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13〈現在・オーガスト視点〉

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 ルイが孤から離れたのを見て、体が勝手に動いた。
 やっと見つけた。
 エニシは追ってこなかった。
 縁は数刻前に、糸トンボにチップを移し、飛び立っていった。彼の人型の体を隠すことに専念していたのかもしれない。
 ルイは自分が知っている時よりも、早く移動していく。まるで、ルイの格好をした、別の生き物だ。
 鍛錬をサボったことはないこの身が、距離を離されぬようにすることで精一杯だった。
 不意に、ルイの姿が消える。
 驚いている間に、また現れ、そして、また消える。
 頬に水滴が当たった。
 ルイの速度が落ちる。
 オーガストは地面を強く蹴った。
 追いついた時、ルイは蹲って、息を乱していた。
 ルイはオーガストの接近に気づいたが、逃げる余力がなかったのか、簡単にその腕を握らせてくれた。ルイはその大きな瞳で、オーガストを凝視した。
 オーガストは感情のまま。ルイを抱きしめたかった。
 できなかったのは、自分にはその資格がないと思っているからだ。
「血が必要なら、俺のを飲め。孤は、彼の仲間が連れ戻すだろう。動けるようになったら、この地を去ろう」
 ルイは唾液を口の端に滲ませたにも関わらず、首を左右した。
 ルイの体が透明になり、瞬間、虹色の水が弾けたように消え、オーガストは顔を引きつらせた。
 再度、戻ってきたルイの形を逃がさまいと、しがみついてしまった。
「神様、頼む。殺さないでくれ。頼む。神様っ……」
 切なる祈りだった。
 ルイがハッと息を飲む。
 彼は静かに涙を流した。
「あなただったんだね」
 ルイの腕が背中に回される。
「毎日、池の前で歌ってくれたのは。あなたがいつも来てくれるから、僕は穏やかでいられた。でも、僕を慰めてくれるあなたは、歌い終わると必ず泣いていた。僕は、泣かないでって言いたかったんだ」
 オーガストは、きつくルイを抱擁した。
「ずっと思っていたら、光りが射したんだ。すごく眩しい光りだった。その光りを浴びたら、景色が見えるようになった。手と足ができて。それでね、輝く鳥がこっちだって、案内してくれたんだ。着いていったら、森にいた。あのお墓も、あなたが建ててくれたんでしょ? 僕が死んだ後も、僕を想ってくれていたんだね」
 オーガストは何度も頷いた。
 涙が零れていく。
 ルイが体を離す。
 頬を濡らしながらも、彼は微笑んだ。
「泣かないで。僕は平気だよ。だから、僕に囚われないで。あなたは、あなたの未来を生きて、幸せになって」
 ルイと過ごした日々を思い、オーガストは少年の手の握りしめ、額を地に向けた。
 涙が流れ落ちる。
「幸せになるべきなのは、お前の方だ、ルイ。俺が道を開く。だから、悲しい過去のまま、平気だなんて言わないでくれ」
 ルイの表情が苦しげになる。
「ありがとう。かげ」
「オーガスト様、これはどういうことですかな?」
 ルイの声に、野太い男の声が覆い被さる。
 ソロの町長が、幾人もの武装した男と森から出てくる。
 男達は躊躇なく、弓矢の照準をオーガストとルイへ合わせた。
「我らが王に忠誠を誓った騎士とは言え、しょせん、異国の人間だということですかな?」
 オーガストはルイを守るように、自分の背後へ隠した。
 町長の目が軽蔑を含む。
「例の旅人も、貴様の差し金か? なんでも、魔術を使うとか? 怖い、怖い。反逆の芽は早く摘まねばな」
 町長が腕を上げる。
 弦がひかれ、矢が放たれる。
 剣を抜き、第一陣を防いだ。
 だが、男達はすばやく、オーガストの後ろにも回り込む。
 これでは、ルイを守れない。
 オーガストは口角を上げた。
「目をつむって、耳を塞いでいろ」
 ルイが、オーガストの本当の名前を、不安げに口にする。
 オーガストはルイに微笑んで見せた。
「大丈夫だ」
 オーガストは剣を地面に放った。
 町長が眉を上げる。
「騎士の剣は、君主への忠誠心そのものだぞ」
 オーガストはルイを包み込んで、地面に伏せた。
 ルイの震える声が聞こえる。
「大丈夫。大丈夫だ」
 大丈夫、と囁き、自分に突き刺さるだろう痛みを遮断するため、意識を曇らせた。
 こんなことで、ルイへの罪を償えるとは思わない。けれど、これが自分に与えられた償い方なんだ。
 この命だけは、絶対に枯らさない。
 枯らしてなるものか……。
 頭上から地鳴りのような音がし、ついで、男達が騒ぎ出す。
 空から人型の塊が下りてきた。
 それはオーガストの傍で着地し、剣を拾った。
「お前の忠誠心がどこにあるのか、知っているのは、お前だけだ。剣はただの物であって、それを本物の武器にできるのは、鍛錬した奴だけだ」
 半円の頭部が開く。
 中に、エニシがいた。
 眼鏡のようなものと、片耳全体を覆う何かをつけている。
「はじめは道楽だったが、今となっては、機械を弄ることが俺の武器だ」
 自信ありげに、鉄の塊を親指でさす。
「どんな理由であれ、磨き上げてきたんだ。それを、簡単に捨てるな」
 三本の機械の指が、器用に剣を投げる。
 オーガストは剣を受けとめた。
「乗れ!」
 エニシが叫ぶ。
 オーガストはルイを抱え、エニシの元へと跳躍した。
「逃がすな! 打て! 打てえ!」
 町長の号令で、四方から矢が迫る。
 機械の手がオーガスト達をエニシの元へ運び、半円が閉じられると、矢をたたき落とした。
「シートベルトをつけろよ。急ごしらえで作ったから、乗り心地は保障できん」
「何をつけろって?」
 エニシへ聞き返す。
「シートベルト! その黒いベルトだ!」
 もたつくオーガストを見かねて、ルイがベルトをはめてくれた。
「ありがとう」
 小さく頷かれる。
 こんなにも近くにルイがいる。
 そして、何の因果か、自分はまだ生きている。
 涙腺が緩んだ。
 エニシが鉄の塊を指で押していく。
 視野が上へ上へとあがり、雲を突き抜けた。
 足がすくんだ。ルイは珍しげに、外を見た。
「縁! 聞こえるか?」
 エニシの大声に、オーガストは肩を揺らした。
「聞こえます。どうして、こちらからの通信に出てくれなかったのですか?」
 縁の声だ。
「悪かった。状況把握と対策に手一杯だった。孤は?」
「一緒にいます」
「状況に変わりはないってことだな」
 エニシがほっと息をつく。
「変わりはないって、エニシ、まさか」
「今、オーガストと合流した。ルイもいる。お前は自分の体を回収して、孤と浮島へ帰っていろ。体は別れたところの枯れ葉に隠してある」
「……わかりました。エニシ、孤達がいた池のことで話があります」
「池の毒性と、医療都市への口利きの話か?」
 縁は一度、口を閉ざし、
「やはり、こちらの会話は筒抜けだったみたいですね」
 声を低めた。
「電流じゃなく、ホログラムで村の奴を退散させたのには、完敗だったぞ。その発想はなかった」
「偶然です。それに、相手を怖がらせてしまった。あることないこと、言いふらされるかもしれません」
 縁が溜息を漏らす。
 対して、エニシは笑い声をあげた。
「どうやら、その通りの未来になったようだぞ。羽咋どころじゃなくなってしまったな」
 はくい、とルイが呟いた。
「この大陸じゃ、俺達の技術とは異なる力が息づいている。旅は奇想天外だな。言葉は通じるのに、心が通じない」
「笑っている場合ですか?」
「場合だ。孤が無事で、しかも、お前と一緒にいる。心置きなく、動ける。が、俺は元来、目立ちたくない性質たちだ。笑っていないと引き返してしまう」
 鉄の塊が一方向へと進んでいく。
「まったく。俺らしくない。本当に」
 エニシは小さく独りごち、小さく笑んだ。
「通信を遮断する。必ず、浮島へは帰る。お前は孤を休ませてやってくれ」
「孤を悲しませることだけは、しないでくださいね」
「……帰るよ。それほど大きなミッションじゃない」
 エニシは通信を切ったようだった。
 塊の速度があがる。
「あの」
 ルイがエニシに話しかけた。
「孤のこと、ごめんなさい」
 エニシは沈黙を返してきた。
「あの」
「悪いと思っているなら、血の補給をしておけ。飢えてるお前を見た、孤の行動を、俺は容易く想像できる。ちなみに、俺は血をやるつもりはない」
 ルイが上目遣いで、こちらを捉える。
 自分を切るために、懐に忍ばしていた刀を取り出そうとし、手で止められた。
 ルイの顔が近づいてくる。
 開いた口の中に、鋭い犬歯があった。
 首筋にひやりと冷たい感触があり、力を抜いた。
 犬歯が皮膚に刺さり、熱い舌が撫でてくる。
 こうやって、血をあげたことはなかった。
 どういう作用なのか、快楽がよじ登ってくる。
 オーガストは口を押さえた。
 ルイがきつく抱きしめてくる。
 求められている幸福を感じながら、瞼を閉じた。
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