らいおんはうさぎにおぼれる

トウリン

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第一部:らいおんはうさぎによりそう

らいおんとうさぎの出発点:彼女の言葉

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 花に講義の空き時間に会って欲しいとメールを送り、いいよと返事があった。
 ふわふわとした見た目に反して、花の応答はシンプルだ。
『いいよ、どこに行けばいい?』という彼女からの問いに、司は返事を打ち込む。
 こんなふうに彼が花を個人的に呼び出すことなどないというのに、何のためらいも質問もなく、彼女は応じてくれた。
 それが自分に対する信頼の証のように思われて、司はスマホを握り締める。これからする話で、その信頼も露と消えるだろう。

 司も少し余裕をもって動いたつもりだったが、待ち合わせ場所にした部室に先に着いていたのは花の方だった。司が扉を開けて中に一歩踏み入れると、窓際のソファに座っていた彼女が立ち上がる。
「すまない、呼び出して」
 司の謝罪に花は柔らかく微笑み、応える。
「ううん。でも、どうしたの?」
 その問いかけへの返事は先延ばしにし、彼は買ってきたコーヒーを花に差し出し座るように仕草で伝える。そうして自分はパイプ椅子を引き寄せ、彼女から少し距離を取って腰を下ろした。

 コーヒーをひと口含んだ花が、ふわりと顔をほころばせる。
「あ、これ好き。ありがとう」
 彼女がカップを両手で持つさまに餌を頬張る小動物を連想しつつ、司は肩をすくめた。
 サークルで時々コーヒーショップに行くときがあるが、花はいつもクリームもミルクもたっぷり入った甘ったるいもの、そして猫舌のくせにホットを選ぶ。味わっているのか熱いのか、彼女はチビリチビリとコーヒーを飲んでいた。
 そんな花を見ながら、司も自分もカップに口をつける。が、温い。買ってからここに来るまでの間に、猫舌の彼女にとっての適温になっていたようだ。
 蓋を外し、司はガブリと中身を呑んだ。花は何も言わずに小首をかしげているが、彼が話を切り出すのを待っているのは伝わってくる。
 引き延ばしても仕方がない。
 司はもう一度コーヒーを煽ってから、告げる。

「貼り紙の件は、俺のせいだった」
「――え?」
 前置きなく切り出した司に、花が目をしばたたかせた。彼はもう少し言葉を付け足して繰り返す。
「この間、掲示板に貼り紙があっただろう。あれは俺絡みだった。すまない」
「えぇっと……良く判らないけど、なんで、獅子王くんのことで、わたしが……?」
 花が疑問に思うのももっともだが、梶山玲於奈のことをどう説明したらよいものか。
「以前、バイト先で客に絡まれたやつがいてだな、それを助けたら妙なことになって……」
「その人って、女の子?」
「……ああ」
「そっか」
 花の返事はそれだけだった。どういうわけか、彼女は納得顔をしている。
 その反応が理解できず、司は眉をひそめた。

「それだけか? 他に訊きたいことはないのか?」
 あるいは、言いたいこととか――文句とか。
 だが、花はクスリと笑ってかぶりを振った。
「しょうがないよ。その人、獅子王くんに助けてもらって、好きになっちゃったんでしょう? で、何でかわたしに焼きもち妬いた?」
「まあ、そういうことになるな」
 まとめてしまえば確かに花の言う通りで、司は眉間にしわを刻んだまま頷いた。
「ふふ。うん、その人の気持ちは解かるよ。確かに、やっていいことと悪いことはあるよね、とは思うけど」
 怒りや何かの感情の響きが皆無の声でそう言ってから、花はわずかに笑顔を曇らせる。
「えっと、で、その人とは――?」
「?」
「だから、あの、お付き合い、とか――?」
「いいや」
 花の頭にそんな発想が浮かんだこと自体が予想外だ。
 司が憮然とかぶりを振ると、彼女の表情が微かに緩む。
「そうなんだ……」
 その声にどことなくホッとしたような響きがあるように聞こえたのは、気のせいだろうか。
 事実だとしても、何に安堵しているのかが判らない。
 怪訝な眼差しで窺う司に、花は何かをごまかすようにえへへと笑った。

 その笑いは何なんだと思いつつ、司は花に告げる。
「とにかく、あいつとは話がついた筈だ。もう、宇佐美を煩わせるようなことは二度と起きないと思う」
「すまなかった」と、司は花に深々と頭を下げた。と、彼女は腰を浮かせて慌てた声を上げる。
「え、やだな。獅子王くんが謝ることなんてないよ」
「いや、俺のせいだ」
 困惑の面持ちでいる花に、司は渋面で応じた。
 花の傍にいることを望んだのは司で、司が花の傍にいたことが原因であれが起きたのだ。
 つまり、司の選択が諸悪の根源ということになる。
「すまない」
「獅子王くん……」
 いっそう深く頭を低くした司に花は呟き、ためらいがちに伸ばしてきた指先で彼の肩に触れる。
「獅子王くんが理由でなったことでも、獅子王くんのせいでなったことというわけじゃないんだよ? そこをね、ごちゃ混ぜにしちゃったらいけないと思うの」
「だが――」
 反論しようとした司を、花が両手で制す。

「じゃあね、もしも獅子王くんのせいだとして、これからどうするの?」
「え?」
「これからも、獅子王くんが自分のせいだって思うようなことが起きるかもしれないよ? 獅子王くんがそういう考え方をするなら、いくらでも有り得るでしょ? そうしたら、どうするの?」
「それは……」
 今回は、歪んだ色恋沙汰だった。だが、確かにそれ以外にもリスクはある。主に、司の外見に由来することで。
 最近はだいぶ減ったが、中高の頃は通りを歩いていて喧嘩を売られることもしょっちゅうだった。あの頃は単なるいきったヤンキー程度の連中だったが、大人になって同じことをしてくるならば、それはシャレにならない輩になるかもしれない。

 もしもそんなことがあるならば。

 司は彼女の傍にいたいと思う。
 だが、自分本位の欲求を押し通して花に害があってはならない。それだけは、避けたい。
 したいこととしてはいけないことを両天秤にかけている気分だ。

 司は頭の中で何かがグルグルと空回りしているような感覚に襲われた。
「もしもまたこういうことがあれば」
 唸るように言い、膝の上で両の拳を硬く握り締める。
「俺はあんたの傍にいるべきでは――」
 ないと思う。
 が、そう続けようとした司の台詞は、途中で断たれた。

「それは、いや」
 きっぱりと言った花に、司はパッと顔を上げる。
 固まる彼を見る花は、何というか、微妙に――
(怒っている……?)
 そうは感じても、何故彼女が起こっているのかが判らない。
「宇佐美……?」
 怒っているのかとズバリと問うことはためらわれた。
 花は口ごもる司を睨むようにして、言う。

「そういう理由で距離を置かれるのは、いや。それじゃ、高校の時と同じだよ」
 花の口から突然出てきた過去話に、司はポカンと目を丸くする。
「え?」
「高校の時にあんまりわたしに話しかけてくれなかったのって、そういう理由だったんでしょ? わたしが獅子王くんと友達だって思われて変なことに巻き込まれたらどうしよう、とか、『不良』の自分と同じだと思われたどうしよう、とか」
 立て板に水で心中を見透かされ、グゥと司の喉が変な音を立てた。
 返事に詰まる彼の前で、花がツンと顎を上げる。
「気付いてないと思ってた? 獅子王くん、色々助けてくれるのに、わたしから近寄ろうとしたら逃げてっちゃうの。……あれ、結構傷ついた」
 最後の一言をポソリとこぼされ、司は反射的に謝る。
「! すまない」
 頭の中を真っ白にする司に、花は少しばかり人が悪そうな笑みを浮かべた。
「傷ついたっていうのはウソだけど、でも、ちょっと寂しかったよ」
「すまない……」
 今度の花の言葉には深みがあって、司は再び謝罪を口にした。反射ではなく、彼女が言ったことを噛み締めた上で。
 花は肩を落とした司に笑い、「よろしい」という風情で頷いた。

「獅子王くんがね、わたしから離れたいって思って離れるなら、わたしには何も言えないよ。でも、そうじゃないなら、一緒にいない方がわたしの為だっていうなら、それは間違ってる。わたしは、獅子王くんといたいって思ってるんだから」
 柔らかな声で伝えられる花の想いに、司は思考が停止する。自分が彼女をどう思っているのかは考えたことがあっても、彼女が自分をどう思っているのかは考えたことがなかった。それは、考えるまでもないことだと思っていたから。
 何も言えずにいる司の前で、花が声を出さずに笑う。
「あのね、獅子王くんのそういうところって、わたしに対してだけじゃなくって、他の色んなことに対して、同じことが言えると思うの。でも、そんなふうに何でもかんでも自分のせいだって思ってたら、何もできなくなっちゃわない?」
 そう言って、花はもうだいぶ温くなっているはずのコーヒーをひと口含んだ。ひと口、そして、もうひと口。

 しばらく間を置いてから、花は再び言葉を紡ぐ。

「……わたしもね、そういうふうに思っちゃうことがあったよ。でもね、やめたの」
 花の視線は手元のコーヒーカップに注がれていたが、その眼差しは違う何かを見ているようだった。
 彼女はそうやって視線を落としたまま、続ける。
「何かが起きた時、人ってどうしても理由とか責任とかを探しちゃうけど、きっとね、『誰かのせい』で起きることなんて、ホントはあんまりないんだよ」
 花はそう言い、おもてを上げた。真っ直ぐに司に注がれる彼女の眼差しに、揺らぎはない。

「獅子王くんは、わたしのこと、もう知ってるよね」

 それは静かな声で為された、問いではなく、確認だった。
 花が言う『わたしのこと』は彼女の人となりやそういうものではなくあの事件についてのことだということを、はっきりと問われずとも司には察せられた。
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