悩める子爵と無垢な花

トウリン

文字の大きさ
6 / 59

約束

しおりを挟む
 ルーカスとケイティが連れ立って向かった先は、隊員たちが寝泊まりする部屋がある階だ。
 少女たちには事情聴取をする必要があったし、頭領を捕まえたとはいえ、まだ残党がうろついている危険もあった。だから、警護の意味合いもあって、当座は彼女たちをこの警邏隊詰め所に置いておくことにしたのだ。元から多少の空き部屋はあったが、さすがに十数人を入れるのには足りず、隊員の幾人かには外で寝場所を探してもらって部屋を空けた。

 救出してから、ルーカスが仕事としてではなくフィオナに会うのはこれが初めてだ。彼女の様子はそれとなくケイティに訊いていて、寝食はできているということだけは確認できていたのだが。
 ちゃんと熟睡できているのか、美味いと思って食事を摂れているのか、ルーカスはその目で確かめたくてたまらないのをどうにかこうにか抑えていた。たかが三日が、三年、いや、三十年も経ったように感じられる。

 フィオナが寝起きしているのは、普段は若手のアレンが生活している部屋だ。
 ――他の男が寝起きしていた寝台で過ごさせることには微妙に胸がモヤついたが、副長であるルーカスの部屋を使うのも不自然極まりないので仕方がない。
 黙っているとそんな埒もないことを考えてしまうので、ルーカスは笑顔を作って隣を歩くケイティを見下ろす。
「ここでの生活はどう? 不自由はないかな」
 同じ目に遭ったというのに、ケイティは他の子のように怯えてはいなかった。それに加えて生来世話焼きなのか、少女たちの間を回って甲斐甲斐しく面倒を見ている。

 彼女はルーカスを見上げて仔猫のような笑みを浮かべ、かぶりを振る。
「いえ、とても良くしてもらってます。みんなも、ようやく落ち着いてきたみたいで。笑える子も出てきましたよ」
「それは良かった。で、その……フィオナは、どうかな」
 一昨日事情聴取をしたときは、フィオナはケイティの袖を握って放さず、常に彼女の陰に隠れるようにしていた。ルーカスやブラッドの質問をケイティが繰り返し、それに首の動きだけで答える。その間、彼女の声を聴くことは叶わなかった。
「少しは喋るようになったかい?」
 個人を特別扱いにするのはどうかと思いつつ、先ほどの話の流れがあるから許容されるはずだと言い訳をして、ルーカスは彼女の名前を口にした。
 ケイティは笑みを消し、心配そうな色をその眼に浮かべる。
「フィオナは、まだ……訊いたことには何とか答えてくれますけど」
「そうか」
 ルーカスは彼女同様眉をひそめた。

 フィオナが機能的に話をすることが可能であるということは、確認済みだ。理解も問題ない。
 となると、あとは話す気持ちになるのをじっくり待つしかないのか。

 我知らずため息をこぼしたルーカスだ。

 それきり互いに口を閉じ、やがてフィオナがいる部屋の前に着いて、ルーカスはケイティに一歩を譲る。彼女が先に姿を見せた方がいいに違いない。
「フィオナ、ケイティだけど入るよ?」
 ケイティが軽く扉を叩いてそう声をかけたが、返事は聞こえない。彼女は一拍置いてから扉を開けた。
「ルーカスさんもいるけど、一緒に入っていい?」
 扉の隙間から顔を突っ込むようにしてケイティが訊いている。間を置かず彼女はルーカスを振り返った。
「いいって」
 その答えに、ルーカスの肩から力が抜ける。抜けたことで、自分が緊張していたことに気付いた。

 まるで、初めて女性を逢引きに誘った時のようだ。
 そんなことを考えたが、ルーカスはすぐに心の中でかぶりを振った。
(いや、アレの方が遥かに気楽なものだったな)
 断られることなど頭の片隅にもよぎらず、むしろ、「してやる」くらいな気持ちだったはずだ。
 ルーカスは苦笑しつつ先に部屋に入ったケイティの後に続く。
「失礼するよ」
 入ってみると、フィオナは、窓際に置いた椅子に座っていた。揃えた両手を膝に乗せ、真っ直ぐに背を伸ばしている。さながら陶磁器の人形だ。うっかり衝撃を与えたら粉々に砕けてしまいそうに見える。
 窓から見える空よりも深い青色をしたその目がルーカスを見て、しかし、すぐに伏せられてしまった。ケイティはそんなフィオナの後ろに立ち、励ますように両手を彼女の肩に置いている。

 ルーカスはしばし逡巡する。
 どこまで距離を詰めたらいいか――どこまで許されるか。

 意を決し、彼は、一歩一歩ゆっくりと、フィオナの様子を確かめながら進む。
 が、良くも悪くも反応がない。

 さほど広くもない部屋の中を、よくもそれほどというほどの時間をかけて、フィオナの前に辿り着いた。
 見下ろしたままでは余計に怯えさせてしまうので、ルーカスは、そろそろとフィオナの膝の先にひざまずく。彼女よりも目線が下になるように腰を下げ、うつむき気味の顔を覗き込んだ。
 フィオナは一瞬肩を強張らせたが、それでもおずおずと視線を動かし、ルーカスの胸元あたりにそれを落ち着かせる。

 きっと、まだ怖いのだろう。
 だが、それでも、ルーカスに応えようとしてくれている。
 その気持ちが確かに伝わってきて、彼の胸の中にブワリと何かが広がった。そして同時に、心臓が何かに握り締められたように苦しくなる。

 やけに急いてしまう気持ちの手綱を取って、ルーカスは柔らかく柔らかくと心掛けた声をフィオナにかける。

「少しは落ち着いたかな?」
 間。
 そして、小さな頭が上下にコクリ。

「何か困っていることはないかい?」
 間。
 今度は、微かに左右に振られた。見るからに柔らかそうな黒髪がサラサラと揺れて、ルーカスはそれに口付けたい衝動に駆られた。

 が、そんなことができるわけもなく。

 彼は己を戒める為に膝の上で両手を握り締めた。そうしてフィオナに微笑みかける。
「ケイティから聞いたよ、何も覚えていないって」
 クッと、彼女の華奢な肩が強張った。膝の上に置かれた優美な手が小刻みに震えている。と、それに気付いた瞬間、ルーカスは自分の両手のひらの中に彼女の手を包み込んでいた。

 触れるべきじゃない。

 そうは思ったが、頭で考えるよりも先に身体が動いてしまっていたし、小さなその手が冷え切っていることを知ってしまえば放っておくことなどできやしない。

 ルーカスはそれをしっかりと握り直し、頭を下げてフィオナの目を覗き込む。
「大丈夫、家族が見つかるか帰る場所を思い出すまで、ここにいたらいい」
 それは、嘘偽りのないルーカスの本心、いや、切実な望みだった。

 ――たとえ家族が見つかろうが記憶が戻ろうが、ここにいて欲しい。

 その想いを押し付けてしまわぬよう意識して、彼は付け加える。
「ここは安全だし、君が嫌でなければ、ここにいて欲しいんだ」
 フィオナはジッと固まっていたが、ルーカスは身じろぎ一つせず、いや、できず、待った。
 どれほどの時が過ぎた頃か、やがて彼女が小さく頷く。

 その微かな動きに、思わず、ルーカスの口から安堵の吐息が漏れた。

 帰す場所が見つかるまでは、彼女はここにいる。

(永久に、見つからなければいいのに)

 ふと頭の奥での囁きは聞こえなかったことにして、ルーカスはもう一度フィオナに微笑みかけた。

「必ず、見つけてあげるから」
 本心とは裏腹に力強くそう宣言したルーカスに、フィオナはほんのわずかだけ、表情を和らげる。

「ありがとうございます」
 消え入りそうな、微かな声。
 だが、確かにそれはルーカスの耳に届けられた。思わず彼が微笑むと、つられたようにフィオナの唇もほころぶ。

 それは、初めて彼女が見せた、生気のある表情だった。人形めいた美しさが、一転、愛らしさを帯びる。

 ルーカスの胸が、詰まった。

 もっと、微笑ませたい。
 声を上げて、顔を輝かせて笑うところを、見てみたい。

 いずれは、そうなるだろう――そうさせてみせる。
 彼は、そう心に誓った。

 だが、いつか彼女が帰る場所が見つかってしまえば、それを手放さなければならなくなるのか。

 フィオナの幸せと彼の望みとは、両立させることができないのかもしれない。
 そんな考えがルーカスの頭の片隅をよぎったが、気付いた時にはもう迷いを抱きながらもフィオナに向けて告げていた。

「約束だ」

 と。

 ――ルーカスが望むと望まざるとにかかわらず、その約束は三年の時を経た後、果たされることになるのだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました

鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」 そう言ったのは、王太子アレス。 そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。 外交も財政も軍備も―― すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。 けれど功績はすべて王太子のもの。 感謝も敬意も、ただの一度もない。 そして迎えた舞踏会の夜。 「便利だったが、飾りには向かん」 公開婚約破棄。 それならば、とレイナは微笑む。 「では業務も終了でよろしいですね?」 王太子が望んだ通り、 彼女は“確認”をやめた。 保証を外し、責任を返し、 そして最後に―― 「ご確認を」と差し出した書類に、 彼は何も読まずに署名した。 国は契約で成り立っている。 確認しない者に、王の資格はない。 働きたくない公爵令嬢と、 責任を理解しなかった王太子。 静かな契約ざまぁ劇、開幕。 ---

赤貧令嬢の借金返済契約

夏菜しの
恋愛
 大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。  いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。  クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。  王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。  彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。  それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。  赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

凛蓮月@騎士の夫〜発売中です
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】  公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。  だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。  ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。  嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。  ──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。  王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。  カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。 (記憶を取り戻したい) (どうかこのままで……)  だが、それも長くは続かず──。 【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】 ※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。 ※中編版、短編版はpixivに移動させています。 ※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。 ※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした

柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。 幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。 そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。 護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。

婚約者が記憶喪失になりました。

ねーさん
恋愛
 平凡な子爵令嬢のセシリアは、「氷の彫刻」と呼ばれる無愛想で冷徹な公爵家の嫡男シルベストと恋に落ちた。  二人が婚約してしばらく経ったある日、シルベストが馬車の事故に遭ってしまう。 「キミは誰だ?」  目を覚ましたシルベストは三年分の記憶を失っていた。  それはつまりセシリアとの出会いからの全てが無かった事になったという事だった─── 注:1、2話のエピソードは時系列順ではありません

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

処理中です...