き。抱き締めたい。でも今は我慢しとく。いつか絶対オレのものにするから、その時は覚えとけ」
つらつらと頭の中を吐き出した賢人に、雛姫が目を丸くする。その顔がまた可愛くて、彼は笑った。
「ホント、好き。だから、明日、オレも一緒に行っていい?」
雛姫のことが好きだから。
春日や梁川と違う形で、彼女のことを守りたいと思っているから。
だから、明日、また傷つくかもしれない雛姫の傍にいたい。
ジッと見つめる賢人の前で、雛姫は目をしばたかせた。そして、おずおずと言う。
「来て、くれるの?」
「行きたい」
きっぱりとそう答えると、雛姫の大きな目が潤んだ。そこから雫が零れ落ちる前に、彼女は顔を伏せた。そして、小さな声が続く。
「ありがとう」
ああ、クソ。
(なんでオレはあんなことを言っちまったんだ?)
震える肩を前にして、賢人はさきほどの『我慢する』発言を死ぬほど後悔していた。
「えっと、で、話って? あ……ここじゃあれか」
家に上がってもらってもいいが、雛姫は気詰まりだろう。どうしようかと少し考え、思いつく。
「近くに公園があるから、そこに行こう。ついてきて」
彼女たちを促して賢人は歩き出した。少し遅れて、何も言わずに続く二人の足音が聞こえてくる。
公園は、入り口に立ったら端まで見渡せてしまえそうな、小さなものだった。置いてあるのも、賢人の背丈とどっこいどっこいのジャングルジムにブランコ、滑り台――そのくらいだ。空が紅く染まったこの時間、子どもの姿はない。
賢人はひとまず雛姫たちをベンチまで連れて行き、柵を乗り越えてその外側にある自販機でジュースを仕入れて戻ってくる。
「で、ホント、どうしたの?」
並んでベンチに座っている雛姫たちの前の地面に腰を下ろして、賢人は二人を見上げた。雛姫と春日は顔を見合わせ、次いで、春日だけが立ち上がる。
「わたし、あっちにいるから」
「え?」
「雛姫ちゃんが話したいことは、もう知ってるの。あ、ジュースありがと」
そう言うと、春日は賢人には有無を言わせず走っていってしまった。呆気に取られた賢人が見送る中で彼女はブランコに陣取り、それを揺らしながらジュースを飲み始める。
「えっと……ホントに一人でいいの?」
雛姫に目を戻して確認すると、彼女は頷いた。賢人は少し迷ってから雛姫の隣に尻を移す。
拳二つ分の隙間を開けて座った彼に、ほんの一瞬、雛姫の肩が緊張した。けれど、すぐにそれが緩んだのが判る。
その距離は、触れてはいないけれども体温は伝わってくる距離だ。
ほんの数ヶ月前までは、雛姫は、彼がこれほど近くに寄ろうものならガチガチに身体を固くしていた。けれど、いつの間にか、それがなくなっていた。
一日一日の変化は目に付きにくくても、確かに雛姫と賢人との距離は、変わってきているのだ。
他の男がこんなことを言っていれば、賢人は笑ってしまうだろう。そんな些細なもので満足するなんて、と。
だが、賢人は、その些細な変化がこの上なく嬉しい。嬉しくてたまらない。
二人きりで話したいと言ったのは雛姫だったが、彼女は、なかなかその口を開こうとしなかった。とはいえ、賢人は彼女といられれば満足なので、急かす気はない。
(ていうか、死ぬまでこうしててもいいかも)
そんなバカなことすら考えてしまうくらいだ。
視線だけを隣に流せば、そこに雛姫の横顔がある。
やっぱり、とても可愛いと思った。
大きな目。
小作りだけれども形の良い鼻。
小ぶりでふっくらした唇。
柔らかく丸みを帯びた頬。
それらが絶妙なバランスをとっている、可愛い、顔だ。
けれどそれは雛姫を構成するもののうちの一つに過ぎない。
誰も気づいていない小さな声に気づいて、助けたいと思うけれどもそれができない自分に泣けてしまうところが可愛い。
傷に呑まれて人の全てが怖くなって、誰にも近づけなくなってしまうような弱さが可愛い。
けれど、そうやって人と距離を置こうとしているのに、誰かが困っていれば考えるより先に身体が動いてしまうようなところが可愛い。
つまり、雛姫の何もかもが可愛いのだ。
直感から始まった気持ちが、雛姫の傍にいればいるほどドンドン塗り固められていって、今では何をもってしても崩れない山のようになっている。
(これ、きっと一生微動だにしないんだろうな)
雛姫を好きになった時の直感以上に、賢人にはその予感は間違いないという確信があった。
ふと見ると雛姫の手の中にある缶ジュースはまだ蓋が開いていなくて、賢人はそれを取り、プルタブを引いて渡す。
「ありがとう」
雛姫はジュースを受け取ると、さっきまでと同じように両手でそれを包み込み、ひと口含んだ。それから、ほ、と小さく息をつく。
それが呼び水になったのか。
「あのね」
うつむいたままで一言口にしてから、雛姫はふと何かに気づいたように顔を上げ、身体ごと賢人に向き直った。彼はと言えばずっと彼女を見ていたから、真正面から視線が絡む。
雛姫は軽く目蓋を伏せて一度深呼吸をしてから、また賢人を見つめた。
「私、美紗に会いに行こうと思うの」
「そっか」
賢人は何の戸惑いも疑問もなくうなずいた。なんとなく、彼女がそう言うような気がしていたから、その一言はするりと口から出ていた。
雛姫は手元のジュースに目を落とす。
「あのね。お見舞いに来てくれた時、舘くんが『美紗と話をしたのか』って、私に訊いたでしょう?」
それは問いかけの形をとりながら、賢人の答えを求めているようには聞こえなかった。彼の予想通り、返事をきかないまま、彼女が続ける。
「私、美紗と話をしなかった。ただ、美紗が泣いたことが怖くて、私が泣かせてしまったことが苦しくて、そこから逃げたの。三年間、逃げっ放しだったの」
そこで彼女は口をつぐむ。
賢人は両腕を脚の間に垂らして身体の力を抜き、雛姫がまた話し出すのを待った。群青色に染まりつつある東の空に目を向けて、もうじき日が暮れるな、と思いながら。
ふと隣で雛姫が動く気配がして、賢人がそちらを見ると、彼女も上げた顔を彼の方に向けたところだった。
「私は逃げて、小春ちゃんやお兄ちゃんが守ってくれることに甘えているだけだった。自分だけが安全な中に閉じこもって、美紗のこと、考えていなかったの。美紗が私のこと怒っているなら、ちゃんとそれを受け止めなければいけなかったのに」
少し、声が震えた。
けれど雛姫は一度奥歯を噛み締め、それをこらえる。
「この間、駅前で美紗と会って、あの時のことを……気持ちを、全部思い出したの。すごくつらかった。つらくて――また、逃げたの。逃げて、美紗のことなんて、考えようとしなかった。また、全部薄れてしまうまで、閉じこもろうとしていたの」
元から華奢なのにいっそう小さくなった肩を、賢人は抱き締めたくてたまらない。けれど、彼はそうしなかった。今はそうするべきではない、雛姫もそれを望んでいないと、判っていたから。
彼は膝の上で両手を握り込んで、不規則な雛姫の息遣いに耳を澄ませる。
長く待つことはなかった。
雛姫が真っ直ぐに賢人の目を覗き込んで、一度、瞬きをする。
「お見舞いに来てくれた時、舘くんに言われて、考えようとして美紗のことを考えたの。それまでは、考えたくなくても考えてしまってたけど、そうじゃなくて、ちゃんと美紗のことを考えようと思って、考えた」
缶を持つ雛姫の手に力がこもって、指先が白くなる。
「そしたら、美紗の言葉を全然聞こうとしなかったことに、気がついたの。私は自分が辛くて逃げて、同時に、私が傷つけた美紗からも、逃げたんだって……」
賢人は否定の言葉を吐き出しそうになって、息を詰めた。
それは、雛姫が負うものではない。
百歩譲ってちゃんとその時話し合っていればよかったのにとは思うけれども、雛姫が木下美紗を傷つけたというのは、違う。彼女が金谷浩史に傷つけられるのは、最初から決まっていたことだったのだから。
けれど、賢人がそれを伝えたところで、やっぱり雛姫は自分のせいだと思うのだろう。
(やっぱ、千発殴ってやったら良かったな)
こんなにつらそうな雛姫を見せられることになると知っていれば、奴のことをタコ殴りにしていたのに。
賢人はゆるゆると息を吐き、何とか気持ちを落ち着かせる。
彼のそんな素振りに、雛姫は気づかずにいてくれたようだ。軽く首をかしげて、目を合わせてくる。
「舘くんは私のことを好きだって言ってくれるよね? でも、私には、どうしてそう言ってくれるのか、全然解らないの」
「それは、オレの気持ちなんだから雛姫に解らないのは当然だろ?」
「そうじゃなくて。私は、自分が嫌いなの。だから、そんな私のことを好きだと言ってもらっても、全然、解らないし、受け入れられないの」
きっぱりと言った雛姫は、今までで一番、真っ直ぐな眼差しをしていた。
そこに、ふと、苦笑めいたものがよぎる。
「私ね、舘くんのことが少し羨ましかったの」
唐突な『告白』に、賢人は眉をひそめた。
「……え?」
「舘くんはいつも笑っているから。私は、笑うのが怖いから」
「そんなの――」
笑いたければ、いつだって笑わせてやる。
そう言おうとして、やめた。
口をつぐんだ賢人の言葉を横取りするように、雛姫が続ける。
「でも、私は、今の自分が嫌い。美紗のこと傷つけた自分は嫌だけど、あの時の自分よりも、今の自分の方が、もっと嫌い。このままで、いたくない――私も、また、笑えるようになりたい」
その宣言は、いつかの賢人の言葉に対する答えのように聞こえた。
いや、きっと、そうなのだろう。
思いつくまま彼が投げた言葉を、雛姫は、ちゃんと受け止め、考えていてくれたのだ。
(なんで、これでオレが雛姫のことを好きになるのかが解からないとか言えるんだ?)
こんなにも、彼女には好きになるしかない要素が溢れているというのに。
今、この瞬間、君のことが好きなんだと、言いたい。
賢人は心の底からそう思った。
けれど、今は、ダメだ。
「うん、オレも見たい」
好きだの代わりに同じくらい強く思っていることを口にすると、雛姫は華奢な背中をピンと伸ばした。
「メールでね、美紗に、明日会いたいって送ったの。そしたら、『わかった』って。それだけだからどう思ってそう返事してくれたのかは、判らないのだけど」
最初のうちははっきりと出ていた声が、最後の方は口の中に消えていく。
「……怖い?」
答えが判っていることを、賢人は敢えて声に出して訊いた。
雛姫は一度顔を伏せ、また上げる。
「怖いよ。でも、やめない」
澄んだ声でそう言った彼女の目の中に、迷いの色はない。
そんな雛姫は、もう、胸が苦しくなるほどキレイで。
「やべぇ」
「え?」
「やっぱ、好き。雛姫が自分のこと嫌いでも、オレは好き。抱き締めたい。でも今は我慢しとく。いつか絶対オレのものにするから、その時は覚えとけ」
つらつらと頭の中を吐き出した賢人に、雛姫が目を丸くする。その顔がまた可愛くて、彼は笑った。
「ホント、好き。だから、明日、オレも一緒に行っていい?」
雛姫のことが好きだから。
春日や梁川と違う形で、彼女のことを守りたいと思っているから。
だから、明日、また傷つくかもしれない雛姫の傍にいたい。
ジッと見つめる賢人の前で、雛姫は目をしばたかせた。そして、おずおずと言う。
「来て、くれるの?」
「行きたい」
きっぱりとそう答えると、雛姫の大きな目が潤んだ。そこから雫が零れ落ちる前に、彼女は顔を伏せた。そして、小さな声が続く。
「ありがとう」
ああ、クソ。
(なんでオレはあんなことを言っちまったんだ?)
震える肩を前にして、賢人はさきほどの『我慢する』発言を死ぬほど後悔していた。
0
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】
ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る――
※他サイトでも投稿中
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~
ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。
彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。
――死んだはずの彼女が、生きている?
同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。
「今さら、逃げ道があると思うなよ」
瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。
秘された皇子と、選び直した愛。
三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?
* * *
後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。
er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる