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 放課後。
 外では、雨と風が台風のように吹き荒れている。
 俺は担任から言い渡された『新入生の進学希望アンケート』を、教室で集計していた。
 ついさっきまで、脇田と西山が手伝っていてくれたのだが、剣道部の先輩から呼び出しがかかり、ごめんなの一言を残して練習に走って行っちまった。
 友情よりも部活。
 あいつらは気持ちいい位、割り切っている。
 仕方がない。
 俺達の通う西高等学校は、周辺の高校と比べると、スポーツに力が注がれているのだから。
 他県から優秀な生徒をスカウトし、育て、県大会優勝を総なめにしていく手腕を、各部活の顧問や部長が持っている。
 当然、先輩後輩の上下関係は厳しくなる。
 俺の親友達は、熱血スポコン的な青春がお好きなのだ。
 こちらとしては、到底、理解できないが。
 そう言や、向井も他県組だったな。
 確か、岐阜? 
 いや、味噌カツが有名なところだっけ? 
 つうことは、滋賀? 
 てか、近畿と東海ってどう違うんだ?

「林?」

 聞き慣れない声に肩が跳ねた。
 黒板に近い出入り口(俺の席から、斜め右の正面)に、向井学が学ラン姿で、鞄を片手に突っ立っていた。取り巻きがいないと、貫禄にかける。

「電気くらい点けろよ。びっくりした」

 俺もびっくりだ。お前に名前を呼ばれるなんて。 

「さっきまでは、まだ明るかったから」

 時間が過ぎて、外の暗さが際立ってきたのだ。

「そうなのか?」

 向井はニコニコしながら、明かりを点けた。
 俺は無表情でアンケートを捲った。

「いつもの二人はどうした?」
「誰のことだ?」
「林の友達」

 向井が俺の斜め後ろ左の窓際にある、自分の席まで歩いていく。

「部活」
「そっか。俺達は雨で練習が流れたからな。こういう日は、屋内のスポーツが羨ましく感じる」
「さいですか」

 向井は陸上部のエース。そして、俺は陸上部の一部員。
 後ろから、教科書を整える音がする。我が陸上部のエースは、忘れ物でも取りにきたのだろう。
 忘れ物をとったら、さっさと出て行ってくれ。俺は脇田や西山じゃない。お前と積極的に仲良くなるなんて、願い下げなんだよ。俺は平凡に生きたいんだ。

「担任?」

 頭上から降ってきた声に、心臓が飛び出すかと思った。

「へ?」

 しまった。声が裏返った。
 向井が俺の前の席の椅子を引張りだし、こともあろうか座った。
 おい、居座る気じゃねえだろうな。

「それ、担任に押し付けられたんだろ?」

 アンケートを指で示される。

「手伝ってやる」
「いや。もうすぐ終わるから、俺一人で」
「一日一善。良い心がけだろ?」

 向井は有無を言わさず、アンケート用紙の半分を手にした。
 一日一善なんて、久しぶりに聞いた。
 俺の心の指針になっている、言葉。
 過去にした、古い約束。
 溜息をつき、周囲を見回して、誰もいないことを確認する。
 集計の仕方を教えようとし、目を見開いた。

「ごめん」

 それは、か細くて聞き取れないようなほど、小さい声だった。
 だけど、確かに、向井は俺に謝ったのだ。
 厄日だと思った。
 関わりたくない人間に、関わりたいと思うなど、どうかしている。
 俺は返答をせず、今度こそ集計の仕方を伝えて、二人で黙々と作業にかかった。
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