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願い

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 大学生になると共に、幸は一人暮らしを始めた。
 ジンジャーも連れて行ってもらえた。
 定位置のベッドの上。
 真っ白な天井と狭い洋室。
 新しい環境。
 幸は外出を躊躇っていたが、日が経つごとに部屋にいる時間が減っていった。
 いいことだとジンジャーは自分に言い聞かせた。
 きっと、いい友達ができたんだ。
 日に日に溜まっていくゴミ。
 幸はそんなゴミの間を、器用に爪先で歩いて行くと髪をとかし、ピンク色の口紅をひく。
 ジンジャーが幸と初めて会ったときのカバーオールと同じ色。
 なぜか、寂しくてジンジャーは閉じられない自分の目を呪った。
 ほどなくして、ジンジャーはベッドから机の上へ移動させられた。
 ジンジャーの定位置だった場所には見たこともない男がいた。
 そいつは部屋がどんなに汚くてもなじることすらしない。
 そればかりか、ちょっとしたことで幸を殴る。
 味噌汁が冷たい。
 言い方が気にくわない。
 ジンジャーは思う。
 この体が動くなら蹴り倒していた、と。
 この口が動くならどなり散らしていた、と。
 けど、そんなこと、ぬいぐるみのジンジャーには夢のまた夢。
 どうして、おれは人じゃないんだろう?
 人だったら、幸を抱きしめられた。
 人だったら、自分の思いを彼女に伝えられる。

「なら、人になってみますか?」

 誰もいない部屋で若い男の声が響く。
 ジンジャーは応える。
 成れるものなら成りたい。
 人に成って、幸を守りたい。
 どんなものでも差し出す。
 だから、お願いだ。
 おれを人にしてくれ!
 願いは叶った。
 丸まっていた手足は枝のようにわかれた人の指になり、開かなかった口はぱくぱくと開閉できる。しかも、初めから歩くことも、しゃべることも、カスタマイズされており、ジンジャーは習得期間を経ずにそれらを操れた。
 ジンジャーは人に成れたのだ。
 だが、場所は洋風の喫茶店。
 幸はいない。
 そして最悪なことに。

「このドアはどうして開かんのだ?」

 ジンジャーは透明のドアに貼りつき、真っ暗な外を見つめた。
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