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仔猫は新たな境地へ
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その夜。
いつも通りの片づけと翌朝の為の下ごしらえを済ませ、沐浴も終えてあとはもう寝るだけとなったケイティは、廊下でルーカスと鉢合わせになった。
それ自体は別に珍しいことではなかったけれど、彼が肩に担いでいる代物に、ケイティは眉をひそめる。
「あの、それ……」
「ああ、これ? そう、隊長」
確かめるまでもなくそうとしか見えないその荷物の正体を問うたケイティに、ルーカスはニコリと頷いた。
「ケイティはもう寝るところ?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、ついてきてくれるかい?」
「はあ……あの、だんな様、お加減が悪いのですか?」
もしもそうなら、鬼の霍乱、いや、魔王の霍乱、だ。
ケイティがここに身を寄せてから、ブラッドがくしゃみ一つするところも見たことがないのだから。
「えっと、何かお薬をお持ちした方が……や、それよりもお医者様?」
オロオロと、ケイティはぐったりとしているブラッドの顔を覗き込む。顔色はいい、というよりも、赤い気がする。
(熱でもあるの?)
そっと手を伸ばして平らな額に触れてみたけれど、熱いというほどではない。
いったい何の病気だろうと動転するケイティに、ルーカスの能天気な声が届く。
「ああ、大丈夫、病気じゃないから」
言いながら、彼は自分よりも大柄なブラッドを担いでいるとは思えない足取りでスタスタと廊下を進んでいく。この先にあるのは隊員の居住区だから、目指しているのはブラッドの寝室だろう。
ケイティは小走りで先に行き、ブラッドの部屋の扉を開けて待つ。
「ああ、ありがとう」
礼を言いながら中に入ったルーカスは、えいやという風情でブラッドをベッドの上に放り投げた。
「そんな、雑な……」
「大丈夫大丈夫。酔っ払っているだけだから」
平然と返されたその台詞に、ケイティは目をしばたたかせた。
「え?」
(酔っ払っている?)
病気になる以上に、珍しい事態だ。
この警邏隊詰め所は酒の持ち込みが禁じられているわけではなく、節度さえ守れば、勤務時間外に飲酒をすることは許されている。けれど、ブラッドがほんの一滴でもそのたぐいのものを口にするところを、ケイティは今まで目にしたことがなかった。
それどころか。
(寝顔、初めてかも……)
常に自分を厳しく律しているブラッドが初めて見せるその無防備な姿を、ケイティはマジマジと見つめてしまう。眠っていても薄っすら残る眉間のしわを伸ばしてあげたくて、指がうずうずした。
彼の枕元に立ち、ほとんど覗き込むようにしてブラッドを観察していたケイティに、笑いを含んだ声がかけられる。
「この人、こんなナリして酒には弱いんだよね。最近色々溜まっているようだったからちょっと吐き出させてやろうかな、と思ったら、杯一杯でもうグダグダ。てことで、私はもう寝るから、介抱してあげて」
そう言って、ルーカスはぞんざいな手つきでブラッドの上着をはぎ取った。と、ブラッドの眉根が寄って、目蓋が上がる。何かを探すように、その目がふらりと彷徨った。
「えっと、だんな様? 大丈夫ですか? お水、持ってきましょうか?」
またすぐにでも眠り込んでしまいそうなブラッドに、ケイティは畳みかけるようにして問いかけた。が、彼はそれに答えず彼女をジッと見つめている。
と思ったら。
ふわりと目尻を緩め、しみじみとした、口調で。
「ケイティ……お前は可愛いな」
ケイティは思わず首がもげんばかりの勢いでルーカスを振り仰ぐ。
「これ、誰ですか!?」
まるで、ブラッドの皮を被った別の何かだ。
元から大きな目を更に大きくして見上げたルーカスは、片手で顔を覆っていた。鼻から下はそれで隠されていたけれど、笑いをこらえているのがまるわかりだ。
「いや、もう、ダダ洩れだよね」
喉の奥で何かを押しつぶしたような声でそう言うと、彼はわざとらしく咳払いをした。
「まあ、とにかく、頼んだよ。どれだけ酔っぱらおうが隊長は隊長だから多分大丈夫だとは思うけれど、もしも身の危険を感じたら大声を上げて。私の部屋は隣だから、すぐに駆け付けるよ」
「え」
「じゃ、頑張って」
ルーカスは気楽な素振りでそう言って片手をヒラヒラと振ってよこし、呆気にとられたままのケイティを置いて出て行ってしまう。
「ちょっと……?」
今さらながら疑問を呈しても、答えをくれる相手はもういなかった。
無責任にもほどがある、と言いたかったけれども、いつまでも閉じた扉を恨めしげに睨みつけていても仕方がない。
ケイティはため息を一つこぼして、また寝台の上に寝転ぶブラッドに目を戻した。
スヤスヤと良くお休みの彼の太い首をしっかり包んだ襟は一番上までボタンがかけられていて、何だか苦しそうだ。いくつか外してあげた方が良いだろうと伸ばしたケイティの手が触れると同時に、パッとブラッドの目が開いた。
「お目覚めですか?」
声をかけても、ブラッドはぼんやりとケイティを見つめているだけだ。こんなに無防備なところは二度と見せてくれないのだろうなと微笑ましく思っている彼女の前で、無言のまま、彼が肘をついて身を起こす。
「できたら着替えた方が――ッ!?」
言いかけた言葉を、ケイティは息とともに呑み込んだ。
反射的に手伝おうとして差し伸べた手を、突然ブラッドに引っ張られたからだ。体勢を整える余裕も抗う術もなく、ケイティはブラッドの上に倒れ込む。硬い彼の胸に手をついてパッと起き上がろうとしたけれど、すかさず背中に回ってきた太い腕に阻止された。
腰と後ろ頭をガッチリと固定され、大きな身体にスッポリと包み込まれては、身じろぎ一つままならない。
「あ、の、だんな様?」
どうにかこうにか二人の間に腕を潜り込ませ、ブラッドの胸に手を突っ張って離れようとした――が、縦にも横にも、彼はケイティの倍はあるのではなかろうかという体格差だから、当然のことながらビクともしない。どころか、よりいっそう、鋼のような腕に力がこもる。
どうしよう、声を上げてルーカスを呼んだ方がいいのだろうかと迷うケイティの頭の上で。
「お前は小さい」
彼女の巻き毛に頬を埋めるようにして、ブラッドが言った。いや、言うというよりも独白か。返事を求めているようには聞こえない。
「そうですね、ですからもう少し力加減を……」
ケイティは、分厚い肩に向けてもごもごと請うた。これだけガッチリ抱え込まれているにも拘らず、苦しくはない。苦しくはないものの、密着度が半端ないので、流石に少しばかり、困る。けれど、その声はどうやらブラッドの耳には届かなかったらしく、彼は同じ調子で続けた。
「あいつも、小さかった。小さかったから、オレが守ってやらなければいけなかったのに」
(あいつって……?)
ブラッドに包まれたまま、ケイティは眉をひそめた。
守ってやらなければいけなかったのに、ということは、その相手を守れなかったということで。
顔を見なくても判る。彼のその声に溢れているのは、思慕と慈しみと――自責の念だ。
(誰のこと、だろう)
あの栗色の髪の女性なのか、それとも、ケイティが知らない他の誰か、なのか。
その人の代わりに、今、自分は抱き締められているのだろうか。
そう思った瞬間、ケイティの胸はずきりと痛んだ。
思わずブラッドのシャツを握り締めたケイティを、彼は更に懐深くに閉じ込めようとするかのように、引き寄せる。大きなブラッドの中に、小柄な彼女がすっぽりと収まった。と、ようやく人心地がついたとでも言いたげに、彼が息をつく。
「お前は、オレが守るから。絶対」
それは、ケイティを抱き締めるというよりも、彼女にすがろうとしているようにも感じられる声と力で。
そう思ってしまえば、ケイティの中から彼の腕から逃れようという気持ちは消え失せる。
守る、というこの人を、守ってあげたい。
代わりに、そんな思いが胸の奥底から込み上げた。
ブラッドは、ケイティを助けてくれた人だった。
助けてくれて、居場所をくれて、幸せだと思える日々を、くれる人で。
結局、彼が何をしようが何を言おうが――その心の奥に誰を秘めていようが――ケイティにとって大事でかけがえのない人なのだ。
ケイティが身体の力を抜くと、重ね合わせた胸から、力強くてゆったりとした鼓動が伝わってきた。包み込んでくれる温もりも心地良く、それらに身を委ねるうち、次第に彼女は眠りの淵に引き込まれていく。
ゆるゆるとケイティの意識は不明瞭になっていき、やがて何も判らなくなり……――突然の悲鳴じみた大声で一気に目が覚める。
ハッと目を開けると、部屋の中には燦々と陽が射し込んでいて、すっかり夜が明けているのが明らかだった。
ケイティを閉じ込めていたブラッドの腕は解かれていて、後ずさった彼は今にも寝台の端からずり落ちそうになっている。危ないな、とケイティが思った瞬間彼の姿が消え、部屋の中にドスンと大きな音が響き渡った。
夜通し撫で回されでもしていたのか、くしゃくしゃにもつれた巻毛を掻き上げて、ケイティは四つん這いになって寝台の下を覗き込む。
「大丈夫ですか?」
眉をひそめて案じた彼女を、ブラッドは仰向けのまま見上げてきた。
「お前、どうしてここに!?」
狼狽しきりのブラッドに、申し訳ないがケイティのいたずら心が刺激される。彼女は唇を尖らせて、彼を睨んだ。
「ひどい言い様ですね。だんな様が引っ張り込んで、一晩中放してくれなかったんですよ」
刹那、サァッとブラッドの顔から血の気が引いた。
「ちょっと待て、オレは、何を……」
「とっても素敵な夜でした」
ニッコリ笑ってケイティがそう返すと、ブラッドはピシリと固まり絶句した。微動だにしない彼の頭の中に、様々な可能性が巡っては消えているに違いない。
そんな、滅多にお目にかかることができないだろう彼の取り乱した姿を堪能しながら。
『ブラッドは守りたがり』
少し前の、ルーカスの言葉が脳裏によみがえる。
だったら、いつか、彼の中にある「守りたい」と思う気持ちが満たされたなら、それ以外の想いも抱いてくれるようになるのだろうか。
そんなふうに思いながら、ケイティはブラッドを安心させる答えを渡す。
「だんな様は、なんにもしてません。ただ、あたしのこと、抱き枕にしてただけで。ギュゥッと、一晩中」
「そ、そうか……」
あからさまにホッとした態度を見せるブラッドに、ケイティは笑い、そして少しばかり悔しくなる。
「だんな様、お酒はやめておいた方がいいと思いますよ」
唇を尖らせてそう言うと、ブラッドの奥歯にグッと力がこもった。そんな彼にチラリと笑い、ケイティは寝台を下りる。そうして軽い足取りで主人の横を擦り抜けて、いつもの日課に向かった。
いつも通りの片づけと翌朝の為の下ごしらえを済ませ、沐浴も終えてあとはもう寝るだけとなったケイティは、廊下でルーカスと鉢合わせになった。
それ自体は別に珍しいことではなかったけれど、彼が肩に担いでいる代物に、ケイティは眉をひそめる。
「あの、それ……」
「ああ、これ? そう、隊長」
確かめるまでもなくそうとしか見えないその荷物の正体を問うたケイティに、ルーカスはニコリと頷いた。
「ケイティはもう寝るところ?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、ついてきてくれるかい?」
「はあ……あの、だんな様、お加減が悪いのですか?」
もしもそうなら、鬼の霍乱、いや、魔王の霍乱、だ。
ケイティがここに身を寄せてから、ブラッドがくしゃみ一つするところも見たことがないのだから。
「えっと、何かお薬をお持ちした方が……や、それよりもお医者様?」
オロオロと、ケイティはぐったりとしているブラッドの顔を覗き込む。顔色はいい、というよりも、赤い気がする。
(熱でもあるの?)
そっと手を伸ばして平らな額に触れてみたけれど、熱いというほどではない。
いったい何の病気だろうと動転するケイティに、ルーカスの能天気な声が届く。
「ああ、大丈夫、病気じゃないから」
言いながら、彼は自分よりも大柄なブラッドを担いでいるとは思えない足取りでスタスタと廊下を進んでいく。この先にあるのは隊員の居住区だから、目指しているのはブラッドの寝室だろう。
ケイティは小走りで先に行き、ブラッドの部屋の扉を開けて待つ。
「ああ、ありがとう」
礼を言いながら中に入ったルーカスは、えいやという風情でブラッドをベッドの上に放り投げた。
「そんな、雑な……」
「大丈夫大丈夫。酔っ払っているだけだから」
平然と返されたその台詞に、ケイティは目をしばたたかせた。
「え?」
(酔っ払っている?)
病気になる以上に、珍しい事態だ。
この警邏隊詰め所は酒の持ち込みが禁じられているわけではなく、節度さえ守れば、勤務時間外に飲酒をすることは許されている。けれど、ブラッドがほんの一滴でもそのたぐいのものを口にするところを、ケイティは今まで目にしたことがなかった。
それどころか。
(寝顔、初めてかも……)
常に自分を厳しく律しているブラッドが初めて見せるその無防備な姿を、ケイティはマジマジと見つめてしまう。眠っていても薄っすら残る眉間のしわを伸ばしてあげたくて、指がうずうずした。
彼の枕元に立ち、ほとんど覗き込むようにしてブラッドを観察していたケイティに、笑いを含んだ声がかけられる。
「この人、こんなナリして酒には弱いんだよね。最近色々溜まっているようだったからちょっと吐き出させてやろうかな、と思ったら、杯一杯でもうグダグダ。てことで、私はもう寝るから、介抱してあげて」
そう言って、ルーカスはぞんざいな手つきでブラッドの上着をはぎ取った。と、ブラッドの眉根が寄って、目蓋が上がる。何かを探すように、その目がふらりと彷徨った。
「えっと、だんな様? 大丈夫ですか? お水、持ってきましょうか?」
またすぐにでも眠り込んでしまいそうなブラッドに、ケイティは畳みかけるようにして問いかけた。が、彼はそれに答えず彼女をジッと見つめている。
と思ったら。
ふわりと目尻を緩め、しみじみとした、口調で。
「ケイティ……お前は可愛いな」
ケイティは思わず首がもげんばかりの勢いでルーカスを振り仰ぐ。
「これ、誰ですか!?」
まるで、ブラッドの皮を被った別の何かだ。
元から大きな目を更に大きくして見上げたルーカスは、片手で顔を覆っていた。鼻から下はそれで隠されていたけれど、笑いをこらえているのがまるわかりだ。
「いや、もう、ダダ洩れだよね」
喉の奥で何かを押しつぶしたような声でそう言うと、彼はわざとらしく咳払いをした。
「まあ、とにかく、頼んだよ。どれだけ酔っぱらおうが隊長は隊長だから多分大丈夫だとは思うけれど、もしも身の危険を感じたら大声を上げて。私の部屋は隣だから、すぐに駆け付けるよ」
「え」
「じゃ、頑張って」
ルーカスは気楽な素振りでそう言って片手をヒラヒラと振ってよこし、呆気にとられたままのケイティを置いて出て行ってしまう。
「ちょっと……?」
今さらながら疑問を呈しても、答えをくれる相手はもういなかった。
無責任にもほどがある、と言いたかったけれども、いつまでも閉じた扉を恨めしげに睨みつけていても仕方がない。
ケイティはため息を一つこぼして、また寝台の上に寝転ぶブラッドに目を戻した。
スヤスヤと良くお休みの彼の太い首をしっかり包んだ襟は一番上までボタンがかけられていて、何だか苦しそうだ。いくつか外してあげた方が良いだろうと伸ばしたケイティの手が触れると同時に、パッとブラッドの目が開いた。
「お目覚めですか?」
声をかけても、ブラッドはぼんやりとケイティを見つめているだけだ。こんなに無防備なところは二度と見せてくれないのだろうなと微笑ましく思っている彼女の前で、無言のまま、彼が肘をついて身を起こす。
「できたら着替えた方が――ッ!?」
言いかけた言葉を、ケイティは息とともに呑み込んだ。
反射的に手伝おうとして差し伸べた手を、突然ブラッドに引っ張られたからだ。体勢を整える余裕も抗う術もなく、ケイティはブラッドの上に倒れ込む。硬い彼の胸に手をついてパッと起き上がろうとしたけれど、すかさず背中に回ってきた太い腕に阻止された。
腰と後ろ頭をガッチリと固定され、大きな身体にスッポリと包み込まれては、身じろぎ一つままならない。
「あ、の、だんな様?」
どうにかこうにか二人の間に腕を潜り込ませ、ブラッドの胸に手を突っ張って離れようとした――が、縦にも横にも、彼はケイティの倍はあるのではなかろうかという体格差だから、当然のことながらビクともしない。どころか、よりいっそう、鋼のような腕に力がこもる。
どうしよう、声を上げてルーカスを呼んだ方がいいのだろうかと迷うケイティの頭の上で。
「お前は小さい」
彼女の巻き毛に頬を埋めるようにして、ブラッドが言った。いや、言うというよりも独白か。返事を求めているようには聞こえない。
「そうですね、ですからもう少し力加減を……」
ケイティは、分厚い肩に向けてもごもごと請うた。これだけガッチリ抱え込まれているにも拘らず、苦しくはない。苦しくはないものの、密着度が半端ないので、流石に少しばかり、困る。けれど、その声はどうやらブラッドの耳には届かなかったらしく、彼は同じ調子で続けた。
「あいつも、小さかった。小さかったから、オレが守ってやらなければいけなかったのに」
(あいつって……?)
ブラッドに包まれたまま、ケイティは眉をひそめた。
守ってやらなければいけなかったのに、ということは、その相手を守れなかったということで。
顔を見なくても判る。彼のその声に溢れているのは、思慕と慈しみと――自責の念だ。
(誰のこと、だろう)
あの栗色の髪の女性なのか、それとも、ケイティが知らない他の誰か、なのか。
その人の代わりに、今、自分は抱き締められているのだろうか。
そう思った瞬間、ケイティの胸はずきりと痛んだ。
思わずブラッドのシャツを握り締めたケイティを、彼は更に懐深くに閉じ込めようとするかのように、引き寄せる。大きなブラッドの中に、小柄な彼女がすっぽりと収まった。と、ようやく人心地がついたとでも言いたげに、彼が息をつく。
「お前は、オレが守るから。絶対」
それは、ケイティを抱き締めるというよりも、彼女にすがろうとしているようにも感じられる声と力で。
そう思ってしまえば、ケイティの中から彼の腕から逃れようという気持ちは消え失せる。
守る、というこの人を、守ってあげたい。
代わりに、そんな思いが胸の奥底から込み上げた。
ブラッドは、ケイティを助けてくれた人だった。
助けてくれて、居場所をくれて、幸せだと思える日々を、くれる人で。
結局、彼が何をしようが何を言おうが――その心の奥に誰を秘めていようが――ケイティにとって大事でかけがえのない人なのだ。
ケイティが身体の力を抜くと、重ね合わせた胸から、力強くてゆったりとした鼓動が伝わってきた。包み込んでくれる温もりも心地良く、それらに身を委ねるうち、次第に彼女は眠りの淵に引き込まれていく。
ゆるゆるとケイティの意識は不明瞭になっていき、やがて何も判らなくなり……――突然の悲鳴じみた大声で一気に目が覚める。
ハッと目を開けると、部屋の中には燦々と陽が射し込んでいて、すっかり夜が明けているのが明らかだった。
ケイティを閉じ込めていたブラッドの腕は解かれていて、後ずさった彼は今にも寝台の端からずり落ちそうになっている。危ないな、とケイティが思った瞬間彼の姿が消え、部屋の中にドスンと大きな音が響き渡った。
夜通し撫で回されでもしていたのか、くしゃくしゃにもつれた巻毛を掻き上げて、ケイティは四つん這いになって寝台の下を覗き込む。
「大丈夫ですか?」
眉をひそめて案じた彼女を、ブラッドは仰向けのまま見上げてきた。
「お前、どうしてここに!?」
狼狽しきりのブラッドに、申し訳ないがケイティのいたずら心が刺激される。彼女は唇を尖らせて、彼を睨んだ。
「ひどい言い様ですね。だんな様が引っ張り込んで、一晩中放してくれなかったんですよ」
刹那、サァッとブラッドの顔から血の気が引いた。
「ちょっと待て、オレは、何を……」
「とっても素敵な夜でした」
ニッコリ笑ってケイティがそう返すと、ブラッドはピシリと固まり絶句した。微動だにしない彼の頭の中に、様々な可能性が巡っては消えているに違いない。
そんな、滅多にお目にかかることができないだろう彼の取り乱した姿を堪能しながら。
『ブラッドは守りたがり』
少し前の、ルーカスの言葉が脳裏によみがえる。
だったら、いつか、彼の中にある「守りたい」と思う気持ちが満たされたなら、それ以外の想いも抱いてくれるようになるのだろうか。
そんなふうに思いながら、ケイティはブラッドを安心させる答えを渡す。
「だんな様は、なんにもしてません。ただ、あたしのこと、抱き枕にしてただけで。ギュゥッと、一晩中」
「そ、そうか……」
あからさまにホッとした態度を見せるブラッドに、ケイティは笑い、そして少しばかり悔しくなる。
「だんな様、お酒はやめておいた方がいいと思いますよ」
唇を尖らせてそう言うと、ブラッドの奥歯にグッと力がこもった。そんな彼にチラリと笑い、ケイティは寝台を下りる。そうして軽い足取りで主人の横を擦り抜けて、いつもの日課に向かった。
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