欠けゆくもの、満ちゆくもの

トウリン

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解ける思い

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 ガシャン、と食器が叩き付けられる音が扉越しにも響いてくる。そして続いた、金切り声。
「わたしは、供物が食べたいのよ! こんなもの、いらない!」

 声の主は、もちろん、神殿から攫ってきた少女だ。彼女がおとなしかったのは、ここに連れてきたその日までの事だった。ラミアの診察を終えた後、一晩寝て、そして起きた彼女は、まさに小さな嵐と化していた。神殿から連れてくるまでの三日間がやけにおとなしかったのは、どうやらラミアが鼻にしわを寄せて口にしていた薬のお陰だったらしい。良くないものだそうだが、正直、道中彼女がこんな状態だったら、とてもではないが隠れ里まで辿り着けなかっただろう。

 カイネは、やれやれとため息をつきながら部屋の扉を開ける。何が飛んできてもいいように身構えるのは忘れずに。
 細く開けた隙間から覗いてみると、シィンはこちらに背を向けてローグと対峙していた。眉尻を下げた弟分は、カイネに気付いて助けを求める眼差しになる。目が醒めている間中癇癪を起しっ放しの彼女の面倒を、年下の少年は実によく見ていた。
 もしかすると、ローグはシィンと亡くなった母親とを重ねているのかもしれない。母一人、子一人だったのだが、その母は身体が弱く、どちらかというと、ローグが彼女の世話をしているような状態だったのだ。物静かだったローグの母とこの少女とでは似ても似つかないが、それでも、何か通じるものがあるのかもしれない。

 カイネの気配に気づいたのか、シィンが月の色の髪を揺らして振り返った。興奮しているせいか明け始めた夜空のような色になっているその目は、熱に浮かされたように強い光を放っている。
「ラスはどこなのよ!? ラスに言って、供物を持ってこさせてよ!」
 答えをくれないローグからカイネへと矛先を変え、シィンがキャンキャンと噛みついてきた。

 この二日間、何度もここは神殿ではないということを教えても、全く聞き入れないのだ。使用人か何かと思われる『ラス』とやらの名前も何度も出して、供物を要求する。
 ラミアの推察では、その『供物』に薬が入れられていた可能性が高いということだった。神殿を出てからは口にしていないのだが、常習性があるその薬を止めると、しばらくはこんな状態が続くらしい。七日ほどで落ち着いてくるというのだが、今のシィンを見る限り、そうは思えなかった。

「だから、ここは神殿じゃないんだって、何度も言ってるだろ? 供物はないんだ。そんなもの食べない方が、お前の身の為なんだよ」
 うんざりした口調で、カイネはもう何度も繰り返した台詞を単調に告げた。
 と、シィンは唐突に枕を掴むと、彼に向けて投げつけてくる。とは言っても、それは、彼に届くことすらなく、ポテリと床に落ちただけだった。甲斐甲斐しく床に散らばる食器やら食べ物の残骸やらを片付けていたローグが、手を伸ばして枕も拾う。

「いいから! 供物をちょうだいってば!」
 全く聞く耳を持たない。

 カイネはため息をつきつつシィンの横を抜け、寝台の上の毛布を取った。無言で彼女の腕をつかんで引き寄せ、くるくるとそれで巻いてしまう。そうして後ろから抱きすくめるようにすると、寝台に腰を下ろし、彼女を膝の上にのせた。
「ちょっと、放して! 放してってば!」
 毛布の中でもぞもぞと動くのは、シィンにとっては渾身の力を振り絞っての抵抗のつもりか。
 初めて担ぎ上げた時もその華奢さに驚いたが、数日ろくに食事ができていないその体は、更に肉が落ちている。子どものようなその肢体に、仔猫ほどもないようなその力に、なぜかカイネの胸がズキリと疼く。

 こんなものが『神の娘』なのか。

 カイネは、確かに、神殿を――そしてそこに祀られる神を憎んだ筈だった。守ってくれる筈なのに、大事な時に何もしてくれなかった、神を。
 強大な力を持っている筈なのに、むざむざと村を滅ぼさせた、神を。
 そして、当然のように『神の娘』のことも憎んだ。
 それは、神の力を持っている存在なのだと聞かされていたから。
 だが、実際はどうだ。今腕の中にあるのは、誰かを守るどころか、自分自身を守ることもできないだろう、弱々しいものに過ぎなかった。むしろ、誰かが守ってやらなければならないと思わせるような、儚いものだった。
 そんなふうに考えが進んで、カイネは小さくため息をつく。
 今は余計なことを考えている時ではない。まずは、こなさなければならないことがあった。

 うっかり力を入れたら折れてしまいそうで、カイネは細心の注意を払ってシィンの動きを封じる。
「ローグ、それ取って」
 カイネが何とか残っていた果物の皿を指差すと、成り行きを見守っていたローグが慌ててそれを差し出した。
 果実は甘く、その果肉は柔らかい。滋養豊富な果物で、ラミアのお薦め品だ。カイネは匙で少量をすくい取ると、シィンの口元に差し出した。
「ほら、口開けろって」
 だが、あれほどやかましく喚いていた彼女の唇は途端にムッと引き結ばれて、それきり一向に開かれる気配がない。

「食えよ」
「……」

 埒が明かない。

 カイネは右手の指先で果物を取り、左手を使って彼女の鼻を摘まんだ。

「!」

 しばらくは頑張っていたシィンだったが、やがて息苦しさに耐えかねてプハッと口を開ける。その隙を逃さず、カイネは果実を喉の奥へと押し込んでやると、すぐさま口を閉じさせた。毛布の中でもがいているのが伝わってくるが、そんなのは屁でもない。
 シィンの眦に滲んだ涙にローグが非難がましい目を向けてきたが、カイネは一蹴する。
「仕方ないだろ。これ以上食わなかったら、死んじまうんだから」
 言いながら、彼女が口の中のものを飲み下すのを待って、容赦なく次を運ぶ。
 数口ほども苦しい思いをすると流石にシィンも観念したのか、匙を口元に運ばれれば、おとなしく口を開けるようになった。

 時間をかけて皿の中身を平らげ、ようやくカイネはシィンを解放してやる。
 よほど屈辱だったのか、彼女は目を潤ませたまま、拳を繰り出してきた。それはポカリとカイネの胸に当たったが、そよ風が吹いた程度にも感じない。

 これが、『神の娘』の力なのか。

 何だか、笑いたくなった。
 バカらしい、とは少し違う。だが、どこかフッと気が抜けた感じがする。
 神殿の事は、まだ許せない。以前と同じように崇めるなど、とうていできない。
 しかし、村を失ったばかりの時のような、ドロドロとした、どうにもやり場のない感情はいつしか色褪せていたことに、気付く。

 小さく笑い声を漏らしたカイネに、シィンは更に眉を吊り上げた。
 再び振り上げられた彼女の拳を、カイネはそっと掴んだ。下手に彼にぶつければ、むしろ傷ついてしまいそうな、その小さな拳を。

「ごめんな」

 彼自身何に対しての謝罪か判らないままそう囁くと、シィンは毒気を抜かれたように、拳を解いた。
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